第二百四章 代わりの人
水曜日の朝、会社に着くと、班長がいつもより早く来ていた。
入口の前で、誰かと話している。
「今日だけ、代わりに入ってもらいます」
透が近づくと、見慣れない男性が一人立っていた。
年齢は三十代くらいに見える。
「今日から?」
透が聞くと、班長が答えた。
「今日だけの予定です」
男性は軽く頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
午前中は、三人で同じ作業をした。
男性は仕事を覚えるのが早かった。
分からないところはすぐに聞く。
ただ、何かを聞くたびに、
「これで合っていますか?」
と確認した。
透は少し気になった。
以前の自分も、似たような聞き方をしていた。
間違えないように。
怒られないように。
自分で決めたことにしたくないように。
そんな感覚だった。
昼休み、男性が隣に座った。
「ここ、長いんですか?」
「一年くらい」
「そうなんですね」
「あなたは?」
「まだ決まってないです」
「何が?」
「次の仕事」
男性は弁当を開けながら言った。
「今のところ、いろんな場所に行ってます」
「派遣?」
「そうです」
「大変ですね」
「まあ、慣れました」
それ以上は話さなかった。
午後、班長が来た。
「明日は別の人が来ます」
男性が聞いた。
「僕は今日だけですか?」
「今のところは」
「分かりました」
作業が終わる頃、男性は道具を片づけていた。
「明日、来ないんですね」
透が言うと、
「たぶん」
と答えた。
「たぶん?」
「別の場所になるかもしれないので」
「そうなんだ」
「でも、またここに来るかもしれません」
透は頷いた。
「分からないですね」
「はい」
二人とも笑った。
帰り際、班長が男性に声をかけた。
「明日の場所、夜までには連絡します」
「分かりました」
男性は会社を出ていった。
翌朝。
透が出勤すると、入口に別の男性が立っていた。
昨日とは違う人だった。
「今日、こちらで仕事ですか?」
透が聞く。
「はい」
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
透は自分の席へ向かった。
昨日の男性が使っていた工具は、元の場所に戻っている。
作業場も変わらない。
人だけが変わっていた。
昼休み、班長が言った。
「昨日の人、別の現場になったそうです」
誰かが、
「また来るの?」
と聞いた。
「分からない」
それだけだった。
仕事が終わり、透は駅へ向かった。
途中でスマートフォンを見る。
彼女から、
「今日、知らない人と話した」
とメッセージが来ていた。
「どんな人?」
「駅で道を聞かれた」
「教えた?」
「教えた」
「合ってた?」
「たぶん」
透は笑った。
「たぶん多いね」
「そうだね」
少しして、
「でも、間違ってたらごめんって言った」
と届いた。
透は、
「それなら大丈夫じゃない?」
と返した。
送ってから、少し考えた。
大丈夫かどうかは分からない。
でも、間違っている可能性を伝えたうえで教えることと、確かなことのように教えることは違う。
「たぶん」という言葉は、曖昧なまま逃げるためだけにあるわけではない。
分からないことを、分からないまま渡すためにも使える。
透はそんなことを考えながら、駅の階段を下りた。
明日、誰が会社に来るのか。
それはまだ分からない。
けれど、明日のことは、明日になってから考えればいい。
透はそう思って、家へ向かった。




