第百九十三章 誰が知っている
金曜日の朝、会社に着くと、入口の掲示板に新しい紙が貼られていた。
「来週の作業体制について」
透は足を止めた。
内容は簡単だった。
一部の作業を別の班へ移すこと。
それに伴って、担当者を変更すること。
詳細については、各班の責任者に確認すること。
透は紙を読み終えると、そのまま自分の席へ向かった。
「見た?」
隣の席の同僚が言った。
「見ました」
「来週から、俺たちも変わるらしい」
「そうなんですか?」
「たぶん」
「責任者は?」
「まだ聞いてない」
その人は少し笑った。
「毎回こんな感じだよね」
透も笑った。
午前中、班長が来て説明をした。
「来週から一部変更になります」
「誰が担当ですか?」
誰かが聞いた。
班長は書類を見た。
「まだ最終確認中です」
「じゃあ、誰に聞けばいいんですか?」
「決まったら連絡します」
「分かりました」
それで説明は終わった。
昼休みになった。
透が弁当を食べていると、向かいの社員がスマートフォンを見ながら言った。
「もう決まったらしいよ」
「何が?」
「来週の責任者」
「誰ですか?」
「別の班の人」
「班長が言ってた人?」
「違う」
「どっちが本当?」
「さあ」
その人は肩をすくめた。
「俺も人から聞いただけだから」
透はそれ以上聞かなかった。
午後になると、別の情報が流れてきた。
今度は、
「来週から外部の人が入るらしい」
という話だった。
その話を聞いた社員が、
「さっきは別の班って聞いたけど」
と言う。
「それもあるんじゃない?」
「どういうこと?」
「知らない」
誰も確かめなかった。
夕方になって、班長から正式な連絡が入った。
来週から、別の班の社員が一人加わる。
作業の一部は外部業者へ移す。
責任者は現在の班長が引き続き担当する。
三つの話は、それぞれ少しずつ違っていた。
けれど、全部が完全な間違いというわけでもなかった。
透は掲示板を見ながら、そんなことを考えた。
人から人へ伝わるうちに、話は少しずつ形を変える。
誰かが嘘をついたわけではなくても。
仕事が終わったあと、透は駅前の小さな店に入った。
夕食を買うためだった。
レジの前には、近所の男性がいた。
「明日、開いてますか?」
男性が店員に聞いている。
「たぶん開いてます」
「たぶん?」
「店長にまだ聞いてないので」
「そうですか」
男性は少し考えて、
「じゃあ、また明日来ます」
と言って店を出た。
透が会計をすると、店員が言った。
「明日、休みだったらすみません」
「大丈夫です」
店を出る。
外に出たところで、透は少し笑った。
今日も「たぶん」が多い。
けれど、それを聞いて困ることはなかった。
駅へ向かっていると、彼女から連絡が来た。
「今日、少しだけ話せる?」
「うん」
「電話する」
帰宅してから、彼女から電話が来た。
「今日、会ってきた」
「駅の人?」
「うん」
透は何も言わずに待った。
「前に一度、私と仕事で会ったことがある人だった」
「そうだったんだ」
「私が覚えてなかっただけ」
「名前は?」
「聞いた」
「何のために連絡してきたの?」
「昔の仕事のことで、少し確認したいことがあったみたい」
「それだけ?」
「たぶん」
透は少し笑った。
「また、たぶんだね」
「うん」
彼女も笑った。
「でも、もういいかなと思ってる」
「聞きたいことは聞けた?」
「だいたい」
「じゃあ、よかったね」
「うん」
少し沈黙した。
「ねえ」
「何?」
「透は、聞かなくなったね」
「何を?」
「私のこと」
透は黙った。
「前は、もっと聞いてた」
「そうかな」
「そうだよ」
「……聞きたいことはあるよ」
「じゃあ、どうして聞かないの?」
透は少し考えた。
「聞いたら、全部分かるような気がしてたから」
「今は?」
「聞いても、全部は分からないと思う」
電話の向こうで、彼女が小さく笑った。
「それはそうね」
「だから、必要なときに聞けばいいかなって」
「うん」
それ以上、彼女は何も言わなかった。
透も何も聞かなかった。
電話を切ったあと、彼は今日会社で聞いた話を思い出した。
別の班。
外部業者。
新しい責任者。
最初は別々の話だった。
最後には、一つの形になった。
誰が最初に間違えたのかは分からない。
そもそも、最初から誰かが間違えていたのかも分からない。
透はスマートフォンを机の上に置いた。
分からないものを、全部一つにまとめなくてもいい。
そう思った。
そして、そのまま明日の予定を確認した。




