↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
嘘の向こう側  作者: 亀


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/590

第十七章 名前を渡さない

その夜、透は何度も同じ名前を見ていた。


南区第七居住棟。


古い記録の一番下にあった名前。


それは、これまで見たことのないものだった。


記録には名前と、短い日付だけが残されていた。


所属欄は空白。


退出欄も空白。


その下には、小さな文字で一つだけ記されている。


――確認不要。


透は画面を閉じた。


そして、もう一度開いた。


同じだった。


名前が消えていないことを確認してから、端末を机の上に置いた。


誰にも話していない。


白石にも。


あの女にも。


それが正しいのかは分からない。


ただ、今は誰かに渡したくなかった。


翌朝、白石から連絡が来た。


『今日、時間があるか』


透はしばらく画面を見た。


『あります』


『少し頼みたいことがある』


透は返信する前に、昨夜の名前を思い出した。


そして、


『分かりました』


と送った。


指定された場所は、中央区の小さな事務所だった。


建物自体は古い。


だが、入口だけは新しく改装されている。


白石は先に来ていた。


「来たか」


「はい」


「ここを覚えているか?」


透は周囲を見た。


「……見たことがある気がします」


「南区へ行く前にも来ている」


「僕が?」


「そうだ」


透は思い出せなかった。


白石はそれ以上説明しなかった。


事務所の中には、数人の人間がいた。


それぞれ別の机に座っている。


一人は帳簿を確認し、


一人は電話をしている。


もう一人は配送予定表を整理していた。


誰も南区という言葉を口にしない。


「ここは何をしている場所なんですか?」


透が聞いた。


「物流の管理」


「昨日の倉庫と関係がありますか?」


白石は少し間を置いた。


「ある」


透は驚かなかった。


むしろ、そうだろうと思った。


「ここにいる人たちは、南区のことを知っていますか?」


「人による」


「誰が一番知っていますか?」


「それを知ってどうする?」


透は答えなかった。


白石は小さく息を吐いた。


「透。情報は、持っているだけでは意味がない」


「はい」


「誰に渡すかで意味が変わる」


透はその言葉を聞いて、昨日のメッセージを思い出した。


――誰と同じ情報を共有するかを考えろ。


白石が続けた。


「ここにいる人間の中には、十年以上働いている者もいる」


「それなら、かなり詳しいんじゃないですか?」


「そうとも限らない」


白石は一つの机を指した。


「彼は配送だけを知っている」


次に別の机を指す。


「彼女は契約だけ」


さらに奥を見る。


「彼は倉庫だけ」


透は周囲を見渡した。


誰も嘘をついているようには見えなかった。


だが、全員が違うものを知っている。


昨日の倉庫と同じだった。


一人ひとりが自分の仕事をしている。


その仕事自体は普通に見える。


しかし、全部を繋げた時だけ、別のものが見えてくる。


「白石さん」


「何だ?」


「この人たちは、自分たちが何を作っているのか知らないんですか?」


白石は少し考えた。


「知っている人もいる」


「じゃあ、知らないふりをしている?」


「それも違う」


「……分かりません」


白石は笑わなかった。


「人は、自分が見ている範囲を世界の全部だと思いやすい」


透は黙った。


その言葉が、妙に残った。


その時、一人の男が立ち上がった。


「白石さん、これ確認お願いします」


男が書類を持ってくる。


白石は受け取った。


透も横から見る。


そこには、いくつかの配送先が並んでいた。


その中に、見覚えのある記号があった。


南―07


透の目が止まった。


男が言った。


「この番号、まだ使っていいんですか?」


白石は書類を見たまま答えた。


「上から止められていないなら、問題ない」


「分かりました」


男は戻っていった。


透は白石を見た。


「今の番号……」


「知っている」


「南区第七居住棟ですよね」


「昔はそうだった」


「昔?」


「今は別の用途で使われている」


透は何も言わなかった。


別の用途。


また同じだった。


言葉は間違っていない。


けれど、聞く側が想像するものと、話す側が指しているものが違う。


白石は書類を机に置いた。


「透」


「はい」


「昨日から、何か見つけたか?」


透の中で、昨夜の名前が浮かんだ。


一瞬だけ迷った。


「……まだ何も」


白石は透を見た。


その目からは、何を考えているのか分からなかった。


「そうか」


それだけだった。


白石は追及しなかった。


透も言わなかった。


初めて、自分から情報を隠した。


その瞬間、少しだけ胸が苦しくなった。


だが、それと同時に、奇妙な安心もあった。


自分で決めた。


誰かを騙すためではない。


まだ、その情報を渡す相手を決めていないだけだ。


事務所を出た後、透は一人で歩いた。


夕方の街は人が多かった。


会社員。


学生。


買い物袋を持った人。


配送員。


誰もが、それぞれの目的で歩いている。


その中で、誰が何を知っているのか。


透には分からない。


だが、分からないこと自体は、以前ほど怖くなかった。


端末を取り出す。


昨日の女に連絡しようとして、やめた。


白石にも連絡しない。


代わりに、保存していた古い記録を開いた。


そして、あの名前をもう一度確認した。


その直後だった。


画面に、知らない番号から一通のメッセージが届いた。


『その名前を、誰にも渡すな。』


透の指が止まった。


続けて、二通目。


『まだ、その人間が誰の側にいるのか分からない。』


透は画面を見つめた。


そして三通目が届いた。


『あなた自身も含めて。』


透は、ゆっくりと端末を閉じた。


誰も信用するな、という意味ではない。


むしろ逆だった。


誰かを信用することと、


その人にすべての情報を渡すことは、


同じではない。


透は初めて、その違いをはっきり意識した。


そして、ポケットの中で端末を握り直した。


名前は、まだ渡さない。


少なくとも今は。


それだけは、自分で決めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。