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嘘の向こう側  作者: 亀


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第十四章 心地よい場所

翌朝、透はいつもより早く目を覚ました。


まだ外は暗かった。


天井を見たまま、しばらく動かなかった。


昨夜の女の言葉が、何度も頭の中に浮かんでいた。


――私たちは、同じ側にいるとは限らない。


以前なら、その言葉を聞いた時点で、相手を疑っていたかもしれない。


今は違った。


同じ側ではないことと、敵であることは同じではない。


それくらいのことは、少しずつ分かってきた。


透はベッドから起き上がった。


水を一口飲み、窓の外を見る。


朝の街は、昨日と何も変わっていないように見えた。


人が歩いている。


店の明かりがつく。


車が道路を走る。


誰も南区のことを話していない。


誰も、記録から消えた人間のことを話していない。


それでも、透にはもう分かっていた。


何も起きていないのではない。


ただ、自分が知らないだけなのだ。


その時、端末が震えた。


白石からだった。


『起きているか』


短いメッセージだった。


透は画面を見つめた。


以前なら、すぐに返事をしていた。


今は少しだけ考えた。


そして、


『起きています』


とだけ返した。


数秒後、返事が来た。


『朝食を一緒にどうだ』


透は少し迷った。


断る理由はいくらでもあった。


しかし、断る理由もまた、自分の中にある疑いから生まれたものだった。


だから、


『分かりました』


と返した。


食堂に行くと、白石はいつもの席に座っていた。


二人分の食事が置かれている。


「眠れたか」


「少し」


「南区のことを考えていた?」


透は箸を止めた。


白石は何もなかったように味噌汁を飲んでいる。


「……はい」


「そうか」


それだけだった。


白石はそれ以上聞かなかった。


透も聞かなかった。


しばらく、食器の音だけが続いた。


やがて透が口を開いた。


「白石さん」


「何だ?」


「僕に言っていないことがありますよね」


白石は箸を置いた。


「ある」


あまりにも簡単な答えだった。


透は顔を上げた。


「否定しないんですか」


「否定してほしいのか?」


「……分かりません」


白石は少し笑った。


「それなら、今はそれでいい」


透は黙った。


以前なら、その言葉に安心していた。


今は安心と不安が、同時にあった。


白石は続けた。


「全部を話したら、君は納得するのか?」


「分かりません」


「では、全部を話さないことで、君は不幸になるのか?」


透は答えられなかった。


白石はそれ以上説明しなかった。


その沈黙が、以前とは違って見えた。


隠している。


それは分かる。


だが、何のために隠しているのかまでは分からない。


そして、それを今すぐ知る必要があるのかも分からない。


食事を終えると、透は立ち上がった。


「僕、少し調べてみます」


白石は止めなかった。


「そうしろ」


「止めないんですか」


「止めてほしいのか?」


透は少し考えた。


「……いいえ」


「なら、行けばいい」


その言葉を聞いた時、透は妙な感覚を覚えた。


以前は、


「行くな」


と言われることに安心していた。


今は、


「行けばいい」


と言われても、自分で決めなければならない。


どちらが正しいのかは分からない。


ただ、一つだけ違っていた。


今は、自分の決定だった。


食堂を出る直前、白石が呼び止めた。


「透」


「はい」


「昨日の女について、一つだけ言っておく」


透は振り返った。


「彼女も、君に全部を話しているわけではない」


「……分かっています」


白石は頷いた。


「それならいい」


透は何も言わずに食堂を出た。


廊下を歩きながら、昨日の女の顔を思い出した。


彼女も嘘をついている。


白石も嘘をついている。


自分だって、すべてを話しているわけではない。


それでも三人は、昨日まで一緒に歩いていた。


それを考えると、透は少しだけ不思議な気持ちになった。


人は、すべてを知ってから誰かと一緒にいるわけではない。


知らないことがあっても、一緒にいる。


言わないことがあっても、隣に座る。


そして、その状態が自分にとって苦しくない限り、わざわざ壊そうとはしない。


それが信頼なのか。


依存なのか。


利益なのか。


それとも、ただ居心地がいいだけなのか。


透にはまだ分からなかった。


端末が再び震えた。


今度は知らない番号だった。


画面には、短い文章だけが表示されていた。


『北側の倉庫について、もう調べるな。』


透は立ち止まった。


少しして、もう一通届いた。


『調べるなら、倉庫ではなく、倉庫を必要とした人間を見ろ。』


透は画面を見つめた。


南区。


北側の倉庫。


海の向こう。


そして、そこに関わる人間たち。


場所が変わっているだけで、何かが繋がっている。


透は端末をポケットにしまった。


そして今度は、誰にも相談せずに歩き出した。


向かったのは北側ではなかった。


昨日、女が最後に立っていた場所だった。


彼女がそこにいる保証はない。


待ち合わせをしたわけでもない。


ただ、透はそこへ行くことにした。


理由は、自分でもよく分からなかった。


だからこそ、それでよかった。


少なくとも今回は、


誰かに言われたからではなかった。

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