第百十章 原登録日
その日付は、南区に入った日より前だった。
しかも、かなり前。
透は画面を拡大した。
「原登録日――」
その下に表示された日付を、もう一度確認する。
間違いではなかった。
Q―1―117は、南区に入った日に作られた記録ではない。
南区に入る前から、すでに存在していた。
女も画面を覗き込んだ。
「じゃあ、最初から兄の記録じゃない可能性もある。」
「そう。」
「でも、兄が南区に入った翌日に参照された。」
「うん。」
「その時点で、何かと関連付けられた。」
「そう。」
女は黙った。
「それなら、順番が逆だった。」
透は頷いた。
「今までは、兄が南区に入ったから記録が作られたように見えていた。」
「でも実際には。」
「先に記録があった。」
「その後で、兄の行動と近い時期に参照された。」
「うん。」
女はノートを開いた。
今度は時間を一本の線にした。
原登録。
分離。
業務再編。
南区。
参照。
通知。
再登録。
「これなら、少し違って見える。」
透は言った。
「そう。」
「記録が兄を追ったんじゃなくて。」
「うん。」
「兄の行動が、すでに存在していた記録のどこかに触れた可能性がある。」
「可能性はある。」
「でも、どう触れたのかは分からない。」
「まだ。」
女は原登録日の詳細を開いた。
「登録起点――旧個人照会履歴」
「登録目的――外部照会対応」
「入力経路――業務窓口」
透が画面を見る。
「ここ。」
「うん。」
「外部照会対応。」
「N―05と同じ系統。」
「そう。」
「じゃあ、最初の用途はN―05に近い。」
透は履歴を追った。
その記録には、
「処理内容――外部照会受付」
「参照対象――個人照会履歴」
「照合方法――名称照合」
「本人一致確認――未実施」
と残っていた。
女は黙った。
「最初から本人確認していない。」
「うん。」
「最初から名前を使って検索している。」
「そう。」
「そして、その結果が個人照会履歴として保存された。」
「そう。」
女は画面から目を離さなかった。
「それなら、Q―1―117という名前が付いているけど。」
「うん。」
「最初から本人確認済みの記録ではない。」
「そう。」
「むしろ、名称を入口にして作られた照会記録。」
透は頷いた。
「今のところ、その理解が一番記録に近い。」
女はペンを置いた。
「じゃあ、最初の時点で、この記録に何が入っていたの?」
透は詳細を開いた。
「原情報――権限制限。」
「また見られない。」
「うん。」
「でも、参照項目は見える。」
「そう。」
「名称。」
「うん。」
「照会目的。」
「うん。」
「処理区分。」
「そう。」
「本人の情報そのものは見えない。」
「そう。」
女はしばらく黙っていた。
「つまり、この記録の中には、最初から『人そのもの』と『その人について照会された情報』の区別があった。」
透は考えた。
「その可能性はある。」
「また可能性。」
「原情報を見られないから。」
女は頷いた。
「じゃあ、ここで想像してはいけない。」
「うん。」
二人は先へ進んだ。
原登録日の次に、
「参照履歴――二件」
と表示された。
一件目。
登録直後。
目的――外部照会回答。
二件目。
数か月後。
目的――旧記録照合。
女が言った。
「この二件目。」
「うん。」
「南区とは関係ない。」
「そう。」
「ずっと前から使われていた。」
「うん。」
「じゃあ、この記録は継続して使われていた。」
「少なくとも、参照履歴はある。」
「つまり、南区の日に突然動き出したわけじゃない。」
「そう。」
女は頷いた。
「これは重要。」
透もそう思った。
南区という一点だけを中心に見れば、すべての記録がその日に発生したように見える。
しかし、実際には違った。
古い記録が存在し。
別の時期に使われ。
業務再編によって分離され。
その後、南区の日の近くで再び参照された。
記録は、出来事そのものではない。
過去の仕事が、後から別の仕事の中で使われることがある。
女が言った。
「じゃあ、兄の行動と、この記録がつながった場所を探さないといけない。」
「うん。」
「原登録日じゃない。」
「そう。」
「分離日でもない。」
「そう。」
「南区に入った日。」
「その前後。」
「そこに何かがある。」
透は履歴を並べた。
南区に入った日。
その翌日。
さらに四日後。
そして、その後の再登録。
「最初の接点は翌日。」
「原入力参照。」
「そう。」
「でも、原入力そのものは、その前に存在していた。」
「うん。」
「だから、翌日に誰かが見たのは、新しく作られた情報ではない。」
「既存の情報。」
「そう。」
女は言った。
「じゃあ、兄が南区に入ったことで、既存の情報を誰かが見る必要が生じた。」
透は少し間を置いた。
「その可能性はある。」
「でも、何のために?」
「それがまだ分からない。」
女は画面を見た。
「参照目的――引継ぎ前確認。」
「うん。」
「引継ぎ。」
「そう。」
「兄の行動そのものを確認したんじゃない。」
「記録上は、そう。」
「業務を引き継ぐために、所在関連情報を見た。」
「うん。」
女は首を傾げた。
「じゃあ、兄の情報が必要だったのか。」
「分からない。」
「でも、同じ日に。」
「うん。」
「外部入力があった。」
「そう。」
「その外部入力を翌日に参照した。」
「うん。」
「さらに、古いQ―1―117が参照された。」
「そう。」
女は少し黙った。
「ここだけは、偶然とは言い切れない。」
透はすぐには答えなかった。
「関連している可能性はある。」
「でも、同じ日に動いた記録が複数あるだけ。」
「うん。」
「一つの案件とは限らない。」
「そう。」
女は頷いた。
「やっぱり、日付だけでは足りない。」
透は履歴を一つずつ確認した。
外部入力。
原入力参照。
Q―1―117参照。
R―3参照。
名称照合。
本人一致なし。
そして通知。
それぞれに、同じ言葉が何度も現れていた。
「名称」。
女が言った。
「やっぱり名前。」
透は頷いた。
「でも、今回は少し違う。」
「何が?」
「名前そのものを探しているというより。」
透は履歴を指した。
「名前が、どの業務名称として登録されているかを確認している。」
女は画面を見た。
「つまり、名前の正体を探している。」
「そう。」
「人ではなく。」
「業務上の意味を。」
「うん。」
女はノートに書いた。
「名前の正体=人とは限らない。」
その横に、
「名前の正体=業務上の区分の場合がある。」
と続けた。
透は少し考えた。
「でも、それでも一つ残る。」
「何?」
「なぜ、その日に、その名称が必要になったのか。」
女は黙った。
それは、まだ分からなかった。
兄が南区に入った。
外部から所在関連情報が入力された。
古い記録が参照された。
名前の使用区分が確認された。
そして、C―12に通知された。
それぞれの記録は存在する。
しかし、それぞれの目的は少しずつ違う。
一つの出来事としてつなげるには、まだ足りない。
女が言った。
「じゃあ、次は外部入力。」
「うん。」
「何が入力されたのか。」
「そこはまだ権限制限。」
「でも、入力の前後は見られる。」
「そう。」
「入力された直前に、何があったか。」
透は履歴を戻した。
すると、外部入力の直前に、一件の処理が残っていた。
「旧名称検索――実施。」
その検索方法は、
「過去記録照合」。
検索結果は一件。
区分は、
「業務名称」。
女は画面を見つめた。
「外部入力の前に、名前を検索している。」
「うん。」
「そして、検索結果が業務名称。」
「そう。」
「その後に、所在関連情報が入力される。」
「うん。」
女は少し考えた。
「じゃあ、順番はこう?」
彼女はノートに書いた。
旧名称検索。
業務名称として一致。
外部入力。
S―系統登録。
原入力参照。
R―3参照。
Q―1参照。
C―12通知。
透はその並びを見た。
「今までで一番、処理の順番が見えてきた。」
女は頷いた。
「でも、まだ足りない。」
「うん。」
「最初の旧名称検索を、誰が始めたのか。」
透は検索開始記録を開いた。
表示されたのは、
「起点区分――外部照会受付」
だった。
女が言った。
「また外部。」
「うん。」
「内部の人が勝手に検索したわけじゃない。」
「少なくとも、起点区分はそうなっている。」
「じゃあ、外から何かが入って。」
「その受付をきっかけに、旧名称が検索された。」
「そして、業務名称が出てきた。」
「うん。」
女は静かに言った。
「ここに、最初の入口がある。」
透は頷いた。
だが、その入口の向こうにいる人物は、まだ見えない。
外部入力者は記録対象外。
受付者はC―12。
検索者は権限制限。
参照者はM―2。
そして、兄本人かどうかは確認されていない。
人の名前を追うほど、記録から人が遠ざかっていく。
その代わり、
入口。
受付。
検索。
登録。
参照。
通知。
という仕事の順番だけが、少しずつ残っていく。
女はノートを閉じた。
「兄がどこにいるかは、まだ分からない。」
透は頷いた。
「うん。」
「でも、兄の情報が、どの入口から入ったのかは近づいてきた。」
「そう。」
「次は、外部から何が持ち込まれたのか。」
透は画面を見た。
その項目には、まだ一つだけ開けない欄があった。
「外部入力内容――原記録参照権限が必要」
透はその表示を保存した。
女が言った。
「今度は、権限。」
透は頷いた。
「誰が見られるのか。」
「そして。」
女は続けた。
「誰が、実際に見たのか。」
透は答えなかった。
まだ、そこには行けない。
画面の下には、次の履歴だけが残っていた。
「原記録参照申請――一件。」
その申請日は、
南区に入る前日だった。




