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生活の跡  作者: 鷺沼鳩屋
少し違う暮らし
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16/17

無地のカーテン

「それも最後に外してもらえますか」


原田和夫が指したのは、居間の窓いっぱいに掛かった花柄のカーテンだった。


白地に、赤と青の大きな花がいくつも並んでいる。榊冬一が家へ入った時から目についていた。


「処分でよろしいですか」


「はい」


和夫は即答した。


窓際の床には、細長い透明袋が置いてある。中には新しいカーテンが畳まれていた。


冬一が見ると、今度は無地だった。


「新しいの、もう買われたんですね」


「昨日」


和夫の娘、彩香が袋を覗き込む。


「本当にこれにしたんだ」


「自分で選んだ」


「知ってる。写真送ってきたじゃん」


原田和夫、六十四歳。


妻の美恵が亡くなったあとも、この家で一人で暮らす。


今日は美恵の衣類と化粧台、使わなくなった収納家具を中心に整理する依頼だった。家そのものを空にするわけではない。


冬一はカーテンを見た。


「こちらは最後で大丈夫ですか」


「お願いします。家具出してからの方がやりやすいでしょう」


「そうですね」


作業を始めた。


寝室の箪笥から美恵の服を出す。


和夫と彩香は、残す物をすでにある程度決めていた。


礼服。


普段着。


冬物。


薄手の上着。


彩香は数着だけ手元へ置く。


「これ、私着られるかな」


紺色のカーディガンを身体へ当てる。


和夫が見る。


「小さいだろ」


「お母さんと私、そんな変わんないよ」


「お前の方がでかい」


「言い方」


彩香が父を見る。


「背が、だよ」


「先に言って」


冬一は少し笑い、次の引き出しを開けた。


衣類の間から小さな布袋がいくつも出てくる。


中身はクッションカバーだった。


さらに下にもある。


柄違い。


色違い。


季節物。


佐伯が数えかける。


「結構ありますね」


和夫が横から言った。


「まだ出ますよ」


「まだ?」


「押し入れにもある」


彩香が父を見る。


「こんなにあったの?」


「だから言ったんだよ」


押し入れの上段から、大きな収納ケースを下ろす。


中身の半分ほどが、またクッションカバーだった。


彩香が一枚ずつめくる。


「これ家で見たことある」


「去年の秋」


「これは?」


「その前の春」


「何で覚えてるの」


「替えるたびに手伝わされたから」


美恵は柄物が好きだった。


カーテンだけではない。


クッションカバー。


玄関マット。


台所の布巾。


季節が変わると、何かしら替える。


和夫には、その必要性があまり分からなかった。


春のある日、美恵が新しいクッションカバーを出した。


『また替えるのか』


『春だから』


『今のも春っぽいだろ』


『冬のだから』


和夫は二つ並べて見た。


『同じじゃないか』


『全然違う』


『花なのは同じだろ』


『花なら全部同じに見えるの?』


『だいたい』


美恵はしばらく夫の顔を見て、


『あなたに聞いた私が悪かった』


と言った。


『聞かれてないぞ』


『今聞いた』


『もう答えた』


『答えになってない』


結局、その日もカバーは替わった。


古い方は捨てない。


洗って畳み、押し入れへ入れる。


「一個買ったら一個捨てればいいのに」


彩香が言う。


「それ俺が三十年言ってた」


「聞かなかった?」


「見れば分かるだろ」


父娘の前には、クッションカバーが二十枚近く積まれている。


彩香が笑った。


「聞いてないね」


「聞かないんだよ」


和夫も笑った。


彩香は、その中から三枚だけ残した。


一枚は自分の家で使うらしい。


残りは処分。


和夫は一枚も選ばなかった。


次に化粧台を整理した。


化粧品は開封済みの物が多く、ほとんど処分になる。


引き出しの奥から髪留め。


小さな鏡。


古いレシート。


現金の入った封筒が一つ。


冬一は封筒を和夫へ渡す。


「現金です」


「はい」


中身を確認し、和夫は財布へ入れた。


何かの意味を探すことはない。


化粧台の椅子を搬出する時、彩香が座面を見た。


「これ、お母さんここで髪やってたよね」


「ああ」


「朝長かったなあ」


「長かった」


美恵は出かける準備に時間がかかる。


本人は毎回、


『あと五分』


と言う。


和夫は玄関で待つ。


五分経つ。


出てこない。


『あと何分』


『五分』


『さっきも五分だった』


『今からの五分』


『最初の五分はどこ行った』


『使った』


『じゃあ次の五分じゃないか』


『細かい』


その横で彩香まで靴を履かずに待っている。


子供の頃の彩香が、


『お母さんまだ?』


と聞く。


和夫が、


『あと五分らしい』


と答える。


美恵が奥から、


『聞こえてるよ』


と怒る。


「遅刻したことあった?」


彩香が聞く。


「何回も」


「お母さん、自分は遅刻しないって言ってたよ」


「俺が車飛ばしてたからだ」


「それはお父さんも駄目じゃん」


「今ならな」


化粧台は処分になった。


居間には、逆に美恵が嫌っていた物も残っていた。


窓際の黒い一人掛け椅子だった。


背もたれが大きく、和夫がテレビを見る時に使っている。


彩香が指す。


「これ残すの?」


「使うからな」


「お母さん、これ嫌いだったよね」


「知ってる」


買った時から言われていた。


『大きすぎる』


『座ると楽だぞ』


『部屋に合わない』


『俺は気に入ってる』


『もっと小さいのあったでしょ』


『小さいのは足が出る』


『あなたの足が長いみたいに言わないで』


『身長の問題じゃない』


『じゃあ何の問題』


『座れば分かる』


美恵は一度座った。


しばらく黙ってから、


『……大きい』


と言った。


『座り心地は』


『大きい』


それでも捨てろとは言わなかった。


その椅子は今も居間にある。


「お互い嫌いな物置いてたんだね」


彩香が言う。


「家だからな」


和夫はそれだけ答えた。


午前中に寝室の大きな家具を出し終える。


居間へ移る。


テレビ台の引き出しを確認すると、乾電池、取扱説明書、輪ゴム、それからリモコンが二つ出てきた。


佐伯が一本持ち上げる。


「同じテレビのですか?」


和夫が見る。


「片方は前のテレビ」


「残ってたんですね」


「美恵、リモコン捨てないんですよ」


「使えないのに?」


「使えなくても」


彩香がソファを見る。


「お母さん、よくリモコンなくしてたよね」


「毎週」


美恵はテレビを見終えると、リモコンをソファへ置く。


次に使おうとすると、ない。


『リモコンどこ』


『知らない』


『あなた使ったでしょ』


『俺はここに置いた』


『私も置いた』


『じゃあそこにあるだろ』


『ないから聞いてるの』


二人で探す。


テーブルの下。


新聞の下。


テレビ台。


最後に和夫が美恵の座っていたクッションを持ち上げる。


下から出る。


『犯人そこじゃないか』


『置いたのはリモコンであって、私じゃない』


『お前が座ってたんだろ』


『たまたま』


『毎週たまたまか』


次の週も同じことをする。


「お父さん、よく怒らなかったね」


「怒ってたよ」


「そうだっけ」


「お前がいない時に」


「そこは配慮したんだ」


「違う。お前がいる時は一緒に探させてた」


彩香が吹き出した。


古いリモコンは処分。


今のテレビの物だけ残す。


昼休憩になった。


和夫は自分で簡単な昼食を用意していた。


おにぎりと卵焼き。


彩香はコンビニのサンドイッチ。


冬一と佐伯は外で食べ、戻ってくる。


居間の窓にはまだ花柄のカーテンが掛かっている。


彩香が新しいカーテンの袋を開けていた。


「思ってたより地味」


「無地なんだから地味だろ」


「もうちょっと色あってもよかったんじゃない?」


「ある。灰色」


「それ色って言う?」


「灰色は色だろ」


「お母さんなら絶対選ばないね」


和夫はおにぎりを食べながら、


「だから俺が選んだんだよ」


と答えた。


カーテンを買う時は、いつも似たやり取りをしていた。


家具店へ行く。


美恵が何種類か見比べる。


和夫は待つ。


長い。


『これどう?』


見せられたのは、大きな葉の柄。


『派手だな』


『じゃあこっち』


細かな花柄。


『それも柄あるじゃないか』


『カーテンなんだからあるでしょ』


和夫が近くの無地を指す。


『これでいいだろ』


『病院みたい』


別の無地を指す。


『じゃあこれ』


『会社みたい』


『家のカーテンに何を求めてるんだ』


『家らしさ』


『無地の家もある』


『うちは嫌』


何種類か見た末、美恵が花柄を選ぶ。


帰宅して掛ける。


『いいでしょ』


『俺に聞く必要ある?』


『一緒に選んだでしょ』


『選んでない』


『店に一緒にいた』


『それを一緒に選んだとは言わない』


美恵は満足そうにカーテンを眺める。


一度、和夫が買い物について行かなかったことがある。


『どうせお前が決めるんだから、一人で行けばいいだろ』


『一人だと決まらないの』


『俺が選んだのは買わないじゃないか』


『でも、あなたが嫌なのは分かるでしょ』


『俺は柄がある時点でだいたい嫌だぞ』


『そういう極端なのは参考にならない』


『じゃあ何で呼ぶんだ』


美恵は少し考えた。


『持って帰るの手伝って』


『それ最初に言えよ』


結局、一緒に店へ行った。


その日も和夫が選んだ無地は却下され、美恵が選んだ柄物を二人で持って帰った。


和夫は最後まで、花柄がいいと思ったことはなかった。


午後。


台所の収納も一部整理する。


美恵が使っていた食器のうち、和夫が使わない物だけ処分。


大皿。


小さなガラス鉢。


花柄のマグカップ。


彩香がマグカップを持つ。


「これもいらない?」


「使わない」


「お母さん毎朝これだったよ」


「知ってる」


「じゃあ私もらう」


「どうぞ」


和夫は止めない。


彩香も、父に持っていてほしいとは言わない。


食器棚には、和夫が使う無地の白いマグカップが残った。


「お父さん、本当に柄物嫌いなんだね」


「嫌いというか、いらない」


「同じじゃない?」


「少し違う」


「何が?」


和夫は白いマグカップを棚へ戻した。


「説明するほどでもない」


彩香は、


「ふうん」


とだけ言った。


夕方近く、処分品の搬出がほぼ終わった。


美恵の服。


化粧台。


収納家具。


大量のクッションカバー。


使わない食器。


居間は広くなったが、生活に必要な物は残っている。


ソファ。


テレビ。


食卓。


和夫の椅子。


美恵が使っていた物も、すべて消えたわけではない。


写真立てが一つ。


台所の鍋。


玄関の靴べら。


二人で買った棚。


和夫が今後も使う物は、そのままだった。


最後にカーテンを外す。


冬一が脚立を用意する。


「こちらで外します」


和夫が、


「付けるところまで頼めますか」


と聞く。


「簡単な取り付けなら大丈夫です」


彩香が新しいカーテンを持ってくる。


「私やるよ」


「じゃあ外す方だけお願いします」


冬一と佐伯で古いカーテンを外した。


フックを一つずつレールから抜く。


大きな花柄が床へ降りる。


窓がむき出しになった。


西日の入る居間が急に明るくなる。


古いカーテンを畳もうとすると、和夫が言う。


「適当でいいですよ。処分なんで」


冬一は運びやすい程度にまとめた。


和夫はそれを手に取らない。


彩香が新しいカーテンへフックを付ける。


「これどっちが外?」


「知らん」


「買った本人でしょ」


「説明書見ろ」


「お母さんならすぐ分かりそう」


「こういうのだけはな」


彩香が袋の説明を見る。


「こっちだ」


和夫も手伝う。


二人で端からレールへ掛けていく。


和夫の方が一つ飛ばす。


「そこ抜けてる」


「どこ」


「そこ」


「分からん」


「貸して」


彩香が付け直す。


全部掛け終わる。


二人でカーテンを閉じた。


花のない、灰色の布が窓を覆った。


彩香が少し離れる。


「地味」


「いいんだよ」


「お母さん、これ絶対嫌いだね」


和夫もカーテンを見る。


「知ってる」


彩香が笑った。


冬一は古い花柄のカーテンを処分品へ運んだ。


窓には、無地の灰色のカーテンが掛かっていた。


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