5.生を喘ぐ若者
5.生を喘ぐ若者
庭園にて。
気が付くと…あの吹き荒ぶ風は止んでいた。
しかし…、木々や木の葉は囁く…、不吉なる調べの警鐘を…。
…庭師のケルテースに枝を切って貰おうと、頼み込んではみたが、敢え無く拒否された。
そして、
その老いた庭師の背が見えなくなった今も、
私は思考に囚われ、抜け出せずに立ち尽くしていた…。
「…ミハイ様、あまり長く外にいられると…お身体に障りますよ。」
「忠告はありがたいが、どうにも消化不良な心地がすると言うべきか…。
私は…あの庭師の息子でも探してみようと思ってしまうのだが…。
…付き合ってもらう事は可能だろうか…?」
ピシカは暫しの沈黙の末、短くこう言った。
「えぇ……。ミハイ様が望むのであれば、その通りに。」
そうして、ピシカと共に歩み出した時、止んでいたはずの風が、不意にまた突き抜けていった…。
しかし、驚く事にその風は奇妙な生暖かさを含んでいた……。
そして、風の向こうから一人の若者が歩いてくる…。
ボーッと…気の抜けた様子で現れた若い男は、生暖かい風そのものに見えた…。
「……君がヨーゼフだろう!」
彼は…まるで私達に気がつかなかったかの様子で横を通り過ぎて行こうとしたので、私はそう呼び止めた。
おかげで彼は飛び跳ねて、ひっくり返り。
持っていた水汲みバケツや納屋の鍵やらを落とす羽目になったが、さしたる問題ではないだろう。
「せっ…せっかく考えごとをしてたのに!
アンタら、いきなり何なんだよ!?」
「…口を謹んでください、ヨーゼフ。
この方に対して、相応しい言葉遣いでは無いですよ。」
やはりヨーゼフと呼ばれたこの男は、茶色の粗雑に跳ねた髪型に、そばかすに赤ら顔。
土で汚れた衣服が若々しく…、エネルギーに満ち溢れたこの瞳。
その滑稽さが愛おしい若人であった。
「…いや、すまない …、驚かせるようなつもりじゃなかったんだ。…ただ、少し話が聞きたくてね…。」
…ヨーゼフには若者として、ある種の熱気があった。
それは…この冷たい屋敷ではなかなか目にすることのないものであり、私に最も欠けている物でもあったのだ…。
…この屋敷ではあまりに希少な熱源だからと、
思わず言葉を選んでしまい、口を噤んでいたが…。
その…愚かな沈黙の間に、ピシカはすでにヨーゼフへ事情を告げていたらしく、私とヨーゼフとの会話の場は綺麗に整えられていた。
「それで?偉大なる旦那さまは、たかが庭師の一息子如きに何をお聞きになりたいのですか?」
ヨーゼフは小生意気にそう言う。
「いや、正確には君に何か問い正したいという気持ちよりも、純粋に話をしてみたいと思っただけだよ。
折角庭へと出てきたというのに、君の父親の実に職人らしい態度だけを見て帰るのも、味気ないだろう?」
「職人らしい態度ね……、随分と高尚な物の見方でありますね、旦那さま。
俺には親父が、頑固で苔むした大岩に見えてますけどね。」
…成る程…あの冷たい怒気を見た後であれば、
円満な親子関係だとは…思う筈も無いか。
「あぁ、まぁ…確かに、あの一徹した態度には目を見張るものがあるかもしれないな…。
……しかし、庭木のいくつかに、剪定の手が施されていない樹木が有るのは…何故だろうか?」
「それこそ、親父が庭造りの美学だの、ほざく物ですよ。」
ヨーゼフはこれ見よがしに不機嫌になり、感情を抑えながらも捲し立てる。
「親父が言うにはですね、旦那さま。
庭を見る人が美しいと思うような、そんな庭園造りなんてものは価値が無いし、自然を冒涜する、悪辣極まりない行為だとか…まぁ、そんなことを宣うんですよ!」
…ヨーゼフは不思議なことに、
あれ程までに嫌っている父親に何処か似ていた。
何がここまで彼らを突き動かすのか……はっきりとは分からないが、私にはどうにも美しく見えた。
「……そうだ。…一つ、君に頼みたい事がある。とても口外出来ない事だ。
…私にとって重要なことだ。」
「…なんですか、急に、俺は何にも聞かないし、何もしませんからね!」
先ほどまで、怒りに眉を顰め、口角を上げて宣っていた筈の、あのヨーゼフは…。
私が初めて思い付いた事をしようとすると…、不安げな表情を見せた…。
「そう不審がらなくてもいい。君にとっても、君の父親にとっても良い話だ。
何しろ一方的な要望ではなく、取引とも言えるだろうからね。」
ピシカは気を利かせて、数歩後ろに下がり、
ヨーゼフは頻りに自分の片方の腕をさすりながらもこう言った…。
「その…取引ってやつは、俺にもちゃんと出来るような、真っ当な事ですかね…。
俺は今の仕事に満足こそしてないですが…、
敢えて…その、危険に飛び込むほどの不満がある訳でもないですけどね……。」
「取引と言っても、そう複雑な事じゃない。
ただ…邪魔な窓辺の木の枝を剪定して欲しいだけだ…。
君の父親のケルテースには止められてしまったがな…。」
「今は……親父も機嫌が悪いですし…、俺も今回ばっかしは親父に目をつけられてるんですよ、諸事情によって、ですけどね…。
…そんな訳ですから、今は反感を買いたくないんですよ。」
「君が言う諸事情というものは菩提樹の件だろう?
怒り狂ったケルテースが鋏を持って私に迫ってきたから知っているよ。」
ヨーゼフはバツの悪そうな顔を浮かべた。
しかし、私の目的はそんな事ではない……、
…この圧迫感のある屋敷の風景を、少しでも変えてしまいたいだけだ。
「私は、君がどういう気持ちであの木を切ったのか知らないが…。
君とケルテースとの仲を取り持つ事や、
少なくとも君があの枝切り鋏の餌食になるのは防げる事だろう……。」
「あの菩提樹を切りすぎたのは、わざとじゃありませんよ!ただ…見栄えよくしたかっただけですよ…。」
「あぁ、まぁ、事の真意はどうでもいいことだ。
何故なら君と私には、何か重大な難敵が差し迫っているからだ。
君にしてみれば父親が、私にとっては弟が。
それらが、私たちに向かって立ち塞がっているのだよ。」
「そんなこと言われても…。
いや、その……親父から守ってくださるってのは、有難いんですがね…。」
……中々に手強い相手だ。…無垢な少年を言い包めている訳でも、何か重篤な悪事に誑かしている訳でもない筈だ……。
ただ…伸び過ぎた木の枝を一つ、切り落としてもらうだけだ…。
「……どうだろう。ここらで君を信頼してからこそ呟くが…。私は実のところ大層な享楽家でね。君に取引を持ちかけたのも、半分私の道楽と言っていいぐらいだ。」
慣れない振る舞いに息を切らしながら、私はヨーゼフに最後の言葉を問い掛ける…。
「まずは、君の問題から片付けようじゃないか。私からケルテースに菩提樹の件は水に流すように言えるかもしれない…。
そうしたら……君にも余裕が生まれるだろうし、落ち着いた対話も出来ることだろう…。」
そろそろ寒空の下で会話を続けるのも厳しくなってきた…酷く指先が冷えるし、耳なんかは赤くなっている事だろう……。
気が付くと会話に熱中してしまって、ピシカの事なんて考えてなかった自分に嫌気がさす…。
何時もそうだ。自分の都合で物事を考える自分が嫌だ。
「……ここは酷く寒い。…話の結末はまたの機会に聞かせてくれ…。」
結果、私は昨日より前進しただろうか?
それは私にはわからないが、あれから数日間、
眠れぬ日々を過ごした…。




