第四章 八月上旬~九月中旬 20
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この日の明美、ローズピンクに塗られた口紅、頬にも紅が塗られている。アイシャドーは薄い。春夫が気になったのは、マニキュア。黒だった。
「黒のマニキュア」
春夫が、思わず言葉を発すると、「いいでしょ」と両手の指を曲げて春夫の前にだらんと見せる。
「黒豆みたい」
「黒豆?少なくとも誉めてないよね」
「けなしてもいないけど」
「こっちは?」
明美は、足元の下駄を鳴らした。
素足の爪には、真っ赤なペディキュアが塗られていた。
「いいんじゃない。情熱が迸ってる」
「オーバー。黒豆は、ちょっとショックだったけどね」
「浴衣姿もなかなか西野さん似合うね」
「でしょう。ラッ」
ラッで言葉が途切れた。春夫の中でラウンジスリーというフレーズが反射的に浮かんだ。
「今、ラッって聞こえたけど続きは?」
「えっ、――ラッタッタ」
「何、それ。やっぱり、西野さんが働いていたニューハーフクラブは、パピルの店長が言ってたラウンジスリーとかじゃなかったの?」
「違うわよ」
明美は、強く否定して来る。まあ、無理じいすることでもない。
「ハル君、着物着たことある?」
「ない」
「男の着物姿も粋でいいものよ。下駄じゃなくて草履ね」
「考えとこう」
「着る気ないわね」
「分かる?」
「分かるわよ。だけど、素敵に着れば彼女からさらに好かれること請け合いなんだけどな」
「けっこうです。今で満足でございます」
春夫は、冴子の顔を思い描きながら答えた。
ナポリタンと親子丼が運ばれて来た。
トマトソースがたっぷりと使われ、千切りのハムがまざったスパゲッティーが春夫の前に置かれる。昔ながらのスパゲッティーって奴だ。巣鴨には、こういうのが似合うと思う。
「お腹空いてる。いただきます」
明美は、飛びつくように親子丼に箸を伸ばした。
「おいしい」
明美の食べ方は、その時々によって違う。いかにも女性っぽく食べる時をあれば、女を忘れれたようにパクパク食べる時もある。今日は、浴衣姿に合わないパクパクの方である。
「本当におばあちゃんが多い街ね」
「うん。それで、元気なんだよなあ、皆」
「私も、今日、私のこと美人ねえ、なんて言ってくれたおばあちゃんみたいになりたい」
「将来の自分の姿なんて考えることあるわけ?」
「余りないわね。でも、しわくちゃババアにはなりたくないからアンチエイジングだけはしっかりやっていこうと思う」
明美は、一緒について来たスポーンで丼の底をかきとって親子丼を平らげた。
「ゆっくり食べて」
そう言うと、「すいません」と店員を呼び、コーヒーを求めた。
「予定通り、木曜日に帰るの?」
「うん。向こうから聞いて来たしね」




