第四章八月上旬~九月中旬17
17
嫌な記憶を明美に思い出さすのはやめよう。口をつぐんで写真を眺めることにした。
着物姿、山高帽をかぶってステッキを持っている姿、ラインダンス風なのもある。明美の美貌が、夜の光線の中で輝いている。
「ありがとう。じゃあ、そろそろ帰ります」
「あら、帰っちゃうの?遠慮しないで泊まっていけば?ベットセミダブルだから、ふたりで寝られうわよ」
流し目。冗談だろう。
「遠慮します」
「ねえ、明後日の日曜日、巣鴨に行っていい?私、おばあちゃんの原宿とかいうとこマジ興味あったのよ?」
「いいけど、本気?」
「本気よ。確か、お地蔵さんがあるのよね」
「そう、とげぬき地蔵尊と一般的には呼ばれている。お寺の名前としては、高岩寺」
「そこ行って、ランチしてハル君のお家の行く」
「えっ、家まで来るの?」
「そう、お家拝見」
「単なるワンルームマンションで、普通の部屋だよ」
春夫は言ったが、明美は、それでいい、という。巣鴨の改札口で十一時待ち合わせ、都合が悪くなったら携帯で連絡する、ということになった。
春夫がマンションを出た時、上から声がかかった。
「ハル君、おやすみ」
明美は、窓から身を乗り出すように春夫に投げキッスを送って来る。
恥ずかしさもあるが、日付を跨いだ時刻でもある。春夫は、無言で軽く手をあげ、歩き出す。さすがに、昼間の暑さは、随分と和らいでいる。
タクシーのシートに寄りかかり、車窓を流れる景色を眺めながら、春夫は明美のことを思った。一日で自分と明美の距離が急激に近くなった気持ちになった。
日曜日には、明美の方が、巣鴨に遊びに来る。自分の部屋にも来たいという。だからと言って、――いや、いや、そんなことないよな。ありえない。自分には、冴子がいる。春夫は、首を振った。
シャワーを浴び、ベッドに入った春夫の視線は自然と壁にかかったカレンダーに行った。冴子からプレゼントされた若冲の作品が印刷された大きめのカレンダーである。
八月十一日、十一時に巣鴨で明美と待ち合わせ。明後日で忘れるわけはないのに、頭の中で反芻する。彼の視線は、十四日に移る。フェルシアーノの夏休みが始まる日である。明美は、この日に山梨の実家に帰る。昼間の仕事について安心している両親に肉体的に完全なる女性になる決心を伝えることになるのだろうか。黙っていればすむことだ。本当にそれでいいんじゃないか。けれど、もう何も言わないでいよう。性同一性障害に向き合ったことがない自分が、たくさんの心の葛藤を経験して来た明美に助言する資格などない。
春夫の視線は、十四日から十三日に一日戻る。
冴子は、十五日頃帰ることを考えていたが、「おいしい亭」と交渉、この日になったと言って来た日である。まだ、どこかに行こうとか決めてない。夏休みの間、二週間は、こちらにいるつもりだ、と春夫には話していた。
深い関係になってないふたりである。キッスまではいっても、その先になかなか進まない。
出来れば、名古屋に冴子が戻るまでにシタイと春夫は考えていた。
うまくいく作戦はないかと考えている内に、春夫は眠りに落ちていった。




