第二章 五月下旬~六月中旬 8
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翌朝、春夫は、席に着くとすぐに明美からにこやかな表情で言われた。
「佐伯さんが、私の子守り役と聞きました。分からないことがあったら、どんどん聞きますので、よろしくお願いします」
首がわずかながら右に傾いている。六年近くのニューハーフクラブでの接客での習慣から来るのだろう。この辺り、総務部の研修に期待することにしよう。
「あっ、どうぞ。遠慮なく。営業面で協力してあげてくれと頼まれています」
春夫は、営業面でという言葉をしっかり受け止めてくれよと願いながら、軽く頭をさげて答えた。
二日目、三日目と、春夫は、松尾や佐和子と和やかに話す始業前の朝の明美の様子から、明るく社交的な印象を受けたのだが、驚いたことがある。研修が社内で行われるお昼の時間、テーブル席で他の女子社員達に交じってお弁当を一緒にしたているというのである。それも、彩り豊かなおいしそうなお弁当を作って来るのだそうだ。
「自分は女性なのだという意識が、完全に出来上がっているんだろうな」
心底感心したかに吉村係長は春夫や他の営業部員に話して聞かせたのだった。
工場では、商品の袋詰め作業を見て「参加させてください」と自ら申し出て、一時間ほど頑張り、パートのおばちゃん達の間ですぐに人気者になったという話が広がった。
配送センターに関しては、その反響を直接的に聞くことが出来た。二十歳も年上の山平課長からである。
配送センターには、部長がいないので、山平課長の元で全てが動いているのだが、海外ミステリーが好きということで、時々、携帯でも話す関係になった。
「美人だなあ、って星野君なんか本人前に見とれてた」
山平課長は、今年専門学校のコンピューター科を出て、発送管理業務を担当している社員の名前を言った。
「そしたら?」
「『あら、嬉しいわ、ありがとう』って素直に喜んでいた。しゃべりが、違和感ないんだよね」
「もうすぐ、話が伝わると思うから言っちゃいますけどね。私、西野さんの子守り役を仰せつかちゃたんですよ」
「子守り役?」
「ええ、部長と課長に呼ばれて子守り役を頼まれて。気持ちがしっくり合えばいいんですけどね」
「僕の印象では、ニューハーフクラブでホステスをしてただけあって如才ない印象持ったけどね。だけど、海千山千でそのうち本性が出て佐伯君が窮地に追い込まれることがあったりして」
「やめて、くださいよ。子守りを命じられた時、三田部長が『素直だよな』って言ったんですけど、木川課長、意味ありげににんまりしたんですよ」
「そうなの?木川さん、かなり気を使っている風だったけど。大丈夫、うまくいくよ。それより、子守りの心情が愛の心情に変わるのが心配だよ。名古屋のカノジョ悲しむよ」
山平課長が、電話の向こうで笑った。
「ありませんよ」
春夫は、強く否定したが、これから先々もからかいの恰好の材料にされること確実な気がした。
周りに海外ミステリーの小説好きがいないせいか、この日もミステリー小説の話題を山平課長は忘れない。
アガサクリスティーの「オリエント急行殺人事件」の三回目を読み終わったことを話し、「何度、読んでもミステリー作家としての凄さを感じるね」
と言った後、
「どうして、僕に両親はこうした才能を持たせてくれなかったんだろう」
笑いながら嘆いた。この言葉を聞くのも三回目位な気がした。
販促資料や展示会にも関わっている関係で、会社にいることが多い吉村係長から、明美の一生懸命ぶりが伝えられる。
「商品名を覚えようとして口をもぐもぐさせている時もあるし、サンプルケースから持って来て眺めていたり。商品名なんかは、自然に覚えるからってアドバイスしたけどね」
「まじめですね」
「子守り役は、あんまり心配しなくていいと思うよ」
吉村係長は、言ってくれたが、それでも、春夫の中には、どんな理由か分からないが、突然、OLを志願した明美の個性に対する不安が、どっかり居座って消えてくれないのだった。




