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第一章 五月上旬~五月中旬 12

           12

 翌朝、西野明美が使うトイレは、「女性用か、男性用か」、前日の刈谷係長から出た質問の答えを春夫は佐和子から聞いた。佐和子の方から結論を言って来たのだ。予想通り男性用だった。だが、会議室で、頑張った人のことや長引いた理由までは、何ひとつ話してもらえなかった。 

 

 とに角、西野明美が、トイレをしようする時は、男性用トイレに入って来るわけである。渡海が言ったように日常の時とは異質の空気が漂うことは間違いなさそうだ。


 営業回りでは、どうするつもりなのだろう。会社的には、社内では男性用だが、社外でどちらを使用するかは、本人任せということになるだろう。パッと見は、きれいな女性である。女性用に入っても、トラブルになることはなさそうであるが。


 この女性用、男性用の社内会議の模様に関して、数日後、春夫にかなりの情報を伝えてくれたのは、吉村係長だった。この人、社内きっての情報通なのである。営業の係長が何故?と普通思われるところだが、営業部営業課には、属しているが、社内にいることがけっこう多いのである。理由は、販促資料、つまり、パンフレットや新製品のリーフレットの作成や年に一度東京のビッグサイトで行われる「国際文房具店」など大きな展示会の実質的責任者であることによる。それと、酒好きで、性格的におおらかな部分があり、社内の人脈も豊富なのだ。刈谷係長などとも飲みに行くという話も聞いたことがある。


午前中、会社に商品サンプルを取りに来た春夫は、吉村係長とランチを取った。食事の後のコーヒータイムに春夫がそれとなく話題を出したら、トップシークレットの条件付きで話してくれたのである。

 

 情報源は、絶対に教えられないけどな、の前置きがあった。

ひとりだけ「女性用を使ってもらいましょう」という女子社員が確かにいたのである。デザイン課の矢野主任だった。


 入社三年目の三十五歳、矢野祥子が、フルネーム。年齢的には女性の中では刈谷係長に次ぐけれど、自分から前に出るタイプではない。長身で、百七十センチ位あるのではないか。


 美術大学卒業、広告会社などを経てフェルシアーノに入社した。独身である。凛としたどこか近寄りがたい雰囲気を春夫は感じている。同じフロアーに三年も一緒にいるのに、ほとんど言葉を交わしたことがなかった。

 

「女性の心を持ってるんだから、女性用でなんら問題ないじゃないですか。それを拒否するのは、明らかに差別ですよ、って主張したんだって」

 吉村係長は、言った。


「一理はありますけどね。でも、反対派が勝利したんでしょう?」

「決定的なひと言の威力が強烈だったらしい。何だと思う?」

「分かりません」

「誰か知らないよ。決めつけないように。それは、はっきり言っとくぞ」

「了解です。早く言ってください」


「だって、チンボコが便器に触れるかも知れないんでしょ。耐えられない、って」

「チンボコ。よく言えましたね。言ったのは、ええと、あの人?」

「知らないよ。特別に話したんだからな。俺から聞いた話は全て、君の胸の内にしまっておけよ」


「もちろんですよ。でも、本当に男性器の切除はしてない状態なんですか?」

「みたいだね。社長が言った完全なる女性になっていない、というのはその意味だろう。胸の方は女性ホルモンで膨らませるのが可能だから本物かもね」

「だけど、うちらも西野さんが入って来たら緊張するでしょうけど、西野さんも抵抗あるんじゃないですかね。気持ち的には異性のトイレに入るわけだから」

「社長が言ったようにさ、面接の時、基本的に会社の要望に従います、って言った以上、それでしたら、入社辞退します、なんてことにはならないと思うよ」

 吉村係長は、答えたのだった。


 再び、営業に出た春夫は、信号待ちの間に矢野主任の姿を思い浮かべた。ひょっとして、あの人LGBTのひとりなのだろうか?もしそうだとしても、違和感を感じさせない部分が矢野主任にはある。小柄な可愛い女性と手をつないで歩く姿は、矢野主任に似つかわしい光景に思えた。   


      


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