第二章 五月下旬~六月中旬 1
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春夫は、朝から日常、日常と同じ言葉を頭の中で反復させている。そして、いつも以上に時間を気にしている。今日は、明美の初出社日だ。前日から決めていた。すべて普段通りにする。変わった行動はしない、と。
時計を見ながら、定番の野菜ジュース、トースト、コーヒーの朝食を摂る。
服は、上はブルーのカラーシャツ、薄茶のジャケット、下は茶色のパンツ。これも別段、明美を意識してのものではない、髪に入念に櫛を入れるのは営業マンとしてのたしなみである。それでも、やっぱり、体内の神経回路が何となくぎくしゃくしているのを感じる。
本当のところ昨日の夜から、春夫は、緊張していた。どうってことない。女子社員がひとり入るだけのことだ。佐和子と接すると同じ感覚で接すればいいのだ。そう考えようとした。けれど、その考えを邪魔建てする敵が現れる。明美は、本物の女性ではない。明日現れる明美には、「ついている」のだ。
「ついている」という現実が強烈な春夫の内部でこだわりになってしまっていた。トイレがどちらになるかの話し合いの時、チンボコ発言をしたのが、刈谷係長だろうが誰であれ、今の自分には、その気持ちがよく理解出来るのだった。けれど、皆にそうした自分の心情を悟られたくはなかった。
春夫が住むのは、山の手線の巣鴨駅の通りの向こう側の歩道をとげぬき地蔵の方向に歩いて行き、左に曲がったところにある一DKのマンションの五階である。ほとんどが、若い独身の男女だが、カップルとかおじさんとかおばさんとかの独身者もチラホラいる。住民同士の付き合いは、極めて希薄である。
いつもとほぼ同じ時刻にエレベーターで一階に降り、巣鴨駅への道を普段と同じ歩調で歩きながら春夫は、先週、駅のホームで総務部経理課の同じ年の今野と交わした会話を思い出す。そこで、子守りというフレーズが、すっかり社内に定着しているのを春夫は、知ったのである。
「西野さんの子守り役、嬉しい?」
「うれしいわけないよ」
「ひとりの女性社員として接するように、って木川課長に言われたんだって?」
「そうなんだよね」
「行動を共にしている間に心が傾いちゃたりしてな」
「冗談よしてよ。ありえない」
春夫は、笑いながらも懸命に否定したが、ひょっとして、社内の何人かは、そうなるのを心のどこかで期待しているのかも知れない。そんな気持ちが、ことさらに普段通りを彼に意識させたのだった。




