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たけ?
「ごめん、早く帰らなくちゃいけなくて。今日家庭教師が来るんだ」
申し訳なさそうに視線を向けて言うと彼女はそっか、と大げさに残念がった。目が潤みマスカラの液体がまた溶けた。
「いいの。また今度聞いてね。じゃ、四十日後まで、バイバイ!」
明るい、軽い挨拶を手を振りながら交わし、また彼女は元いた女の子たちのグループの輪に戻って行った。やけにその声が、壊れたポンコツの音の外れた甲高いリコーダーを思わせた。亜紀穂も優しく偽善的な笑顔でその様を見送る。きっとあの子が亜紀穂に話しかけることはもうないだろう。そんなことをふっと考え、けれどもそれはすぐに跡形もなく消え失せていった。名残惜しいとは思わない。むしろ何も感情は感じず、ただ人が通り過ぎたなと、それぐらいの認識しかなかった。また夏休みの宿題を再開する。どこまでやったっけ?周りはその光景を赤面しながら見守っていたらしいが、とんだ茶番だ。痛ましい顔をする者や、彼女を慰める者、場をわきまえろと訝る者、他には同情の目の者や、明らかに亜紀穂に嫉妬の視線を向けている者まで細部に渡って見渡せる。嫉妬の視線のクラスメイトは確か彼女に密かに片思いしているらしい。けれど次の瞬間には、またいつもの優等生の仮面を被った生徒達の落ち着いたざわめきがうっすらと耳を掠める。当たらす触らずの穏やかな、会話を続ける。こんなもんだ。興味がすぐに薄れる日本人の特徴。これが普通なんだよ。他人に起こった出来事なら大抵の人間がすぐに忘れてくれるものなのさ。くだらないことならなお更。
開けっ放しの窓から生暖かく湿っぽい空気が流れ込んできて、余計に汗をかく。ベランダにも水を掛けるほど湿度を上げるのが好きなら、いっそのこと加湿器でも付ければいい。亜紀穂は額に滲む汗を手の甲で拭う。拭いても、拭いても溢れんばかりに湧き出る己の汗を眺めるたびに、亜紀穂は若さを感じずにはいられない。若さとは恐ろしいものだ。暑くて集中しにくいので数学の宿題は涼しい冷房の効いた図書館でやろうかなと、分厚い参考書を机の中に閉まった。




