王都からの封書
王都から使いが来た。
その一言だけで、屋敷の空気は少し変わった。
音が減る。
人の足が早くなる。
声が低くなる。
そういう変わり方だった。
俺は灰色の本を抱えたまま、回廊の端に立っていた。
さっきまで読まされていた『初級魔術理論・導入』は、もう頭に入っていない。風の頁も、水滴の頁も、全部一度遠くへ行った。
王都。
その響きは、思っていたより重かった。
楽しそうでもある。
でも、それだけじゃない。
ガレス・アルヴェインがあの短い声で「通せ」と言った時の感じが、どうにも軽くなかった。
「レオン」
ユリウス・アルヴェインが横に来た。
「何」
「それ、閉じろ」
「え」
「本」
「……ああ」
俺は慌てて本を閉じた。
たしかに今、その顔で本を抱えているのは少し間抜けだ。
「兄上」
「何」
「王都って、そんなに大ごとなの」
「場合による」
「その答え、ちょっとずるいな」
「父上の顔、見ただろ」
「見た」
「じゃあ今日は軽くない」
そこははっきり言うんだな。
ユリウスは普段、わりと軽口で済ませる。
でも今は違った。
顔が少しだけ締まっている。
からかう時の余裕が半分くらい消えている。
俺たちはそのまま、玄関ホールまでは行かず、回廊の影から様子を窺った。
正面の扉が開く。
外の光が差し込む。
使用人の声。
それから、硬い靴音。
入ってきたのは男だった。
若くはない。
でも老人でもない。
三十代の後半か、四十代の前半くらいだろうか。
濃い紺の上着。
胸元に小さな銀の留め具。
そこに、王都の紋章らしい意匠が刻まれている。
立ち方がまっすぐだ。
余計な動きがない。
いかにも「使い」って感じだった。
後ろには従者が一人。
小さな革箱を持っている。
箱の形が妙に気になる。
手紙にしては固い。
書類だけじゃない何かが入っていそうだ。
フローレンス先生は玄関ホールの柱の近くに立ったまま、何も言わない。
でも目だけはその男をまっすぐ見ていた。
ガレスは正面。
エレノアは少し後ろ。
クララ・ヴァイスはさらに後ろ。
ミリアは乳母に抱かれ、状況が分からないままきょろきょろしている。
使いの男が一礼した。
「北方アルヴェイン辺境伯家、ガレス・アルヴェイン様」
「ガレスでいい」
と、父。
「……かしこまりました。王都より、封書をお持ちしました」
従者が革箱を差し出す。
使いの男が中から二通の封書を取り出した。
一通は赤い蝋。
もう一通は黒に近い濃紺の蝋。
赤いほうは大きい。
紋章も正面に押されていて、いかにも公的だ。
濃紺のほうは小さい。
封はきつく、紋は細い。
俺は思わずユリウスを見た。
兄も同じものを見ていたらしい。
視線が合う。
そのまま小さく口を動かす。
「二通だ」
声は出していない。
でも読めた。
ガレスが赤い封書を受け取る。
濃紺のほうは、使いの男が少しだけ躊躇してから差し出した。
「こちらは別命にて」
「誰宛だ」
「ガレス・アルヴェイン様、およびフローレンス・ベルナール様」
その瞬間、先生の目がわずかに細くなった。
あ。
今の、何かあったな。
一瞬だけだ。
でも分かった。
この人も知らない話らしい。
ガレスが二通とも受け取る。
「応接へ」
と、父。
そこで、エレノアが一歩出た。
「子供たちは?」
「ここで待て」
と、ガレス。
短い。
きっぱりしている。
つまり、ついて来るなということだ。
「兄上」
と、俺。
「何」
「待つの?」
「待つだろ」
「ほんとに?」
「……少しは」
そう言って、ユリウスは回廊の奥へ顎をしゃくった。
行くぞ、という意味だ。
俺たちは表から見えない位置まで下がった。
でも玄関ホールに近い。
声が少し聞こえるくらいの場所だ。
完全な盗み聞きである。
悪いことだとは思う。
でも、ここで「はい分かりました」と引けるなら、前世であそこまで苦労していない。
「兄上」
「何」
「怒られる?」
「たぶん」
「やめる?」
「やめない」
「いい兄だな」
「そうだろ」
そう言う兄の口元は、少しだけ上がっていた。
緊張もしている。
でも気にもなっている。
そこは同じだ。
応接間の扉が閉まる音がした。
完全には聞こえない。
でも、何も分からないほど遠くもない。
こういう半端な距離が一番落ち着かない。
しばらく紙の音だけがした。
封を切る音。
蝋の割れる音。
紙を広げる音。
誰も喋らない。
その沈黙が長い。
「長いな」
と、俺。
「うん」
と、ユリウス。
「嫌な長さだ」
「父上、まだ何も言ってない?」
「聞こえないだけかも」
「先生も?」
「たぶん」
もう少し近づけるか。
そう思った時だった。
中から、ガレスの声がした。
「……長男と、次男」
低い。
はっきりした声だった。
俺とユリウスが、同時に顔を上げる。
次男。
それは俺だ。
「兄上」
「聞いた」
「俺?」
「だと思う」
その次に聞こえたのは、フローレンス先生の声だった。
「早すぎるわね」
その一言で、胸の奥がひやりとした。
早すぎる。
何が。
何が早い。
「レオン?」
と、ユリウス。
どうやら顔に出たらしい。
兄がちょっとだけ真面目な目をしていた。
「俺の名前、言ったよな」
「たぶん」
「たぶんじゃなくて」
「落ち着け」
「兄上は落ち着いてる?」
「……少しは」
その言い方が逆に怖い。
応接間の中で、また紙の音がした。
今度は、もう一通を開いたらしい。
濃紺の封かもしれない。
少し間があってから、エレノアの声が聞こえた。
「それは、どういう意味ですか」
母の声は普段やわらかい。
でも今のは、そのやわらかさの中にかなり硬いものが混ざっていた。
言葉はここまで。
その先は小さくて拾えない。
使いの男が何かを答える。
短い。
ついでに嫌なくらい感情がない。
使いの声だ。
内容は分からないのに、余計に落ち着かない。
「聞こえないな」
と、俺。
「行くか?」
と、ユリウス。
「いいの?」
「よくはない」
「でも?」
「でも、ここまで聞いたら最後まで知りたい」
「兄弟だな」
「いまさら?」
俺たちは足音を殺して、もう少しだけ寄った。
本当に少しだけだ。
扉の向こうの会話が、途切れずに拾えるくらいまで。
「……北方諸家の子弟を、王都の命により検分する」
使いの男の声だった。
検分。
俺はその言葉を頭の中で繰り返した。
見る。調べる。確かめる。
そういう意味だろうか。
「時期が早い」
と、フローレンス先生。
「ええ。承知しております」
と、使い。
「なぜアルヴェイン家だけ、年齢条件が異なる」
「それは、お答えできません」
年齢条件。
ユリウスが、俺の袖を軽く引いた。
「レオン」
「何」
「これ、お前だ」
分かってる。
長男と次男。
年齢条件。
そして先生の「早すぎる」。
嫌なくらい、俺に向いている話だ。
扉の向こうで、ガレスが低く言う。
「公の文は?」
「そちらに」
「私文は?」
「別命にて」
「答えになっていない」
「お答えできません」
使いの男、かなり強いな。
父のあの声に対して、ここまで平然としていられるのは単純に場慣れしているのか、王都の名前が後ろにあるからか。その両方かもしれない。
「ユリウス」
と、俺。
「何」
「王都って、こういう感じ?」
「知らない」
「兄上、知ってる顔しないで」
「してないだろ」
「してる」
「お前いま、それ言ってる場合か」
「言ってないと落ち着かない」
兄が一瞬だけ黙った。
それから、小さく頷いた。
「それは分かる」
そこへ突然、応接間の扉が開いた。
「うわ」
思わず声が漏れそうになったが、寸前で押しとどめた。
危ない。
あと半歩前にいたら完全に見つかっていた。
出てきたのはエレノアだった。
母は俺たちを見るなり、すぐに見つけた。
そりゃそうだ。
隠れるのが下手すぎる。
「……やっぱり、いたのね」
「ごめん」
と、俺。
「少しだけ」
と、ユリウス。
「少し、ではないわね」
「母上」
「何」
「今の顔、ちょっと怖い」
「今は母ですもの」
「それ、便利だな」
「ええ。とても」
そこに少しだけいつもの調子が戻っていて、逆にほっとした。
エレノアは小さく息をついた。
「入りなさい」
「え」
「よいの?」
と、ユリウス。
「今から呼ぶところだったの」
それはつまり、隠れていてもいなくても結果は同じだったらしい。
なら少し得した気分になってもいいだろうか。
いや、母の目を見ると駄目そうだな。
応接間へ入る。
空気が少し重い。
使いの男は立ったままだった。
従者も同じ。
フローレンス先生は椅子の横。
ガレスは席についたまま。
机の上には二通の封書。
赤い公文。
濃紺の私文。
そして、その横にもう一つ。
薄い木札があった。
長方形。
手のひらより少し大きいくらい。
片面に細い文字。
もう片面には、王都の紋章らしい焼き印。
なんだ、それ。
俺の視線がそこへ行ったのを、先生は見ていたらしい。
「気になる?」
「……なる」
「そうでしょうね」
ガレスが低く言う。
「レオン。ユリウス。座れ」
俺たちは並んで座った。
背筋が勝手に伸びる。
こういう時のガレス・アルヴェインの声は、短いほど逆らいづらい。
使いの男が一度だけ礼をした。
「改めまして。王都政務院より参りました、イーサン・モレルと申します」
政務院。
名前まで言われると、急に現実味が増す。
イーサン・モレルは机の上の赤い封書へ手を添えた。
「まず、公の命から申し上げます」
読まれる。
北方諸侯の子弟に対する、魔術適性の早期確認。
理由は、王都北方での警戒強化。
今年は例年より前倒しで、各家の子息子女を名簿へ載せる必要がある。
対象は通常、七歳以上。
だが、今年に限り例外あり。
そこで、イーサン・モレルは一度だけ紙から目を上げた。
「アルヴェイン家につきましては、長男ユリウス・アルヴェイン様。次男レオン・アルヴェイン様。このお二人の同席を求めます」
はっきり、俺の名が呼ばれた。
喉が少し乾く。
ユリウスも黙っている。
兄の横顔が、少しだけ固かった。
「通常より早い」
と、ガレス。
「承知しております」
と、イーサン・モレル。
「理由は?」
「公文上は、北方警戒のためと」
「公文“上は”」
と、フローレンス先生。
「……はい」
と、イーサン。
そこでエレノアが濃紺の封書へ視線を落とした。
「では、こちらが私文なのね」
「はい。そちらは、レオン様に関わる補足です」
「補足」
と、俺。
「子供にはまだ早い」
と、ガレス。
「いや、もう名前出てるよな?」
「出てる」
「じゃあ俺にも少しは」
「レオン」
と、父。
短い。
でもそこで口を閉じた。
まだ軽口で押せる空気じゃない。
イーサン・モレルが続ける。
「こちらの補足は、王都の宮廷魔術師長名義です」
「大きいな」
と、ユリウスがぼそっと言う。
「大きいわね」
と、フローレンス先生。
先生が濃紺の封書を開く。
ガレスも一緒に見る。
エレノアは立ったままだ。
俺とユリウスは座ったまま、ただ待つ。
沈黙。
紙を読む音だけがする。
長い。
嫌な長さだ。
そこで、先生が先に口を開いた。
「……なるほど」
「何」
と、思わず俺。
「黙ってろ」
と、父。
「でも」
「黙ってろ」
「……はい」
ユリウスが横で小さく息を吐いた。
笑ってはいない。
たぶん兄も相当気になっている。
けれど、俺より一歩だけ我慢がうまい。
そこは悔しい。
エレノアが先生を見る。
「フローレンスさま」
「ええ」
「どう思われますか」
「嫌ね」
その一言が、まっすぐ落ちた。
俺は先生を見る。
先生は紙から目を上げなかった。
「嫌、ですか」
と、エレノア。
「ええ。こういう書き方は好きではないわ」
「どんな?」
と、俺。
今度は父より先に先生が俺を見た。
「あなたに関する情報が、すでに王都へ届いている」
「え」
「しかも、こちらから正式に報告する前に」
「……は?」
頭が一瞬、空になった。
俺の情報?
王都へ?
こっちから報告する前に?
「待って」
と、俺。
「何の情報?」
「そこまでは書かれていない」
と、先生。
「ただし、“観察対象としての記載あり”」
「観察対象」
と、ユリウス。
「言い方が悪いな」
「悪いわ」
と、先生。
ガレスが紙を机へ置いた。
「以後、レオンの魔術行使は外に見せるな」
「……え?」
と、俺。
「家族。ロルフ。フローレンス。この場にいる者だけに限定する」
「なんで」
「命だ」
「だからその理由を」
「ここには書かれていない」
「じゃあ何で従うんだよ」
「王都の名で来てる」
「うわ」
ほんとにうわ、である。
ユリウスがそこで低く言った。
「父上。俺も?」
「何だ」
「俺も見せるな?」
「お前は通常の範囲だ」
「レオンだけ特別ってことか」
「そうなる」
「……気分よくないな」
「同感」
と、先生。
「気分がよい話ではないわ」
エレノアが俺の肩へ手を置いた。
「レオン」
「何」
「いま全部を理解しようとしなくていいの」
「でも」
「でも、じゃないわ」
「……母上」
「大丈夫」
「その大丈夫、今日ちょっと軽くない?」
「軽くしてるの。そうしないとあなたの顔がもっと忙しくなるから」
その言い方に、少しだけ助かった。
俺の顔、いまかなり駄目なんだろうな。
自分でも分かる。
イーサン・モレルはそこで初めて、俺をまっすぐ見た。
「レオン・アルヴェイン様」
「……はい」
「失礼ながら、確認を」
「何」
「すでに初歩魔術に触れておられますか」
部屋の空気が止まる。
うわ。
これ、答えていいのか。
駄目なのか。
でも今さら「触れてないです」はたぶん無理だ。
先生も父もいる。
嘘をつくには相手が悪すぎる。
俺はガレスを見る。
父も俺を見る。
そのあと、短く言った。
「答えろ」
「……触れてる」
「行使は」
「水と風が少し」
「水と風」
イーサン・モレルは繰り返した。
「ありがとうございます」
礼を言われると、余計に嫌だな。
先生がそこで口を挟む。
「あなた、今の質問は文にないわね」
「はい」
「確認かしら」
「職務の範囲内です」
「便利な言い方」
「必要なことですので」
「嫌いだわ」
「承知しております」
この人たち、淡々としてるくせにちょっと火花散ってるな。
ユリウスが小さく俺の袖を引いた。
「レオン」
「何」
「大丈夫か」
「分からん」
「正直だな」
「兄上にだけは言われたくない」
「そこは今じゃないだろ」
「今だからだろ」
少しだけ、兄の口元が動いた。
笑うほどじゃない。
でも、その小さな動きに助けられた。
完全に息が詰まる前に、少しだけ戻れた。
ガレスが机を指で一度叩いた。
「イーサン・モレル」
「はい」
「王都への出立日は」
「十二日後。遅延は認められません」
「分かった」
「滞在は三日を予定しております」
「分かった」
「必要書類は明日朝までに届けます」
「分かった」
短いな。
でも、その短さが妙に重い。
十二日後。
王都。
三日。
そんなにすぐ決まるのか。
エレノアが静かに言う。
「子供たちの支度を急がなければ」
「レオンの授業も組み直す」
と、先生。
「木剣も」
と、ガレス。
「俺は?」
と、ユリウス。
「お前は今までより増える」
と、父。
「うわ」
「兄上までうわって言うのか」
と、俺。
「これは言うだろ」
と、兄。
少しだけ空気が戻る。
ほんの少しだけ。
イーサン・モレルは役目を終えたらしい。
一礼をして、従者とともに退出する。
その時だった。
男は扉のところで、一度だけ振り返った。
視線は、ガレスでもエレノアでもない。
俺に向いた。
ほんの一瞬。
それだけだ。
でも、はっきり分かった。
なぜだろう。
その一瞬で、背中が少し冷えた。
扉が閉まる。
静かになる。
そしてその静けさの中で、最初に口を開いたのは先生だった。
「レオン」
「……何」
「いまのは覚えておきなさい」
「何を」
「最後の視線」
「え」
「あなたを確認していた」
「気のせいじゃなく?」
「ええ」
「うわ」
「うわ、で済むうちはまだいいわ」
先生はそう言って、濃紺の封書をもう一度手に取った。
「ガレス」
「何だ」
「この文面、嫌な癖がある」
「分かってる」
「なら早いわ。今日から変える」
「何を」
「全部よ」
全部。
その言葉が、嫌なくらい重かった。
エレノアはもう立ち上がっている。
ユリウスも真顔だ。
ガレスは短く息を吐く。
「レオン」
「はい」
「今日から、屋敷の外では魔術を使うな」
「分かった」
「本も持ち出すな」
「……それも?」
「そうだ」
「はい」
先生がさらに続ける。
「午後の授業は予定通り」
「え」
「驚くこと?」
「いや、こんな空気のあとでもやるんだなって」
「こういう時ほど、やるの」
「強いな……」
「そうしないと、あなたは頭の中で余計なものを育てる」
「う」
「図星?」
「かなり」
先生の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
でも、その目は笑っていない。
「だから、午後に来なさい」
「……はい」
「その時、王都へ行くまでの課題を全部決める」
「全部?」
「全部」
うわ。
今日、情報量多すぎるだろ。
ユリウスが横で言う。
「レオン」
「何」
「大丈夫か」
「兄上、それさっきも聞いた」
「さっきより顔が悪くなってる」
「……それは」
「それは?」
「たぶん、ちょっとだけ怖くなった」
「王都?」
「それも」
「他は?」
「俺のこと、誰が知ってるんだろうなって」
言葉にした瞬間、部屋が少し静かになった。
ガレスは何も言わない。
エレノアもすぐには答えない。
先生だけが、まっすぐ俺を見ていた。
「その質問は、正しいわ」
と、先生。
「でも今は、答えが足りない」
「……うん」
「だから集める」
「何を」
「答えを」
その言い方に、少しだけ息が戻った。
答えがないんじゃない。
足りないだけ。
それなら集める。
簡単なことじゃない。
でも、全然駄目だと言われるよりずっといい。
エレノアが俺の肩を抱いた。
「レオン」
「何」
「王都へ行くのは怖い?」
「少し」
「楽しみは?」
「……少し」
「その“少し”は、どっちが多い?」
「今は怖いほう」
「正直でよろしい」
と、先生。
「でも、行く頃には変えるわよ」
「変える?」
「授業で」
強いなあ。
俺は思わず笑いそうになった。
こんな空気で笑うのも変だ。
でも、少しだけほっとしたのだ。
先生がいつも通りだったからだと思う。
王都から使いが来た。
俺の名が文にあった。
誰かがもう俺を知っていた。
それはたしかに嫌な話だ。
でも、全部が全部、よく分からない怖さのままで終わるわけじゃない。
授業はある。
木剣もある。
兄もいる。
母も父もいる。
それが今は少しだけ救いだった。
「レオン」
と、ユリウス。
「何」
「王都、行くなら俺もいる」
「うん」
「だから変な顔したら肘でつつく」
「それ助けなの?」
「俺なりの」
「雑だな」
「兄だからな」
少しだけ、笑えた。
ガレスが立ち上がる。
「解散だ」
「早いな」
と、俺。
「早く動く」
と、父。
「今はそれが先だ」
「はい」
先生も本を抱えて立つ。
「午後、遅れないで」
「はい」
「それと」
「何」
「今日の授業は、少し長い」
「うわ」
「その顔、久しぶりにいいわね」
「どんな」
「ちゃんと嫌そう」
それは褒めてるのか。
いや、たぶん半分くらいは。
俺は灰色の本を抱え直した。
王都。
十二日後。
知らない誰か。
俺の名前。
頭の中がまだ落ち着かない。
でも、その真ん中でひとつだけはっきりしている。
午後が来る。
そして先生は、そこで何かを変えるつもりだ。
それが少しだけ怖くて、かなり気になった。




