第10片 忌避
「俺様も手伝おう」
「……助かる」
本来だったら、その友好的な提案に対して疑うというやり取りが行われるのだろうが、少しでも役に立ちそうなものは何でも利用しなければならないほど性性君は切羽つまっているようだ。
それとももはやその問答をする気力すらなくなっていたのかもしれない。
時刻は24時を回り丑三つ時に差し掛かっていた。体力的に皆限界であった。
「性性君、一度寝た方が良い。半端な体力で事に当たってもいざというときに頭が回らなくなるのはかなりマズい」
「友達である賊烏が……同士である畿内氏の安否が分からないというのに……! おちおちと寝てなんていられるか! ……君はどうしてそんなに落ち着いていられるんだ!」
「落ち着いているのが悪いかよ。熱くなったところで事態は解決しないんじゃないか?」
「……そうだな。すまなかった。君の言う通り一度寝た方が良いのかもしれない。きっと疲れているんだ。だが、一分一秒が惜しいのも事実。誘拐犯が闇に乗じて活動するというのなら、ここから数時間を逃せばまた夜まで足踏みをさせられる。だから、今から30分ほど仮眠をとって賊烏たちを探しに行く。それでいいかな?」
僕は首を縦に振ってそれに答えた。
ピピピピピピピピピッ!
30分後アラームの音と共に僕たちは目覚めた。性性君のスマホに賊烏さんたちからの折り返しの電話はかかって来ていなかった。
「行こうか」
男の手縄を解き僕たちはコンテナの外に出た。
いや、出ようとした。だが扉を開ききる前に僕らの鼻は異臭を感知した。外から入り込む空気が異様な匂いを纏っていた。「げほっ。げほっ」と全員がむせ返った。それは今まで嗅いだことないような刺激臭であった。
生ごみの匂い。汚い公衆トイレの匂い。酸っぱいようなキツイ体臭。温泉街の硫黄のような匂い。かび臭い匂い。肉が腐ったような匂い。
人生で遭遇してきた想像できる限りのあらゆる不快な匂いをすべて強烈にしながらブレンドしたような有り様だった。
あまりにも不愉快な匂いによる吐き気から鼻より先に口をふさがねばならなかったほどである。
マズい。
分からない。本当に何か分からないけれど。何かが。関わってはいけない存在がいる。この扉の外に。身体が警告するかのように全身に鳥肌が立つ。
頭の中で旧支配者のキャロルでも流れてきそうだった。
「性性っ! 反対側から出られる?」
「あ、ああ出られる……。だけどちょっと待―――」
この状況が耐えきれなかった僕はその制止を聴くことができなかった。
迂闊などと言う二文字では十分では無い。「致命的」まさに生命に危機へ到るほどのクリティカルな判断ミスであった。
「後悔先に立たず」その言葉の意味を痛いほど理解させられる。この場を乗り切らなければこの後なんて無いのだけれど。
ブワーーーーーーーッ。
と瘴気が扉からコンテナ内に立ち込める。
「ゴホッ! ゴホッ! グフッ!」
一息。そうたったの一息。ほんのちょっと空気を吸い込んだだけで途端にむせ返る。視界がぐらつく。咳をして出ていってしまった酸素を自然と体が吸収してしまう。喉元まで胃酸が登って来て、チクチクと嫌な感覚がある。体のバランスが崩れいつの間にやら壁に寄りかかっていた。
「扉を閉めなければ」そう思って伸ばそうとした手はしびれまともに言うことを聞かない。二人はどうなった?
だがもはや振り向く余裕すら僕には残されていなかった。
そうして意識を失いかけたころ腰のあたりに手が巻き付けられ、抱えられた。これは、そうか性性君の……。
薄れゆくやっとの思いで目線だけ上に上げると首を一文字に固く結んだ性性君の顔がそこにはあった。
「―――――そろそろ目が覚めたかな?」
体へとそれなりの振動が伝わってくることで目が覚める。僕らは性性君の両脇へと抱えられているようだった。最初に開けた方の扉から出たのだろう。荷物を運ぶかのようだったが性性君がそうせざるを得ないほどの状況であったのだ。僕の判断ミスからあの事態を招いたというのに助けてもらえただけで御の字だ。
「成人男性を片手ずつで持つってどういうことだよ!」とツッコむ気力すら湧かないほどの倦怠感にまとわりつかれる。
反対側に抱えられている男はまだ目覚めていないらしい。
「あれからどれだけ経った?」
「30秒ぐらい」
「じゃあまだ危機は去ってないのか」
「その通り。だからできれば自力で走って欲しいんだけどね?」
「僕が走るより今の性性君の方が早いよ」
「それは君……。もうちょっと運動をしたまえよ」
「ははっ。そうだね。それも視野に入れて置こうかな」
ぺちゃり、ぬちゃり。
ギィィィィ、ガリガリ。
背後からかすかに不快な音が近づいて来る。
「下手を打ったな」
「ど……どうしたの? 性性君?」
「この道の先は行き止まりだ」
「仕方ないけどどこかの民家にちょっとお邪魔させてもらうしかないね」
「いいや、それには及ばない。迎え撃つ。先ほどのガス(?)攻撃は屋外なら効果は半減するだろう。それに感情移出をするのなら一本道の方がやりやすい」
「分かった。それでいこう。ところで気になってたんだけどその「感情移出」ってのは何なのさ?」
「ああそれね。感情移出ってのはぼくが勝手に名付けているものなんだけどね。カラフルピースの強烈な感情・感覚を指向性をつけて放出する技術の事だよ。だから、本質的にはカラフルピースなら誰でも使えるよ。もっと詳しく話すのならそもそもカラフルピースがもたらす超常現象的力がどういう仕組みで発動してるかを説明しなくちゃいけないんだけど、今はちょっとその時間が無いからね。また余裕のるときに―――」
キュッ、キュッ、キュッ、キュッ、キュッ、キュッ
不快な音が一段と強くなる。
何かが闇の中から這い出してくる。
それは歪なシルエットだった。酷く曲がった腰はイモムシが無理やり二足歩行で歩いているような印象を与える。腰にまでかかるほどのぼさぼさの髪は毛虫を思わせる。身に着けた茶色の着物はボロボロでこげ茶や緑色の布切れで至る所が繕われていた。それでも一度糸をすべてほどいて一から布を作った方が早いのではないかと思わせるほど薄汚れていて着古されていた。
顔には赤くてでかい瓢箪のような形をした鼻が顔の大部分を覆い隠していた。体全体がよく分からない液体で湿っており、白や黄色のガスが時々噴き出している。それだけでは無い。腕を脚を腰を顔を少し動かすだけで黒板をひっかくような音や濡れた靴が地面との摩擦で発するような音を発している。匂いも先ほどよりはマシだが、動物園で檻の向こうから感じる匂いやゴミ収集所の横を通るときのような匂いを発し、口の中に苦みと酸っぱさを感じられた。
とにかくそれを構成するありとあらゆる要素。それが発生させるあらゆる事象が「不快」と強く感じさせるためだけに存在しているかの様だった。
「どうも、ヒィ、お初にお目にかかります」
しわがれた声でそう挨拶をする。蝶番がなるようなきぃきぃとした呼吸音が合間に挟まれる。
「お前は……、何なんだ! ぼくらに何をしたいんだ!」
「別に儂はそなたらを、ヒィ、積極的に溶かしたいなどとは、ヒィ、大して思っておらぬ。だが、そうだな、ヒィ、礼儀として名乗っておこう」
「儂は、則第5原則 醜厭 末摘蟲濁と申す者。是非とも記憶の片隅に」




