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8.上手な白旗の上げ方は?

「あー、親父。そば湯を頼む」

「あいよ」


 その男は鉄骨を背中に背負った青年だった。

 Gパンに、派手なガラシャツ。一見するとまるでミュージシャンだ。


 間違いなかった。水竜事件の最大貢献者『鉄の勇者』がそこにいるのだ。

 ミズノはジャケットを羽織ると席を立った。


「あー、すいません。鉄の勇者……さんですか?」


 声をかけると、その男はぴくりと反応した。

 けれど、こちらを振り向く素振りはない。声だけが投げやりに返ってきた。


「だーめ。いま忙しいの。見りゃわかんでしょ? プライベートなの。プライベート」


 そういって鉄の勇者はざるに残っていたそばをすする。

 まるで、ぶっきらぼうが服を着ているような声色だった。


 だが、ここですごすご引き下がるわけにいかない。

 目の前には、水竜討伐の関係者、もとい、英雄がいるのだ。報奨金、それから残る書類のあれこれ、その片付けには、彼からサインをもらわねばならない。


「その鉄骨。それから背格好。資料の通りですよ」

「あぁ? なんだよ」

「申し遅れました。封魔部で主簿のミズノです。あなたを探していました」


 小さな舌打ちが聞こえた。男は無言で財布から札を取り出すと席を立った。


「人違いだろ」


 逃げようとする鉄の勇者の前に立つ。もちろん、堂々と立ち塞がるなんて命知らずのやることだ。一度は丁寧におじき。その上で、書面をぱっと広げる。


「昨夜の未明に起こった多摩河川での水竜討伐……。あなたですよね? 目撃者もいる」

「だから、人違いだ」

「検死結果では、水竜は強力な打撃で倒されたと。これは正式な報告結果です」


 証言と検死結果を繋ぎ合わせると、人の所業とは思えない想像ができあがる。


 水竜の皮膚はジュラルミンより頑丈だと言うのに、鉄の勇者はそれを平気で叩き割る力を持っていた。くわえて、大木を薙ぎ倒す突風の中で護岸石を真っ二つにするウォーターカッターを避けている。


 魔物は文字通り化け物だが、勇者もまた、おとぎ話の主人公もかくやの存在だった。


「……知らねぇ」

「ええと、何も罰そうってのじゃないですよ。もし、何か誤解をされているようでしたら……」


 ここまで知らない振りをするのには違和感があった。

 川で戦ったことは、役所としてはたしかにほめられた話ではない。

 けれど、船は安全になったし、周辺農民の不安はなくなった。あのまま魔物がいた方が実害は大きいのだ。


「……誤解? 書類にサインをしろ。報酬を受け取れ。そういう話だろうが」

「え? そう……ですが、」


 どうして、という言葉は続かなかった。

 いきなり首が振られて、視界がちかちかした。


 車に衝突されたのではない。鉄の勇者に胸ぐらを掴まれたのだ。


「わかんねーかなあ。これで報酬もらうと資産が引っかかるんだって言ってんの」

「な、なんの……ことですか」


 瞬間、同僚と交わした軽口を思い出す。

 たしか、資産の公開が議決されたとか、そんなことを話したような。

 モグイ長官が反対していたあれだ。


「おめーらがそうやって決めたんだろ。一定報酬を受けた勇者を公表する。あのな、あれ、マジで困るの」

「い、いや、ちょっと待ってください」


 このまま青筋立てた勇者に絡まれたら労災では済まない。

 視線をアマミャに向ける。


 だがアマミャは、のんきにそばをすすっていた。

 ご丁寧に頬に手を当てている。まるで、これくらいのトラブルは客引きを断るくらいにしか思っていないようだった。


「いいや、待たない。ただでさえいま、目立つんだよ。昼で歩きゃサインや助けの嵐。夜しか出歩けないんだぞ」

「ええと、すいません。現場からいなくなったのって、それだけ?」


 身体ががたがたと震える。もちろん、大地震が起こったわけではない。

 鉄の勇者の手が震えているだけだ。きっと自分はいま、虎の尾を踏んでいるのだろう。


「それだけってな、こっちにはこっちの人生があんだよ。そりゃ、目の前で人が襲われてたら助けるよ? でも、金持ってるなんて知られて寄付やら投資やらまで押し寄せてきたら、俺はそいつらをやっちまいそうだよ」


 ゆっくりと足が床に着いた。最初の驚きと恐怖は、もうどこにもなかった。

 ミズノは何も言えなかった。

 勇者だなんだと言われていても、人間の一員なのだ。


「俺はいつまで一人で生きれないやつを守ればいい?」

「……」


 魔素と感応できるかは遺伝で決まる。本人の意志はどこにもない。

 世界に溢れる魔物から逃げることはできない。

 そして、勇者になることも、選ぶことができない。


「わかったろ。だから、俺は報酬を受け取らない。サインもしない。勝手に振り込むなよ?」


 ミズノは鉄の勇者の独白を聞きながら、服の乱れを直した。彼の気持ちはわからんでもない。しかし、それで引けるほど、自分の後ろにいる市民の数は少なくないのだ。


「振り込んだら……」


 鉄の勇者は背負った鉄骨を慎重につかむと、飴細工みたいに手のひらで押し潰した。


「わかってるな?」


 ミズノは両手をあげて白旗のポーズをとった。この手の相手にまともにやっても勝てるはずがない。けれど、勇者相手に簡単にやり込められていたら、この仕事は続けられない。


「わかった。あんたの悪いようにはしない。約束する。だが、質問がある」

「……なんだ?」

「この鎧の出所を知らないか?」


 ミズノは数枚の写真を手渡す。その写真はアマミャが立ち会った水竜の検死中に撮られたものだ。


「鉄製らしいがわからなくてな。出所がわかれば、あんたの報奨金を減らせるかもしれない」

「よくわからんが。どういう繋がりの話だ?」


 鉄の勇者は写真とこちらを見比べていた。値踏みしているのだろう。彼だってわかっているはずだった。封魔に怒りをぶつけても仕方ないと。封魔は勇者と市民の中間管理職なのだから。


 ミズノは助け舟を出す。


「それは、水竜討伐者の協力者が準備したと目されている。わかるか?」


 鉄の勇者が一人で水竜を倒したのなら、報奨は総取りだ。けれど、もし、そこに協力者がいた、ということになるのなら。


 報奨金は分割される。それなら、公開基準を下回って、鉄の勇者の市民生活も守れるかもしれない。


「……こいつは近場の物だな。海の方で作られたやつだ。あっちは飢饉でけっこう荒れてると聞いたが……ずいぶん贅沢に鉄を使ってる」


 普段から鉄を扱っているからか、鉄の勇者は鋲の打ち方や接合面を指し、補足してくる。


 そこで、すかさずミズノは追撃する。


「水竜の腹には元々傷があった。心当たりは?」

「……いや、しらないな。大したことない魔物とは思ったが。……だが、仮に魔物の腹を裂いて鎧を詰めるようなやつ。そんなヤバいことするのはひとりしかいない。返り血の勇者だけだ」


「返り血の勇者? ……聞いたことないな」

「いや、あだ名。登録名は刃の勇者だったかな。いまじゃ、半分引退して山ごもりだ。山菜ばっかとっててこう呼ばれてるーー」


 その勇者の名を聞いたとき、ミズノの中にあったいくつもの疑問が一本に繋がっていった。


「……まさか」


 支払い主の現れなかったマルたん。

 そして、磁鉄鉱の行方。


 腹に埋められた鎧。下流の食料問題。

 そして、アマミャに見せられた幻覚。そこで感じた水竜から漂うアンモニアの臭い。


 ようやく、全てが繋がった。

 すべてに共通するのは、食料不足だった。


 おそらくは、水竜を肥料にするため。鉄の鎧と磁鉄鉱が、水竜をその場に留める仕掛けだったとすれば――。


 ――なんで、あんたはそんなことをするようになったんだ? ミズノは記憶の中にある、鉄の割符を見つめていた。




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