9.人と魔物と勇者が、仲良くする方法
空と大河がきらきらと光っていた。描いたような青に、いく筋もの白い煙が立ち上っている。
煙の元は、緑まばらな河川敷に置かれたコンロや鉄板だ。取り囲むたくさんの人は、目を細めて笑い、肉を頬張っていた。
「……こうして、定期的に炊き出しを?」
普段の活動拠点から、船バスで下流へ二時間ほど。
久しぶりの遠出だった。今回はミズノひとり。アマミャには別の仕事を頼んでいる。
「うん。山にはけっこう食料あるんだ。だから、ね」
熊も魔物に比べたらかわいいし、と続ける山菜勇者のもとに、小さな子どもたちがかけよってくる。
どの顔も、どの目も、山菜勇者への親しみと尊敬で溢れていた。ミズノにはそれが、あまりにも眩しかった。
これから自分は、この英雄に、精算書面を渡さねばならないのだ。人と勇者と魔物と。その縄張り料の。
「……それで? 話があるんだろう?」
「えぇ。私は主簿ですから」
ミズノは微笑んだ。この晴々とした空の下に、一片の曇りも与えてはいけない。この光景もまた、英雄の所業なのだから。
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「こちらの書類に、サインをいただきたいんです」
その書類は、水竜討伐の経過をまとめた報告などのあれこれと、報奨金を受け取るためのものだ。
これにサインをすると、ミズノが作ったストーリーの片棒を担ぐことになる。
実際に起こった全て――。
討伐した鉄の勇者が報奨を拒んだ理由も、腹の中の鎧も、マルたんの騒動も、それから……。
山菜勇者の仕組んでいたすべてを飲み込んだ、どこにも角の立たないストーリーだ。
「君は、私を糾弾しに来たんじゃないのかい?」
「……あなたは、鉄の勇者の要請に対して、管理下の亜人に要請して『水竜の弱体化を図った』そういうことになっています」
「そういうのが好きだね。封魔ってやつらは」
そう。封魔は真実を追求する仕事じゃない。ただ、魔物の害を封じ込めるだけだ。
人の役に立つ魔物ならマルたんのように利用するし、鉄の勇者が嫌だと言うなら報奨だって減らす。
そして、世間のためになるなら、少しくらい市民を騙すことにだって、手を染める。
「鉄の勇者はまだ若い。働いてもらわないと困りますから」
「それで、この引退間近の老いぼれに栄誉の一端を受け取れと?」
ミズノは首を振った。
表向きはそう読めるようにした。しかし、ミズノとしてはそんなつもりはない。
ツケを払わせるだけだ。山菜勇者へ。
「あなたの報奨金から、マルたんへの協力費は差引ます。それに、管理不行き届きの責は負ってもらう」
「今さら惜しむものもないが……その理由は?」
「マルたんの件、あんたは防げたはずだ」
ミズノの言葉に、山菜勇者はくっくと笑い声を漏らした。
ひどく乾いて、灼熱の砂漠で口をゆすぐみたいに、何の喜びもなかった。
「魔物は管理する物。市民が適度に恐怖を感じてくれた方が、下手に慣れ合わず済むだろう?」
「……なぜ、あなたはそうなりましたか。あなたがやった一連の行動はまるで魔物を便利なモノみたいに扱っている。大河に現れた水竜の腹を割いて鉄の鎧を入れ、マルたんからは金を払わずに磁鉄鉱を手に入れた。どちらもそこまですることじゃない」
中洲に埋められた磁鉄鉱と、腹に押し込められた鉄の鎧。その二つは引き合い、水竜は動きを阻まれていた。
そこを鉄の勇者に討伐される。それ自体は勇者と魔物の生業だ。仕方がない。
だが、水竜は暴れていたのだろうか。
ただそこから逃れられず、苦しんでいただけかもしれない。
下流の飢饉を解決するために、魔物から窒素を補給する。理屈はわかるが他にもやり方はあったはずだ。
マルたんにしても、わざわざ支払い場所を街にする必要なんてない。彼らが街で騒げば、その末路は明らかなのだ。
「あなたは、魔物と勇者に詳しい。だからこそ違和感がある。まるであなたは、最終的に魔物が殺されるように、導いているかのようだ。商売人に聞きましたよ。マルたんとあなたは『絆』の割符で結ばれていたと」
木の割符が意味するものは『絆』だった。
それが、あとから鉄の割符『管理』へと更新されていたのだ。
「絆? 魔物にそんなものを見出そうとした私が愚かでした」
山菜勇者は、自らの顔に刻まれた大きな火傷の痕にそっと触れる。
交戦記録によれば、亜人とともに行動していたときに負ったものだ。
おそらく、その亜人とはマルたんで、そこから関係は変わってしまったのだろう。
「何があったんです? 少なくとも、あなたたちは上手くやっていたのではないんですか」
「うまく? あいつは私を裏切って、魔物の味方をした。人間の味方なんかじゃなかった」
ミズノは薄々わかっていた。想像はしていた。
「……」
「火竜の群れに囲まれたとき、あいつは私の逃げ道を塞いだ。絆なんて、そこにはなかった」
けれど、そういう話だと、思いたくはなかった。
「だから、やめたんです。魔物は管理すべきだ。そして、人間の役に立たせるべきだと」
「……そのためには、魔物はいくら傷つけてもいい。騙してもいいと?」
いくら魔物だからと言って、生きたまま腹を裂いて鎧を入れるなんて、する必要はない。
金を払うと言って働かせて、対価を支払わずに街で暴れさせていいわけがない。
それはもう、管理ではない。悪意だ。
どちらも、直接手を下しているわけではない。けれど、最終的に、魔物に待っているのは死だけだ。
「あの水竜を駆除対象にしたのは君たちだ。そして、下流にとっては肥料にもなる」
わかっている。たい肥、とりわけアンモニアは貴重な資源だ。
もし大型の魔物を肥料にできたなら、この川岸のような炊き出しをしなくて済むかもしれない。
だが、それを決めるのはひとりの勇者の決断では進まない。
「だとしても……です。あそこで留めたことで、水運の往来も、水質検査も、多くが滞った」
「なら、いますぐ山を浄化して、田畑を増やしてみせろ!」
山菜勇者は背負っていたタケノコを引き抜くと、空に向かって振り上げた。
大きな風が吹いた瞬間、耳障りな叫び声がする。
やがて、衝撃音とともに大きな鳥型の魔物が落下してくる。
いや、それだけではない。一緒に落ちてきたあれは。
「うぎゃ」
衝撃音と同時に、聞き馴染みのある黒ローブの娘の声がした。
確かに急ぎとは言ったが、まさか魔物に乗って帰ってくるとは。
「……アミャ!」
「危なかったあ。つーか、せんせーは人使い荒すぎです定期」
アマミャは、ぱたぱたとローブの裾を叩いて砂を払っている。
「そう言うな。お前くらいの猛者じゃなきゃ、マルたんへの使いなんて頼めない」
「あのねえ。女の子に猛者とかないっすからね?」
不満顔でそう言いながら、アマミャは山菜勇者の正面に立った。
その右手がかざされると、まるで大気が歪むみたいに周囲の空気が渦巻いていく。
山菜勇者がその様子に、背負ったかごを降ろした。手には、草刈り用の鎌が握られている。
「大丈夫です。何もしません。ただ、私の記憶を見せるだけ。マルたんがあの時、何を思っていたのか」
「そんなものを見たところで、もう何も変わらん」
アマミャの幻術がミズノの感覚を塗りつぶしていく。
水竜のときとは違って、雲をスクリーンにして映画が投影されるような景色だった。
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「なんで、山菜さんを置いていったんですか?」
「火竜は僕らと約束していたんだ。命令を聞けば、僕らの一族は食い殺さないって」
俯くマルたんの目に影が差す。ざざっと砂嵐が舞って、景色が切り替わる。
「おにいちゃんは、あの日、ずっと泣いていたよ」
「山菜勇者殿は一族の恩人なんじゃ。亜人の我らにも分け隔てなく……」
雷雨が身体を濡らしていた。冷たく重たい衣服が、身体にまとわりつく感覚。
「火竜が倒されて、僕らはやっとあの約束から解放されたんだ。だから山菜さんの力になりたかったんだ」
「騙されているとは思わなかったんですか?」
目の前に映るマルたんは背中を丸めて、小さくなって話していた。
「わかってます……。木の割符を持っていたのは山菜さんじゃなかった。僕らでもそれくらいはわかる。でも、」
「でも?」
「山菜さんの木の割符を持っている人なら、信じられるって思ったんです」
ミズノは地面に足がつく感覚がした。すぐ隣で、アマミャが膝に手をついて背中を上下していた。
――よく、やってくれた。
アマミャが聞いてきたマルたんの思い、それが幻術によって、再現された。
山菜勇者にも、この光景は届いたはずだった。
「……仮にこれが」
山菜勇者の声は枯れ井戸のようだった。
「本当のことだったとしてもだ」
アマミャは答えない。
枯れ井戸には水が沸かない。掘っても、叩いても、祈っても、枯れたままだ。
「……私はね、もう役に立つ魔物にしか興味がないんだ」
そう言って、山菜勇者は背を向けた。
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「以上が報告です。それでは、失礼します」
「うん。ありがとうね、ミズノくん。次の仕事にも期待しているよ」
長官室への扉が閉まる。
ミズノは軽く息を吐き、ネクタイを緩めたい衝動を抑えて廊下を進んだ。
「彼は、僕のためになるかなあ」
モグイは重厚な椅子に座ると窓の外を見つめながら言った。
「ミズノ主簿ですか」
「うん。筋書きは悪くないよね」
「……魔物は利用する方が良い。少なくとも、人にとっては」
山菜勇者は白衣を着ていた。
顔の火傷を隠すように、仮面も被って。
「ふうん」
モグイは屈託なく笑った。
「でも、君もさ。あんまりバランス感ないよね」
「私は、人の役に立つことをしただけです」
「そういうところだよ」
モグイは机から書類を取り出すと、山菜勇者の元へ滑らせる。
「研究所にポストを用意した。魔素肥料、亜人交易、魔物資源化。君の好きなものは全部ある」
「……それは、勇者を辞めろと?」
「いやいや」
モグイは、まるで褒めるように言った。
「君に相応しい職場を用意するって話だよ」
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「うまく値切れてよかったっすね」
「まあな。あれこれあったが、大半を隣国が負担してくれたからな」
当初は長官もおかんむりだった報奨金だったが、結局は納得してもらえるくらいにまで減っていた。
先ほど話した感じだと、いきなり僻地に飛ばされることもないだろうと思う。まあ、胃の痛い話だが。
「鉄の勇者は隣国で何するんですか?」
「等々力渓谷の浄化だってよ。お隣はひとりでも強い勇者が必要らしい」
そう、鉄の勇者は隣国へ渡っていた。
うちからの鉄の勇者への報奨金は、資産公表に引っかからない程度のお手頃価格にして、結局国庫へ寄付してもらった。
彼としては、寄付の事実が広まれば金の無心も減るだろうから、悪い話ではなかったはずだ。
隣国の担当者には『報奨金を半額持てば、鉄の勇者と派遣の話をつける』と言った。
名誉と戦力その両方。それなら払えると隣国のお偉いさんは納得したのだろう。すんなり決済できたらしい。
「マルたんへの代金も払えたし、船も水も、元通りですね」
「その辺は山菜勇者の報奨から差っ引いといたからな」
「抜け目ねーっすね。せんせーは……」
雲がゆっくりと流れていく。河の流れは滞りなく、堤防の上では自転車が列をなして進んでいく。
空に手が届きそうな高さのマンションがまた立つらしい。日常。二人の勇者が守った、その姿だ。
しばらく黙っていたアマミャが、ぽつりと言った。
「アマミャは思うんすよ。せんせー」
「なにがだ」
「魔物って、一括りじゃないんだって。きっと、人間と同じで、ひとりひとり見ないとわかんない。騙すやつもいるし、騙されるやつもいる」
アマミャの手には、どこから手に入れたのだろうか。立派なタケノコが握られている。
「……そうかもしれない」
「監察官は、見るのが仕事。見極めないといけないって、思いました」
――そういうのは、危ないんだよ。
ミズノは出かかった言葉を飲み込む。山菜勇者のように魔物を見切るのは、アマミャはまだ早い。
「だがな、勇者は、魔物を殺すのも仕事だ」
だから、忘れてはいけない理をしっかりと置いておく。
人は魔物を恐れ、勇者は魔物を討伐するものなのだ。
アマミャは日差しを眩しそうに遮りながら、目を細めて言った。
「アマミャは同じ轍を踏まないっすよ」
ミズノは思う。誰かの背後には事情があって、正面からではわからない。
それは、人も魔物も勇者も同じことだ。
なぜ自分が魔物討伐にこうまで値札を付けるのか。
それは封魔だからだけじゃない。
きっと、人の払わなかったツケを、偉大な力の救済で済ませたくないからだ。
「……目の届くところでは、そうしていてくれ」
そう、目の届くところなら、過ちにも請求書を持っていけると思うから。




