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3.公平で明瞭に生きるには?

 あおった水の生ぬるさが、喉から胃へと滴っていく。

 討伐された魔物の請求書。その送り先を決める話が、外科医の狂行に塗り替えられてしまった。


 ましてや患者が水竜となれば、執刀者は自ずと限られてしまう。


「なあ、行方しれずの討伐者はたしか」

「『鉄の勇者』っすね。アパートみたいな鉄を振り回すのはできても、こういう器用な真似はしませんね」


 器用な真似ーー。ミズノは反芻した。

 なるほど、確かに器用な仕業だ。


 大河のど真ん中で兵が見守る中、竜の腹の中に鎧を詰める。もちろん、不可能だと言うことを除けばだが。


「念のためだが、アミャ。お前、騙してないよな?」

「公務中は天宮と呼んでください定期。答えはノーです。……念のためですけど、ちゃんと効きましたよね?」


 独特の浮遊感。俯瞰のようで断片的な視界。流し込まれるような五感。すべてが教科書に記されている。


 だとするならば。


「生きた水竜にそんなことをした『勇者』がいる、と? 遺憾ながら答えはイエスだ」


 後から細工はできない。それなら、誰かが先に外科手術をやったことになる。そしてその水竜を『鉄の勇者』が討伐した。


 辻褄は合う。

 だが、水竜を相手に外科手術なんて真似をできるのは『勇者』以外にはありえない。


「……盛り上がってるところ悪いんだけどねえ。そろそろいいかい?」


 ミズノは弾かれたように声の主を見た。

 白衣の老男は静かに椅子に座っているだけだと言うのに、まるで重力に絡め取られたように、胸がざわついた。


 一体、いつからそこに座っていたのだろうか。


「あ。モグイ長官」

「ノンノン。いまは、理事長代理。緑の革命団で会合に出ていたからね。これお土産」


 モグイ長官はいくつもの団体で有力な立場にいる。

 緑の革命団は確か、『空気からパンを作る』そう標榜していた。土いじりばかりの老後道楽に見えて、ずいぶん入れ込んでいるらしい。


「山菜……っすか」


 アマミャは土産の山菜を受け取ると、ヤカンー、ヤカンーと呟きながら離れていった。モグイ長官が口を開く。


「報告が遅いのはまずいよ、ミズノくん? 世間は公平明瞭、迅速確実を封魔と勇者に期待しているんだからさ」


 コツコツ、と扉が叩かれて開く。入ってきた白衣の男が長官の後ろに立った。


「どうぞ」


 秘書とモグイ長官、その二人に向け、アマミャがすっと、お茶を差し出した。一礼してそのまま、奥に引っ込んでいく。


 ――面倒臭いところは押し付けかよ。


 アマミャは監察官で、魔物とやり合う側。

 自分は金勘定だ。

 役割が違うのは理解している。だがここは、助け舟のひとつくらいは欲しい場面だった。


「それで、今回はいくらになりそうなんだね?」

「はい。今の試算では……一億円程度の見込みです」

「一億円? 人への被害はないんでしょ? お隣も同じ見解なの?」


 長官とて内々でそろばんを弾いているのだろう。意にそぐわないことがすぐにわかる、あざ笑うような声色だった。


 長官の関心はいつも、自分に火の粉が及ぶかどうかに行き着いていく。もしかすると、国境という場所だけでなく、鎧が詰められていた件も、どこからか把握しているのかもしれない。


「……大体は。隣国は測量で場所を確定させてから按分交渉してくると思います」

「ふうん。なら、話は簡単だね」


 どういうことですか? そう、ミズノが言葉を紡ぐより早く、モグイ長官はこともなげに告げた。


「事情をよく知る腕利の測量士が必要だね。君」

「御意」


 背後の白衣男が一礼すると下がっていく。ミズノは会釈してから、その意味するところに気づいて汗が吹き出した。


「ま、待ってください! 勇者が退治したのは川……国境の魔物です。堤防や田んぼは無事。船が通れないのも一時的……無視はできません!」


「そんなオプションの話は必要ある? 水竜を倒した。要はそういうことでしょ? 報酬は場所で決まる。これ常識だよね。僕らは節約できて、お隣は栄誉を買える」


 あぁ、忘れていた。目の前の男もまた、魔物なのだ。言葉と振る舞いを武器にして、現場の倫理など飛び越えて獲物を手にしていく。


「これぞWinWinじゃない? それに、忘れちゃいけないけど、勇者なんだからね? 君も、僕もね」


 なんて忌々しい運命だ。

 勇者の遺伝子を持っていても、魔物を退治する力なんて、自分にはない。金勘定くらいでしか、封魔としては働けないのだ。


 頭が締め付けられる。目が乾いて、息があがる。


 頷くことは簡単だろう。けれど、水竜を倒したことは厄介事じゃない。

 川が溢れ、街が踏み潰される。それを止められるのが勇者だから、大金を積んでいるだけだ。


「……長官。方針は理解しました。ただ、すべてをお隣に持っていかれるのも具合が悪いでしょう。ケーキのイチゴがもらえるように段取りますから、もう少し現場に任せてくれませんか?」


 浴びせられたのは、解剖検体を値踏みするような視線だった。実際、長官からすれば、数ある検体のひとつが反応したようにしか映っていないのだろう。


「ふうん? そこまで言うなら、もう少し待ってもいいけどさ」


 モグイ長官が立ち上がると、音もなく扉が外から開かれる。外には先ほどの男のほか、何人もの白衣集団が直立不動で待ち受けていた。


「期待しているよ、ミズノくん」


 頭を垂れるミズノの上を声だけが通り過ぎていく。アマミャがいなくて良かった、ミズノは思った。


「あぁ、それから。これは封魔部長官としての指示ね」

「はい?」


 顔を上げると、巨大なタイヤが目に入った。見上げると、強大な黒鉄の車に乗る、長官の横顔が見えた。


「市井で亜人が暴れてるみたいだから早く対処してくれないかい? 亜人くらいなら、遠縁勇者の君でもやれるでしょう?」

「……承知しました」


 黒煙を吐きながら走り去る装甲車を見送ると、いつの間にか横に立っていたアマミャが、顔をしかめて舌を出していた。


「せんせー。いつかあいつ、ハンバーグにしましょう」

「あれだけ勇者を引き連れたやつをか? 無理だろ」


 実際、支出が減るとなれば、喜んで協力する勢力すらいるだろう。悪い魔物が勇者に倒されても、エンディングは始まらないのだ。


「市民は迅速確実を求めているーー、か」


 喜びに浸れれば、どれだけ幸せなことか。ミズノだってささやかに祝杯をあげたいし、アマミャにケーキでも買ったっていい。


 けれど、報奨金という名の請求書は消えないのだ。


「あぁ……気が遠くなる。胃が痛い」

「胃に効く漢方、ありましたかねえ」


 ともかく、目の前の課題を処理するしかない。まずは業務指示を果たして、猶予を請うしかないのだ。


 ミズノは水竜案件に保留のラベルを貼り付け、亜人の元へ向かうために、無線を取った。


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