第十五話:堺
仁斎が「権威への投資」と位置付けた、朝廷工作。
その実態は、金の力で、文字通り、権威を買い取るという、極めて即物的なディールであった。
荒れ果てていた御所の修繕費、何年も滞っていた祭事の復興費、そして、有力な公家たちへの、贈答という名の、あからさまな現金供与。
羽柴家の蔵からは、凄まじい勢いで、黄金が消えていった。
「仁斎!」
大坂城の政務室に、秀吉の怒声が響き渡る。
「金が足らぬ! 城の普請も、帝へのおもてなしも、金がかかりすぎるわ! このままでは、蔵が空になってしまうぞ!」
秀吉は、巨大な日本の地図を、拳で叩いた。その指が、示すのは、和泉国の、海に面した一つの町。
「堺の商人どもは、たらふく溜め込んでおるわ。奴らに、百万貫なりと、御用金を命じよ! 逆らうなら、焼き払うまでぞ!」
それは、力で全てを解決してきた、武人としての、あまりに自然な発想だった。
『まただ…。この男(秀吉)の発想は、かつての上様(信長)と、全く同じだ。史実では、信長も、秀吉も、結局は、力で堺をねじ伏せ、その自治を奪った。結果、堺は、一時的に、その活力を失うことになる。…愚かな。金の卵を産む鶏の腹を裂いてどうする。俺がやるべきは、その鶏を、もっと、大きく、強く、育てることだ』
だが、仁斎は、静かに首を横に振った。
「殿下、お待ちください。それは、金の卵を産む鶏の腹を、自らお裂きになるようなものにございます」
秀吉が、怪訝な顔で仁斎を睨みつける。その視線を意にも介さず、仁斎の脳内スクリーンが、ターゲットの真の価値を映し出す。
【対象:堺(自治都市)】
資産(Assets):南蛮貿易ネットワーク 95、火縄銃生産能力 90、金融機能(会合衆)92、流動資産98
負債・リスク(Liabilities & Risks):中央政権への帰属意識 20、排他的な自治プライド 80
定性コメント:極めて高いポテンシャルを持つ、独立系ベンチャーキャピタル兼・技術開発拠点。強引な買収(支配)は、その企業文化(自治)を破壊し、価値を大きく毀損する。“業務提携”の形でグループに組み込むのが最適解。
『この男には、まだ見えていない。堺の価値が、蔵の中の黄金ではないということが』
仁斎は、秀吉に向き直った。
「堺の真の価値は、蔵に積まれた黄金ではございません。彼らが持つ、南蛮との繋がり、物を生み出す技、そして、銭を動かす仕組みそのものにございます。それを、力で奪えば、堺は、ただの焼け野原となりましょう」
「では、どうしろと申すのだ! 金は、待ってくれぬのだぞ!」
「奪うのではありません」
仁斎は、静かに、しかし、力強く言った。
「彼らに、羽柴家という、日ノ本最大の仕組みの、一部を担わせるのです。いわば、仲間として引き入れるのでございます」
『単なる資金調達ではない。これは、シナジー効果を最大化するための、戦略的アライアンスだ。彼らの持つ海外ネットワークと、我々の持つ国家の信用力。この二つを組み合わせれば、これまでにない、巨大な利益を生み出せる』
「銭を出させる…だと?」
秀吉は、仁斎の言葉の意味を、すぐには理解できなかった。
「見返りもなしに、奴らが、素直に首を縦に振るものか」
「見返りさえあれば、彼らは動きます」
仁斎は、自信を持って断言した。
「我々は、彼らに、この国で、誰よりも、自由に、そして安全に商いができるという、お墨付きを与えるのです」
数日後。
堺の、最も大きな会合所。
仁斎は、殿下の名代として、ただ一人、堺の会合衆と、対峙していた。
商人たちの顔には、緊張と、恐怖の色が濃く浮かんでいる。彼らの代表である、老獪な大商人・今井宗久は、覚悟を決めたように、固く目を閉じていた。誰もが、秀吉からの、過酷な御用金の要求を待っていた。
『史実の「朱印船貿易」は、幕府による、上からの“許認可事業”だった。だが、俺が作るのは、違う。国家と、民間が、共同で出資し、共同で利益を追求する、官民一体の**“ジョイント・ベンチャー”**だ。彼らを、単なる、納税者ではなく、事業の、当事者にする。その意識の違いが、生み出す利益を、何倍にも、増幅させる』
仁斎の口から発せられたのは、彼らの想像を、遥かに超える言葉だった。
「皆様に、一つ、商いのお話がございまして、参上いたしました」
仁斎は、懐から、一枚の書状を取り出した。
「皆様の船に、殿下の『朱印』を与える。これを持つ船は、羽柴家の保護下にあるものと見なし、何人たりとも、その交易を妨げることは許されない。海賊行為も、諸大名による不当な津料や口銭も、全て、我らが取り締まります」
「……!」
商人たちが、息を呑む。それは、彼らが、夢にまで見た、安全な交易の保証だった。
「その見返りとして、皆様には、交易で得た儲けの一部を、冥加金として、羽柴家へ納めていただきたい。そして、我らの行う、治水や街道整備といった、国の礎を築く普請へ、お力添えを願いたいのです」
それは、支配ではなかった。奪うのでも、脅すのでもない。
共に、利益を生み出しようという、対等な「事業提携」の提案だった。
今井宗久は、目の前の、若く、そして、底の知れない男を見つめた。
この男は、織田信長とも、秀吉とも違う。力で奪うのではなく、理で、利で、人を動かす。
それは、商人である彼らが、生涯をかけて追い求めてきた哲学そのものだった。
宗久は、震える手で、差し出された書状に、指を伸ばした。
「…お話、詳しく、お聞かせ願えますかな」
その声は、武士の時代に、新たな「経済」という名の風が吹き始めたことを、確かに、予感していた。
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