Scene8 ―― こうするしかなかった
「美青。今までありがとね」
「待って……!!」
駆け寄ろうとする鈴音に微笑みかけて、楓は手錠を手に持った。躊躇することなく自らの左手首に押し当て……。
「そうはさせない」
五十嵐が彼女の右腕を素早く掴んで止めた。驚いて振り返る。
「会長……」
そして、にやりと口の端を引き上げた。
「来てくれると思ってました」
カチャリ。一瞬のことだった。気が付けば五十嵐の右手首に手錠がかけられている。
「え?」
五十嵐は困惑して自分の手と、そこにかかる手錠を見つめ考えた。どういうことだ、楓の腕を掴んでいたはずなのに。一体どうやって……?
「だめですよ、油断しちゃ。簡単に抜けましたよ?」
後ろから手首を掴まれた場合、肘を身体に引き付けるように曲げながら手首をひねることで逃れることができる。親指と人差し指の指先の方向に力をかけると離れやすいとはいえ、成人男性が本気で掴んでいれば楓のように非力な女子にはどうすることもできなかったはずだ。
「楓……? どういうことだ?」
事態が飲み込めていない五十嵐を後目に楓はクスクスと笑う。
「ありえないですね。この私が、誰かのために死ぬなんて」
皆が驚きで黙り込む中、楓は楽しそうな口調で続けた。
「時雨には自分か仲間か、誰か一人を生贄にしろと言われました。時雨は悩み苦しむ様を見たかったようですけど、答えなんて始めから決まってますよねぇ。この世で唯一大事なのは、自分の命、それだけですよ」
五十嵐は目を閉じ、そのまま時間が過ぎていく。実際には数秒に満たないその静寂が、重く長く垂れこめる。
「……それで、俺を」
「はい。この中で一番つきあい短いですし。謝るつもりはありません。恨むなら恨んでもらってけっこうですから」
夕日を背に立つ楓は、可愛らしく微笑んだ。
「それでも会長のことは、信頼していたんですよ? 私を止めに来てくれなければ、この計画は成功しなかったですからね」
微笑む天使のような悪魔。その瞳には無邪気さ故の狂気があった。己の正義を貫くためならば、彼女はどんなことでも躊躇などしないだろう。
「ありがとうございます。私達のために死んでくださいね」
背を向けようとする楓の腕を五十嵐が掴んだ。
「待てよ!」
楓はそんな彼を冷たく横目で見据える。
「いや、その……やめてくれとか、言うつもりはないけど」
と口ごもって手を離した。
「なぁ、時雨。お前は、……お前はこれでいいのか?」
助けを求めるように、腕を組んで立っている時雨を仰ぎ見る。時雨は小さく息を吐き出した。
「楓。それがお前の答えか」
やや沈黙の時間が流れる。重苦しい空気を楓の澄んだ声が切り裂いた。
「はい。彼を人質として差し出します。騙すような真似をしたのは、最も効率よく拘束するためです。他に方法があるんじゃないかとか、開き直って私が犠牲になれとか言われたら面倒なので」
時雨はゆっくり頷いた。そして五十嵐に語り掛ける。
「そういうことだそうだ。残念だったな」
「おい、質問に答えてないぞ。お前はこれでいいのかって聞いてんだ」
感情を抑えた静かな声で返した。軽く首を傾げる時雨。
「いいも悪いもないさ。俺は君達の意思に従うまでだ」
「……分かったよ。それなら、俺が人質になる。だから最後に一つ、教えてくれ」
一瞬迷ったような素振りを見せたが、時雨はすぐに微笑を浮かべ両手を広げた。
「いいだろう。俺とお前の仲だ、特別に正直に答えてやる」
「なんで俺達は、対立しなきゃいけなかった? いつからこうなったんだよ?」
「一つじゃなかったのか?」
揚げ足を取る時雨に一歩近づく五十嵐。ジャラリと手錠に繋がる鎖が音を立てた。
「最後なら……ちゃんと話しておきたい。こっちに来いよ!」
決して怒鳴っているわけではないが、彼の声には鬼気迫るものがあった。時雨は黙ったまま、ゆっくり五十嵐に近づく。楓はそっとその場を離れ、二人のために場所を開けた。
向かい合って立つ時雨と五十嵐。
「……久しぶりだな。時雨」
「そう、だな」
「こんな形で会うことになるとは思ってなかったよ。なぁ?」
「何が言いたい? 言っとくがな、お前が選ばれたからって俺が爆弾を解除するなんて思うなよ」
五十嵐はふっと笑った。
「一瞬それも考えたが……お前なら情に流されて計画を変えるなんてことは絶対しない」
時雨もにやりと笑う。
「流石、よくお分かりで」
「だからまぁ、どうするかってことだが……」
一瞬のことだった。大きく前に踏み込んだ五十嵐が時雨を抱きしめる。驚く時雨の耳元で囁いた。
「こうするしかなかったわけだ」
ジャラリ、と鎖が鳴る。




