Scene1 ―― それが、君の答えか?
「あぁー……。痛いなぁ」
首筋を擦りながら時雨は微笑んだ。全然痛そうに聞こえない。
「やっぱ効かないですか。位置は悪くなかったはずなんですけど」
鈴音を背後に回して時雨と向かい合った。右手には黒紫館で男から奪った包丁を握っている。もちろん刺したわけではない、柄で思いっきり殴っただけ。首には人を気絶させるツボ的なものがあるのだが、そこを狙い振り下ろした。外していないはずだ。なにしろ私がここに到着した時、時雨は鈴音しか見ていなかった。あんなに隙だらけな相手に失敗などするはずがない。
それなのにたいしてダメージが入っていないということは、単純に私の力が弱かったか、時雨がそれなりに鍛えているかのどちらかだ。……いや、両方か。
「流石にそっちで刺されたら死んでいたかもしれないね。まぁ、その場合は殺気とかで分かったんだが」
あれ、もしかして強がりか? 今まで全く掴みどころがなかった時雨だが、急に会長と似た雰囲気を感じた。
「人を傷つけるのは趣味じゃないんで」
「そうか、それは残念。君には少し期待をしていたんだけどな」
私に期待? 何が起きてもすぐに動けるよう身構えながら、少しずつ時雨と距離を取った。
「どういうことですか」
私の問いに時雨は唇を歪ませ目を細める。ゆっくりと囁いた。
「似てるだろう。君は、俺と」
その声色にぞっとした。この人は、根本的に冷酷だ。そんなことを思ってしまう。
「いいえ。似てません」
冷たい瞳を見つめて、きっぱりと否定した。そのまま数秒が経過する。
やがて時雨はふっと緊張を和らげた。途端に空気が軽くなったように息苦しさが消える。
「それにしても、よくここが分かったな」
「……遊園地で何かの受け渡しがあると聞いた時から気になってました。そんなベタなことするのかって」
時雨は小さく笑った。
「面白いと思わないか?」
首を横に振って答える。
「本当だったら面倒でしたよ。これだけ人がいたら阻止するのは難しかったでしょうから。でも、最初から受け渡しなんてするつもりなかったんですもんね。私たちを集めたかっただけ、劇的で盛り上がるこの場所に」
左腕を鈴音がぎゅっと握っていた。その圧力を、温かさを確かに感じる。もう絶対に離したりしない。少なくとも、危険な目には遭わせない。
「会長……五十嵐さんが言ってましたが、あなたは私たちにヒントを与えてくれてるそうですね。受け渡しをするという情報も、あえて流したんでしょ。それなら、そこから連想されるのは……」
一瞬言葉を切ってから言い放つ。
「真実はいつもひとつ! ってことですかね」
時雨が少しだけ嬉しそうに微笑んだ気がした。鈴音はきっとこれ知らないんだろうな。有名な名探偵の有名なセリフなんだけど。
「ふふ、悪くない。でもね……答えは一つとは限らないんだよ」
言い終わると同時に、時雨は右腕に着けていた腕時計に触れた。右手に時計……?
ピッ――。
嫌な電子音がかすかに聞こえた。はっとして振り返る。
「彩花?」
首を傾げる鈴音が持つタブレット、もしかしてこれがどうにかなるんだろうか。
「ちょっと見せて」
受け取って電源をいれようとした時、裏から白い煙が細く立ち昇っているのに気がついた。時雨に視線を戻すと彼はにやりと笑う。
とっさに水中に投げ捨てていた。パシャン、とかわいた音をたてて沈むタブレット。
「え!?」
驚いた鈴音が乗り出して見つめる中、水中でぴかりと閃光が走る。
「え、なに? なに、今の」
「あの中のデータをいつでも消せるようにしてあったってことだよ。破壊してさ」
物理的にタブレットを壊して中のデータを取り出せないようにする。確かにそれが一番確率かもしれない。せいぜいショートする程度だろうとは思うが、手の中で爆発してほしくはないな。
「彩花、ありがとう」
「ううん。ごめん、なにも……できなくて」
鈴音はにっこり笑った。
「さっき来てくれて、嬉しかったよ」
ほんと、かわいい子。この笑顔だけは守りたいと思った。
「随分仲が良いようだね」
冷たい一言で一気に気温が下がる。時雨の存在を一瞬忘れかけていた。
「申し訳ないけど、美青とやらは俺が預かるよ。あ、そうそう、君にも聞いておかないとね。本当の名前」
決して早口なわけではないのに、口を挟ませない時雨。思わず名乗りそうになるほど自然な口調だった。つくづく恐ろしい男だ。
「彩花ですけど。それに美青は渡しませんよ」
私の返答に時雨は溜息をつく。ゆっくり首を横に振った。残念だとでも言うように。
「それが、君の答えか?」
その問いに息を呑んだ。私の言葉で何かが変わると、それで私たちの末路が決まると、そう言われたような気がした。




