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都市伝説は、忘れられた名前に届く  作者: オカノヒカル
第6章 【塵塚怪王】 ちりづかかいおう
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49/61

■第49話「拾えなかった声」


 本文を開く。


────────────────────────────

差出人:不明

件名:クエストNo.0006『塵塚の空席』任務失敗

本文:

声なき声は、まだ拾われていない。

見えなかった「ひとり」は、元の場所へ戻らなかった。


捨てられた言葉は、別の空席を満たし続けている。

────────────────────────────


 内容を読んで、背中に嫌な汗が流れる。


 失敗?

 雪花は救われ始めている。被服部に通っている。少しずつだが、居場所を得つつある。あの子は「いなかった人」から「いてもいい人」に変わり始めた。


 なのに、失敗。


 疑念がよぎった。このクエスト文は、最初から二つの空席を指していたのか。それとも、俺が片方しか見えないことまで計算されていたのか。


 ——今はそれより先に、考えるべきことがある。


 なら——誰が、まだ戻れていない?


 【別の空席を満たし続けている】


 別の空席。

 その言葉が、頭の中で反響した。


 空席は、教室の机の落書きだけじゃなかったのか?!


 その瞬間——今まで保留していた全部が、一気につながった。


 初狩のスマホにひっきりなしに届き始めた通知。

 二学期に入ってから変わった絵柄。

 『"わたしっぽい"って便利な言葉ですね。そのせいで、盗まれやすくもなるのに』

 コメント欄に積もる塵のような言葉。

 夏休み中に見た、初狩の画風に酷似したアカウント。

 事務的なメッセージ。散漫なペンの動き。スケッチブックを閉じる乱暴な手つき。スマホの通知を見て伏せる初狩。


 ——全部、最初から見えていた。


 雪花の机には、無数の文字が捨てられていた。

 初狩の心の中にも、同じように無数の言葉が投げ込まれていた。


 模倣。比較。評価。「雰囲気変わった?」。「流行り寄せた?」。「AIっぽい」。「前の方が好き」。


 どれも単体では小さい。悪意を立証しにくい。だからこそ、塵みたいに積もる。


 クエスト文の「空席」を、初めて別の意味で読んだ。

 あれは教室の席のことじゃなかった。初狩の中に空いた——「自分の絵でいられる場所」のことだったのだ。


 スマホを取り出して、初狩の投稿サイトを開いた。

 新しい絵が上がっていた。

 今日、被服部で見たのとは別の完成版。SNS向けに仕上げたもの。

 上手い。

 強い。

 反応も多い。

 でも、もう完全に違う。


 夏休みに見た変化が、さらに一段進んでいた。透明感は完全に消えていた。代わりにあるのは、流行の色彩設計。トレンドの構図。SNS映えを意識した視線誘導。技術的にはむしろ前より洗練されている。

 コメント欄を見た。


——「新境地じゃん」

——「こっちの方が好き」

——「今っぽくなった」

——「前より洗練された」


 褒め言葉だった。

 前の絵に向けられていた「方向性変わったね」「前の方が好きかも」という微妙な反応が消えて、代わりに肯定のコメントが並んでいる。いいねの数も増えている。


 そしてその下に、別の種類の投稿が混じっていた。

 リプライ欄。初狩の絵に対して、別のアカウントが画像を添付している。一件ではない。三件、四件。それぞれ別のアカウントから、初狩の絵と並べるように貼られた画像。


 構図が似ている。色味が似ている。キャラクターのポーズまで似ている。

 でも、どれも初狩の絵ではない。


 最初は模倣アカウントかと思った。谷上先輩の件と同じ、人間の手による模倣。だがアカウントのプロフィールを見て、わかった。「生成AIを使用してイラストを作成」と書いてある。


 初狩の画風を学習させた生成AIの出力。それが、初狩本人のリプライ欄に見せつけるように貼られていた。

 プロフィール欄に書いてなければ、俺には区別がつかなかった。

 色の置き方も、光の拾い方も、構図の取り方も。初狩の絵を何十枚も見てきた俺が見ても、どちらが本人の手によるものか、即答できない。


 コメントがついている。


——「本家と並べてみた」

——「AIでもここまで出せるんだ」

——「どっちがどっちかわかる?」


 悪意なのか、無邪気な実験なのか、境界が曖昧だった。たぶん貼っている側の大半は、初狩時雨という人間を傷つけようとしてやっているわけじゃない。「面白いから」「技術の実験として」「比較してみたかっただけ」。雪花の机と同じだ。誰かの場所に、軽い気持ちで言葉を——今度は絵を——投げ込んでいる。


 だが、それだけじゃなかった。


 スクロールを続けて、息が止まった。

 初狩が画風を変えた後の——つまり、今の絵柄に近いタッチのAI生成画像も、すでに出回り始めていた。

 前の画風を学習されたから、変えた。

 変えた先の画風も、もう学習されている。


 逃げた先に、追手がいた。しかも追手は人間ではない。学習速度に終わりがない。初狩がどこへ逃げても、AIは数日で追いつく。画風を変えるたびに、新しい画風が素材として吸い上げられ、また量産される。


 そしてもっと嫌なことに気づいた。


 初狩が自分の絵から「自分っぽさ」を削れば削るほど、残るのは技術だけだ。構図の正確さ、色彩の整合性、破綻のないバランス。——それは、AIが最も得意とする領域だった。


 初狩が逃げた先は、AIの出力と区別がつかない場所だった。


 「自分らしさ」を守るために変えた絵が、「自分らしさ」を捨てたことで、AIと同じ土俵に立ってしまっている。コメント欄に並んだ「洗練された」「今っぽくなった」という褒め言葉は、裏を返せば「誰が描いても成立する絵になった」ということだ。


 これが地獄だった。


 初狩が逃げるために壊した絵が、外からは高評価されている。自分を守るために「自分っぽさ」を削り落とした結果が、「進化」として受け入れられている。そしてその「進化」した絵は、もうAI生成との境界が曖昧になっている。本人が失ったものだけが、誰にも見えない。


 初狩は壊れてから絵を変えたんじゃない。


 壊れないために、自分の絵を先に削り始めていた。真似される前に、真似されやすい部分を自分で切り捨てた。そしてその逃走は、もう帰れないところまで行ってしまった。——外からの評価が「こっちの方がいい」と言い、AIが逃げた先まで追いかけてくる以上、元に戻る道がない。


 雪花には手を伸ばした。居場所を渡した。間に合った。

 でも初狩には——違和感を見ていたのに、「まだ大丈夫だろう」で止まった。模索中なんだろう。向上心の表れだろう。そう解釈して、保留した。


 本当のクエスト対象は、そっちだったのに。

 失敗の理由は、気づかなかったことじゃない。

 気づいていたのに、間に合うと思ってしまったことだ。


 スマホの画面の中で、初狩の新しい絵が光っている。上手くて、強くて、今っぽくて、「初狩時雨」の面影がどこにもない。コメント欄には「素敵」「好き」「応援してます」が並び、その下にAI生成の模倣画像がぶら下がっている。

 その全部が、初狩の心を削った塵の上に成り立っている。


**


 REXの薄暗い店内で、古いゲーム筐体のシルエットが並んでいる。


 オボロが、筐体の上に音もなく現れた。白い毛並みが、モニターの残光をかすかに反射している。


『……拾えなかった声は、重いぞ』


 静かな声だった。いつもの軽口でも皮肉でもない。ただ、事実を置くような声。


 俺は答えなかった。


 雪花は、少しだけ元の場所へ戻れた。

 被服部の窓際の椅子に、彼女の定位置ができた。そこにいる自分は、もう「いなかった人」ではない。


 でも初狩の中には、もう誰も座れない空席ができていた。

 自分の絵が自分のものであるという、当たり前の場所が。

 その空席に、俺は気づいていた。気づいていて、見ないふりをした。


 クエストは失敗だった。

 助けたつもりでいた相手の横で、もう一人の「見えなかったひとり」を、俺は見逃していた。



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