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■第4話「廃墟ゲーセンと白い狐」


「倒産したゲーセン。半ば廃墟だけど、叔父が持ってたPCが放置されてるんだ」

「誰もお使いにならないんですか?」


 俺が前を歩き、初狩はつかりが三歩ほど後ろをついてくる。自転車を押しながらの会話は、妙にぎこちなかった。


「所有者の叔父は夜逃げして行方不明。今じゃ朽ちるのを待つだけの代物だ」

「スペックは? PCで絵を描くとなると、そこそこ必要なんですよ」

「叔父が自慢してたスペックの自作機だから、たぶんまだ動くと思う。少なくとも事務用のノートよりはマシなはずだ」


 最新ゲームをやるにはキツいが、お絵描きソフトを動かすには十分だろう。


「あなたは使わないんですか?」

「俺はノートPCで十分だよ。小説書くだけだから」

「へえ、小説を書かれるんですね。少し意外でした」


 駅前を抜け、白花センター通り商店街に入る。アーケードの骨組みだけが残った薄暗い通り。シャッターの閉まった店が並び、営業中の灯りはコンビニとファストフード、それに向かいの酒屋の自販機くらいしか見えない。


 頭上を低い轟音が横切った。海自の哨戒機だ。この辺りは下総航空基地が近いせいで、たまにプロペラ機が上空を通る。初狩が一瞬だけ空を見上げて、すぐに視線を戻した。


「高尾クンとは、一応、同じクリエイターということになりますね」


 初狩がぽつりと言った。


「まあ……レベルは天と地ほど違うけどな」

「それは謙遜ですか? あ、社交辞令ってやつですね」


 褒めたつもりだったのだが、受け取ってもらえなかったらしい。


「違うよ。事実だからな。俺は凡才だよ。ネットに投稿してるけど、大した評価ももらえてない」

「ネット投稿されているんですか。何のサイトです?」

「……それは秘密で」

「ふうん。まあ、無理に聞きませんけど」


 初狩の声に、ほんの少しだけ興味の色が混じった気がした。気のせいかもしれない。


 商店街の中ほど、ファストフード店の隣に、色あせた看板が見えた。


『GAME CENTER REX』


 文字の一部が剥がれ、『GA E CE TER R X』になっている。シャッターは錆びつき、壁には色褪せたチラシの残骸がいくつか貼りついたままになっていた。


「……ここ、学校でもたまに噂になっている場所ですよね。深夜、誰もいないのにゲームの音がするとか」


 初狩が足を止めて、建物を見上げる。


「そう。丑三つ時に、無人のはずの筐体がひとりでに動くって噂の」

「では、あなたが都市伝説の幽霊ですか?」

「そのへんのネタバラシは都市伝説としては白けるから、内緒にしてくれ」

「承知しております。そのくらいの空気は読めますので」


 裏に回り、搬入口の鉄扉に鍵を差し込む。錆びた金属がきしむ音。


 中に入る前に、初狩がわずかに立ち止まった。


「本当に大丈夫なんでしょうか」

「不安なら、表のシャッター開けておくよ。隣がファストフードだから、すぐに助けを呼べる」

「そこまで仰るなら、信じてみます。ただ、もし変なことをなさった場合、容赦はいたしませんので」


 初狩のトートバッグから、パレットナイフの柄がちらりと覗いた。物理的な意味でも釘を刺されている。


「……了解」


 扉を開け、暗い店内に足を踏み入れた。


「入って。すぐ灯り点けるよ」


 ポータブル電源のスイッチを入れる。昇圧ケーブルを通じて、店内の一部に電気が流れた。


 格闘ゲームの筐体が低いブート音とともに光を灯す。シューティングゲームの画面が青白く点滅し、奥のメダルゲーム機の周囲には散らばったメダルが鈍く光っている。コイン式の占いマシンが、誰にも求められていない怪しい照明をぼんやり放っていた。


 初狩が目を見開いた。


「……すごい。本当にゲームセンターなんですね」

「元、な。もう十年も前に閉まった店だ。ゲーセンなんてオワコンだからな」

「雰囲気がありますね。この朽ちた感じ、嫌いじゃないです」


 意外な反応だった。もっと怖がるか、汚いと嫌がるかと思っていたのだが。


「こっち。受付のカウンターに例のPCがある」


 カウンターの裏に回る。埃をかぶったデスクトップPC。モニターは十年前のものにしては大きく、叔父がこだわっていたらしい形跡がある。


 電源を入れると、ファンが低く唸り、わずかな間を置いてOSが立ち上がった。


 初狩は椅子に座るなり、慣れた手つきでタスクマネージャを開き、メモリとCPUの数値を一瞥した。


「十年前のパーツにしては、まだ余裕がありますね。バージョンは古いですけど……お絵描きソフトも入ってます」


 初狩が椅子に腰かけ、マウスに手を伸ばす。ソフトを立ち上げ、新規のキャンバスを開いた。


 マウスが画面上を走る。一本の線が引かれた。細く、少しだけ震えた線。でも、確かに「描く」という行為がそこにあった。


 初狩の手が止まる。


「……明日、家にある板タブを持ってきてもいいですか?」

「板タブ?」

「はい。PCは没収されましたけど、周辺機器までは親も気にしなかったみたいで。板タブだけは手元に残っているんです」


 ああ、ペンタブレットのことか、と俺はすぐに理解する。


「なるほど。使えるなら、その方がずっといいな」

「マウスよりは、かなりマシになります。さすがに紙と同じとはいきませんけど」

「好きに使えばいい。どうせ誰も使ってないんだ」

「……ありがとうございます」


 小さな声だった。ほとんど聞こえないくらいの。


 俺は何も言わず、カウンターを離れて格ゲーの筐体の前に座った。レバーを握ると、ようやくいつもの日常に戻った気がした。


 初狩はマウスで何かを描き続けている。マウスを滑らせる微かな擦過音と、合間に挟まるクリック音が、ゲームのBGMの隙間に混じる。


 しばらくの間、どちらも口を開かない。


 ゲーム機の電子音と、マウスのクリック音だけが、埃っぽい店内に響いている。


 悪くない、と思った。


**


 どれくらい時間が経ったのか。メール着信の通知音がする。


「……あれ? なんかメールが来ましたよ」


 初狩の声に顔を上げると、彼女が手招きしている。


 俺は筐体を離れてカウンターに戻り、画面を覗き込んだ。


────────────────────────────

差出人:不明

件名:クエストNo.0001『座敷童は"いない子"の影』任務完了

本文:

失われた居場所は、ひとつ取り戻された。

“いない子”は、もうひとりではない。


救済は確認された。

────────────────────────────


「任務完了……?」


 初狩が首を傾げて俺を見る。


「昨日、このPCに謎のメールが届いたんだ」


 俺は昨日のクエストメールの件を手短に説明した。そしてメールそのものを見せる。差出人不明。クエスト形式。ミッション内容は「絵の具くさい子を救え」。


「要するに、わたしがその"絵の具くさい子"ということになるんですね。あまりありがたくない呼ばれ方ですが」


 初狩が眉をひそめて俺を睨む。


「俺がつけた名前じゃないって」

「それで、今日わたしを助けたから"任務完了"ですか。随分と安直なミッションですこと」

「安直かどうかはともかく、タイミングが出来すぎてるんだよな。あのクエストが届いたのは昨日で、今日ちょうどお前が絡まれてるところに出くわした。偶然にしては——」

「都市伝説の噂とも連動していますよね」


 初狩が口を挟んだ。俺が言おうとしていたことを先回りされた。


「この"いない子にされる"という都市伝説、わたしが漫研と美術部を追い出されたタイミングで急に広まったんです。それ自体が、誰かの意図で作られたものだとしたら」

「初狩に関わると"いない子にされる"——つまり、無視されるっていう脅しか。だから、誰もお前に近づかなくなった」

「はい。都市伝説を利用した、非常に効率的ないじめの手法ですね。なかなかご親切なことで」


 皮肉な口調だが、初狩の分析は鋭かった。


 俺とは違う視点で物事を見ている。俺が構造を分解するタイプなら、初狩は直感で核心を掴むタイプだ。


「心当たりは?」

「さあ。心当たりが多すぎて、絞りきれませんね」

「どんだけ恨まれてるんだよ」

「自覚はありますので」


 初狩は少しだけ口元を緩めた。自嘲に近い笑み。


 その時——


 PCが、もう一度鳴った。


 新着メール。今度は件名が違う。


────────────────────────────

差出人:不明

件名:クエストNo.0002『絶死の呪い』

本文:

【ミッション】無限の選択肢を潰せ。


百目に見られた者は、必ず選択を迫られる。


選ばぬ者は、すべての可能性を抱え込む。

抱えきれなくなったとき、選択肢は刃となるだろう。


もちろん、選ばなければ死は訪れない。


しかし、それは思考を蝕む呪いとなるだろう。

────────────────────────────


 さっき終わったばかりなのに。まだ何も解決していないと言わんばかりに、次のミッションが追加される。


「百目……ですか」


 初狩が画面を見つめている。


「百の目に見られて、選択を迫られる。選ばない者は可能性に押しつぶされる——なんだよ、これ」

「呪いの名前は『絶死』。けれど本文には"選ばなければ死は訪れない"とありますね。矛盾しています」

「選ばないこと自体が、緩やかな死だってことじゃないか?」


 言ってから、自分の言葉に引っかかった。


 選ばないことが、緩やかな死。


 それは——俺自身のことでもあるんじゃないか。観測者を気取って、何も選ばず、何にも関わらず、ただ見ているだけの日々。


 考えを振り払うように、俺は画面から目を離した。


「誰が送ってるんだ、これ。LANケーブルは外してあるし、通信機能は死んでるはずなのに」

「差出人不明、通信手段も不明。まるで本当に怪異ですね」

「……まあ、怪異かどうかはともかく、次のクエストが来たってことは——」

「この学校の都市伝説は、まだ続いているということですね」


 初狩がマウスを握ったまま、静かにこちらを見た。


「高尾クンは、これからもこのクエストを受けるつもりですか?」

「……わからない。でも」


 メールの文面を、もう一度読み返す。


 絶死の呪い。無限の選択肢を潰せ。


 また、誰かが苦しんでいるのかもしれない。


「放っておけないだろ。少なくとも、このクエストの裏には、たぶん——」

「誰かの"見えない痛み"がある?」


 俺が言葉を探している間に、初狩が先に答えを出した。


「……そういうことだ」

「でしたら、わたしも手伝いますよ」

「え?」

「PCをお借りする恩もありますし。それに——」


 初狩はスケッチブックを胸に抱え直した。


「都市伝説を使って誰かを消そうとする人間がいるなら、それを描いて残す人間がいてもいいでしょう?」


 描いて、残す。


 なるほど。俺が「観測」するなら、こいつは「記録」するのか。


「……勝手にしろ」

「はい、勝手にいたします」


 不思議な沈黙が落ちた。ゲーム筐体の電子音だけが、ぼんやりと店内を満たしている。


 俺はモニターに背を向け、筐体の前に戻ろうとした。


 その時だった。


 視界の端で、何かが揺れた。


 白い。大きい。店内の暗がりの中、アーケード筐体の影に隠れるようにして——何かがいる。


 全身の毛が逆立った。


 それは白い毛並みを持つ、巨大な獣だった。全長はざっと二メートル。鋭い目つき。そして何より——こちらを見ている。


 狐だ。


 御伽噺に出てくるような、白い妖狐。


 心臓が跳ねる。声が出ない。身体が反射的に強張る。


『いい加減、慣れてもよい頃合いではないかの』


 そいつが、人間の言葉を喋った。


「……っ!」


 俺は後ずさる。初狩の方を見たが、彼女はPCの画面に向かったまま、何の反応も示していない。


 見えていない。こいつは——俺にしか見えていない。


『そう怯えるな。我はお(ぬし)に望まれてここにいる』


 妖狐は尻尾をゆらりと揺らしながら、くつくつと笑った。


『名をオボロという。まあ……長い付き合いになるじゃろうて』


 何を言っているのか、わからない。望まれて? 長い付き合い?


 だが、不思議なことに——恐怖は最初の一瞬だけだった。


 こいつの声を聞いていると、肩に入っていた力が、知らないうちに抜けていた。まるで、ずっと前から知っていた相手と再会したような、奇妙な安堵。


 気のせいだ。そう思いたかった。


『さてさて。次のクエストは"百目の絶死"か。なかなか物騒な名じゃの』


 オボロの鋭い目が、PCのモニターに向けられている。


『……面白くなってきたのぅ。だが、これは"ゲーム"ではないぞ?』


 その言葉の意味を問い返す前に、オボロの姿は筐体の影に溶けるように消えた。


 残されたのは、格ゲーの電子音と、マウスのクリック音と、俺の鼓動だけだった。


「高尾クン? どうかしましたか?」


 初狩が怪訝そうにこちらを見ている。


「……いや。なんでもない」


 なんでもない、はずがない。


 今、確かに白い狐がいた。人の言葉を喋る、誰にも見えない狐。


 だが——初狩の前でその話をするわけにはいかない。頭のおかしい奴だと思われるのがオチだ。


 俺は努めて平静を装い、筐体の前に座り直した。


 レバーを握る手が、わずかに汗ばんでいる。


 廃墟ゲーセンの暗がりの中で、二つの画面だけが光っている。格闘ゲームの筐体と、古いデスクトップPCのモニター。


 そこに映る新しいクエストの文字が、静かに俺たちを待っていた。



第一章【座敷童】完結です。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

次回より第二章【百目】に入ります。

続きも読んでみたいと思っていただけましたら、ブックマークやリアクションで応援していただけると嬉しいです。

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