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都市伝説は、忘れられた名前に届く  作者: オカノヒカル
第5章 【ドッペルゲンガー】
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■第34話「量産型の恐怖」


 通知が止まらない朝は、悪くない。


 谷上瑠璃は布団の中でスマホを持ち上げ、片目で画面を確認した。昨夜TikTokに上げたメイク動画の再生数が、寝ている間に四桁を超えていた。コメント欄を開く。


 ——『参考になる! 明日やってみる』

 ——『涙袋の作り方天才すぎ』

 ——『この子のメイク真似してから褒められるようになった』


 口角が上がる。ベッドから出る前の、まだ顔も洗っていない時間。パジャマのまま、前髪だけ指で整えてインカメラを起動した。画面に映った自分を確認する。目の下のクマ、まだ残ってる。でも素のままのこの顔も、これはこれで。


 自撮りは撮らない。今の顔は「見せる用」じゃないから。


 瑠璃はコメント欄をもう一度スクロールした。『参考になる』は嬉しい。でも、一番嬉しいのはそこじゃない。


 ——『やっぱりるりの感じが好き』

 ——『真似してみたけどるりちゃんにはならないw 本家はやっぱ違う』


 これだ。


 「真似したい」じゃなくて、「真似しても追いつけない」。その差分が、谷上瑠璃を谷上瑠璃にしている。誰にでもできるなら、やる意味がない。あたしがやるから意味がある——そういうコメントが並んでいるうちは、まだ大丈夫。


 布団を蹴って起き上がり、洗面台へ向かった。鏡の前で顔を洗い、タオルで拭いて、もう一度自分の顔を見る。まだ何も塗っていない肌。ここからが、あたしの仕事だ。


 今日のメイクは、三十五分で仕上げた。



**



 午前の補習で教室に入ると、空気が少し変わっていた。


 変わった、というより——視線が増えていた。


 「あ、瑠璃。昨日の動画見た」


 席に着く前に、隣のクラスの女子に声をかけられた。廊下ですれ違った後輩にも「谷上先輩のリップ、同じの買いました」と言われた。補習の合間の休憩時間には、いつもは話さないグループの子が『あの巻き方ってどうやるの?』と聞きに来た。


 悪い気はしない。むしろ、気分がいい。


 瑠璃は休憩時間の教室で、スマホを開いて自分のアカウントを確認した。フォロワーが三日で百人以上増えている。リポストも伸びている。動画を一本上げるたびに、数字が目に見えて動く。


 補習の教室の窓際で、同じクラスの女子三人がスマホを覗き込んで笑っていた。


「これ、るりちゃんっぽくない?」

「わかる。てかこの色、昨日のやつと同じじゃん」

「あたしもこの系統にしよっかな」


 瑠璃の耳に入った。


 悪い話じゃない。真似されるくらい伸びたってことだし。影響力がある証拠だし。


 ——小さな引っかかりが、胸の奥でちくりとした。でも、気のせいだと思った。



**



 異変に気づいたのは、三日後の午後だった。


 動画のおすすめ欄をスクロールしていたとき、指が止まった。


 自分の投稿だと思った。サムネイルの色味、構図、前髪の流し方。一瞬「あ、これあたしのやつ」と思ってタップした。


 違った。


 別のアカウント。知らない名前。フォロワーは三百人くらいの、たぶん同年代の女の子。メイクの系統が似ていた。リップの色、涙袋のハイライトの入れ方、カメラの角度。完全に同じではない。でも、サムネイルだけ見たら区別がつかない。


 スクロールを続けた。


 もう一人。また一人。髪の巻き方が同じ。眉の描き方が同じ。背景に映る部屋の雰囲気まで、どこかで見たことがある感じに寄せてある。


 瑠璃は、自分のタイムラインの中に自分が増殖しているような感覚を覚えた。


 ——まあ、流行ってるってことでしょ。


 そう思おうとした。メイクに正解はないし、参考にされるのは嬉しいことで、真似されるのは影響力の証明で。


 でも。


 指が、自分の最新動画に戻った。再生した。画面の中の瑠璃を見た。


 綺麗に撮れている。メイクも崩れていない。照明の当て方も工夫した。完璧だと思っていた。


 さっきスクロールした五人の動画と、何が違うのか。


 ——答えが、すぐには出なかった。


 それが、一番怖かった。



**



 夏休み中でも、学校は午前の補習と部活動でかなりの人数が出入りしていた。


 谷上瑠璃が用事があって登校した、その日の昼過ぎ、二階の女子トイレで彼女はスマホを構えた。ここの鏡は照明の位置がいい。蛍光灯が白すぎず、窓からの自然光が斜めに入って、肌の色が実物に近く映る。新しい動画のイントロに使えるカットを撮るつもりだった。


 今日のメイクは、かなり当たりだった。


 朝、鏡の前で最後にチークを入れたとき、「今日のこの顔、好き」と思えた。そういう日は滅多にない。だからこそ、今日撮っておきたかった。


 インカメラを起動して、角度を合わせる。顎を少し引いて、視線をレンズのほんの少し上に。前髪を指で流して、口角をほんの一ミリだけ上げる。


 録画ボタンを押した。


 三秒。


 鏡の奥に、もう一人映っていた。


 トイレの入口から入ってきた女子が、瑠璃の斜め後ろで髪を直していた。同じ学校のジャージを着ている。瑠璃より少し背が低くて、髪はセミロングで、前髪の分け方が——。


 同じだった。


 リップの色も近い。涙袋の下にうっすらハイライトが入っている。グロスの艶。眉の角度。


 完全に同じではない。でも、系統が同じだった。鏡の中で、瑠璃の顔とその子の顔が並んで映っている。


 もう一人、入ってきた。手を洗いながら、鏡を覗き込む。この子も前髪の流し方が似ている。


 三人の顔が、鏡の中に横並びになった。


 瑠璃は録画を止めた。


 画面を確認する。再生する。自分の顔が映っている。メイクは崩れていない。照明も角度も完璧。


 でも、画面の端に映り込んだ二人の存在が、自分の顔の輪郭を溶かしているように見えた。あたしの隣に「あたしっぽい子」が二人いるだけで、画面の中の「谷上瑠璃」が急に薄くなる。


 削除した。


 もう一度、インカメラを起動した。角度を変えた。撮った。確認した。さっきの子たちがまだ鏡の前にいて、背景に映り込んでいる。


 削除した。


 もう一回。今度は鏡ではなく、窓際に移動して自然光だけで撮った。背景は空。誰も映らない。これなら。


 再生した。


 ——あたしの顔だ。間違いなくあたしの顔だ。


 なのに、さっきまでの「当たり」の感覚が消えていた。朝、あんなに好きだと思った今日の顔が、ただの「この系統のメイクをした女子」に見える。


 瑠璃は三度目の動画も削除して、スマホをスカートのポケットに押し込んだ。


 トイレを出た。廊下の空気がぬるかった。汗の匂いと、誰かの日焼け止めの甘い匂いが混ざっている。部活帰りの女子たちが何人か廊下を歩いていて、そのうちの一人がすれ違いざまにこちらを見た。


 目が合った。


 その子のリップの色が、今日の瑠璃と同じピンクベージュだった。


 瑠璃は目をそらした。相手はすぐに友達とのおしゃべりに戻っていった。気にしてもいない。当然だ。ただ流行りのリップを塗っていただけだ。


 ——わかってる。わかってる。


 誰も悪くない。真似してるつもりすらない子がほとんどだ。流行に乗ってるだけ。あたしだってそうやって今の自分を作ってきた。誰かの真似から始めて、選んで、重ねて、削って、ようやく「あたしっぽさ」にたどり着いた。


 でも、その「あたしっぽさ」が、街角に並ぶチェーン店みたいに増えていく。


 どこに入っても同じ味。同じ照明。同じ内装。


 ——量産型。


 コメント欄で見かけた単語が、喉の奥に引っかかった。


 この前、友達の前で「あたしのドッペルゲンガーいるんだけど」って笑って言った。あの時は冗談だった。ウケたし、場も回った。


 ——今は、笑えない。


**



 その夜、瑠璃はベッドの上でスマホを開いた。


 自分のアカウントの最新投稿を確認する。三日前に上げた動画。再生数はまだ伸びている。コメントも増えている。


 ただ、コメントの色が変わり始めていた。


 ——『またこの系統か』

 ——『量産型すぎて誰が誰だかわからんw』

 ——『てか結局どれが本物?』


 全部が悪意ではない。軽口も混じっている。大喜利みたいなノリで書いている人もいる。


 でも、「どれが本物?」という五文字が、目の奥に刺さって取れなかった。


 瑠璃はコメント欄を閉じて、天井を見上げた。部屋の照明が白くて、目が痛かった。


 ——あたしが本物に決まってるじゃん。


 そう思った。思ったのに、その言葉がどこにも着地しなかった。空中に浮いたまま、手触りがない。


 スマホの画面が暗くなる。暗い画面に、自分の顔がうっすら映る。メイクを落とした素の顔。今朝「好き」だと思ったはずの顔。


 瑠璃は画面をタップして明るさを戻し、連絡先を開いた。


 スクロールする。友達はたくさんいる。グループLINEもいくつも入っている。「やばくない?」「ウケるんだけど」で終わる会話ならいくらでもできる相手がいる。


 でも、これを話せる相手は——。


 指が止まったのは、『笹子玲』の名前だった。


 友達、というほど近くはない。でも夏休み前に被服部で少しだけ話したとき、玲は「見せ方」の話を笑わなかった。メイクの意図、色の選び方、どこを見せたいかという話を、ちゃんと技術の話として聞いてくれた。


 あの距離なら、言える気がした。「大丈夫?」と心配されるのは嫌だ。「気にしすぎじゃない?」と笑われるのも嫌だ。ただ、こっちの話をまっすぐ受け取ってくれる相手がいい。


 メッセージを打った。


 『明日、被服部いる? ちょっと聞きたいことあるんだけど』


 送信した。


 既読はすぐについた。


 『おるよ〜。何?』


 瑠璃は返信を打ちかけて、消した。打ち直して、また消した。


 文字にすると大げさになる。「真似されてつらい」と書いたら、自意識過剰みたいだ。「量産型って言われた」と書いたら、ただの愚痴になる。


 結局、短く返した。


 『直接話したい。明日行くね』


 スマホを枕元に伏せた。


 天井の照明を消した。暗い部屋の中で、まぶたの裏にさっきの鏡の光景が残っていた。三人分の顔が横に並んでいる。どれがあたしかは、すぐにわかる。


 ——でも、「すぐにわかる」のは、あたしだけなんじゃないか。


 他の人の目には、三人とも同じに見えているんじゃないか。


 その考えが浮かんだ瞬間、瑠璃は布団を頭まで引き上げた。



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