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都市伝説は、忘れられた名前に届く  作者: オカノヒカル
第4章【覚り】 さとり
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■第32話「終わりの見えないミッション」


 事件のあと、学校は妙なくらい静かになった。


 結局、オンラインがゼロになったあとの投稿が、どうやって行われたかの理由は判明していない。ねむは、自分よりも腕の立つハッカーがいるのだと言っていた。ただ、あれ以降、閉鎖サーバーは沈黙したままだ。


 何もかも元通りになったわけじゃない。黒板のらしさ様の話題がある日を境に誰の口からも消えた、なんて綺麗な終わり方でもない。ただ、少なくともあの気味の悪い流通は止まった。夜の音楽室の黒板写真が、次の誰かの名前で回ることはなかった。


 それだけで、校内の空気はかなり違った。


 篠原先輩は、豹変も崩壊もしなかった。相変わらず生徒会副会長で、書類をきっちり揃えて、教師に頼みごとをされればそつなく返し、朝の挨拶もきちんとしている。


 けれど、前とまったく同じかと聞かれると、やっぱり違った。


 たとえば。


 生徒会室で先輩が新しいボールペンを使っていた。ファンシーな感じの薄いピンク色だった。前の篠原先輩なら、人から貰ったとしても身につけなかった気がする。ネクタイも少しだけ緩んでいるようにも見えた。


「珍しいですね」


 俺がそう言うと、先輩は一瞬だけ手元を見て、それから小さく笑った。


「そうかな」

「はい。もっと"副会長っぽい色"を使う人かと思ってました」

「副会長っぽい色って何」

「知りません。でもたぶん、ピンクではないです」

「ひどいな」


 それだけのやり取りだった。なのにその短い会話が、妙に残った。


 前の先輩なら「たまたまだよ」で終わらせていた。あるいは、そもそもそんな色を選ばない。今回のは本当に小さなことだったけれど、確かに"好きで選んだ"感じがあった。


 仮面を脱いだわけじゃない。ただ、締め上げる力をほんの少しだけゆるめた。そんな変化だった。


 手芸部の斉藤先輩も、サッカー部の先輩も、バスケ部の野崎も、前よりは落ち着いて見えた。完全に元通りではない。でも、どこかでちゃんと息を抜く方法を見つけたのだろう。


 斉藤先輩は部室の前で見かけた時、前ほど身構えていなかった。新島先輩も、グラウンドの端で後輩に何か言ったあと、前みたいに怒鳴り続けることはなかった。野崎先輩に至っては、体育館の出口で会った時に「最近ようやく集中できるようになってきたわ」と、少しだけ気の抜けた顔で言っていた。


 どうやって代わりの逃げ場を見つけたのかまでは、聞かなかった。たぶん、それでよかったのだと思う。それぞれ、自分なりに息を抜く場所を見つけたのだろうし、そこまで俺が知った顔で踏み込む話でもない。


 それでも、あのまま壊れ続けるだけではなかったことは、少しだけ救いだった。


 そうやって小さな変化を拾いながら、二週間が過ぎた。期末テストが終わり、通知表が配られ、終業式の校長の話を右から左に流しているうちに、学校は夏休みに入った。



**


 夏休みに入って、初狩《はつかり》との距離はだいぶ縮まっていた。Xで相互フォローになったのは被服部に入った頃だが、最近はインスタの落書き用の鍵アカウントまで教えてくれた。「フォロワー三人しかいないので、変なこと言わないでくださいね」と釘を刺されたが。


 そして夏休み二日目の昼過ぎ。廃墟ゲーセンREXは蒸し暑かった。


 ポータブル電源で回した扇風機が首を振るたび、ぬるい風が店内を撫でていく。遠くで蝉が鳴いている。古い筐体の影が床に落ちて、夏の光が裏口の隙間から細く差し込んでいた。


 初狩はいつもの席でスケッチブックに向かっていた。被服部の衣装イメージイラスト。色を入れ終えて、最終確認の段階に入っている。ペン先が画面を滑る音だけが、静かに響いていた。最近はデジタルとアナログを使い分けている。衣装デザインを考える場合は、すぐに描ける紙がいいらしい。


 俺は初狩がPCで作業していないことを確認し、立ち上げた。受信箱に新着メールがある。


────────────────────────────

差出人:不明

件名:クエストNo.0004『黒板の覚(さとり)』任務完了

本文:

役割という名の檻には、ひびが入った。

選ばれた仮面の奥にいた者は、見失われずに済んだ。


救済は確認された。

────────────────────────────


 それだけで、少しだけ肩の力が抜けた。誰かに褒められた気分にはならない。そんな綺麗なものじゃない。でも、あの都市伝説がちゃんと一区切りついたことだけはわかる。


「終わったんですか?」


 初狩がスケッチブックから顔を上げずに言った。メールの着信音が聞こえたらしい。


「一応な」

「一応、ですか」

「すっきり大団円って感じではないだろ」

「まあ、それはそうです」


 初狩はそう言って、ペンを置いた。椅子の背もたれに体を預ける。扇風機の首振りの音と、蝉の声が混ざって、夏の音になっていた。


 事件が終わったあと、俺たちは妙に平和だった。ねむはねむで「しばらくは人間の悪意を見たくない」と言いながら結局は普通にDiscordへ浮上していたし、初狩は衣装デザインのためにスケッチブックを持ち込んでいる。俺は読みかけの文庫本と、夏休み前に投稿サイトへ上げたきり反応のない小説のことを、交互に考えていた。


 こういう何でもない時間が、たぶん一番貴重なのだろう。事件の最中には、だいたい忘れるけれど。


 そんな、どうでもいい午後の最中だった。


 PCがもう一通、新着メールの音を鳴らした。


────────────────────────────

差出人:不明。

件名:クエストNo.0005『どっぺるさん』

────────────────────────────


 俺は少しだけ息を止めた。


 本文を開く。


────────────────────────────

【ミッション】"唯一"という幻想を壊せ。


人は誰でも、自分だけの形を持つと思っている。

だが形は、ときに別の場所で繰り返される。

同じ線、同じ色、同じ感情。

写し身が増えれば、元の姿は曖昧になる。


その正体を見つけ出せば、

"本物"とは何かを知るだろう。

────────────────────────────


「"唯一"という幻想を壊せ」


 俺はモニターの文字を読み返した。唯一。誰のことだ。何のことだ。


 ——ふと、思い出した。


 さっき、SNSのタイムラインを流し見していた時に目に止まったアカウント。初狩のフォロワー欄から辿った先に、似た画風のイラストを投稿しているアカウントがあった。色使いの傾向、人物の描き方、背景の処理。初狩とそっくりというわけではないが——同じ方向性の才能が、同じ土俵で作品を出している。


 気のせいかもしれない。画風が似ているだけの、別の絵描き。SNSにはそんなアカウントはいくらでもある。


 だが「"唯一"という幻想を壊せ」という文言と、そのアカウントの存在が——俺の中で、微かに接続しかけた。


「高尾クン、見てくださいこれ!」


 初狩が今度は勢いよくスマホを掲げた。画面にはSNSの通知一覧が映っている。


「今日の投稿、過去最高に『いいね』もらえました。もう——こんなの初めてです!」


 目が輝いていた。掛け値なしの喜び。数字が自分の価値を証明してくれた、という安堵ではなく、「描いたものが届いた」という純粋な興奮だった。


「よかったな」


 俺はそう返した。


 似た画風のアカウントのことは、言わなかった。


 言うタイミングではなかった——というのは、半分は本当で、半分は言い訳だ。今の初狩の顔に水を差したくなかった。過去最高のいいねをもらって「もっと描きたい」と思っている人間に、「おまえと似た画風のやつがいるぞ」と告げることの意味を、俺は計算してしまった。


 損得勘定。観測者の悪い癖。


 まあ、画風が似ているだけだろう。別に大した問題じゃない。


 ——たぶん。


 初狩はスマホを抱きしめるようにして、椅子の上でくるりと回った。子供みたいな仕草だった。


「もっと描きます。もっとうまくなります。見ててくださいね、高尾クン」

「見てるよ。いつも見てる」


 言ってから、自分の声が思ったより柔らかかったことに気づいた。観測者の声じゃない。ただの——初狩時雨の隣にいる人間の声だ。


 初狩が一瞬、目を丸くした。それから「ふふ」と笑った。


「今の、ちょっとよかったですよ」

「うるせえ」


 俺はモニターに向き直った。


 クエストメールの文面が、画面の中央に表示されている。


 『"唯一"という幻想を壊せ。』


 初狩の笑い声が、REXの中に響いていた。扇風機の首振りの音と、遠くの蝉の声と混ざり合って——夏の音になっていた。


 俺はスマホの画面を消した。似た画風のアカウント名は、記憶のどこかに格納されている。消したくても消えない。俺の記憶は、そういうふうにできている。


 だが今、俺の中で最も重い言葉は——それではなかった。


 篠原先輩の声だ。


 ——君だって、"見ている側の人間"って役をやってるだけじゃないのか。


 あの問いに、俺はまだ答えていない。答えられる日が来るのかもわからない。


 ただ——問いだけは、ここにある。消えない記憶として。檻の鍵になるかもしれない何かとして。


 俺はモニターを見つめた。クエストメールの文字が白く光っている。


 新しいミッションが始まる。次は「唯一」の話だ。


 だが俺自身のミッションは——たぶん、もっとずっと前から始まっていて、まだ終わりが見えない。


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