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都市伝説は、忘れられた名前に届く  作者: オカノヒカル
第4章【覚り】 さとり
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■第31話「一網打尽」


 画面の向こうの悪意は、思っていたよりずっと軽かった。


 放課後、俺と初狩《はつかり》は廃墟ゲーセンREXの奥にいた。ポータブル電源から引いた延長コードの先で、古いデスクトップのモニターが青白く光っている。その横にスマホを立てかけ、ねむとの通話を繋いでいた。


「入りました」


 イヤホン越しのねむの声は、いつもより少しだけ平坦だった。逆に怖い。こいつが本気で集中している時の声だ。


『閉鎖Discordだよ。ほぼ掌握できてる。向こうからは、僕がいることも見ていることもわからないはず』

「さらっと言うなあ……」

『さらっと言わないと、才がびびるから』

「もうびびってる」

『想定内だよ』


 初狩が横で小さく息をついた。


「ねむさん、今の状況は」

『標的候補の相談が始まってる。ちょうどいいタイミングだよ』


 直後、古いモニターの表示が切り替わった。ねむが閉鎖サーバーの画面を、こちらにも見えるように流してきたのだ。いわゆるミラーリングというやつだ。


 黒い背景に、無機質なチャンネル名。過去に見たどの雑談サーバーとも似ているのに、空気だけが違う。そこでは今まさに、次の標的候補が話し合われていた。


『次誰にする?』

『今の副会長はもう反応薄い』

『いやあれはあれで面白い』

『でも次いくなら一年でもよくね』

『観測者気取りのやついるじゃん』


 喉の奥が詰まった。


「……俺か」

『まだ候補だよ。まあ、僕が入り込んでいるから確定させるけど』


 ねむが即答する。


 ログの下に、新しい発言が滑りこんだ。


『高尾才』

『あいつなら裏あるだろ』

『普段澄ましてるやつほど見たい』

『表で冷静ぶってる系は、剥がれると早い』

『小説書いてるやつ、内側きしょいの多いし』


 スマホを握る指に、力が入った。


 ひどい言いがかりだ。でも、そのひどさがこの場所では普通の温度で流れている。誰かを標的にする理由なんて、実際はこの程度で足りるのかもしれない。


 これが、篠原先輩にも起きたことだ。野崎先輩にも。斉藤先輩にも。新島先輩にも。こうやって名前が挙がり、こうやって軽い言葉で決まり、そのあとで裏垢を探され、潰され、黒板写真を流される。


 ねむの調査で辿り着いた「閉鎖サーバーが存在する」「標的が選ばれている」という推測が、今、目の前でそのまま動いている。推測ではなく、工程として。


「高尾クン」


 初狩が静かに言った。


「顔」

「わかってる」

「いえ、わかっていない顔です」

「どっちだよ」

「怒ってるのに、まだ"観測しよう"としてます」


 その一言が、妙に刺さった。


 俺は黙ったまま、次のログを見た。


『裏垢候補ある?』

『ある』

『たぶんこれ』

『鍵つきだけど過去ログ抜ける』

『だいぶ愚痴いな』

『こいつも結局そっちか』


 ねむが淡々と補足する。


『それ、僕が用意したものです』

「……だろうな」

『才の裏垢、という体裁のダミーです。愚痴と不満と、ちょっと刺さる文言を混ぜてあります。あの人たちは"見たいもの"を自分で補完するので、精度はそこまで必要ない』

「言い方が最悪だな」

『褒め言葉として受け取っておきます』

「褒めてない」


 だが、否定もできなかった。


 画面の向こうでは、相談というより品定めが進んでいた。こいつは表でどんな仮面を被っているか。裏ではどれくらい汚いか。潰したあと、どんな壊れ方をするか。


 人間の話をしているはずなのに、語彙がずっと薄気味悪い。飼いならす動物でも選ぶみたいだった。


 そしてその語彙の中に、一つだけ引っかかる言葉があった。


『実験しよ』


 実験。


 誰かがそう書いて、誰もツッコまなかった。当たり前の単語みたいに流れていった。


「……実験、って言ってるな。どこかで聞いた台詞だ」

『あはは……胸が痛いなぁ』


 ねむの声は平坦だった。続けて内容について補足する。


『裏垢を潰して、表の仮面だけになった相手がどうなるかを見る。壊れるか、持ちこたえるか。それを"実験"と呼んでるみたいだね』

「……」

『あと、こういう書き込みもあったよ。『裏で汚いことを言ってるやつは、暴かれて当然』『表の顔しか残らなくなっても、その役を続けられるなら本物だろ』って』


 初狩が、露骨に嫌そうな顔をした。


「矯正のつもりなんですね」

「……かもな」

「自分たちが何をしてるのか、あまり悪いと思っていない」


 篠原先輩の顔が浮かんだ。表の役割を捨てられない人。副会長であることを前より強く演じてしまっている人。あの人はこの場所から見れば「持ちこたえている」側なのかもしれない。それとも、壊れ方が違うだけで、もう壊れ始めているのか。


『高尾でよくね?』

『観測者気取りが一番見もの』

『表の顔だけでやれるか試したい』

『賛成』

『賛成』

『じゃ次こいつ』


 投票と呼ぶのも馬鹿らしいほど軽かった。誰かが言って、何人かが乗る。それだけで決まる。


『決まったよ』


 ねむが言う。


『次の標的は才だよ』

「嫌な報告だな」


「嫌、で済ませるんですか」


 初狩の声が低かった。笹子先輩のスカートが切られたときと、同じトーンだった。


「済ませてるわけじゃない」

「そうですか。でも、わたしは済ませません」


 それ以上は言わなかった。だが、その一言の温度で十分だった。


『だけど、ここからが面白い』

「ねむさん」


 初狩が通話に向かって言った。声は落ち着いているが、底が冷えている。


「"面白い"は、今の状況に使う言葉じゃないと思いますよ」

『……ごめん。言い方が悪かった』


 ねむが素直に引いた。珍しい。初狩に言われると、このプログラマーは反論しない。


『ここからが本番、って言い直すよ』


 通話越しに、キーを叩く気配が混じった。そしてねむは行動に移す。


『黒板画像、投げるよ』

「もう?」

『向こうが転載に使う"オリジナル"を、こちらから先に置く』

「高尾クンの名前入りですね」


 初狩が横から確認する。


『そう。音楽室の黒板に『高尾才』。いつもの体裁だよ』

「それが罠?」

『その通り』


 ねむの声は、妙に静かだった。


『添付の扱いに細工してあるんだ。保存か展開をかけた端末から、まずDiscordが落ちるようにしてある。そのまま接続も乱れるはず』

「トロイの木馬ってやつか」

『大体合ってる』

「端末そのものを壊すわけじゃないんだよな?」

『そこまで雑なことはしないよ。けど、向こうには、急に呪い返しを食らったように見えるはず』


 次の瞬間、閉鎖Discordのログに新しい投稿が現れた。添付画像つき。無言。説明もない。だがその場にいる連中には、それで十分らしかった。


『来た』

『はやっ』

『高尾才で草』

『これ流すか』

『保存した』

『こっちで加工する?』

『いやそのままでいいだろ』

『都市伝説側に投げる』


 俺は、自分の名前が白い文字として貼られたサムネイルを見た。もちろんダミーだ。ねむが作ったものだ。わかっている。わかっているのに、妙に心臓に悪い。


「最悪だな……」


 自分が次の見世物として選ばれる感覚。しかもそれを見ているのが自分自身というのは、かなりろくでもなかった。


『保存できん』

『え』

『固まった』

『なにこれ』

『スマホ熱』

『落ちた』


 ログが一瞬、荒れた。


 そこから先は、速かった。


 一人消える。また一人消える。アイコンの横の緑が灰色に変わっていく。書き込みが途切れる。既読も止まる。


『まって』

『開けない』

『何』

『うご』


 その短い断末魔みたいな文字列を最後に、また一人消えた。


 俺は画面を見たまま、言葉を失った。


「……こういうことか」

『仕込んでおいたヤツが効いてきたね』


 ねむが言う。


『実際には端末そのものじゃなく、向こうのDiscordまわりが落ちてるだけ。かなり広めに巻き込んだよ』

「かなり広めにって言うな。怖い」

『反省はしてる』

「してる声じゃない」

『今はまだ結果を優先かな』


 初狩が、少しだけ引いた顔でスマホを見ていた。


「これ、都市伝説としては新しいですね」

「何が」

「呪いの画像を転載しようとしたら、自分のほうが消える」

「笑えない」

「はい。とても」


 閉鎖Discordの接続表示が、目に見えて減っていく。


 二十人近く点いていた緑のランプが、十七、十三、九、五と落ちていく。

 誰も戻らない。書き込みもない。通知音すら止まった。


『……可視接続、ゼロ』


 ねむの声が、ほんの少しだけ低くなった。


「現在、このサーバーで、一覧に見えてる接続がゼロってことだよな」

『そう。サーバー自体は残ってる。消えたのは向こう側の通常接続だよ。僕は別口で見てる』


 俺は思わず息を吐いた。


 勝った、とまでは思わない。けれど少なくとも止まった。あの気味の悪い流通は、いったん折れたはずだった。


「じゃあ——これで」


 俺が言った。


『少なくとも今ここで、次の黒板写真が流れることはない』


 ねむがそう言った、その直後だった。


 通話の向こうで、ねむが小さく黙った。


「……ねむ?」

『待って』


 画面が一度だけ、通知音を鳴らした。


 新着投稿。


 可視接続がゼロのはずの閉鎖Discordに、新しい添付画像が上がっていた。


 俺は数秒、意味がわからなかった。


 一覧に見える参加者はゼロ。通常の接続もゼロ。ねむがそう言ったばかりだ。

 なのに、投稿だけがある。


「何だよ、これ」


 自分の声が、少し裏返った。


 初狩が、今度は露骨に顔色を変えた。


「ねむさん」

『見てる』

「誰が上げたんですか」

『それが——』


 ねむが、そこで言葉を切った。


『投稿者情報が……ない』

「は?」

『正確には空欄。アカウントの紐づきがない』

「botじゃないの?」

『違う。しかもwebhookでもない』

「じゃあなんだよ?」

『少なくとも、僕が今見えている権限の範囲では、これを投稿できる主体が存在しない』


 意味がわからない。


 でも、画面の中身はもっとわからなかった。


 添付された画像を開く。


 夜の音楽室。黒板。窓から差す青白い光。譜面台の影。ピアノの輪郭。


 今まで何度も見たはずの構図なのに、今回の一枚だけ、妙に現実感があった。


 加工っぽくない、という意味じゃない。もっと嫌な意味でだ。人が作った"らしさ"ではなく、本当にそこにあった夜の静けさごと写ってしまったように見える。


 黒板の中央には、白いものが浮いていた。


 まだ文字とは言い切れない。けれどただの反射でもない。線がある。四文字ぶんくらいの白さが、暗い黒板の上でじわりと形になりかけていた。


「……高尾クン」


 初狩の声が、ひどく小さかった。


 俺は返事ができなかった。


 ねむが通話の向こうで、珍しくはっきりと息を呑む。


『おかしい! これだけは、人の手順として説明がつかない』


 その声だけが、やけに鮮明だった。


『このサーバーには参加者が誰もいないはずなのに……』


 それでも画面の中の黒板は、確かにこちらを見返しているみたいだった。



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