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都市伝説は、忘れられた名前に届く  作者: オカノヒカル
第4章【覚り】 さとり
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■第30話「自分らしさの檻」


 昼休みの終わり際、二年の廊下は妙に白かった。


 窓から入る光のせいだけじゃない。人が少ない時間帯を選んで来たはずなのに、見られている感じが消えなかった。たぶん気のせいではない。今の篠原先輩は、学校の中でそういう存在になってしまっている。


 廊下の先に、本人を見つけた。


 生徒会室の前。プリントの束を抱えて、扉に手をかける直前だった。


「篠原先輩」


 呼ぶと、先輩はすぐに振り向いた。


「高尾くん」

「少し、いいですか」

「……内容によるかな」


 断られても仕方ないと思った。でも、完全に拒絶する言い方ではなかった。俺がここまで来る理由を、もう半分くらい察している声だった。


「例の件です」


 そう言うと、篠原先輩は生徒会室の扉から手を離した。


「ここでは話しづらいね」

「ですよね」

「五分だけなら」


 案内されたのは、特別棟へ続く渡り廊下の途中だった。昼休みの終わりには人通りが減る場所だ。のっぺらぼうの絵が飾られているのは反対側の端で、ここからは見えない。

 窓の外には中庭が見えて、風が吹くたび木の枝が揺れる。明るいのに、話す内容だけが暗かった。


 篠原先輩は手すりに寄りかかるでもなく、いつものように背筋を伸ばしたまま立っている。


「それで」


 先輩が先に促した。


「高尾くんがわざわざ二年の階まで来るってことは、ただの心配じゃないんだろう」


「……ある程度、見えてきました」


 俺は言った。


「黒板の写真——フォーラムに最初に貼られたのより前に、別の場所に画像が存在してました。投稿者のアカウントも使い捨てで、流すことが目的で動いてる」

「……」

「先輩の名前も、他の被害者の名前も、その場所にリストとしてありました。偶然巻き込まれたんじゃない。最初から選ばれてます」


 篠原先輩の表情は変わらない。でも、目の焦点だけがほんの少し深くなった。


「裏垢が潰されたのも、同じ流れだと思います。全部はまだ見えてませんが——先輩を狙って、仕組まれたものだと」


 そこまで言って、少しだけ息を整えた。


 篠原先輩はすぐには何も言わなかった。怒るでもなく、驚くでもなく、俺の言葉を順番に噛み砕いているようだった。


 やがて、小さく息を吐く。


「最悪だな」


 声音は低かった。抑え込まれていて、逆に生々しい。

 本当に怒れないのか。それとも、怒ることすら「副会長らしくない」と封じているのか。どちらにしても、この人の檻は俺が思っていたより深い。


「先輩の名前がリストにあったんです」

「だろうね」

「……だろうね、で済ませるんですか」

「済ませてるわけじゃない。ただ、今さら"まさか"って顔をするのもしっくりこないだけだよ」


 その言い方が、妙に篠原先輩らしかった。感情を殺しているんじゃない。感情が暴れ出す前に、先に言葉の形へ押し込めている。


「一つ、聞いていいですか」

「……なに」

「裏垢が凍結される前後に、誰かからDMや声かけはありましたか。見覚えのないアカウントでも、直接でも」


 先輩は少しの間、黙っていた。感情を殺しているんじゃない。言っていいことと、言わないほうがいいことを、素早く仕分けしている沈黙だ。


「……一件だけ、ある」


 俺は息を止めた。


「凍結の三日ほど前だ。鍵垢なのに、フォロワーじゃないアカウントからいいねがついた」

「鍵垢に、フォロワー外から?」

「おかしいだろ。だから気になって確認したら、もういいねは消えていた。アカウント自体も消えてた」

「スクリーンショットは」

「残ってない。気味が悪くて、そのまま放置した」

「アカウント名は覚えていますか」

「……英数字の羅列だった。意味のある単語は入っていなかったと思う」


 それだけでも、十分すぎた。


 フォロワー外からいいねができるということは、鍵が外れた瞬間があったか、あるいはフォローリクエストが一瞬だけ通ったかのどちらかだ。


「……高尾くん」


 篠原先輩が、少しだけ違う目でこちらを見た。


「君、一つ聞くたびに次が来るね」

「すみません」

「謝らなくていい。ただ——」


 先輩は中庭のほうへ目をずらした。そのまま、少しだけ独り言みたいに続ける。


「君は、よく見てるんだな、と思って」

「……前にも言いましたよね、それ」

「前とは少し違う意味で言ってる」


 その声に、責める色はなかった。むしろ、何かを確かめているような静けさがあった。


「被害者たちを回って、構造を掘ってきたのに、君自身の立ち位置だけは最後まで外側だ」

「それがどうしたんですか」

「"見ている側の人間"って役をやってるだけじゃないのか」


 それはつまり――観測者のこと。

 そんなに暑くないのに背筋を嫌な汗が流れる。


「……」


 喉の奥が張り付いたように声が出ない。


「もちろん、君は見てるだけじゃない。ちゃんと動いてる」


 先輩は静かに言う。


「でも、本気で誰かの側に立つのとは、少し違う」


 その言葉に、責め立てる調子はなかった。だから余計に逃げ場がない。


「人の痛みに触れても、最後まで当事者にはならない。傷つくところまでは入らない。壊れるところまでは近づかない」


 先輩は少しだけ目を細めた。


「自分は"観客役"で、最後の一線を残してる。そういう立ち方をしてるように、僕には見える」


 何も言い返せなかった。


 違う、と反射で言いたかった。でもその言葉は喉まで来て止まった。


 俺は確かに関わっている。見ているだけじゃない。でも、その関わり方がどこか冷静で、どこか安全で、どこか一歩引いているのも事実だった。


「僕は"副会長"って役にしがみついてる」


 篠原先輩は低い声で続けた。


「君は"観客"いや……"観測者"って役にしがみついてる。そういう違いしかないんじゃないか」

「……」

「それでも、自分は僕とは違うって思ってるだけだろ」


 渡り廊下に吹いた風が、ガラスをかすかに鳴らした。


 俺の中で、何かが嫌な音を立てた。クエストメールの一語が、また頭の底で冷たく響く。


 ——観測者。


 それは俺にとって、物事を整理するための立場だったはずだ。感情に飲まれずに見るための。正しく状況を掴むための。


 でも篠原先輩の言い方だと、それはずいぶん別のものになる。


 壊れないための立場。傷つききらないための役。自分だけは最後まで外側にいられると信じるための、檻。


「……そうかもしれません」


 気づけば、そんな言葉が口から出ていた。


 篠原先輩は少しだけ目を見開いた。たぶん、もう少し反発されると思っていたのだろう。


「悪かった」


 先輩は、そこでようやく視線を外した。


「え」

「言いすぎた」

「いや……」

「高尾くんに当たるのは筋違いだし」


 そう言うくせに、先輩の表情は少しも楽になっていなかった。むしろ、自分の口から出た言葉で自分まで切ったみたいな顔をしていた。


「でも」


 先輩は小さく続ける。


「君が観測したものは、たぶん本当に止めないといけない」


 それだけ言って、手に持っていたファイルを持ち直した。


「そろそろ戻るよ」

「あ、はい」

「生徒会、意外と暇じゃないから」

「知ってます」


 最後に交わしたその一言だけが、少しだけいつもの篠原先輩に近かった。


 けれど、去っていく背中はやはりきれいすぎた。崩れないために、きれいでい続けようとしている人間の背中だった。


 俺はしばらくその場から動けなかった。


 中庭では、チャイムに急かされるように生徒たちが教室へ戻っていく。どこにでもある昼休みの終わりだ。なのに俺の中だけが、うまく元の位置へ戻らない。


 ——"見ている側の人間"って役をやってるだけじゃないのか。


 その一言が、耳ではなく骨の内側に残っていた。


 スマホが震えたのは、その時だった。


 反射で画面を見る。ねむからのメッセージは、たった一行だった。


『閉鎖サーバー、もう少し深く潜れそう。中で何やってるか、見えてきた』


 意味を考えるより先に、指先が少しだけ震えた。



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