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都市伝説は、忘れられた名前に届く  作者: オカノヒカル
第4章【覚り】 さとり
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■第26話「過去の被害者と、仮面が壊れる怖さ」


 昼休みの教室は、噂を食って太る生き物みたいだった。


 どのグループも話題は同じなのに、少しずつ違う言い方をしている。


「見た?」

「本人、今日も普通じゃなかった?」

「でも逆に怖くない?」


 そんな半端な言葉が、机と机の隙間をぬるく漂っていた。


 俺は菓子パンを噛みちぎりながら、朝からほとんど減っていない通知欄を見た。ねむに追加で投げた分への返事はまだない。既読もつかない。あいつの生活リズムはだいたい人間社会に喧嘩を売っているので、そこはもう仕方ない。


「高尾クン」


 前の席から、初狩《はつかり》が少しだけ身を乗り出した。


「ひとつ、嫌な噂を聞きました」


 何か楽しそうに噂を運んでくる。


「その置き配で嬉しかったこと一回もないな」

「わたしだって好きで運んでるわけじゃないですよ。配送業者みたいに言わないでください」


 小さくため息をついてから、初狩は声を落とした。


「前にねむさんから聞いた、黒板に名前を書かれた人たちの後日談です」

「おかしくなったって話の具体的な中身か」

「そうです。手芸部の女子。覚えてますか? 面倒見がいいって評判だった人」

「……いた、らしいな」

「黒板に名前が出たあと、かなり性格が変わったそうです。サバサバした姉御肌だったのが、神経質で、誰のことも信用しなくなった」

「変わりすぎだろ」

「あとバスケ部の男子。几帳面でプレイも丁寧だったのが、写真のあとは雑で、集中力が続かなくなった」


 そこまで言って、初狩は少しだけ目を細めた。


「あと、これが決定的かもしれません。サッカー部の男子なんですが」

「そいつもおかしくなったのか」

「名前を書かれたあと、喧嘩っ早く、すぐキレるようになりました。でもよく聞いてみると、彼は中学の頃もともとそういう性格だったそうです」

「高校に入って温厚になった——いや、変わったんじゃなくて、被ったのか。仮面を」

「そうです。つまり黒板に名前が出ることは、その仮面を壊されることなんじゃないか、と」

「クエストの文面と、微妙に合ってくるな」

「『それらはすべて、選ばれた役割にすぎない』——あの一節ですよね」

「本格的に動くか。初狩はどうする」

「わたしも手伝いますよ。そのつもりで話しましたから」


 初狩は少しだけ笑って、すぐにいつもの落ち着いた顔に戻った。


「篠原先輩だけ、逆なんですよね」

「……ああ」

「他は崩れる。なのにあの人だけ、前より整っていく」

「だから余計に気持ち悪い」


 口にした瞬間、あまりにもひどい言い方だと思った。

 でも、他に言いようがなかった。



**



 放課後の体育館は、ボールの跳ねる音だけで会話が成り立ちそうな場所だった。


 部活の始まる前後というのは、どこの学校でも妙な無防備さがある。まだ本気ではないけれど、完全にオフでもない。話しかけるならその隙間だ。


 黒板に名前を書かれたバスケ部の野崎先輩は、すぐに見つかった。


 二年の男子にしては少し大柄で、肩幅がある。ボールを片手で持ったまま仲間と何か笑っていた。

 笑っている——のに、どこか気が散って見える。パスを受けても反応が一拍遅れる。返事はするが、半歩ずれている。目の前のことに集中しきれていない人間の動きだった。


「野崎先輩」


 俺が声をかけると、少し面倒そうに振り向いた。


「あ?」

「すみません、一年の高尾です。ちょっと聞きたいことがあって」

「取材? 新聞部?」

「違います」

「じゃあ何」

「都市伝説の件で」

「うわ、めんどくさ」


 その一言が妙に素直で、逆に助かった。取り繕わない相手のほうが、話は早い。


 初狩が一歩前に出る。


「黒板の写真、ありますよね。音楽室の」


 野崎先輩の顔から、少しだけ笑いが消えた。


「ああ」

「先輩も前に名前を書かれたと聞いて」

「……誰が言った」

「噂です」

「便利だな、その言葉」


 鼻で笑ってから、ボールを床に置いた。仲間のほうへ「五分だけ抜ける」と手を上げる。仕草は自然だったが、声の端に疲れが滲んでいた。


 体育館の脇、用具庫の前まで移動すると、野崎先輩は壁にもたれた。


「で。何を聞きたいわけ」

「写真のあと、何があったかです」


 先輩は数秒黙った。嫌そうな顔でもなく、怒るでもなく、ただ面倒くさそうに天井を見る。


「別に、呪われたとかじゃねえよ」

「はい。そうだと思うからこそ知りたいんです」

「もっとダサい話だ」


 そう言って、ポケットからスマホを取り出した。画面は見せない。手の中で弄ぶみたいに持ち直す。


「俺さ、裏垢あったんだよ」


 初狩が何も言わずに聞く姿勢になる。俺も口を挟まない。


「別に大したもんじゃない。愚痴とか、不満とか、試合のあとムカついたこととか。表で言えないことってあるだろ」

「……ありますね」

「だろ。で、あの写真が回ったあと、ある日いきなり使えなくなった」


 俺は眉を寄せた。


「使えなく?」

「制限とか凍結とか、そのへん。詳しい文言はもう覚えてねえ。とにかく書けなくなった。見ようとしてもダメ。復旧しようとしても面倒で、しかも通らねえ」


 先輩はようやくスマホの画面をちらりと見た。今は別のアカウントか、あるいは何も開いていないのかもしれない。見せるつもりはないようだった。


「で、それから妙にイラつくようになった」


 声は平板だった。平板なのに、聞いているこっちの胃が少しずつ冷える。


「今までなら、むかついたらそこに吐いて終わりだったんだよ。書いて、ちょっと落ち着いて、まあいいかってなる。けどそれができなくなると、頭の中に残るんだ」

「……残る」

「残る。プレイ中も、授業中も、寝る前も。なんかずっと、体のどっかに引っかかってる感じ」


 先輩は壁に後頭部を軽くつけた。


「だから最近、雑なんだと思う。自分でもわかる。集中切れるし、鬱憤は溜まるし、細けえことどうでもよくなる

「黒板の写真と、アカウントが使えなくなったのって——」


 初狩が静かに聞く。


「関係あると思いますか」


 野崎先輩はすぐには答えなかった。それから、吐き捨てるでもなく言う。


「知らねえよ。知らねえけど、気味は悪い」

「……」

「だって、名前が出回って、みんなに注目されて、そのあとだぞ。偶然で済ますには感じ悪すぎるだろ」


 その言い方が、妙に本音っぽかった。


 俺は体育館の中にちらりと目をやった。部員たちはもう次の練習に入っていて、こちらを見ている者はいない。なのに野崎先輩の「みんなに注目されて」が、やけに生々しく耳に残った。


「ありがとうございました」


 初狩が頭を下げる。野崎先輩は「別に」とだけ返して、少し目を細めた。


「篠原も、あれかもな」


 帰り際に、そう呟いた。


「壊れ方は違うかもしれねえけど。あの顔、なんか無理してる感じするし」

「無理してる」

「見りゃわかるだろ。前よりちゃんとしてるやつって、たいていちょっと危ないんだよ」


 言い残して、野崎先輩は体育館へ戻っていった。

 その背中は乱暴でも荒れてもいなかった。ただ、何かを持て余している人間の歩き方だった。



**



「だいぶ嫌な話でしたね」


 体育館を出たあと、初狩が言った。


「うん」

「でも、見えてきました」

「写真のあとに裏垢が使えなくなる」

「そして感情の逃がし場所を失って、変わる」


 風が少し強かった。グラウンドのほうから土の匂いが流れてくる。サッカー部の掛け声が、それに混ざっていた。


「手芸部の女子にも聞くか。二年二組の斉藤佐知子だっけ」

「行きますか」

「たぶん、俺だと警戒されるな」

「ええ、かなり。高尾クンは女子受けしそうもない顔ですから」

「その回答は傷つく」

「でも本当なので」


 ひどい。だが反論もできない。



**



 手芸部の部室は、特別棟の二階にあった。


 放課後の廊下はもう人が少なく、窓から差し込む夕方の光だけが床に細長く伸びている。部室の前まで来ても、中は妙に静かだった。


 初狩がドアを軽くノックする。


「失礼します」


 返事は、少し間を置いてから返ってきた。


「……はい」


 扉を開けると、斉藤佐知子が一人だけいた。


 机の上には布地や糸、裁縫道具がきれいに並べられている。その整い方が、かえって張りつめて見えた。ほかの部員はもう帰ったのか——とにかく、この場にいるのは彼女だけだった。


 椅子に座ったまま、こちらを見る。その視線に歓迎の色はなかった。


「あの、斉藤先輩ですよね」


 初狩がそう言うと、彼女は少しだけ眉を寄せた。


「あたしだけど」


 声が固い。ぱっと見は普通だ。けれど、普通のふりをする余裕がほとんど残っていない感じがある。机の上の道具の配置に神経が行きすぎている。糸切りばさみに添えた指先が、いつでも動かせるようにわずかに力んでいた。他人が自分の空間に踏み込んでくること自体を、先に警戒しているようだった。


 初狩が名乗り、一年生だと伝える。斉藤先輩はそれを聞いても、ほとんど表情を変えなかった。


「用件、言って」


 その一言で、回りくどい話は待ってもらえないとわかった。


 俺は一度だけ息を整えてから言った。


「黒板の写真のあと、何かあったんじゃないですか」


 斉藤先輩の目が、ぴくりと動いた。


「その顔、やめて」

「顔?」

「探るみたいな顔」


 図星だったので何も言えない。初狩がすぐに間へ入る。


「ごめんなさい、変な聞き方でした」

「……」

「でも、同じことが篠原先輩にも起きてるかもしれなくて。だから知りたいんです」


 篠原先輩の名前が効いたらしい。斉藤先輩は目をそらしたまま、少しだけ黙った。


 俺は、ここで曖昧にするほうが逆効果だと思った。だから推測をそのままぶつけることにした。


「斉藤先輩にも、表で言えないことを吐く場所があったんじゃないですか?」


 空気が止まった。


 初狩が俺を睨む。あとで怒られるやつだ。


 けれど、斉藤先輩の反応は明確だった。怒るより先に、息を呑んでいた。


「……なんで知ってるの」

「野崎先輩から話を聞いた。写真のあとに、愚痴用のアカウントが使えなくなったって」

「……っ」


 斉藤先輩は視線を落とした。握っていた糸切りばさみを机に置く。その音がやけに小さく響いた。


「あたしも、そう」


 ようやく出た声は、細かった。


「別に……誰かの悪口とか、すごいこと書いてたわけじゃない。ちょっとムカついたとか、疲れたとか、うるさいとか、そういうの」

「うん」

「そこで捨てたら終わるはずだったのに。急に入れなくなって」

「それで——変わったんですか」


 俺が言うと、斉藤先輩はすぐには頷かなかった。でも否定もしなかった。


「変わった、って言われる」


 自分で口にするのが嫌なのか、声がかすかに揺れていた。


「でも、しょうがないじゃんって思う。だって前は、嫌なことがあっても、あとであっちに書けばいいやって思えてたから」

「今はそれがない?」

「ない。だから全部、残る」


 その「残る」が、野崎先輩とまったく同じ言い方だった。


「頭の中にたまって、ずっと出ていかない。人に話しかけられるだけでイラッとするし、誰かが自分の物に触るかもって考えるだけで、もう無理で」


 斉藤先輩は唇を噛んだ。


「わかってるよ。前より感じ悪いって。自分でもわかってる」


 部室の空気が、少しだけ重くなった。


「裏垢のこと、誰かに喋ったことは?」

「あるわけないじゃん」

「でも特定されて凍結されてる」

「……それは、あたしが浅はかだったんだと思う。個人に繋がるようなこと、書いちゃってたから」


 斉藤先輩は考え込むように目を伏せた。


「でも、こう考えると少し楽になるかもしれないですよ」

「楽?」

「裏垢が先輩のだって特定されて、そのままネットに晒されてたら——学校にすら来られなくなってた可能性があります」

「……」


 数秒の沈黙のあと、斉藤先輩は「たしかに」とため息のような声を返した。


「教えてくれて、ありがとうございました。これで篠原先輩の力になれるかもしれません」


 初狩がそう言うと、斉藤先輩は「別に」と返した。


 だが一息おいて、こちらを見ないまま彼女は呟く。


「篠原って、ちゃんとしてるじゃん」


 足が止まった。


「だから、逆にやばいかもね」


 振り返った時には、彼女はもうこちらを見ていなかった。



**



 サッカー部の三年の新島賢人先輩にも話を聞こうとした。


 聞こうとした——だけだ。


 グラウンドの端まで行って、すぐにやめた。ちょうどその本人が後輩にキレ散らかしていたからだ。


「何回言わせんだよ! 見えてねえのか!」


 怒鳴り声が、夕方の空気を裂いた。後輩は縮こまり、周りの部員たちは見て見ぬふりをしている。


 初狩が俺の横でぽつりと言う。


「これは近寄らないほうがいいですね」

「うん。命は惜しい」

「命までは取られないと思いますけど、精神的にはかなり削られそうです」

「十分だろ」


 新島先輩は、噂どおりだった。前は温厚だったという話が本当かどうか疑いたくなるくらい、今は刺々しい。

 だが、その刺々しさにも見覚えが出てきてしまった。


 逃がせないものが溜まり続けた人間の荒れ方だ。


「三人とも違うのに、同じですね」


 初狩が言う。


「違う壊れ方をしてるだけで、原因は近い」

「で、篠原先輩だけが逆」

「うん」


 俺は校舎のほうを見上げた。窓ガラスに、夕方の空が鈍く映っている。


 初狩が先に、その言葉を口にした。


「たぶん篠原先輩も、同じものを失ってます」

「……だろうな」

「ただ、出方が逆なんです」

「野崎先輩みたいに雑になるんじゃなくて」

「斉藤先輩みたいに神経質になるんでもなく」

「もっとちゃんとした人間になる」


 そこが、一番気味悪かった。


 普通なら、変化は壊れる方向に見える。怒鳴る。荒れる。雑になる。だから周囲も「おかしい」と気づける。

 でも篠原先輩は違う。むしろ周りが褒める方向へ進んでいる。


 前より気が利く。前より完璧。前より副会長らしい。


 それは改善じゃない。少なくとも、俺にはそうは見えなかった。


「なあ」

「はい」

「たぶんだけどさ」


 自分の声が、少しだけ冷えているのがわかった。


「生徒たち——待ってるんだよな」

「……」

「篠原先輩が変わるのを」


 初狩は黙っている。それは少し前に彼女が予測したことだった。何かが起きることを望んでいる観客達。それが学校の生徒たちなのだ。


 言葉にすると、最低だった。でも今日一日見てきたものを並べると、そういうことなのだと理解出来てしまう。


 黒板の写真が出回る。みんなが見る。反応を見る。本人を見る。どうなるかを待つ。


 都市伝説が"本物"になる瞬間を、観客は欲しがる。


 怖がっているふりで。心配しているふりで。

 けれど本当は、再現を待っている。

 前にもそうだったから。今回もそうなると、どこかで期待している。


「被害者はみんなコンテンツ。そして観客が群がっていく」


 初狩がゆっくり言う。


「それは観客であり観測者ですね」

「ああ」


 ——観測者。


 あのメールの一語が、また頭の底で冷たく鳴った。


 見ているだけの側。巻き込まれていない顔をして、結末だけを待っている側。

 けれど、見ていること自体がもう、十分に何かをしている。


「篠原先輩、変わるのかな?」


 初狩の呟きは、質問というより確認に近かった。


 俺はすぐには答えられなかった。


 仮面を強化し続けても地獄。今日見てきた三人のように剥がれ落ちても地獄。

 どちらへ転んでも、その先に楽な場所はない。


 校舎のどこかで、今日も誰かが篠原先輩を見ている。

 昨日と違うか。前より整っているか。いつ崩れるか。


 そうやって待たれること自体が、

 もうすでに人を壊し始めているのかもしれなかった。



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