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■第21話「屋上の許可」


 館山から戻って数日。山田先輩がアリサの冬コス衣装を縫い上げるあいだに、俺たちはもう一つの準備を進めていた。


 放課後のREXで作戦会議をする。俺と初狩はつかり、そしてスマホ越しにねむ。三人で堂本さんから受け取った情報を共有した。


 ねむはすでにSSHでシングルボードコンピュータであるラズベリーパイに接続していた。ワードリストのファイルを開き、中身を確認している。


『リストは二文字限定だったけど、それはワードリストの設定上の制約であって、ディスプレイ自体は全角二十五文字まで表示できる。僕がSSHで直接テキストを流し込めば、リストとは関係なく何でも出せるよ』

「まあ、そんなお遊びをしても仕方がない」


 初狩がペンタブレットの手を止めて、こちらを向いた。


「高尾クン。わたし、一つ提案があるんですけど」

「聞く」

「ワードリストを書き換えるなら——笹子ささご先輩に見せたい言葉を、仕込めませんか」


 初狩の目が据わっていた。いつもの淡々とした表情の下に、熱がある。


「見せたい言葉?」

「笹子先輩には『変身せよ。変質させられる前に』を。あの絵に貼られた"変質者"のレッテルを、本来の言葉に戻すんです」


 一拍の間。初狩の声が低くなった。


「——それだけじゃなくて。水島先輩にも、ちゃんと鏡を見せてあげたいんです」


 「ちゃんと」の一語に、初狩がこの数日で溜め込んできたものが全部乗っていた。自分も追放された人間だ。レッテルを貼られる痛みを知っている。だからこそ、それを武器にした人間が許せない。


「……何を見せる?」


 初狩はスケッチブックの白紙のページを開いて、ペンを取った。紙の上に、言葉を三つ書いた。


 ——『気持ち悪いのはあなたの偽善』

 ——『マイノリティを利用して、理解者を演じていた』

 ——『saaaaaaya0572』


 俺は紙を見つめた。


 一行目。水島先輩が匿名の紙で笹子先輩に投げた言葉を、主語を変えて返している。「気持ち悪い」が誰のものだったのかを突きつける。

 二行目。水島先輩がやったことの構造そのものだ。「理解者を演じていた」。本人が最も認めたくない事実。

 三行目。裏垢のアカウント名。これを見た瞬間、水島先輩は悟る。全部バレている、と。


「三段で見せるんですよ」


 初狩の声は静かだった。だが、指先がペンを握る力は白くなるほど強かった。


「最初の一行で揺さぶって、次の一行で暴いて、最後にアカウント名を出す。順番が大事です。逃げ場を一つずつ塞いでいく」


 俺は初狩を見た。この子は絵を描くとき、最初に目に入ったものから描くと言っていた。全体像を先に見せない。細部から入って、少しずつ追い詰めていく。


 その描き方が、そのまま攻撃の設計になっている。


「ねむ。表示プログラムの改変、できるんだよな?」

『ワードリストの切り替えだけなら簡単。でも、三段階で順番に表示するなら、タイマーかリモートトリガーがいる。——まあ、僕がリアルタイムで操作するよ。SSHで繋ぎっぱなしにしておけば、表示内容を手動で切り替えられる。ただ、水島先輩が絵の前に立たないと意味はない」


 俺はねむの意見に少し間を置いて答えた。


「裏垢の調査で、メールアドレスは割れてるんだろ? 匿名メールで呼び出せばいい。文面は——そうだな、都市伝説に食いつく人間が無視できない書き方にする」

「高尾クンらしい、ダークな作戦ですね」

「のっぺらぼうの少女の表示が変わった、って書けば来るよ。あの絵を武器に使った人間は、武器の状態を確認せずにはいられない。放火犯が火元に戻るのと同じだから」


 初狩が小さく頷き、ねむも『じゃあ、メールの手配しておくよ』と返答する。


「じゃあ、段取りを決めよう」


 俺はPCの前に座り直した。


「まず笹子先輩の分。明日、ワードリストを『変身せよ。変質させられる前に』の単語固定に切り替えてくれ。先輩がコンテストに応募するまではそのままにする」

『了解』

「応募が確認できたら、連絡する。そこから水島先輩のフェーズに入る。ねむが呼び出しメールを送って、絵の前に来たタイミングで三段階表示をリモートで切り替える」

『タイミングは僕に任せて。人感センサーの反応ログで、誰かが立ったのはわかるから』

「表示の間隔は?」

『一行目を三秒。消えて二秒の間。二行目を五秒。また二秒の間。三行目を——ずっと出しておく。立ち去るまで消さない』


 アカウント名が、消えずに光り続ける。目を逸らしても、まだそこにある。


「……容赦ないな、ねむ」

『容赦する理由がない』


 短い返答だった。ねむも怒っている。画面の向こう側で、静かに。

 初狩がスケッチブックを閉じた。三つの言葉が書かれたページが、白い表紙の下に消える。


「高尾クン」

「なんだ」

「これは——意地悪ですかね」


 俺は少し考えた。


「……意地悪だな。間違いなく」

「そうですか」


 初狩は目を伏せた。それから、小さく言った。


「わたしは、それでいいです」


 俺も、それでいいと思った。


**


 翌日の放課後。


 山田先輩を先頭に、俺と笹子先輩は新館三階の廊下の突き当たりへと向かう。

 そこにある「生徒会室」と書かれたプレートの前で、山田先輩がノックもせずにドアを開けた。


「すみませーん。被服部の山田です。屋上の使用許可をいただきたいんですけど」


 生徒会室は思ったより狭かった。長机が二つと、パイプ椅子がいくつか。壁には行事予定表と、整然と並んだファイル。窓から差し込む放課後の光が、書類の山を照らしている。


 部屋の奥に、一人だけ座っていた。


 篠原慧。二年四組、生徒会副会長。きっちりとした七三分けに黒縁メガネ。制服の着こなしに隙がない。ブレザーのボタンは一つも外れておらず、ネクタイの結び目は正確に喉仏の真下にある。姿勢がまっすぐだ。椅子に座っているだけなのに、背筋に定規でも入っているのかと思うほど。


「山田先輩。事前にメールをいただければ、書類を準備しておけたのですが。今、会長は別件で席を外しています」


 篠原先輩の声は丁寧だった。怒っているわけでも、迷惑そうなわけでもない。ただ、手順を確認している。


「急でごめんね、篠原ちゃん。今日どうしても使いたくて」

「今日、ですか」


 篠原先輩はファイルから一枚の用紙を引き出した。屋上使用許可申請書。手慣れた動作だった。


「使用目的を教えていただけますか」

「被服部の活動で、衣装撮影。コンテストに出す写真を撮りたいの」

「コンテスト名は」

「コスプレフォトコンテスト、テーマは『Transformation』。未成年参加可で、匿名応募できるやつ」


 篠原先輩はペンを走らせながら、条件を並べた。


「被服部の顧問はたしか渡辺先生ですけど、屋上を使う話は通してありますか?」

「ええ。事前に了承済みよ」

「それならば、この申請書に署名してください」

「わかった」


 山田先輩はペンを受け取り、書類の部長欄にさらさらと名前を書いた。迷いがない。


 篠原先輩は書類を受け取り、日付と条件を確認してファイルに挟んだ。


「今日の放課後、十六時から十七時四十分で許可を出します。鍵は職員室の第三管理棚にあります。使用後は必ず施錠して返却してください」


 事務的だ。だが、突っぱねてはいない。規則を盾にするのではなく、規則の中で通せる条件を整えている。そのやり方が、妙に手際よかった。


「ありがと、篠原ちゃん。助かったよ」

「いえ、規定通りの処理ですので」


 山田先輩が書類を受け取りながら、ふと思い出したように俺たちを振り返った。


「そういえば、被服部に新入部員が二人入ったと聞きましたが」


 言われて、俺は一歩だけ前に出た。


「一年の高尾です」


 篠原先輩の視線が、そこで初めて俺に止まった。

 品定めというほど露骨ではない。ただ、名簿の空欄を埋めるみたいに、顔と名前を一致させる目だった。


「そうでしたか」


 篠原先輩は小さく頷いた。


「人数が増えたなら、活動もしやすくなりますね」

「まあね。潰れずに済みそうで助かるよ」


 山田先輩が軽くそう返して、俺たちに「撤収するよ」と目で合図する。


 そのとき——篠原先輩の視線が動いた。


 山田先輩の後ろに立っている笹子先輩を見た。男子制服姿の笹子先輩と、申請書に書かれた「衣装撮影」という文字を、一瞬だけ結びつけるような目の動きがあった。


 だが、何も聞かなかった。


 表情は変わらない。視線を書類に戻して、「では、明日よろしくお願いします」と言った。


 その「聞かない正しさ」が、俺には少し不気味に見えた。聞かないことが配慮なのか、無関心なのか、それとも——聞いてしまったら自分の「正しさ」が揺らぐから避けているのか。


 生徒会室を出て、廊下を歩く。山田先輩が「さくっと終わったね」と軽く言った。篠原先輩のことは、もう頭にないようだった。



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