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■20話「書き換え」


「変な使われ方?」

「噂です。ある生徒に対して、あの絵が“変質者”って出した、ってことにされてる」


 初狩が隣で小さく頷いた。


「そのせいで、あの絵が誰かを攻撃する道具みたいになってます」


 堂本さんの表情が変わった。驚きというより、嫌な話を聞いた時の顔だった。


「……“変質者”?」

「はい。だから確認したかったんです。あの絵から、三文字の語が出る可能性が本当にあるのかどうか」


 堂本さんは即座に首を振った。


「ないよ。絶対にない。“変質”も“変身”も入力していない。ましてや“変質者”なんて三文字は、文字数的にもありえない」


 確信が、言葉として落ちてきた。


 誰かが——笹子先輩を断罪するために、言葉をねつ造して、噂として完成させた。


「管理はどうしてたんですか?」


 俺が聞くと、堂本さんはスケッチブックを閉じた。


「最初は現地でしか触れないつもりだったんだけど、展示したあとに調整したくなることが何度かあってね。学校のネットワークに直接穴を開けるのは嫌だったから、向こうから外に張るだけのVPNを噛ませてある。必要なときだけ、そのトンネル経由で入ってメンテしてた」

「じゃあ、今も外からアクセスできる?」

「できる。最近はほとんど触ってなかったけど、生きてるはずだよ。中身はPythonで書いてある。わかる人なら読めるし、書き換えもできる」


 俺は一度だけ初狩を見た。それから、堂本さんに向き直る。


「堂本さん。もう一つ、お願いがあります」


 俺は事情を手短に説明した。あの絵の噂が特定の生徒を傷つける道具にされていること。“変質者”という三文字が捏造であること。噂を断ち切るために、プログラムを書き換えたいこと。


「書き換えるって、ワードリストを?」

「はい。信頼できる人間に改変を頼みます。仕掛けの構成と、リモートアクセスの方法を教えていただけますか」


 堂本さんはしばらく黙っていた。自分の作品に他人の手が入ることを考えている顔だった。だが、長くはかからなかった。


「いいよ。七年も前の作品だし、今はもう、僕の中だけで完結してるものでもないから。それが誰かを傷つける道具になってるなら、止めたほうがいい」


 堂本さんはPCを開き、メモにいくつかの情報を書き出した。


「これがVPNの接続情報。こっちがSSHのログイン用。学校側の設定はいじってない。向こうから張ってるトンネルに乗る形だから、正規の鍵がないと入れない」

「ありがとうございます」


 俺はメモを受け取った。

 ねむなら、この手の構成はすぐ理解するだろう。


「ただ、書き換えるなら慎重にね。あれは七年前の僕が、自分の顔を描けなかった代わりに残したものだから」


 堂本さんは少しだけ笑った。


「それと」


 彼は付け加える。


「あれを現代アート風に仕上げたら、美術の樫田先生がすごく気に入ってね。『これは見る人の内面を映す鏡だ』って。僕としてはそんな大層なものじゃなかったんだけど、先生が渡り廊下に飾ってくれた」


 樫田先生。初狩を美術部から追放した教師だ。萌え絵を嫌い、現代アートには寛容。その偏りが、あの絵を「都市伝説の道具」として学校に残す結果になった。


「最後に一つ、聞いていいですか」


 初狩が口を開いた。ここまでずっと黙って聞いていた。


「堂本さんは、あの絵を——誰かのために描いたんですか」


 堂本さんは少し考えてから、首を振った。


「いや。あれは完全に自分のために描いた。自分の顔がわからなくて、苦しくて、それでも何か残したくて描いた。誰かのためなんて、考えてなかった」


 それから、ふっと笑った。


「でもね、自分のために描いたものでも、あとで誰かに影響を与えることはあるんだよ。作品ってそういうものだと思う」


 初狩の手が、膝の上でわずかに動いた。スケッチブックの表紙を、指先で撫でるように。


 その言葉を、初狩が静かに受け取ったように見えた。



**


 帰りの電車の中で、スマホが震えた。


 ねむからのDM。


『saaaaaaya0572の件。投稿時刻と学校行事の写真の背景、あと校内事情の書き方と句読点の癖を照合した。水島沙耶の表垢と一致する要素が多い。ほぼ黒だと思う』


 俺が画面を見たまま黙ると、隣に立っていた初狩が怪訝そうに眉を寄せた。


「……ねむさん?」

「ああ」


 俺はスマホの画面を少しだけ彼女の側へ向けた。初狩は文面を目で追い、数秒後、奥歯を噛むみたいに口元を固くした。


「やっぱり」


 吐き出すような、小さな声だった。


「水島沙耶……」


 その名前に、わずかに熱が混じる。

 怒鳴りはしない。けれど、いまこの場に堂本本人がいたら、睨みつけていたかもしれないと思える声だった。


 ほぼ黒。だがねむは、そこで切らなかった。


『ただ、証拠はある。でも今これを雑に出すと、笹子先輩がまた"問題を大きくした側"に回される。使い方を間違えたら、武器が被害者に刺さる』


 初狩はその一文を読んで、苛立ちを押し殺すみたいに息を吐いた。


「……最低ですね」


 声は静かだった。けれど、その静けさのぶんだけ棘があった。


「やった側なのに、出し方ひとつで笹子先輩がまた傷つくんですね」

「……ああ」

「ほんと、どこまで勝手なんだか」


 鞄を抱える指先に、少しだけ力がこもっていた。


 俺はその文面を読み返した。ねむが単なる解析役ではないことを、改めて思い知る。証拠を見つけるだけなら技術の問題だ。だが、証拠の使い方まで考えられる人間は少ない。


「今は動かないほうがいい」


 そう言うと、初狩はすぐには頷かなかった。

 一拍置いてから、感情を押し込めるように、小さく息をつく。


「……ですね。ここで雑にぶつけたら、あっちの思う形になります」

『わかった。今は動かない。タイミングを待つ』


 そう返すと、ねむからの返信は既読だけだった。それで十分だった。


**


 次の日の放課後の廃墟ゲーセンREX。


 俺と初狩、そしてスマホ越しにねむ。三人で情報を共有した。山田先輩と笹子先輩にはまだ伝えていない。伝えるタイミングは、まだ来ていない。


 俺はPCの前に座り、わかったことを短くまとめた。


「あの絵から出る語は、すべて漢字二文字。三文字以上は物理的に出ない。そもそも『変質』という語自体がワードリストに存在しない。『変質者』は丸ごと捏造だ。笹子先輩を断罪するために、誰かが作り上げた」


 俺はそこで一度言葉を切った。


「……改変の手段は手に入った。VPN経由で中に入れるし、ワードリストも書き換えられる。やろうと思えば、今すぐあの絵の表示そのものを変えることもできる。表示を増やして、二文字しか出ないことを周知させれば『変質者』の噂がおかしいことにみんな気づくだろう」


 初狩が黙ってこちらを見る。スマホ越しのねむも、何も言わない。


「でも、それだけだと“噂を潰した”で終わる。笹子先輩が、自分の形で立ち返る手にはならない」


 初狩が頷いた。


「つまり、笹子先輩に必要なのは説明じゃない。説明しろと言ってくる側は、最初から理解する気がない。"変質者"も同じです。答えを先に決めて、そこへ押し込んでるだけだ」


 俺が言い終わるのを待って、初狩がスマホを取り出した。画面を数回タップしてから、こちらに向ける。


「高尾クン。これ、見てください」


 画面に表示されたのは、コスプレ写真のコンテストのページだった。テーマは「Transformation」。未成年参加可、匿名応募可、学校名不要。


「……変身、か」


 俺は呟いた。堂本さんの絵の題名と同じだ。


「消すだけじゃ足りないと思うんです」


 初狩が静かに言った。


「『変質者』なんてラベルが嘘だって証明するだけなら、改変でもできます。でもそれだと、笹子先輩はまた“説明を求められた側”のままです」


 そこで、スマホのスピーカーからねむの声が聞こえた。珍しく、テキストではなく通話に切り替えていた。


「……それ、彼に合ってると思う」


 短い沈黙。ねむの声は小さかった。対面では緊張しやすいねむが、通話でも声を絞っている。


「弁明じゃなくて、作品で見せる。……そっちのほうが、強い」


**


 翌日。被服部の部室。


 コンテストのページを開いたスマホを作業台の上に置いて、俺たちは話を切り出した。すると、山田先輩はCAD画面から顔を反らさずにこう呟く。


「別に、わかってもらうために着るわけじゃないでしょ」


 笹子先輩は、コンテストのページを見つめていた。しばらく黙ったまま、画面をスクロールしている。


「出したほうがええんかな……」


 先輩はゆっくりと言った。


「でも——"説明"するよりは、そっちのほうがましやな」


 山田先輩が手を止めた。


「屋上また使うなら、申請いるか。生徒会に出さないと」


 笹子先輩がCADの画面を閉じて、窓の外を見た。


「……変身、か」


 先輩の声は、小さかった。だがそこには、昨日までなかった温度が混じっていた。



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