懐かしゅうございますね
潤州が落ちても、休めるわけじゃなかった。
「三娘ォ、顔ひどいよォ」
「誰のせいよ!」
「アタイじゃないねェ」
顧大嫂が横から覗き込む。
「李俊が生きてて安心した顔じゃないかい?」
「何でそこ拾うの!?」
「分かりやすいからねぇ」
孫二娘まで頷いた。
「情動が顔に出てるよォ」
「心理学で恋愛実況しないで!」
二人から逃げようとした、その時だった。
林冲が長い包みを抱えてやってくる。
「玉楼」
差し出された包みを受け取った瞬間、玉楼の表情がほんの少しだけ変わった。
「……懐かしゅうございますね」
え?
……何が?
潤州の火は、夜明け近くまで消えなかった。
煙はまだ城の上へ流れ、焼けた木と血の臭いが残っている。
勝ったはずなのに、梁山泊の兵達は静かだった。
壁際で座り込む者もいれば、傷の手当てを受けながら目を閉じている者もいる。
アタシが水門の近くまで歩くと、玉楼も隣についてきた。
少し離れたところでは、孫二娘が負傷兵へ水を配っている。
「ほら、飲みなァ。死ぬなら飲んでからにしな」
「朝から縁起でもないこと言わないでよ!」
「三娘ォ、今は水分取らせる方が先なんだよォ」
「言い方の話!」
顧大嫂が湯を運びながら笑った。
「二娘に優しい言葉を期待する方が間違ってるんじゃないかい?」
「大嫂まで何言ってんのさァ!」
文句を言いながらも、孫二娘の手は止まらない。
顔色の悪い兵を見つければしゃがみ込み、受け答えがおかしければ近くの者を呼ぶ。
潤州へ入る前には頭領達の様子を見て、今は負傷兵の間を歩き回っている。
「アンタ、いつ休んでるの?」
「三娘ォに言われたくないねェ」
「今それ返す!?」
孫二娘が笑う。
言い返そうとしたところで、水路側に見覚えのある姿を見つけた。
李俊だった。
煤で顔を汚し、半分濡れた服のまま、水軍の兵達と一緒に船を寄せて負傷者を岸へ上げている。
でも、生きている。
それだけで、胸の奥に残っていたものが少しほどけた。
李俊もこちらへ気づく。
「……随分派手に燃やしたわね」
「そっちも大概だろ」
声は掠れていた。
それでも、いつもの李俊だ。
玉楼が軽く頭を下げる。
「お見事でございました」
「水の上で飯食ってきたからな」
李俊は肩をすくめた。
アタシは水門を見る。
あそこが開かなければ、潤州へ入ることも出来なかった。
「……ありがとう」
李俊が一度だけこっちを見る。
何か言うのかと思ったら、少し息を吐いただけだった。
「まだ終わっちゃいねぇよ」
「分かってる」
「ならいい」
「そこで終わるの!?」
「何がだ」
「何でもない!」
何を期待したのよ、アタシ。
後ろから孫二娘の声が飛ぶ。
「三娘ォ、今ちょっと期待外れって顔したねェ」
「見てないで仕事して!」
「仕事しながら見てるんだよォ」
「器用!」
李俊の口元が僅かに緩んだ。
それが余計に腹立つ。
その時だった。
「玉楼」
林冲の声がした。
振り返ると、長い包みを持ってこちらへ歩いてくる。
「少し来い」
「はい」
玉楼が前へ出る。
林冲は地面へ包みを置き、布を解いた。
中から現れた得物を見て、アタシは首を傾げる。
長い柄の先には、槍とは違う大きな刃が付いていた。
「何それ?」
「方天画戟だ」
「名前からして強そう」
林冲が呆れた顔をする。
「感想がそれか?」
「初めて見るんだから仕方ないでしょ!」
林冲は気にせず、玉楼を見る。
「呂方から譲ってもらった。俺が持っているより、お前に使わせた方がいいと思ってな」
「わたくしに、でございますか?」
「ああ」
玉楼は差し出された方天画戟へ手を伸ばした。
受け取った瞬間、ほんの少しだけ表情が変わる。
「……懐かしゅうございますね」
「懐かしい!?」
思わず声が大きくなった。
玉楼は柄を確かめるように握り直した。
「幼い頃より、扱い方を習っておりましたので」
「方天画戟を!?」
「はい、わたくしの実家では、昔からずっと扱い方が伝わっております」
何その情報。
今まで一度も聞いてない。
林冲も意外だったらしく、方天画戟と玉楼を見比べた。
「そうだったのか」
「はい」
「じゃあ何で今まで槍だったの?」
アタシが聞くと、玉楼は平然と答えた。
「方天画戟は、どこにでもある得物ではございませんので」
「それはそうだけど!」
「槍ならば手に入りやすうございます」
ものすごく現実的だった。
玉楼は少し場所を空けると、方天画戟を構えた。
「ちょっと、ここで振るの?」
「一度だけでございます」
「人いないところでやって!」
近くにいた兵達まで、何となく距離を取った。
玉楼が足を開いた次の瞬間、方天画戟が大きく弧を描いた。
重そうな見た目とは裏腹に動きが速い。
長い柄が回り、刃が風を切ったと思った時には、もう次の構えへ戻っていた。
アタシは思わず一歩引く。
「……普通に使えてる」
「幼い頃から習っていたと申し上げたではございませんか」
「聞いたけど、想像してたのと違う!」
林冲が腕を組む。
「槍より合ってるな」
「林冲まで!」
「何が不満だ」
「玉楼がまた強くなった!」
孫二娘と顧大嫂まで寄ってきた。
「三娘ォ、また相棒に置いてかれた顔してるよォ」
「してない!」
顧大嫂も方天画戟を眺めた。
「でも、よく似合ってるねぇ」
「似合いすぎなのよ!」
玉楼は方天画戟を手にしたまま、少し考えるように刃を見る。
「しかし、不思議な巡り合わせでございますね」
「何が?」
「呂方殿がお使いになっていたものなのでしょう?」
「そうだけど?」
「わたくしも、呂でございます」
「……え?」
聞き間違えたと思った。
「何て?」
「わたくしの姓も、呂でございます」
「姓あったの!?」
孫二娘が吹き出した。
「三娘ォ、驚くところそこ!?」
「だって今まで玉楼ってしか聞いてない!」
「お尋ねになりませんでしたので」
「聞かなきゃ言わないの!?」
林冲が横から口を挟む。
「俺は知っていたぞ」
「何で!?」
「最初に名を聞いたからだ」
「アタシ、ずっと一緒にいるのに知らなかったんだけど!」
玉楼が僅かに首を傾げる。
悪びれている様子が全くない。
「では、改めまして」
方天画戟を手にしたまま、玉楼が静かに頭を下げた。
「呂玉楼でございます」
少し間が空いた。
「……今さら改めて名乗られても!」
「三娘様がお気になさっておりますので」
「気にするでしょ!」
孫二娘が笑いながらアタシの肩へ腕を回した。
「三娘ォ、相棒の姓名知らずにここまで来たんだねェ」
「本人に言って!」
「お尋ねになりませんでしたので」
「またそれ!」
玉楼はいつもの顔で、昨日までと何も変わっていない。
それなのに「呂玉楼」と知った途端、今まで見えていなかった部分が一つだけ急に現れた気がした。
しかも、その手には方天画戟まである。
「……アタシ、また『いる?』ってならない?」
「三娘様?」
「何でもない!」
その日の午後、次の進軍について軍議が開かれた。
方臘の勢力圏は広く、このまま一軍で進むには時間が掛かり過ぎる。
呉用が地図を広げる。
「軍を二つに分けます。一軍は宋江殿を中心に南へ進み、二路軍は盧俊義殿が率いて水陽江沿いから宣州方面へ向かいます」
盧俊義が静かに前へ出た。
何度も見ている男なのに、立つだけで周囲が引き締まる。
呉用が続ける。
「林冲隊は二路軍へ編入いたします」
アタシは少しだけ息を吐いた。
林冲が行くなら、アタシ達も同じだ。
隣を見ると、玉楼――呂玉楼が地図を見ていた。
「三娘様」
「何?」
「先ほどから、わたくしを見過ぎでございます」
「だって呂だったんでしょ?」
「昨日も呂でございました」
「そういう問題じゃない!」
後ろで孫二娘が笑った。
「三娘ォ、情報の更新に時間かかってるねェ」
「アンタは順応早すぎ!」
李俊達の水軍も二路軍へ加わることになった。
水陽江沿いを進む以上、水軍は必要になる。
李俊が地図を眺めながら言う。
「宣州でも、水路は使えるな」
「また何か燃やす気?」
「何で俺が毎回燃やすんだ」
「潤州でやったでしょ!」
「お前にだけは言われたくねぇ」
「何でよ!」
孫二娘がすぐに口を挟む。
「三娘ォ、似た者同士って自覚しなよォ」
「どこが!?」
李俊が笑った。
否定しないのも腹立つ。
数日後、二路軍は潤州を発った。
水陽江には水軍の船が並び、その横を盧俊義の軍勢が岸沿いに進んでいく。
アタシは林冲隊の中で手綱を握り、隣を進む玉楼を見る。
その手には、今までの槍ではなく方天画戟があった。
「玉楼」
「はい」
「それ、本気で振る時は一応教えて」
「敵が参りましたら、お教えする前に振るかと存じます」
「やっぱりそうなる!?」
水陽江沿いの道は狭く、片側には流れが続き、反対側には林と崖が迫っていた。
何度か伏兵から矢を射掛けられ、水軍の船も岸から狙われたが、隊列は崩れない。
途中の村では人影がほとんどなく、井戸は使えなくされ、食糧も持ち去られていた。
こちらを正面から迎え撃つ前に疲れさせるつもりなのだろう。
孫二娘は歩みの鈍った兵を見つけるたび、水を渡して回っていた。
「喉が渇く前に飲みなァ。倒れてからじゃ遅いよォ」
顧大嫂が横から言う。
「今日は随分まともじゃないか」
「アタイだって毎回ひどいこと言ってるわけじゃない!」
「潤州じゃ、死ぬなら飲んでから死ねって言ってたねぇ」
「状況に合わせて言い方変えてるの!」
「そこはちゃんと考えてるんだ……」
「アタイを何だと思ってんのさァ!」
何日か進んだ頃、水陽江の先に城壁が見えた。
宣州だ。
ようやく着いたと思ったのに、向こうは休ませる気など全くなかった。
こちらが布陣するより先に城門が開く。
土煙を巻き上げながら、騎馬隊が飛び出してきた。
「到着直後に!?」
アタシが日月双刀へ手を掛ける。
林冲はすでに蛇矛を構え、盧俊義も馬を前へ出していた。
そして隣では、玉楼が方天画戟を持ち上げる。
宣州軍の先頭から、一騎の武将が突出した。
長槍を構えた男がこちらを睨み、声を張り上げる。
「梁山泊を潰せェッ!!」
敵軍が動いた。
アタシも馬を蹴る。
そして隣では――
呂玉楼が、久しぶりの方天画戟を戦場へ向けていた。
三娘様は、わたくしの姓を知ってから妙にこちらをご覧になります。
「三娘ォ、まだ処理できてないねェ」
「処理って言うな!」
顧大嫂殿まで笑いました。
「ずっと一緒だったのに姓も知らなかったんだろ?」
「本人が言わなかったの!」
「お尋ねになりませんでしたので」
「玉楼まで乗らないで!」
孫二娘殿が、わたくしの方天画戟を見上げます。
「で、三娘ォ。相棒がもっと強くなった感想は?」
「アタシの立場を聞かないで!」
まだ何もしておりませんのに……
ですが、宣州の城門が開き、敵の騎馬がこちらへ走り出した時――三娘様は真っ先に笑いました。
「玉楼、今度はそれで行くんでしょ?」
もちろんでございます。
久しぶりに手にした、身体が覚えている得物でございました。




