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生存確認

李俊の船が、水門の前で止まった。

「三娘ォ、さっきから瞬き減ってるよォ?」

「数えてたの!?」

顧大嫂が横から覗き込む。

「李俊が心配なんだろ?」

「今は作戦中なの!」

「否定になってないねぇ」

孫二娘が楽しそうに頷いた。

「注意が一点に集中してるねェ。まあ、好きな男が敵城の前にいるんだから当然だけど」

「心理学を使うまでもないでしょ!」

「じゃあ普通に言うよォ。三娘、李俊しか見てない」

「水門も見てる!」

顧大嫂が笑った。

「その水門の前に李俊がいるんだろ?」

「二人で逃げ道塞ぐな!」

その直後――潤州の夜空が、赤く染まった。

船は、まだ動かなかった。

水門の前で二隻の糧秣船が止まり、篝火を持った兵が船縁へ寄っている。

遠すぎて、何を話しているのかまでは分からない。

アタシは日月双刀の柄へ手を置いたまま、水面を睨んでいた。

触ったところで何も出来ない。

それくらい分かっているのに、手を離す気にもなれなかった。

「三娘様」

隣から玉楼に呼ばれる。

「分かってる」

「まだ何も申し上げておりません」

「どうせ待てって言うんでしょ」

「では、申し上げる必要もございませんね」

「そういうところ!」

後ろから孫二娘の声まで飛んできた。

「三娘ォ、さっき任せるのも対処行動って言ったばっかりだよォ」

「任せてる! だからここにいるの!」

「身体はねェ」

「心理職、本当にうざい!」

顧大嫂が笑ったものの、その声もすぐに途切れた。

水門の向こうで、篝火がもう一つ増えた。

李俊の船は動かない。

見破られたのか。

捕まったのか。

考えたくない方へ思考が滑り始めた、その時だった。

潤州の奥が赤く染まった。

一拍遅れて轟音が夜気を揺らし、城壁の向こうから火柱が噴き上がる。

「……やった」

口から勝手に出た。

玉楼の目にも炎が映っている。

続いて城内から怒鳴り声が届いた。

「火だァッ!」

それを合図にしたように、水門前の人影が一斉に動いた。

見張りが振り返り、二隻の糧秣船から何人もの男が飛び出す。

遠目でも分かる。

李俊達だ。

「開ける気だ!」

アタシが叫ぶと、林冲もすぐに馬を前へ出した。

「全軍、備えろ!」

梁山泊軍が動き始める。

今度は正面の城門側でも鐘が鳴った。

城内へ入った水軍は、兵糧蔵だけではなく城門へも手を回しているらしい。

さすがに仕事が早い。

「三娘ォ」

「何!?」

「嬉しそうだねェ?」

「城門が開きそうなんだから当たり前でしょ!」

「李俊が無事だからじゃなくて?」

「違う!」

顧大嫂まで笑う。

「どっちでも似たようなもんだろ」

「全然違う!」

言い返した瞬間、城門の内側から重い軋みが聞こえた。

扉が僅かに開く。

隙間へ内側から何人もの影が取り付き、その幅を押し広げていった。

「開いたぞォッ!!」

張順の声だった。

「行くわよ!」

アタシが馬を蹴る。

「承知しております!」

玉楼の返事が聞こえた時には、もう白い馬が隣へ並んでいた。

「また先に動いてる!」

「返事はいたしました!」

「そういう問題じゃない!」

梁山泊軍が城門へ殺到する。

狭い隙間を抜けて城内へ入った瞬間、むっとする熱気が顔を打った。

兵糧蔵の方角から上がった火は周囲へ広がり、屋根の一部まで赤く染めている。

消火へ走る者と城門へ向かう兵が入り乱れ、潤州の守備側は明らかに混乱していた。

それでも、逃げてはいない。

「聖公万歳!!」

叫びながら槍兵が突っ込んでくる。

アタシは馬上から右の刀で穂先を外し、左を返して腕を斬った。

別の槍が横から伸びる。

「右でございます!」

「見えてる!」

受けるより早く、玉楼の槍が敵兵の胸を突いた。

そのまま穂先を引き、柄を返して次の一人を薙ぎ倒す。

「だから先にやらないで!」

「見えているのでしたら、三娘様もお急ぎくださいませ!」

「煽ってる!?」

これが戦場じゃなかったら、絶対に止まって言い返している。

だが、方臘軍は待ってくれなかった。

通りの奥から盾兵が前へ出て、その陰から槍が一斉に突き出される。

狭い道だからこそ、少ない人数でこちらの進みを止められる。

林冲の蛇矛が横から入り、盾ごと前列を崩した。

「止まるな! 城門を広げろ!」

梁山泊兵が押し込む。

しかし、昨日とは違う形で厄介だった。

城壁を越えれば終わりではない。

街路は入り組み、曲がり角の先から矢が飛んでくる。

屋根に潜んでいた兵が石を落とし、少し進んだだけで隊列が詰まった。

「城門開けたのに全然楽にならないんだけど!」

「敵城でございますから当然です!」

「分かってるけど言いたくなるの!」

その時、通りの奥で太鼓が鳴った。

方臘軍の動きが変わる。

退きかけていた兵が足を止め、左右の路地から新手が出てきた。

「聖公万歳!!」

昨日と同じ声だ。

城内で火が上がり、兵糧まで焼かれている。

それでもこの連中は前へ出てくる。

「……本当に下がらない」

思わず漏らすと、玉楼が槍で敵の穂先を払った。

「ならば、下がる理由を作るまででございます」

「玉楼、それ怖い!」

「褒め言葉として頂戴いたします」

「孫二娘みたいな返ししないで!」

すると後ろから声が飛んできた。

「呼んだァ?」

「呼んでない!」

何で聞こえるのよ!

その直後、前列の兵がまとめて吹き飛ばされた。

馬が驚いて足を止めた先で、人垣の向こうから大柄な男が現れた。

重そうな鎧をまとい、それ以上に巨大な大斧を両手で構えながら、狭い通りを塞ぐように前へ出てくる。

「沈剛様だ!」

方臘兵の声が上がった。

沈剛が大斧を横に振るう。

梁山泊兵の盾が弾け、人が二人まとめて転がった。

さすがに、その辺の兵とは違う。

「また面倒なの出てきた!」

アタシは日月双刀を構え直した。

沈剛がこちらを見て、大斧を持ち上げる。

真正面から受けたら、さすがに重い。

軌道をずらして懐へ入ろうとした瞬間、白い馬が横を抜けた。

「え?」

玉楼だった。

「玉楼!?」

呼んでも返事はなく、そのまま沈剛の正面へ入っていく。

大斧が振り下ろされるより先に槍を突き出した。

穂先が柄を打つ。

沈剛の腕が開いたところへ、二撃目が走った。

肩を裂き、返した槍の石突が顎を跳ね上げる。

「ちょっと待って」

アタシが追いつく前に、玉楼はもう次へ移っている。

沈剛が怒鳴り、大斧を力任せに振り回した。

玉楼は受けなかった。

馬を僅かにずらして斧を通し、その勢いが抜けたところへ槍を滑り込ませる。

穂先が沈剛の腕を貫いた。

大斧が石畳へ落ちる。

「強っ!?」

言ってから思い出した。

いや、知ってた。

王英なんて最初から相手にならなかったし、林冲とだって渡り合っていた。

それでも本気で敵将を仕留めに行く玉楼を見ると、改めておかしい。

沈剛が血を流しながら大斧へ手を伸ばす。

玉楼は待たず、槍を引いた直後に沈剛の喉へ穂先を突き込んだ。

巨体が止まり、そのまま石畳へ崩れ落ちる。

周囲の方臘兵から声が消えた。

アタシも一瞬、言葉を失った。

玉楼が振り返る。

「三娘様?」

「……アタシ、いる?」

「何を仰っているのでございますか?」

「今の見たら、ちょっと自信なくすんだけど!」

「でしたら左をお願いいたします」

「普通に仕事振られた!」

左から迫った兵を日月双刀で斬り払う。

沈剛が倒れたことで、方臘軍の前列が初めて大きく揺らいだ。

林冲が見逃すはずもない。

「押せ!」

蛇矛が前を示し、梁山泊軍が一気に距離を詰める。

兵糧蔵の火はまだ消えず、水門側からも味方が流れ込んできた。

その中に、見覚えのある姿がある。

李俊だ。

無事だった。

胸の奥で固まっていたものが、そこでようやく解けた。

向こうもアタシを見つける。

一瞬だけ目が合うと、李俊が何か言った。

声までは届かないけれど、多分、「来たのか」とでも言っている。

アタシも口だけで返した。

当たり前でしょ。

李俊が笑ったように見えた。

「三娘ォ!」

孫二娘の声が飛んでくる。

「戦場で見つめ合ってる場合じゃないよォ!」

「見つめ合ってない!」

「じゃあ今の何?」

「生存確認!」

顧大嫂の笑い声まで聞こえた。

何でそこだけ全員よく見てるのよ!

やがて潤州の奥で鐘が鳴った。

方臘兵達が互いの顔を見て、少しずつ後ろへ退き始める。

今度こそ撤退の合図らしい。

玉楼も槍を下げ、ゆっくり息を整えた。

「……ようやくでございますね」

「うん」

勝った。

潤州は落ちた。

それでも、嬉しいという言葉だけでは終われなかった。

燃えた家々の向こうには、敵も味方も倒れている。

李俊が無事だったことに安心している自分もいるし、玉楼がいつものように隣へ戻ってきたことにもほっとしている。

それを全部抱えたまま、アタシは赤く染まった潤州を見た。

そして――

肉の焼ける匂いと、死の匂いだけは、最後まで消えなかった。

沈剛を討った後、三娘様が妙な顔でわたくしを見ておられました。

「玉楼、あれ反則じゃない?」

「何がでございますか?」

孫二娘殿が笑います。

「三娘ォ、自分の相棒が強すぎてアイデンティティ揺らいでるねェ?」

「揺らいでない!」

顧大嫂殿が腕を組みました。

「でも『アタシいる?』って聞いてたじゃないか」

「聞いたけど!」

「じゃあ玉楼一人でよかったんじゃないかい?」

「それは違う!」

思わず、わたくしも笑いました。

三娘様がいなければ、わたくしが前へ出る意味も違ってしまいます。

ですが――潤州を落とした程度で、方臘との戦は終わりません。

燃える城の向こうには、まだ南へ続く道がございました。

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