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灼熱の圧迫

「始まったねェ」

孫二娘が、鍋を混ぜながら笑う。

「今度は、“暑い・狭い・落ちてくる”の三重苦だったんだって?」

顧大嫂が酒を煽った。

「しかも前哨戦で、もう全員ぐったりらしいねぇ」

「本当に暑かったのよ!!」

即座に声が飛ぶ。

孫二娘が吹き出した。

「出たよォ!!」

「今回は戦より先に暑さへ文句言ってる!!」

「だって暑いのよ!!」

また外から返って来る。

「風が来ても熱風なの!!」

「岩も熱いの!!」

「鎧なんて蒸し焼きなの!!」

顧大嫂が肩を揺らした。

「うわ、“戦場というより窯”だ」

「嫌だねぇ」

小さな笑いが広がる。

鍋の煮える音だけが、静かに続いていた。

アタシは思わず額を押さえる。

「しかも狭いのよ」

「一本道だし」

「横へ回れないし」

「落石まで飛んでくるし」

孫二娘が頷く。

「まあ、それは嫌だねェ」

「いつもの様に暴れ回れない訳だ」

「そうなのよ」

思わず身を乗り出す。

「前へ行っても詰まるの!」

「後ろも詰まるの!」

「誰か倒れても詰まるの!」

顧大嫂が酒を飲みながら笑った。

「道そのものが敵じゃないか」

「そうなのよ!!」

即答だった。

孫二娘が肩を揺らす。

「で?」

「董平は?」

嫌な予感がした。

「何よ」

「突っ込んだんだろォ?」

少しだけ黙る。

顧大嫂が笑いを堪えていた。

「……突っ込んだわね」

「ほらァ!!」

孫二娘が腹を抱える。

「予想通りだ!!」

「狭路でも関係無し!!」

「董平だねェ!!」

「だって止まらないんだもの!!」

思わず声が大きくなる。

「前が詰まってても行くのよ!?」

「落石してても行くのよ!?」

「囲まれても行くのよ!?」

顧大嫂が吹き出した。

「脳筋だねぇ」

「見事なまでに脳筋だ」

鍋の湯気が揺れる。

湿った風が、静かに吹き抜けた。

その時――

孫二娘が、わざとらしく首を傾げる。

「でもさァ」

「張清も居たんだろ?」

アタシは頷く。

「居たわね」

「止めたのかい?」

少し間が空く。

「……止める気はあったと思う」

「思う?」

「本人も前出てたから」

一瞬だけ静かになる。

それから――

二人が同時に吹き出した。

「駄目じゃないか!!」

「全員前行ってる!!」

「だから嫌だったのよ!!」

笑い声が広がる。

「董平は突っ込むし!」

「張清も石投げながら前出るし!」

「誰も後ろで待たないのよ!!」

孫二娘が笑い過ぎて鍋を揺らした。

「アンタもだろォ!!」

「違うわよ!!」

「どこがだい!!」

顧大嫂まで肩を震わせる。

「梁山泊の脳筋が三人並んでるだけじゃないか」

鍋の音だけが、小さく続く。

でも――

少しして、その笑いも静かになった。

アタシは火を見る。

乾いた山道。

砕けた岩。

落石。

熱気。

そして――

独松関の向こう側。

「……あれ、まだ入口なのよ」

小さく呟く。

孫二娘も黙る。

顧大嫂も酒を置いた。

前哨戦。

蔣印討死。

それでも敵は残っている。

呉昇も衛亨も退いた。

独松関そのものは、まだ崩れていない。

それに――

董平も、張清も、まだ元気だった。

それが少し嫌だった。

「籠るわね」

アタシは、小さく息を吐く。

「絶対籠る」

「だろうねぇ」

顧大嫂が頷いた。

「今日だけで分かるさ」

「まともに戦う場所じゃない」

孫二娘も珍しく笑わない。

暑さ、狭路、伏兵、落石。

独松関は、人を少しずつ疲弊させる場所だった。

だから――

これから先の方が厄介なのだ。

夜は、何も答えない。

ただ静かなまま――

熱気に揺れる一本松と、

その向こうで待ち構える独松関だけを――

湿った風の中へ、静かに残しているみたいだった。

山道を駆け下りる三将の中央。

黒い鎧の男が、馬上から怒鳴る。

「梁山泊めッ!」

「ここを通れると思うな!」

声が山へ反響した。

暑い。

叫ぶだけで喉が焼けそうだった。

アタシは、双刀へ手を掛ける。

でも、すぐには動かなかった。

道が狭い。

前へ出過ぎれば、逆に詰まる。

張清も、それを見ていた。

「無理に出るなよ」

珍しく、少し低い声だった。

その瞬間、矢が飛ぶ。

岩陰からだった。

「上です!」

玉楼が叫ぶ。

次の瞬間、山道へ矢が降り始めた。

兵達が盾を上げる。

狭い道のせいで、避けきれない。

後ろが詰まり始める。

「止まるな!」

「前だけ見ろ!」

董平が怒鳴る。

その声に押されるように、梁山泊側も前へ出る。

灼熱の山道で、最初の激突が始まった。


矢が、岩へ突き刺さる。

乾いた音が、熱気の中へ散った。

「前へ出ろォ!」

呉昇が、山道を駆け下りながら号令する。

その後ろから、兵が押し寄せてくる。

道が狭い。

数が多いのに、広がれない。

だから前列同士が、そのままぶつかる形になる。

槍が突き出される。

盾がぶつかる。

逃げ場が無い。

アタシは、前へ出ようとして――止まった。

前が詰まる。

ここで勢いだけで踏み込めば、逆に後ろが動けなくなる。

「チッ……!」

思わず舌打ちが漏れる。

その横を、董平が強引に馬で押し上げた。

「開けろォ!」

槍が唸る。

真正面から、敵兵ごと押し崩していく。

狭い山道なのに、止まる気が無い。

兵達が、半ば押し出されるように前へ動いた。

「無茶苦茶ね……!」

アタシが睨むと、張清が苦笑する。

「でも、こういう時は合ってる」

その瞬間、上から岩が落ちた。

岩肌へ激突する。

砕けた岩の欠片が、兵達へ降り注いだ。

「うわァッ!?」

悲鳴とともに、隊列が揺れる。

玉楼が、すぐ声を飛ばす。

「止まらないで下さい!」

「止まれば詰まります!」

その通りだった。

止まった瞬間、この山道は全部塞がる。

暑さ、熱気、怒号、矢……

独松関は、戦う前から人を押し潰そうとしていた。


前列が、完全にぶつかった。

槍と槍が噛み合う。

狭い山道のせいで、横へ回れない。

押すしかない。

「押し込めェ!」

呉昇の怒鳴り声が響く。

敵兵が、上から押し潰すみたいに迫ってくる。

山道そのものが、向こうに味方している感じだった。

董平は止まらない。

真正面から槍を叩き込み、そのまま馬で押し込む。

「邪魔だァ!」

敵兵ごと、山道の端へ叩き飛ばした。

でも、すぐ次が来る。

狭いせいで、倒れた兵すら邪魔になる。

アタシは、ようやく前へ踏み込んだ。

双刀が走る。

槍を払う。

そのまま、前列の兵の喉を裂いた。

でも、前は広がらない。

狭い道を次から次へと、敵兵が押し寄せてくる。

「やりにくッ……!」

思わず吐き捨てる。

いつもの戦い方が通らない。

横へ回れない。

距離も取れない。

ただ、前から来る敵を潰していくしかない。

その時だった。

前方の敵兵が、急に割れる。

奥から、一騎の将が馬を飛ばしてきた。

「蔣印様だ!」

敵兵が叫ぶ。

長槍が、熱気を裂きながら真っ直ぐ董平へ突き出された。


董平は、避けなかった。

突き出された長槍へ、真正面から自分の槍を叩き込む。

金属音が、山へ響いた。

「ぬォッ!?」

蔣印の顔が歪む。

重い。

真正面からぶつかったまま、董平がそのまま押し込んだからだ。

馬同士がぶつかる。

狭い山道で、逃げ場が無い。

董平が、笑った。

「押し負けるかよォ!」

そのまま、槍を捻る。

蔣印の槍先が弾かれた。

だが、その瞬間――

横の岩陰から、敵兵が一気に飛び出す。

「囲めェ!」

呉昇の声だった。

アタシは、舌打ちしながら馬を寄せる。

双刀で槍を払う。

でも、道が狭い。

董平の横へ並び切れない。

「邪魔ッ!」

敵兵を斬り倒しても、すぐに前が埋まる。

後ろでは、落石の音まで響いていた。

隊列が、ずっと揺れている。

張清が、周囲を睨みながら低く言う。

「嫌な攻め方しやがる……」

正面だけじゃない。

熱、岩、矢、落石。

独松関そのものが、少しずつこちらを削っていた。

その時、蔣印が体勢を立て直す。

「このまま押し潰せェ!」

敵兵が、また一気に前へ押し寄せてきた。


蔣印が、再び槍を突き出す。

速く、鋭い。

しかも、この狭さだ。

避ける場所が無い。

董平は、真正面から受けた。

火花が散る。

槍同士が噛み合ったまま、互いに押し込もうとする。

馬が嘶く。

足場も悪い。

岩と死体で、山道そのものが埋まり始めていた。

「どけェ!」

董平が吼える。

そのまま、力任せに槍を振り抜いた。

蔣印が、ギリギリで身を捻る。

でも、その後ろの兵が吹き飛んだ。

狭い。

だから逃げられない。

巻き込まれた兵ごと、山道の端へ吹き飛んでいく。

アタシは、その隙へ馬を押し込んだ。

双刀が走る。

敵兵の槍を絡め取る。

そのまま喉を裂いた。

でも、止まらない。

すぐ次が前へ出てくる。

「くッ……!」

熱気で息が重い。

汗が目へ入る。

しかも、上からはまだ矢が飛んでくる。

張清が、岩陰へ石礫を叩き込んだ。

悲鳴が上がる。

「上にも居るぞ!」

その声と同時に、また落石が来た。

岩が落ち、兵が潰れる。

狭い山道の空気が、さらに乱れた。

その瞬間――

蔣印が、董平の懐へ槍を滑り込ませる。

「獲ったァ!」

怒声が響いた。


「押せェ!」

董平の怒号が、山道へ響く。

梁山泊側が、一気に前へ出た。

乱れた敵前列へ、そのまま押し込む。

蔣印も、槍を構え直そうとしていた。

だが、もう遅い。

アタシは、馬を滑り込ませ、

双刀で斬り込んでいく。

蔣印が、咄嗟に槍を戻す。

火花が散った。

でも、逃げ場が無い。

董平が、横からさらに押し込む。

馬同士がぶつかる。

その瞬間、蔣印の身体が揺れた。

「そこだァ!」

董平の二本の槍が、真正面から叩き込まれる。

鈍い音。

蔣印の身体が、馬上から崩れ落ちた。

「蔣印様ァ!?」

敵兵達の顔色が変わる。

その隙に、梁山泊側がさらに前へ出た。

だが――

呉昇が、すぐ怒鳴る。

「退け!」

「関まで下がれェ!」

敵兵が、一気に後ろへ流れ始める。

衛亨も、兵をまとめながら後退していく。

追おうとした兵が、すぐ山道で詰まった。

倒れた兵。 落石。 砕けた岩。

道が、もうまともに動けない。

「深追いするな!」

張清の声が飛ぶ。

その時には、敵側はもう独松関側へ引き始めていた。

熱気だけが残る。

アタシは、汗を拭いながら息を吐いた。

暑い――

喉が焼ける。

まだ前哨戦なのに、身体が重かった。

その奥の一本松の向こうに、独松関が見えている。

敵は、あそこへ籠るつもりだ。


梁山泊軍本隊へ戻った頃には、陽はかなり傾き始めていた。

でも、暑さは全く引かない。

宿営地の空気まで熱を持っている。

兵達は、水を飲みながら地面へ座り込んでいた。

鎧を脱いでいる者もいる。

落石で潰された兵。

矢傷を負った兵。

熱で動けなくなっている者までいた。

前哨戦だけで、消耗が激しい。

アタシは、汗で張り付く髪をかき上げながら幕舎へ入った。

中には、既に頭領達が集まっている。

卓の上には、独松関周辺の地図。

その奥へ、一本松の印が大きく描かれていた。

董平が、水を一気に飲み干す。

「チッ……面倒な関だ」

珍しく、苛立っていた。

張清も、汗を拭いながら地図を見る。

「押し切れなくはない」

「でも、時間は食うな」

呉用が、静かに頷いた。

「蔣印は討ち取りました」

「ですが、呉昇と衛亨は既に関へ退いています」

朱武が、そのまま続ける。

「独松関は、この先さらに狭くなります」

「正面から押し込めば、被害は増えるでしょう」

誰も否定しない。

今日だけで、嫌というほど分かった。

熱、狭路、落石、伏兵……

独松関は、まともに戦わせる気が無い。

玉楼が、小さく口を開く。

「籠城戦になりますね」

その言葉で、幕舎の空気が少し重くなった。

短く終わる戦ではない。

そういう空気が、もう頭領達全員へ広がり始めていた。

夜は、相変わらず静かでした。

銅鑼もありません。

馬の嘶きも、怒号もありません。

あるのは、湿った風と、鍋の煮える音だけです。

その中で――

孫二娘殿と顧大嫂殿は、今日も鍋を囲んでおられました。

独松関へ出陣しても鍋。

前哨戦を終えても鍋。

もしかすると、このお二人にとって鍋とは補給線そのものなのかもしれません。

――閑話休題

「で?」

孫二娘殿が、鍋を混ぜながら笑います。

「今度は、“前哨戦なのに本番みたいに疲れた回”だったんだって?」

顧大嫂殿が酒を煽りました。

「しかも相手、まだ関の入口だったらしいねぇ」

幕舎の外から、すぐ声が飛びます。

「そうなのよ!!」

孫二娘殿が吹き出しました。

「出たよォ!!」

「まだ入口で文句言ってる!!」

「だって入口なのよ!!」

また外から返って来ます。

「入口で落石よ!?」

「入口で伏兵よ!?」

「入口で蒸し焼きよ!?」

顧大嫂殿が肩を揺らしました。

「うわ、入口の仕事量じゃないねぇ」

「嫌だねぇ」

小さな笑いが広がります。

鍋の煮える音だけが、静かに続いていました。

私は、その湯気を見ながら小さく目を伏せます。

確かに、独松関は厄介でした。

暑さだけではありません。

道が狭い。

前へ出れば詰まり、

後ろへ下がれば止まる。

戦場というより、山そのものが敵でした。

私は静かに口を開きます。

「……敵は、よく地形を使っていました」

孫二娘殿が、少しだけ笑いを止めました。

「伏兵かい?」

私は頷きます。

「はい」

「岩陰」

「落石」

「高所の弓兵」

「どれも、正面の戦力だけではありません」

湿った風が、静かに吹き抜けます。

「だからこそ」

「蔣印を討っても終わらなかったのでしょう」

顧大嫂殿も、小さく頷きました。

「大将一人倒して終わる相手じゃないって事か」

「はい」

私は静かに答えます。

その時――

孫二娘殿が、急にニヤつきました。

「で?」

「玉楼はまた後ろから見てたんだろォ?」

外が、一瞬だけ静かになります。

それから――

「……見ておりました」

ぼそっと返事を返しました。

孫二娘殿が腹を抱えて笑います。

「出た!!」

「観察癖!!」

「絶対また周り見てた!!」

また外から声が飛びました。

「この人ね!!」

「落石より先に周囲の逃げ道見てるのよ!!」

「怖いのよ!!」

顧大嫂殿が酒を吹きかけます。

「うわ、“戦場で避難経路確認する侍女”だ!!」

「頼もしいけど怖いねぇ!!」

笑い声が広がりました。

ですが――

その笑いも、少しずつ静かになっていきます。

鍋の湯気が、夜へ溶けました。

私は、小さく息を吐きます。

「……ですが」

「本当に気になったのは」

「扈三娘様だったのでしょう」

孫二娘殿も、顧大嫂殿も何も言いません。

私は静かに続けます。

「以前なら、もっと早く前へ出ておられました」

「ですが今回は違いました」

少し間を置きます。

「前が詰まる事を見ていた」

「地形を見ていた」

「無理に飛び込まなかった」

湿った風が、静かに幕舎を揺らしました。

外から、小さく声が返って来ます。

「……だって詰まるんだもの」

少し間が空きます。

「どうしようもなかったのよ」

私は頷きました。

「はい」

「それもまた経験なのでしょう」

孫二娘殿が、小さく笑います。

「つまり?」

顧大嫂殿も肩を揺らしました。

「脳筋が少し賢くなったって事さ」

「誰が脳筋よ!!」

即座に外から返って来ます。

笑い声が広がりました。

私は、その声を聞きながら静かに目を伏せます。

独松関の戦は始まったばかりです。

蔣印は討たれました。

ですが――

呉昇も衛亨も残っています。

関も残っています。

そして何より、

あの一本松の向こうには、

まだ本当の独松関が待っています。

夜は、何も答えません。

ただ静かなまま、少しずつ――

灼熱の山道と、

その奥で口を開けて待つ独松関だけを、湿った風の中へ、静かに残している様でした。

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