表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
78/103

崩城の静夜

「で?」

孫二娘が、鍋を混ぜながら首を傾げる。

「今度は、“白勝が門番に転職した回”なんだって?」

顧大嫂が酒を煽った。

「しかも、“開ける係”を二回やらされたんだろ?」

「嫌だねぇ」

外は静かな夜だった。

銅鑼も無い。

馬の嘶きも無い。

湿った風だけが、幕舎の帷幕をゆっくり揺らしている。

アタシは、小さく息を吐いた。

「……二回だったわね」

孫二娘が吹き出す。

「だろうねェ!!」

「一個開けたら終わりじゃなかったのかい!?」

「終わらなかったのよ!!」

思わず声が大きくなる。

「やっと城門開いたと思ったら!」

「その先に、また門があるの!!」

顧大嫂が肩を揺らした。

「うわ、“ラスボス倒したと思ったら第二形態”だ」

「本当にそんな感じだったわよ!!」

鍋の煮える音だけが、小さく続く。

アタシは湖州の城門を思い出していた。

重い横木、濡れた木戸。

それから――

甕城。

孫二娘が、鍋を混ぜながら笑う。

「白勝、絶対あの顔してたろ」

「どの顔よ」

「“まだあるのかよ……”の顔」

「してたわね」

即答だった。

顧大嫂が酒を吹きかける。

「そりゃするさ!!」

「何回門開ける気なんだい!!」

小さな笑いが広がる。

でも――

アタシは、少しだけ真顔になる。

「でもね」

湿った風が静かに吹き抜ける。

「間に合ったのよ」

孫二娘の笑いが少し収まる。

顧大嫂も黙って聞いていた。

アタシは火を見る。

横木、甕城、押し寄せる城兵……

それから――

外門の向こうで待つ二路軍。

「あと少し遅かったら」

小さく息を吐く。

「閉じられてたかもしれない」

鍋の音だけが、小さく続いた。

顧大嫂が、静かに酒を飲む。

「だから急いでたのか」

「そう」

アタシは頷く。

「城兵も気付き始めてた」

「銅鑼も鳴ってた」

「でも、時遷は止まらなかった」

孫二娘が肩を竦める。

「嫌だねぇ」

「普通なら逃げる頃だ」

「そうなのよ」

また声が返って来る。

「この人、“次の門”しか見てないの!!」

「後ろで戦い始まってるのに!!」

顧大嫂が笑う。

「うわ、“盗賊の皮を被った仕事人”だ」

笑いが広がる。

だが、その笑いも少しずつ静かになっていった。

アタシは、湖州の夜を思い出していた。

外門が開く。

鬨が上がる。

松明の火が増える。

そして――

城へ雪崩れ込む二路軍。

「そこで終わりじゃなかったのよね」

小さく呟く。

「え?」

孫二娘が首を傾げる。

「だって」

アタシは苦笑した。

「今度は守将が逃げるのよ」

顧大嫂が額を押さえた。

「ああ、そうなるか」

「そうなるの」

鍋の音だけが続く。

湖州は開いた。

でも、まだ落ちてはいない。

守将は逃げる。

兵は抵抗する。

城内は混乱する。

だから――

戦は、まだ続いていた。

孫二娘も、今度は笑わなかった。

湿った風が幕舎を揺らす。

湖州の夜は、もう静かではない。

水門が開き、

城門が開き、

二路軍が流れ込んだ。

だが、本当に勝負が決まるのは――

その先だった。

夜は、何も答えない。

ただ静かなまま――

開かれた湖州の門と、

守将を追って城内を駆け抜ける時遷と白勝の背中だけを、

湿った風の中へ、静かに残しているみたいだった。

城門は、もう目の前だった。

分厚い木戸、鉄の補強、雨を吸って黒く濡れた木肌。

だが、城門前はまだ完全にはバレてはいない。

水門側で何か起きている。

それだけは伝わり始めていた。

だが、 何人いるのか。

どこまで入られたのか。

誰も分かっていない。

城門脇にいた兵も、まだ半分は様子見だった。

「……何だ?」

「水門の方か?」

火を掲げながら、周囲を見回している。

そこへ、時遷が滑り込んだ。

低く、速い。

濡れた石畳を、影が走る。

兵が気付いた時には、もう遅かった。

手が口を塞ぎ、短刀が喉を裂く。

血が飛び散る。

もう一人が、息を呑んで槍を向ける。

「な――」

白勝が横からぶつかった。

「悪いな!」

兵が城門へ叩き付けられる。

鈍い音。

だが、まだ銅鑼は鳴らない。

城全体は、まだ眠っていた。

時遷は、もう城門の内側を見ていた。

太い横木が渡されている。

門を支える、重い止め木だった。

白勝が顔をしかめる。

「……またかよ」

「外すぞ」

時遷が、すぐ横木へ手を掛ける。

そこへ、李俊の兵が数人駆け込んできた。

「押せ」

数人で横木を持ち上げる。

重い。

湿った木が軋む。

白勝が歯を食いしばった。

「っ……動け!」

木が、僅かに浮く。

だが、まだ外れない。

遠くでは、 ようやく城内の声が増え始めていた。

犬が吠え、誰かが怒鳴り、駆け寄る音がする。

でも、まだ間に合いそうだ。

湖州城は、 まだ“何が起きているか”を掴み切れていない。

「もう一回だ」

時遷が低く言う。

全員で、もう一度力を掛ける。

湿った木が、大きく軋んだ。

次の瞬間――

横木が外れる。

重い木が、石の上へ落ちた。

白勝は、すぐ木門へ手を掛ける。

「開けるぞ!」

内側から、城門を引く。

重い。

だが、動く。

黒く濡れた木戸が、ゆっくり内側へ開き始めた。

その瞬間、 遠くで、ようやく銅鑼が鳴った。

もう遅い。

第一の門は、もう開き始めていた。


黒く濡れた木戸が、ゆっくり開いていく。

外の夜気が、城門の隙間から流れ込んだ。

白勝は、荒い息を吐く。

「……開いた」

その向こうには、まだ闇しか見えない。

だが、その闇の奥で、梁山泊軍が待っている。

遠くで銅鑼が鳴り続ける。

湖州城は、ようやく異変へ気付き始めていた。

「急げ」

時遷は、もう振り返らない。

視線は、さらに奥へ向いていた。

第一門の先―― 甕城だった。

高い壁に囲まれた、狭い空間。

その向こうには、さらに第二の門がある。

湖州城は、一枚開ければ終わる城じゃない。

白勝も、それを見て顔をしかめた。

「……まだあんのかよ」

「普通だろ?」

時遷が返す。

その時だった。

門の向こう側で、低い鬨が上がる。

梁山泊軍だ。

第一門が開いた事を察した二路軍が、ようやく動き始める。

松明の火が増え、槍の列が揺れる。

馬の息が、夜へ白く滲んだ。

だが、まだ雪崩れ込めない。

水門側では、李俊の水軍が持ち場を押さえる。

時遷達は、さらに奥へ向かう。

湖州城は、まだ完全には開いていなかった。


時遷は、甕城へ足を踏み入れる。

高い壁に囲まれた空間は、外よりも暗かった。

雨水が石畳へ溜まり、足音が鈍く響く。

白勝が、周囲を見回す。

「……嫌な場所だな」

「閉じ込める為の場所だからな」

時遷は止まらない。

視線は、もう外門へ向いていた。

また、分厚い木戸、鉄の補強、そして、その内側を支える太い横木。

湖州城は、簡単には開かない。

白勝が、思わず顔をしかめる。

「まだあるのかよ……」

「これも普通だ」

時遷が短く返す。

その時だった。

甕城の奥で、ようやく城兵達がこちらへ気付き始める。

「何だ!?」 「内門が――!」

声が揃わない。

まだ状況を飲み込めていない。

時遷は、その隙へ飛び込んだ。

濡れた石畳を、影が滑る。

最初の兵が崩れる。

白勝も、歯を食いしばって続いた。

「おらぁっ!」

槍を掴み、無理やり横へ逸らす。

李俊の兵が、その隙へ斬り込む。

狭い甕城の中では、人数が活きない。

兵達が押し合い、崩れる。

その間に、時遷はもう外門へ辿り着いていた。

「横木だ!」

白勝が叫ぶ。

また太い止め木が渡されている。

「湖州の奴ら、閉め過ぎだろ……!」

「押せ」

時遷が低く返す。

すぐ外では、二路軍が待っている。

だが、まだ入れない。

この外門を開かなければ、 梁山泊軍は湖州城へ踏み込めない。

全員で横木へ手を掛ける。

湿った木が軋んだ。

遠くでは、銅鑼が鳴り続けている。

だが、まだ間に合う。


全員で、横木へ力を掛ける。

重い。

湿った木が、低く軋んだ。

白勝が、歯を食いしばる。

「っ……どんだけ閉める気だよ!」

「城だからな」

時遷は、短く返す。

もう後ろでは、甕城の戦いが激しくなり始めていた。

城兵達も、ようやく状況を理解し始めている。

「外門を守れ!」 「閉じろ! 通すな!」

怒号が反響する。

だが、狭い。

甕城の中では、人数が上手く前へ出られない。

李俊の兵達が、通路を塞ぐように押さえていた。

槍がぶつかる。 悲鳴が上がる。 血が濡れた石畳へ飛び散った。

その間にも、時遷達は横木を押し上げる。

少しずつ。

ほんの僅かずつ。

木が浮く。

白勝の腕が震えていた。

「もう……少し……!」

時遷が、さらに力を掛ける。

湿った木が、大きく軋んだ。

次の瞬間――

横木が外れる。

重い木が、石の上へ落ちた。

鈍い音が、甕城へ響く。

白勝は、すぐ外門へ飛び付いた。

「開けるぞ!」

全員で、木戸を押す。

重い。

だが、動く。

黒く濡れた外門が、ゆっくり内へ開き始める。

その隙間の向こうには、松明の火が見えた。

梁山泊軍だった。

外で待っていた二路軍が、一斉に鬨を上げる。

湖州城の夜が、そこで完全に崩れた。


外門が開いた瞬間、二路軍が駆け出す。

鬨が、夜を揺らした。

待機していた梁山泊軍が、一気に城門へ雪崩れ込む。

松明の火、槍の列、馬の嘶き。

それまで外で息を押し殺していた軍勢が、ついに湖州城へ流れ込み始めた。

白勝は、思わず振り返る。

「うわ……本当に来やがった」

時遷は、もう次を見ている。

「止まるな」

甕城の中では、まだ戦いが続いていた。

城兵達も、ようやく本気で押し返し始めている。

「押し返せ!」 「門を閉じろ!」

怒号が反響する。

だが、もう遅い。

狭い甕城へ、梁山泊軍が次々と入り込んでくる。

槍がぶつかり、盾が割れ、悲鳴が重なる。

濡れた石畳が、血で黒く染まり始めていた。

李俊の兵達は、そのまま通路を押し広げる。

後ろから入ってくる二路軍へ道を作る為だった。

その横を、時遷が駆け抜ける。

白勝が、慌てて続く。

「おい! まだ動くのか!?」

「守将を逃がすな」

短い声だった。

湖州城は、まだ完全には落ちていない。

だが、もう崩れ始めていた。


梁山泊軍が、甕城を越えて城内へ流れ込んでいく。

押し寄せる足音で、石畳が震えていた。

「前へ!」

「止まるな!」

怒号に響く。

湖州城の中は、もう静かではなかった。

あちこちで灯が増えている。 慌てて鎧を着込む兵、半端な隊列。

どこで何が起きているのか分からないまま、武器だけ掴んで走る者もいる。

混乱していた。

時遷は、その混乱の中を抜けていく。

白勝が、息を切らせながら続いた。

「っ……お前、本当に人間か……!」

「喋る暇があるなら走れ」

その時、前方で馬の嘶きが上がった。

時遷の目が細くなる。

「いたな」

城兵達に守られるように、数騎の馬が動いていた。

守将だ。

完全に包囲される前に、城内奥へ退こうとしている。

「逃がすな!」

李俊の兵が叫ぶ。

梁山泊側も、一気に前へ圧を掛ける。

狭路で、人と馬がぶつかり合った。

槍が突き出され、馬が暴れ、悲鳴が響く。

湖州城の夜は、もう完全に凄惨な戦場へ変わっていた。

夜は、相変わらず静かでした。

銅鑼もありません。

馬の嘶きも、怒号もありません。

あるのは、湿った風と、鍋の煮える音だけです。

その中で――

孫二娘殿と顧大嫂殿は、相変わらず鍋を囲んでおられました。

本当に飽きないのでしょうか?

それとも、梁山泊の結束は鍋で出来ているのでしょうか。

少し気になります。

――閑話休題

「で?」

孫二娘殿が、鍋を混ぜながら笑います。

「今度は、“白勝が二度目の門開け係をやらされた回”だったんだって?」

顧大嫂殿が酒を煽りました。

「しかも、“やっと開いたと思ったら、まだ先があった”んだろ?」

「嫌だねぇ」

幕舎の外から、すぐ声が返って来ます。

「嫌だったわよ!!」

孫二娘殿が吹き出しました。

「だろうねェ!!」

「普通、一個開けたら終わりだと思うじゃないか!!」

「そうなのよ!!」

また外から返って来ます。

「やっと終わったと思ったら!」

「その先に、また門があるのよ!!」

顧大嫂殿が肩を揺らしました。

「うわ、“もう一周どうぞ”だ」

「嫌な遊びね……」

小さな笑いが広がります。

鍋の煮える音だけが、静かに続いていました。

私は、その湯気を見ながら小さく目を伏せます。

湖州城は、堅実な城でした。

水門、城門、甕城、外門。

一枚破れば終わる造りではありません。

一つ突破されても、次で止める。

その為の甕城です。

私は静かに口を開きました。

「……ですが」

「それでも突破されました」

孫二娘殿が、少しだけ笑いを止めます。

「時遷と白勝のおかげかい?」

私は、小さく頷きました。

「はい」

「水門が開きました」

「城門が開きました」

「外門も開きました」

「だからこそ、二路軍は城内へ入れたのです」

湿った風が、静かに吹き抜けます。

その時――

顧大嫂殿が、急にニヤつきました。

「で?」

「玉楼は、その辺ずっと見てたんだろ?」

外が、一瞬だけ静かになります。

それから――

「……見ておりました」

ぼそっと返事を返しました。

孫二娘殿が腹を抱えて笑います。

「出た!!」

「また観察してた!!」

「だって!!」

また外から声が返って来ます。

「この人、“横木が何本あるか”まで見てるのよ!?」

「怖いのよ!!」

顧大嫂殿が酒を吹きかけました。

「うわ、“門の構造を覚えてる侍女”嫌だねぇ!!」

「退路確認は重要ですので」

「返しが全部実務なんだよ!!」

笑い声が広がります。

ですが――

その笑いも、少しずつ静かになっていきました。

鍋の湯気が、夜へ溶けます。

私は、小さく息を吐きました。

「……ですが」

「今回、本当に重要だったのは」

「門が開いた事だけでは無いのでしょう」

孫二娘殿も、顧大嫂殿も何も言いません。

私は静かに続けます。

「湖州は待ち構えていました」

「こちらは疲弊していました」

「それでも城へ入った」

少し間を置きます。

「守る側の予定を崩したのです」

湿った風が、静かに幕舎を揺らしました。

外から、小さく声が返って来ます。

「……だから守将も逃げたのよね」

私は頷きます。

「はい」

「城は、まだ落ちていません」

「ですが」

「守る側も、もう余裕ではいられなくなりました」

鍋の音だけが、小さく続きました。

孫二娘殿が、小さく笑います。

「つまり」

「門番やらされた白勝は、ちゃんと仕事したって事だ」

外から、少しだけ間を置いて声が返って来ます。

「……割に合わないけどね」

顧大嫂殿が笑いました。

「生きてるなら御の字さ」

その言葉で、小さな笑いが戻ります。

私は、その声を聞きながら静かに目を伏せました。

湖州の夜は、もう静かではありません。

門は開かれました。

兵は流れ込みました。

守将も動き始めました。

ですが――

戦そのものは、まだ終わっていないのです。

夜は、何も答えません。

ただ静かなまま、少しずつ――

突破された湖州の門と、

その奥へ逃れる守将を追って走り続ける人々の姿だけを、

湿った風の中へ、静かに残している様でした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ