待っているのに、待ってくれない
妖術対策で、目隠し訓練をすることになった。
「三娘、こういうの得意そうだねェ」
「何を根拠に言ってるの?」
「勢い」
「心理学どこ行った!?」
顧大嫂が布を持って笑っている。
「玉楼とぶつからないようにしなよ」
「そこから!?」
「見えないんだから仕方ないだろ」
実際にやったら、玉楼と思いきり肩がぶつかった。
「痛ったぁ!」
「三娘、相性悪いんじゃないかァ?」
「一回ぶつかっただけで判定しないで!」
孫二娘が妙に楽しそうに顔を寄せてくる。
「じゃあ李俊と試す?」
「何を!?」
……また反射で答えた。
顧大嫂が吹き出す。
「自分から引っかかってるじゃないか」
「違う! 今のは条件反射!」
「それも心理学の範囲だねェ」
「分析するな!」
妖術より先に、こっちを何とかしたい……
翌朝になっても、唐斌と五百余りの兵は一人も戻らなかった。
城門が開くたび、アタシはそちらへ目を向けたが、入ってくるのは物見か伝令ばかりだった。
昨日、黄色い砂の向こうへ消えた唐斌の旗は見えない。
あそこで追わなかったのは間違っていない。
自分で戻ると決めたし、玉楼に止められたあと、それが正しい判断だとも分かっていた。
でも、正しい判断をしたからって、気分まできれいに片づいてくれるわけじゃない。
「……まだ?」
「まだでございます」
横にいる玉楼へ何度目か分からない質問をすると、当然ながら返事も変わらなかった。
「三娘ァ、同じことを聞いても答えは増えないよォ」
背後から孫二娘の声がしたと思ったら、そのまま肩へ腕が回ってくる。
「朝からくっつかないで!」
「不安な時に誰かへ接触したくなるのは、珍しい反応じゃないからねェ」
「それ、アタシじゃなくてアンタが接触したいだけでしょ!」
「よく分かったねェ」
「認めるの!?」
まったく離れる気がない。
少し離れたところでは顧大嫂が笑っているし、玉楼に助けを求めようとしたら、なぜか先に視線を逸らされた。
「玉楼!」
「三娘様は歩行可能でございます」
「救助の基準そこなの!?」
「昨日は馬前へ槍を差し出しましたので、本日は控えめにしようかと」
「調整する場所が違う!」
こんな時でも、この人たちは通常運転だった。
腹は立つ。
でも、黙って城門だけを見ているよりはずっとましだった。
昼前になって、ようやく一騎の物見が戻ってきた。
城門へ入るころには馬が泡を吹いており、乗っていた兵も泥と砂にまみれている。
それでも大きな怪我はないらしく、自分の足で馬を降り、そのまま盧俊義のところへ連れていかれた。
アタシたちも後を追う。
「昨日の場所を迂回し、敵軍の跡を追いました。黄砂の中には死者もおりましたが……五百余りすべてではございません」
盧俊義の目が動く。
「捕らえられた者がいるか?」
「はい、敵は多数の捕虜を連れております。その中に、将らしき者も一人おりました」
「唐斌?」
思わず前へ出ると、兵が頷いた。
「遠目でしたので顔までは。しかし鎧と姿は、唐斌殿に見えました」
唐斌は生きているらしい。
捕虜なのだから喜んでいい状況ではないけれど、それでも胸に詰まっていたものが少しだけほどけた。
死んでいないなら、まだ助けられる可能性がある。
「どこへ連れていったの?」
「昭徳方面です」
すぐに地図へ目を落とした。
昭徳へ向かう道は一本じゃないし、山を回る道も谷を抜ける道もある。
どこかで追いつけるんじゃない?
そう考えたところで、林冲がこちらを見た。
「行かんぞ」
「まだ何も言ってない!」
「言う顔をしていた」
「最近みんなアタシの顔読みすぎじゃない!?」
孫二娘が横から覗き込んでくる。
「分かりやすいんだよォ」
「近い!」
顔を押し返している間にも、盧俊義は地図の上で指を動かし、昭徳へ続く道を確認していた。
「唐斌が生きているなら、取り返す機会はある。だが、喬道清もこちらが助けに来ることくらいは考えているだろう」
「……罠?」
「罠でなくとも、妖術を破れぬまま追えば昨日と同じことになる」
黄色い砂が頭に浮かぶ。
唐斌が残った時、アタシは戻ろうとした。
玉楼に止められなければ、たぶん一緒に呑まれていた。
今度は槍を出される前に、自分で止まらなきゃいけない。
「分かった。行かないわ」
林冲が頷くより早く、孫二娘が両腕を広げた。
「三娘ァ!」
「抱きつくな!」
「成長祝いだよォ!」
「昨日もそれやった!」
逃げると、今度は反対側から回り込んでくる。
「行動修正が早い!」
「人は成功した行動を繰り返しやすいからねェ」
「アタシで強化学習するな!」
玉楼の後ろへ逃げ込む。
「玉楼、壁!」
「承知いたしました」
「それ、戦場以外でも使うんだねェ」
「使えるものは使う!」
顧大嫂が腹を抱えて笑っている。
林冲まで口元を少し動かした気がしたので、そこは見なかったことにした。
盧俊義は公孫勝へ使者を出すことを決めた。
すぐに来られる保証がない以上、妖術を扱える樊瑞にも別の使者を向かわせる。
高廉の妖術を破ったのが公孫勝なのだから、今回も呼ばない理由はない。
ただ、使者を出した瞬間に本人が空から降ってくるわけじゃない。
「瞬間移動くらいできないの?」
「三娘、妖術に期待し始めてないかい?」
顧大嫂に言われた。
「だって妖術でしょ? 便利な機能の一個くらい欲しくならない?」
「高廉の時に散々な目に遭って、それを言えるのはすごいねェ」
孫二娘が感心したように頷く。
「適応力が高いと言うべきか、懲りないと言うべきか」
「後半いらない!」
現実には公孫勝が来るまで待つしかないけれど、だからといって何もしないわけにはいかなかった。
昨日戻った物見たちからもう一度話を聞くと、喬道清の術の中では視界が利かなくなるだけでなく、声がどちらから聞こえるのか分からなくなり、何もない場所に水や壁が見えたという者までいた。
「本当に水があったと思う?」
アタシが聞くと、孫二娘は少し考えた。
「本人にはそう見えたんだろうねェ。視覚情報が崩れると、人間は足りない部分を勝手に補おうとする。それに恐怖が加われば、曖昧なものを危険な方へ解釈しやすくなるよォ」
「じゃあ、見えたものを信用しない?」
「全部疑えば動けなくなる」
「面倒くさい!」
「人間の認知なんてそんなもんだよォ」
心理学者、役に立つんだか立たないんだか分からない。
ところが孫二娘は、そこでアタシではなく玉楼を見た。
「だから、一人で判断しない方がいい」
アタシも玉楼を見る。
「片方が見たものを、もう片方も確かめる?」
「それだけでは足りないかと存じます。二人とも同じものを見せられる可能性がございますので」
「じゃあ意味ないじゃない!」
「そうとも限らないよォ。同じ景色を見ても、同じ判断をするとは限らないからねェ。三娘が突っ込みたくなったら玉楼が止める。玉楼が慎重になりすぎたら、三娘が動かす。昨日だってそうだっただろ?」
そこだけ聞けば、いつもと同じだった。
「つまり、アタシと玉楼は今まで通り?」
「今まで通りを、見えなくてもできるようにするんだよォ」
玉楼が槍を手に取った。
「では、試してみましょう」
「何を?」
「目が使えない場合の連携でございます」
嫌な予感しかしなかった。
中庭へ連れていかれ、布で目を覆われる。
玉楼も同じように視界を塞ぎ、紅玉と顧大嫂が周囲で兵を動かすことになった。
孫二娘は少し離れたところで、完全に見物人の顔をしている。
「二娘、何か仕事は!?」
「心理的安全性の確保」
「具体的には!?」
「失敗しても笑ってあげるよォ」
「それ安全性ないから!」
始めてみると、思った以上に難しかった。
足音だけで距離を測れば近すぎたり遠すぎたりするし、玉楼の声がした方へ寄ろうとしても、向きが分からない。
一度は思い切り肩がぶつかり、二人とも体勢を崩した。
「痛っ!」
「申し訳ございません!」
「今のはアタシも悪い!」
何度かやり直したところで、さっき聞いた物見の話が頭に戻ってきた。
「待って……これ、声の方へ動いたら駄目じゃない?」
「と申しますと?」
「喬道清の術だと、声がどこから聞こえてるか分からなくなるんでしょ?」
少し離れた場所から拍手が聞こえた。
「ようやく気づいたねェ」
「先に言って!」
「自分で気づいた方が覚えるよォ」
「アタシを教材にするな!」
玉楼は少し考えてから、槍を持ち直した。
「では、声は居場所を知らせるためではなく、命令だけに使いましょう」
「どういうこと?」
「わたくしが『左』と申し上げたなら、声がどちらから聞こえても左へ。三娘様が『止まる』と仰れば、その場で止まります」
声の場所は信じない。
言葉だけを拾う。
それなら多少は使えるかもしれない。
「敵が玉楼の声を真似したら?」
「その時は、また別の方法を考える必要がございます」
「万能じゃないのね」
「妖術相手でございますので」
正しすぎて腹が立つ。
それでも、やることは見えた。
再び布をつけ、今度は互いの位置を探そうとせず、決めた言葉だけで動いた。
「三娘様、左!」
声が右から聞こえた気がした。
でも左へ出る。
木剣が当たった。
「いた!」
「そのままでございます!」
今度はアタシが叫ぶ。
「玉楼、前!」
どこにいるかは分からない。
それでも直後に木がぶつかる音がして、玉楼が前へ入ったことだけは分かった。
見えている時ほど速くないし、いつものように互いの穴を瞬時に埋めることもできない。
それでも、何もできないわけじゃない。
布を外すと、孫二娘が満足そうに拍手していた。
「いいねェ。新婚夫婦みたいだよォ」
「どこを見たらそうなるの!?」
「見えなくても通じ合ってる」
「それなら他の例えあるでしょ!」
「じゃあ李俊とやってみる?」
「何を!?」
反射で聞き返してしまった。
孫二娘が口元を押さえ、顧大嫂まで顔を背ける。
しまった……
「今のは違う!」
「アタイ、まだ何とは言ってないけどォ?」
「分かってる!」
また自分から穴へ入った。
しかも玉楼まで真面目に考え込んでいる。
「李俊様でしたら、三娘様と目を覆った状態でも――」
「玉楼まで参加しないで!」
「相性の検討を」
「しなくていい!」
顔が熱い。
なのに、一度名前が出たら頭から離れなくなった。
李俊なら、目が見えなくなった時はどうするんだろう。
舟で霧に入った時だって、たぶん慌てない。
見えないなら風を感じ、水の流れを読み、分かるものだけで進むんだと思う。
今度会ったら、本当に聞いてみたい。
――戻ったら乗せる。
あいつはそう言った。
だったらアタシは戻る。
……でも、アンタもちゃんと戻ってくるんでしょうね?
「三娘ォ」
「呼ばないで!」
「まだ名前だけだよォ!」
「もうその手には乗らない!」
孫二娘が楽しそうに笑った。
その日の夕方、公孫勝へ向かった使者とは別の方角から、一騎の馬が壺関へ駆け込んできた。
騎手は梁山の兵だった。
「樊瑞殿が参られました!」
林冲がすぐに立ち上がる。
しばらくして現れた樊瑞は、昨日の場所から持ち帰った黄色い砂を手のひらに載せ、物見たちの話を最後まで聞いた。
高廉の時との違いを尋ねても、樊瑞はすぐには答えなかった。
アタシは我慢できずに尋ねた。
「どう?」
樊瑞は指の間から砂を落としながら答えた。
「高廉とは違う」
またそれか。
「じゃあ、破れる?」
今度は返事がなかなか来なかった。
孫二娘も笑わず、玉楼の手が槍へ伸びる。
やがて樊瑞はこちらを見た。
「俺だけでは無理だ」
その場の空気が変わった。
「公孫勝を待つしかない?」
「ああ……ただし、それまで喬道清が待ってくれるとは思うな」
嫌なこと言うなあ。
そう思った直後、城壁の上から鉦が激しく鳴った。
「敵襲!」
全員が外へ飛び出す。
壺関の向こう、夕日の中に無数の旗が見えた。
その中央に、喬の旗がある。
公孫勝は、まだ来ていない。
なのに喬道清は、もう壺関の前まで来ていた。
玉楼でございます。
樊瑞殿は、砂を見て「俺だけでは無理だ」と申されました。
「玉楼、こういう時ってどうするんだい?」
「公孫勝殿を待つしかございません」
「待ってる間に敵が来たらァ?」
「その場合は――」
鉦が鳴りました。
顧大嫂様が城壁の方を見ます。
「来たね」
「来ましたねェ」
「来てしまいました」
孫二娘様が、なぜか感心しております。
「見事なタイミングだねェ」
「褒めるところではございません」
「公孫勝は?」
「まだでございます」
「喬道清は?」
「城外でございます」
「最悪じゃないかい」
まったく、その通りでございます。
なお三娘様は、すでに日月双刀を手にしておられました。
「三娘、待つって言ってたよねェ?」
「敵の方から来たの!」
……待つとは、難しいものでございます。




