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追えるのに、追わない

半月待った壺関の門が、ついに開いた。

「三娘、嬉しそうだねェ」

「嬉しいっていうか、本当に開くとは思わなかったの!」

「昨日まで開けろって騒いでただろ」

顧大嫂に言われた。

それはそうなんだけど……

「で、唐斌は信用するのかい?」

「まだしない」

「じゃあ山士奇は?」

「敵」

「判断が急に速いねェ」

「そこは迷わないでしょ!」

孫二娘が笑う。

「疑いながら進めるようになったなら、認知的にはずいぶん――」

「朝から分析しないで!」

その時、城門の奥で鉦が鳴った。

……さて。

出てくるのは予定どおりの山士奇か?

それとも、ものすごく分かりやすい罠か?

夜明け前。

壺関の城門が、ゆっくりと開いた。

開いた。

本当に開いた。

半月近く、あれほど閉じたままだった門が、何事もなかったみたいに左右へ動いていく。

「……開いたわね」

「開きましたねェ」

「見りゃ分かるよ」

孫二娘と顧大嫂に挟まれて、アタシは手綱を握ったまま城門を睨んだ。

いや、分かってる。

問題は、開いたことじゃない。

「これ、本当に予定どおりなの?」

「今のところは、でございます」

すぐ隣で玉楼が答える。

あの門の向こうから出てくるのが山士奇なら、唐斌の密書どおり。

いきなり弓兵が並んで一斉射撃してきたら、たぶん罠。

ものすごく判定基準が雑だけど、朝からこれ以上考えたくない。

城門の内側で鉦が鳴った。

まず騎兵が出る。

続いて歩兵が姿を現し、旗が上がる。

その中央に、見覚えのある大男がいた。

鉄棍を担いだ山士奇だ。

「いた!」

思わず言うと、顧大嫂が呆れた。

「そりゃいるだろ。あいつの城だ」

「半月ぶりに外へ出たのよ!」

「珍獣の観察みたいに言うんじゃないよォ」

孫二娘まで笑っている。

山士奇の後ろには、唐斌と竺敬の旗も見えた。

紅玉がこちらへ馬を寄せてくる。

「三娘様、城壁の兵が減っています。ですが、全部ではありません」

「うん、門の中も見てて」

「はい!」

紅玉はすぐに視線を戻した。

少し前なら、アタシが見つけたものを確認させていた。

今は違う。

あの子は自分で見て、自分で拾う。

だったらアタシも、自分の見る場所だけに集中すればいい。

遠く、背後から土煙が上がった。

来た――

文仲容と崔埜の兵だ。

もちろん、本当にアタシたちの背中を襲うためじゃない。

唐斌の密書では、そう見せることになっている。

でも、知っていても嫌なものは嫌だ。

「背後から敵っぽい味方が来て、正面から味方かもしれない敵が来るって、状況として最悪じゃない?」

「認知負荷は高いねェ」

「専門用語で片づけないで!」

「じゃあ、ややこしい」

「急に雑!」

林冲の合図が出た。

梁山軍がゆっくり下がり始める。

逃げるように見せるためだ。

山士奇の軍が速度を上げた。

鉄棍を振り、本人まで前へ出てくる。

「梁山の賊どもを逃がすな!」

元気そうで何よりである。

半月も城に引きこもっていた人とは思えない。

「三娘様」

玉楼の声で、アタシは前を見直した。

「分かってる」

今は山士奇を見る。

けれど、山士奇だけを見ていればいいわけじゃない。

玉楼がアタシの右へ出たので、その後ろへ入る。

敵騎兵が二人、玉楼へ槍を突き出した。

玉楼は一本を槍で外し、もう一本を馬首ごと避ける。

その横をアタシが抜け、日月双刀で片方の槍を叩き落とした。

次の瞬間には、立場が逆になる。

前へ出たアタシへ敵兵が寄れば、玉楼が外側から崩す。

どちらが前で、どちらが後ろかなんて決めていない。

空いた場所へ入って、塞ぐべきところを塞ぐ。

それでいい。

「右、増えます!」

紅玉の声が飛んだ。

「玉楼!」

「承知しております!」

返事と同時に玉楼が右へ流れる。

アタシは左を受け持った。

そこへ山士奇が来た。

「扈三娘!」

「今度はアタシ!?」

鉄棍が振り下ろされる。

まともに受ける気はない。

日月双刀を交差させるふりをして馬をずらし、棍の先を外へ逃がす。

地面が砕けた。

「やっぱり重い!」

「三娘様、感想は後で!」

「分かってる!」

玉楼が山士奇の脇へ槍を伸ばす。

山士奇は鉄棍を返し、その穂先を弾いた。

強い。

林冲と五十合近く打ち合ったのは伊達じゃない。

でも、今日は倒すことが目的じゃない。

アタシが一歩引いた時だった。

城の方から、違う鉦が鳴った。

一度。

間を置いて、二度。

山士奇が振り返る。

唐斌も振り返った。

その瞬間、唐斌の旗が動いた。

向かった先はこちらではなく、壺関だった。

「来た!」

紅玉が叫ぶ。

唐斌の兵が一斉に向きを変えた。

後ろから続いていた竺敬が怒鳴る。

「唐斌! 何をする!」

返事の代わりに、唐斌の得物が振るわれた。

馬上で竺敬の身体が崩れる。

「えっ」

思わず声が出た。

「今、味方になった?」

「少なくとも竺敬殿の味方ではなくなりましたね」

「玉楼、判断基準そこ!?」

唐斌は止まらない。

そのまま自軍を率いて壺関へ引き返す。

城門では内側から兵が動き、怒号が上がった。

残っていた守兵が門を閉じようとする。

けれど遅い。

唐斌の兵が先に入り込んだ。

城壁の旗が乱れ、田虎軍の旗が一本倒れる。

「三娘様!」

紅玉が指す。

見えてる。

壺関が、外からではなく内側から崩れていく。

山士奇も気付いた。

「唐斌――!」

怒声が戦場を揺らす。

さっきまでアタシたちへ向いていた兵が迷った。

戻るべきか、戦うべきか分からなくなり、隊列が崩れていく。

林冲の蛇矛が上がった。

「関を取る!」

全軍が動く。

アタシも馬腹を蹴った。

目の前で、山士奇が西へ馬首を返す。

逃げる。

ほんの少し前なら、たぶん身体が先に動いていた。

あれだけ苦戦させられた相手だ。

追えば届くかもしれない。

ここで捕まえれば――

「三娘様!」

玉楼が呼ぶ。

アタシは山士奇を見て、それから開いた壺関へ視線を移した。

半月も進めなかった場所だ。

ここを抜かなければ何も始まらない。

頭のどこかで李俊の声が蘇った。

全部を一人で見ようとする奴から沈む。

それから、もう一つ。

戻ったら乗せる。

……そうよ。

帰るために来たんだ。

敵を一人追いかけて、帰れなくなるためじゃない。

「追わない!」

声が出た。

玉楼がすぐにこちらを見る。

「関を取る! 山士奇は行かせて!」

「承知いたしました!」

玉楼が先に門へ向かい、アタシはその外側を走って、戻ろうとする敵兵を止める。

「紅玉! 門の上!」

「見ています! 左の旗、まだ田虎軍です!」

「じゃあそこ!」

アタシが左へ向かうと、玉楼は何も言わず右へ流れた。

互いに同じ場所へ行く必要はない。

アタシが敵を止めている間に玉楼が入り、玉楼が押し込めば、今度はアタシが外を塞ぐ。

門の前で敵兵が槍を並べた。

日月双刀で一本を払い、馬を横へ滑らせる。

横から玉楼の槍が伸び、列が割れた。

そこへ梁山軍が雪崩れ込む。

「押せ!」

顧大嫂の声まで聞こえた。

振り返ると、後方を支えていたはずなのに、いつの間にかかなり前まで来ている。

「後ろじゃなかったの!?」

「後ろが前になったんだよ!」

「便利な理屈!」

孫二娘もいる。

ただし武器を振り回しているわけではない。

倒れた味方を引かせ、混乱した兵へ道を空けさせている。

「そこ塞がない! 負傷者は右へ! 三娘、前だけ見なァ!」

「見てる!」

「あとで抱きしめてあげるからねェ!」

「いらない!」

「返事できるなら元気だよォ!」

この人、本当に戦場で何してるの……

でも、その声が聞こえると少しだけ呼吸が戻る。

そのまま門を抜け、壺関の中へ入った。

内側では、唐斌の兵と残った守兵がまだ戦っていた。

唐斌自身も馬上で指揮を飛ばしている。

アタシたちを見ると、一瞬だけ身構えた。

そりゃそうだ。

こっちだって、まだ完全には信用してない。

林冲が入ってくる。

唐斌は馬から下りた。

「唐斌だ」

「林冲だ」

短い。

何かもっとないの?

半月引っ張った密書の人と、とうとう会ったのよ?

孫二娘が横から囁く。

「三娘、こういう時まで演出を求めるんだねェ」

「だってもう少しあるでしょ!」

唐斌はそんなアタシを一度見たけれど、何も聞かなかった。

賢明だと思う。

城内の抵抗は長く続かなかった。

山士奇が逃れ、竺敬が倒れ、唐斌まで反旗を翻した。

残された兵に、守り切れるほどの統率はない。

やがて城壁の上から田虎軍の旗が下ろされた。

代わりに梁山の旗が上がる。

半月近く、毎日見上げていた城壁だった。

矢を浴び、石を落とされ、何度近づいても押し返された。

それが今、こちらのものになっている。

「……落ちた」

口にしてから、自分でも変な感じがした。

孫二娘が隣へ来て、今度は抱きつかずに肩だけ当ててくる。

「追わなかったねェ」

「何が?」

「山士奇」

分かってるくせに……

「関の方が大事だったから」

「うん」

それだけ言って、孫二娘は笑った。

顧大嫂も後ろから来る。

「成長したじゃないか」

「みんなして何なのよ。アタシを何歳だと思ってるの?」

「前科が多いんだよ」

否定できない。

玉楼が戻ってきた。

「三娘様」

「何?」

「山士奇を追わなかったご判断、お見事でございました」

「玉楼まで!?」

「ですが、もし三娘様が追われておりましたら、わたくしも追っております」

「それ褒めてない!」

「三娘様をお一人にはできませんので」

ものすごく真面目な顔だった。

……やっぱり、この子とアタシは二人まとめて止まらないと危ないらしい。

壺関を取った。

これで、ようやく先へ進める。

そう思った時、ふと李俊の顔が浮かんだ。

戻ったら乗せる。

約束は、まだ消えていない。

「……一個、近づいたかな」

「李俊に?」

耳元で孫二娘の声がした。

「何でいるのよ!」

今度こそ抱きつかれた。

「三娘の独り言、最近分かりやすいねェ」

「離れて!」

「壺関陥落祝いだよォ」

「そういう祝い方いらない!」

笑い声が城内に響いた。

壺関を落として数日後、一騎の使者が駆け込んできた。

田虎が壺関陥落の報を受け、新たな軍を差し向けたという。

林冲が使者へ尋ねる。

「誰だ?」

使者は息を整え、答えた。

「援軍を率いる将の名は――喬道清」

玉楼でございます。

本日は、三娘様が逃げる山士奇殿を追われませんでした。

「成長したねェ」

孫二娘様が嬉しそうでございます。

「ですが、三娘様が追われた場合、わたくしも参ります」

「それじゃ二人まとめて昔のままじゃないか」

顧大嫂様に叱られました。

おかしいですね?

三娘様をお一人にしない、という判断は間違っていないはずなのですが?

「玉楼は正しい方向に全力で間違える時があるねェ」

「どういう意味でしょう?」

「そのままの意味だよ」

ともあれ、壺関は落ちました。

ようやく一息つける――そう思っていたのですが……

数日後、新たな敵将の名が届きました。

喬道清――

「強いのかい?」

「分かりません」

「じゃあ何ができる?」

「妖術だそうでございます」

孫二娘様が黙りました。

……今度は、何をどう止めればよろしいのでしょう?

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