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火焔の攻防

「……今度は、街の中まで燃やし始めたんだって?

孫二娘が、鍋を混ぜながら呟く。

顧大嫂が酒を煽った。

「南まで来て、ようやく梁山泊っぽくなって来たじゃないか」

外では、湿った夜風が流れていた。

でも、潤州の方角だけは赤い。

炎だった。

江南の夜空を、ぼんやり染めている。

孫二娘が、鍋の湯気を見つめる。

「で?」

「李俊達、本当に水門開けたのかい」

「開けたわよ」

アタシは、水を飲みながら答える。

「しかも、城の中で普通に荷運びしてた」

顧大嫂が吹き出した。

「似合わないねぇ!」

「絶対、“運ぶ側”の顔じゃないだろ!」

「でも、全然バレなかったのよ」

アタシは、少しだけ肩を竦める。

「水軍って、ああいう時だけ妙に自然なのよね」

孫二娘が、ニヤついた。

「アンタだったら?」

「絶対、途中で斬ってるだろ?」

「うるさい」

即答すると、二人が笑う。

「だって、待ってる顔出来ないじゃん!」

「“もういいから行く!”って顔、すぐ出るしねぇ!」

「否定出来ないのが腹立つのよ!」

思わず睨む。

でも、その瞬間だけ、少し空気が軽くなった。

――潤州へ突っ込む前までは……

火柱、煙、怒号。

そして、

「聖公万歳!!」

あの声――

思い出した瞬間、アタシの顔から笑いが消える。

顧大嫂も、それに気付いたらしい。

酒を持ったまま、小さく呟いた。

「……随分、しぶとかったみたいだねぇ」

「しぶといなんてもんじゃないわよ」

アタシは、小さく息を吐く。

「燃えてるのに、まだ前へ出て来るの」

鍋の煮える音だけが、小さく続いた。

「普通、火が回ったら逃げるでしょ」

「でも、逃げないのよ」

孫二娘の笑いも、少し消える。

「“信者”か」

「ええ」

水を飲む。

でも、喉の奥に残った煙の感じが消えない。

「王慶軍とは違う」

「怖がって逃げる顔じゃないの」

顧大嫂が、焚き火を見たまま呟く。

「……厄介だねぇ」

その時――

孫二娘が、急にこっちを見た。

「で?」

「その沈剛ってのは強かったのかい」

「デカかった」

即答する。

「通路を塞いでる壁みたいだったわ」

「うわ、嫌だねぇ」

「しかも燃えてる道の真ん中よ?」

顧大嫂が、少し顔をしかめた。

「暑苦しいねぇ……」

「暑苦しいで済まなかったわよ!」

思わず噛み付く。

「あんなの真正面から置かれたら、邪魔でしかないんだから!」

その瞬間、二人が吹き出した。

「ほら来た!」

「結局、“邪魔だから斬る!”になるんだねぇ!」

「うるさいっての!!」

でも――

笑い声の向こうで、潤州の火は、まだ赤く燃えていた。

湿った南風だけが、宿営地の火を小さく揺らしていた。

李俊は、荷を運ぶ振りをしたまま歩き続ける。

篝火の位置。

見張りの流れ。

兵糧蔵までの距離。

全部、頭へ入れていく。

潤州の中は、まだ静かだった。

敵兵達も、まさか梁山泊軍が既に城内へ入り込んでいるとは思っていない。

だからこそ、今なら動ける。

李俊が、荷を下ろす。

その瞬間、近くにいた童威・童猛兄弟へ、ほんの一瞬だけ視線を送った。

散っていた水軍の兵達が、静かに動き始める。

一人は兵糧蔵側へ。

一人は城門へ。

誰も走らない。

普通の顔のまま歩いていく。

潤州の空気へ溶け込むみたいに。

李俊も、そのまま兵糧蔵へ近付いた。

積まれた藁、油樽、乾いた木材。

火が回れば、止まらない。

その時だった。

遠くで一瞬、怒鳴り声が上がる。

潤州の空気が揺れた。

李俊の目が細くなる。

――始まった。


怒鳴り声は、すぐに広がった。

「侵入者だ!」

潤州の空気が、一気に崩れる。

敵達が振り向く。

篝火が揺れる。

その瞬間に、兵糧蔵の奥で火が上がる。

乾いた藁へ、一気に燃え移った。

油へ火が走る。

引火とともに、音が轟く。

赤い火柱が、夜の潤州を照らし出す。

「火だァッ!」

悲鳴みたいな声が響く。

敵兵達が走る。

混乱が広がる。

その中で、李俊達は止まらなかった。

童威が、敵兵を水門の脇へ叩き落とす。

童猛が鎖へ飛び付く。

周囲では、張横・張順兄弟が一斉に刃を抜いていた。

もう隠す必要は無い。

李俊が、倒れた敵兵から鍵を奪い取る。

「開けろ!」

怒号が飛ぶ。

鎖が鳴る。

重い城門が、ゆっくり動き始めた。

その頃、外では――

アタシが、潤州の空を見上げていた。

赤い。

次の瞬間、火柱が上がる。

玉楼の目が見開かれる。

「……っ!」

アタシは即座に叫ぶ。

「行くわよ!」


火柱が、夜の潤州を赤く染めていた。

煙が上がる。

城の中から、怒号が響く。

もう隠れている段階じゃない。

潤州の中で、戦が始まっていた。

「前へ!」

アタシが馬を蹴る。

林冲の隊も動き出す。

梁山泊軍が、一斉に城門へ殺到した。

敵兵達も、城門側へ集まり始めている。

だが、遅い。

城門は、もう開き始めていた。

重い音を立てながら、隙間が広がっていく。

その瞬間、張順が城門の上から叫ぶ。

「開いたぞォッ!!」

梁山泊軍の怒号が爆発した。

兵達が雪崩れ込む。

アタシも、そのまま城門へ突っ込んだ。

狭い。

煙が濃い。

火の粉が飛ぶ。

その中で、敵兵が槍を向けてくる。

日月双刀を振る。

刃がぶつかる。

押し返す。

後ろでは、玉楼が兵を斬り伏せていた。

林冲の蛇矛が、人混みごと前線を薙ぎ払う。

でも、方臘軍も崩れない。

「聖公万歳!!」

怒号が響く。

燃えている。

死んでいる。

それでも、前へ出てくる。

アタシは息を切らしながら、血と煙の向こうを見る。

潤州は、まだ落ちていなかった。


城門を突破しても、戦は終わらなかった。

潤州の中は、もう地獄だった。

燃えている。

煙が流れる。

火の粉が風へ舞い、夜空まで赤く染まっている。

その中を、梁山泊軍と方臘軍が入り乱れていた。

狭い通りでは、数が活きない。

前の兵が倒れても、すぐ次が出てくる。

「押し返せ!!」

方臘軍の怒号が響く。

槍が突き出される。

盾がぶつかる。

血が飛ぶ。

アタシは馬上から日月双刀を振るい、目の前の槍を弾き飛ばした。

でも、止まらない。

次の兵が来る。

さらに後ろから、また別の兵が飛び込んでくる。

「聖公万歳!!」

喉が潰れそうな声だった。

火が回っている。

煙も濃い。

それでも、敵兵達は退かない。

後ろでは、林冲が隊を押し込んでいた。

蛇矛の一振りで、人が吹き飛ぶ。

玉楼も、アタシの傍らで必死に兵を捌いている。

でも、進みが遅い。

潤州そのものが、こちらを噛みついてくるみたいだった。

その時だった。

通りの奥から、重い太鼓の音が響く。

一度。

二度。

そして――

方臘軍の怒号が、一気に大きくなった。


太鼓の音は、止まらなかった。

重い音が、燃える潤州の中へ響き続ける。

その直後だった。

通りの奥から、敵兵達が一気に押し寄せてくる。

「押し返せぇッ!!」

怒号が爆発した。

槍の列。

盾の列。

燃えている通りを、そのまま踏み越えて来る。

アタシは歯を食いしばる。

「まだ来るの!?」

日月双刀を振るう。

一人斬る。

でも、すぐ次が前へ出る。

火が回り、煙も濃い。

それでも、敵達は止まらない。

後ろでは、梁山泊軍の兵も倒れ始めていた。

通りが狭くて、押し込めない。

前へ出た兵から倒れていく。

林冲が激を飛ばす。

「止まるな!!」

蛇矛が唸る。

前列の敵兵がまとめて吹き飛ぶ。

だが、その後ろから、また兵が出てくる。

終わらない。

まるで、潤州そのものが兵を吐き出しているみたいだった。

玉楼が、すぐ横で息を切らしている。

額へ血が流れていた。

でも、下がらない。

「扈三娘様! 前です!」

声と同時に、槍が突き出される。

アタシは身体を捻り、刃で弾いた。

その瞬間――

燃える煙の向こうで、巨大な影が動いた。


燃える煙の向こうから、男が出てきた。

大きい。

鎧も、得物も、身体も。

手にした大斧が、火の光を受けて鈍く光っている。

敵兵達が、声を上げた。

「沈剛様だ!」

その名が響いた瞬間、押されかけていた方臘軍の前列が持ち直した。

沈剛は、何も言わずに前へ出る。

狭い通りを塞ぐように。

まるで壁だった。

林冲の目が細くなる。

「退くな」

短い声。

でも、その瞬間、沈剛が大斧を振り下ろした。

盾ごと、梁山泊の兵が吹き飛ぶ。

鈍い音。

悲鳴。

通りが一瞬、詰まる。

アタシは日月双刀を握り直す。

「また、厄介なのが……!」

沈剛がこちらを見る。

火と煙の中で、その目だけが妙にはっきり見えた。

敵兵達が再び叫ぶ。

「聖公万歳!!」

沈剛が、大斧を構える。

潤州の奥へ進む道は、その男一人に塞がれていた。


沈剛は、燃え盛る通りの中央で大斧を構えていた。

後ろでは、敵達が押し返し始めている。

狭くて、横へ回れない。

通りを抜けるには、正面を割るしかなかった。

沈剛が吼える。

そのまま、大斧を振り下ろした。

梁山泊の兵が、盾ごと吹き飛ぶ。

通りが詰まる。

「邪魔ッ!!」

アタシは馬を蹴った。

日月双刀を振るい、そのまま沈剛へ踏み込む。

沈剛も、すぐこちらへ斧を振り回してきた。

重い。

真正面から受ければ止まる。

アタシは刃を滑らせ、力を流す。

火花が散った。

その瞬間、玉楼が横から敵兵を槍で払う。

「扈三娘様、お待ち下さい!」

沈剛が再び大斧を振り上げた。

だが、今度は遅い。

アタシは馬を寄せ、その懐へ潜り込む。

日月双刀が、鎧の隙間を裂いた。

沈剛の身体が揺れる。

それでも、倒れない。

「……っ!」

血を撒きながら、無理矢理斧を振ろうとする。

玉楼が即座に踏み込む。

槍が、沈剛の腕を貫いた。

大斧が落ちる。

周囲の敵兵がどよめいた。

その瞬間、梁山泊軍が一気に前へ出る。

燃える煙の中、潤州の通りが少しだけ動いた。 


沈剛が崩れた瞬間、梁山泊軍が一気に前へ出た。

「押せぇッ!!」

怒号が、燃える潤州へ響く。

方臘軍の前列が揺らぐ。

狭い通りへ、梁山泊軍が雪崩れ込んでいった。

沈剛は、血を流しながらなお立ち上がろうとしている。

だが、もう遅かった。

玉楼の槍が、次は沈剛の首を貫く。

大きな身体が、燃え盛る通りへ倒れ込んだ。

その瞬間、方臘軍の空気が変わる。

押していた勢いが、止まった。

後ろの兵達が迷い始める。

「退くな!!」

怒号は飛ぶ。

でも、潤州の中はもう崩れ始めていた。

兵糧蔵の火は広がっている。

煙が流れる。

水門も押さえられた。

梁山泊軍が、次々と城内へ流れ込んでくる。

もう、止め切れない。

林冲が蛇矛を振り上げた。

「押し潰せ!!」

梁山泊軍の怒号が爆発する。

敵達が、少しずつ後退を始めた。

アタシは息を切らしながら、燃える潤州を見る。

死体。

火。

血。

煙。

勝っている。

でも、全然軽くない。

その時、潤州の奥で鐘が鳴った。

重い音だった。

方臘軍の撤退合図だった。

玉楼が、小さく息を吐く。

「……やっとですね」

アタシは、燃え続ける潤州を見つめたまま答える。

「ええ」

でも――

肉の焼ける匂いと、死の匂いだけは、最後まで消えなかった。

潤州の火は、夜になっても消えておりませんでした。

湿った江南の空気の中で、赤い炎だけが揺れ続けているのです。

煙の臭いも残っていました。

血の臭いも。

城門を破って終わり――

そんな戦では、全くありませんでした。

方臘軍は、最後まで退かなかったのです。

燃えても、押し返されても、まだ前へ出て来る。

「聖公万歳!!」

あの声は、今でも耳に残っております。

恐怖より、“信じる事”が先にある軍でした。

その中で――

孫二娘殿と顧大嫂殿だけは、相変わらず鍋を囲んでおられます。

「で?」

孫二娘殿が、鍋を混ぜながら笑いました。

「扈三娘、“邪魔だから斬る!”って顔して突っ込んでったんだって?」

顧大嫂殿も、酒を煽りながら吹き出します。

「沈剛相手に、“暑苦しい!”とか言ってたらしいじゃないか」

私は、小さく息を吐きました。

「……否定は出来ません」

その瞬間、二人が笑い始めます。

「玉楼、もう諦めてるねぇ!」

「“また始まった”って顔してそうだ!」

私は、少しだけ視線を逸らしました。

……実際、少し思っていたからです。

その時――

幕舎の外から、急に扈三娘様の声が飛び込みます。

「玉楼ー!!」

「煙臭いの取れないんだけどー!!」

孫二娘殿が、腹を抱えました。

「そこ!?」

顧大嫂殿も肩を揺らします。

「もっと他に感想あるだろうにねぇ!」

「ちゃんとあるわよ!!」

外から、すぐ怒鳴り声が返って来ました。

「“聖公万歳”が怖いとか!」 「沈剛デカ過ぎとか!!」 「煙で前見えないとか!!」

「最後だけ感想が雑なんだよ!」

孫二娘殿が、また吹き出します。

ですが――

笑い声は、少しずつ静かになっていきました。

遠くで、まだ潤州の火が燃えていたからです。

顧大嫂殿が、焚き火を見たまま呟きました。

「……方臘軍、今までと全然違うねぇ」

孫二娘殿も、鍋を混ぜる手を止めます。

「逃げるより、“信じて死ぬ”方を選んでる」

湿った風が、幕舎を揺らしました。

私は、小さく息を吐きます。

「……だから、厄介なのだと思います」

誰も、すぐには喋りませんでした。

潤州の火だけが、江南の夜を、赤く燃やし続けていたのです。

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