紅玉の護衛
王慶討伐戦は終わった。
終わった。
終わったはずだった。
でも、全然休めなかった。
捕虜はいる。
負傷兵はいる。
報告はある。
後始末はある。
その上、次に何を命じられるかも分からない。
「戦が終わったら休めると思ったアタシが馬鹿だったわ」
そう呟いたら、孫二娘が横で笑った。
「三娘、まだそんな甘いこと言ってるのかい。梁山泊だよォ? 休ませる気なんてある訳ないねェ」
「少しくらいあってもいいでしょ」
顧大嫂が腕を組んで、鼻を鳴らした。
「少しくらい休みたいなら、まず座りな。立ったまま文句言ってる時点で、まだ動けるって見られるよ」
「嫌な現実を言わないでよ」
「現実だからねぇ」
紅玉は、少し困った顔で笑っていた。
「でも……少しは落ち着いた気がします」
「紅玉は真面目ね」
「いえ、まだ皆様がお忙しそうなので……」
孫二娘がにやりと笑った。
「紅玉も忙しくなるかもしれないよォ」
「え?」
紅玉が瞬きをする。
その顔を見て、孫二娘がさらに楽しそうに酒瓶を揺らした。
「張清と瓊英のところさ」
「張清様と瓊英様が、どうかされたのですか?」
「おやおや。紅玉はまだ知らない顔だねェ」
「何をですか?」
顧大嫂が、わざとらしく咳払いをした。
「まあ、あの二人も夫婦だからねぇ」
紅玉が首を傾げる。
「はい」
孫二娘が、声を少し落として言った。
「つまり、戦だ戦だって言いながら、やることはやってたってことだよォ」
紅玉の顔が、一気に赤くなった。
「そ、孫二娘様!」
「何だい。夫婦なんだから普通だろォ」
「そ、そうかもしれませんが、言い方が……!」
顧大嫂まで笑った。
「まあ、張清も石礫だけ投げてた訳じゃなかったってことだねぇ」
「顧大嫂まで!」
アタシは思わず吹き出した。
「ちょっと、張清に聞かれたらどうするのよ」
孫二娘は悪びれもしない。
「聞こえたら聞こえたでいいじゃないか。おめでとう、命中したねェって言ってやるよォ」
「……最低」
「褒めてるんだよォ」
「絶対違うわよ」
紅玉は両手で顔を覆っている。
「命中とか、そういう言い方は……」
「紅玉、そこは慣れな」
顧大嫂が真面目な顔で言う。
「世の中、綺麗な言葉だけじゃ子供は出来ないからね」
「顧大嫂!」
「何だい、本当のことだろ」
孫二娘が腹を抱えて笑っている。
「いやァ、紅玉の反応はいいねェ。三娘より初々しいよォ」
「アタシを比べる対象にしないで」
「三娘は顔に出るけど、紅玉は耳まで赤くなるからねェ」
紅玉は小さく縮こまった。
「もう……」
でも、笑っていた。
王慶討伐戦の後だった。
血の匂いも、煙の色も、まだ身体のどこかに残っている。
段三娘の目も、完全には消えていない。
それでも、張清と瓊英の話を聞いた時、少しだけ空気が変わった。
誰かが死んだ。
誰かが倒れた。
誰かが捕まった。
でも、その一方で、新しい命もある。
戦場は奪う。
でも、生き残った者の中では、ちゃんと次のものも生まれている。
それが、少し不思議だった。
「で、三娘」
孫二娘が、にやにやしながらアタシを見る。
「何よ」
「紅玉に頼むんだろォ?」
紅玉が顔を上げた。
「私、ですか?」
顧大嫂が頷く。
「瓊英の身の回りを男ばかりに任せる訳にはいかないからねぇ。女の護衛が要る。腕だけじゃなく、側にいられる女がね」
紅玉の顔から、少し赤みが引いた。
今度は、真面目な顔になる。
「私に、出来るでしょうか」
「出来るかどうかじゃないわ」
アタシは紅玉を見る。
「アンタだから任せるの」
紅玉は、すぐには答えなかった。
瓊英のこと。
張清のこと。
まだ見えない命のこと。
その全部を考えている顔だった。
孫二娘が、今度は少しだけ優しい声で言う。
「大丈夫だよォ。紅玉は最近、ちゃんと見てる。前だけじゃなく、後ろも足元もねェ」
顧大嫂も頷いた。
「怖がってもいい。震えてもいい。でも、逃げずに見られるなら、それで十分だよ」
紅玉は小さく息を吸った。
それから、真っ直ぐ頷いた。
「……お守りします」
その声は、前より強かった。
孫二娘が、すぐに笑う。
「よし。じゃあ、瓊英が強がって勝手に動かないように見張っときなァ」
「そこまで私が見るのですか?」
「見るんだよォ。強い女ってのは、具合が悪くても平気な顔をするからねェ」
顧大嫂が腕を組んだ。
「張清の方は梁山泊に残る。紅玉が見るのは瓊英の方だよ。無理をさせないのも護衛のうちさ」
紅玉は、もう一度頷いた。
「分かりました」
アタシは、その横顔を見ていた。
少し前まで、紅玉は守られる側だった。
でも今は、誰かを守る側へ行こうとしている。
前へ出るだけが戦いじゃない。
誰かの側に残って守ることも、きっと戦いだ。
「紅玉」
「はい」
「頼んだわよ」
紅玉は、真っ直ぐアタシを見た。
「はい」
孫二娘が横から笑う。
「いやァ、張清も瓊英も、やることやって、紅玉に大仕事を残していくんだからねェ」
「だから言い方!」
紅玉がまた赤くなる。
顧大嫂が笑った。
「まあ、命が出来たなら守るしかないねぇ」
アタシも、少しだけ笑った。
王慶討伐戦は終わった。
でも、全部が終わった訳じゃない。
残るものがある。
消えないものがある。
それでも、生まれるものもある。
なら、守らなきゃいけない。
そう思った。
王慶討伐戦が終わっても、すぐに静かにはならなかった。
むしろ、終わった後の方が面倒だった。
捕虜の数は多い。
負傷兵も多い。
南豊府に残された物資を調べ、火を消し、城内で抵抗を続ける兵を押さえ、逃げた者を追わせる。
王慶が捕まったから終わり、とはならない。
終わった戦場には、終わった後の仕事が山ほど残る。
顧大嫂は、ずっと怒鳴っていた。
「そっちじゃないよ! 怪我人を先に運びな! 武器を拾うのはその後だ!」
孫二娘も、瓦礫の上に腰を掛けながら、通りかかる兵へ声を飛ばしている。
「ぼんやりするんじゃないよォ。勝った後に踏まれて死んだら笑えないからねェ」
笑えない。
本当に笑えない。
紅玉は、負傷兵の手当を手伝っていた。
手際が良い訳じゃない。
でも、目を逸らさない。
血を見ても、泣き声を聞いても、逃げない。
少し前なら、顔を青くして固まっていたかもしれない。
でも今は、震えながらでも手を動かしている。
玉楼は、アタシの横にいた。
いつものように半歩近く。
でも、何も言わない。
たぶん、アタシがまだ段三娘のことを考えているのが分かっている。
「……玉楼」
「はい」
「何でもない」
「そうでございますか」
玉楼は、それ以上聞かなかった。
聞かれたら、困ったと思う。
段三娘の目が、まだ頭から離れない。
兄を返せ。
返せるものなら、返したかった。
でも、返せない。
戦場で斬ったものは、戻らない。
分かっている。
分かっているからこそ、残る。
その日の夜、南豊府の空にはまだ煙が残っていた。
でも、赤黒い毒煙じゃない。
燃え残った木や、焼けた荷車や、崩れた建物から上がる煙だった。
遠くで、捕虜をまとめる声が聞こえる。
誰かが泣いている。
誰かが怒鳴っている。
誰かが、もう笑っている。
戦が終わった後の音だった。
翌日から、梁山泊軍は戦後処理に入った。
王慶は捕らえられた。
南豊府も押さえた。
各地に残っていた王慶軍の兵も、少しずつ降ってきた。
それでも、すぐには動けない。
負傷兵を運ぶ。
捕虜を分ける。
報告がまとめられる。
朝廷へ送る書状も、どこかで作られているらしい。
アタシの仕事じゃない。
そういうものは、宋江や呉用や朱武達がどうにかする。
アタシが書くとしたら、李師師への手紙くらいだ。
王慶が捕まったこと。
瓊英が無事でいること。
紅玉が最近、少し強くなったこと。
そういう、正式な報告とは少し違う話だった。
宋江は、まだ完全に復調したわけではないらしい。
それでも、王慶が捕まったと聞いた時は、随分と安堵した顔をしたそうだ。
アタシは、その話を聞いても、あまり何も思わなかった。
いや、嘘だ。
少しだけ、また冷たいものが胸に浮かんだ。
倒れたままでいればよかったのに……
そこまで思った訳じゃない。
たぶん……
でも、そう思いかけた自分がいる。
アタシは、未だに宋江を信用していない。
それは変わらない。
王慶を倒したからといって、梁山泊の中にある全部が綺麗になる訳じゃない。
王英のことも。
祝家荘のことも。
扈家荘のことも。
全部、消えない。
それでも、今は梁山泊にいる。
同じ旗の下で動いている。
それだけだった。
ひと月後――
梁山泊軍は、東京近郊へ戻った。
王慶討伐の報は既に届いていたらしく、軍営の空気は少し緩んでいた。
それでも、完全に休める訳じゃない。
戻ってきた途端に、報告、負傷者の整理、恩賞の話、次の命令。
あっちでもこっちでも、人が動いている。
「終わっても休めないじゃない」
アタシが呟くと、孫二娘が笑った。
「だから言っただろォ。梁山泊だよ? 休ませる気なんてないねェ」
顧大嫂が荷を下ろしながら言う。
「休むなら、倒れる前に座っときな。倒れてからじゃ遅いよ」
「それ、休むって言うの?」
「言わないね」
孫二娘が笑った。
紅玉も少しだけ笑う。
でも、すぐに軍営の奥へ目を向けた。
「……張清様の幕舎、あちらでしたよね」
「そうね」
「呼ばれているんですよね」
「そう」
王慶討伐戦の後、張清から使いが来ていた。
詳しい話は聞いていない。
ただ、アタシと玉楼、それから紅玉にも来てほしいということだった。
張清が、改まって呼ぶ。
それだけで、何かあるのは分かる。
アタシ達は、張清の幕舎へ向かった。
風が少し涼しい。
戦場の熱が、まだ身体の奥に残っているせいか、その風が妙に冷たく感じた。
幕舎の前には、張清が立っていた。
でも、いつもと違う。
落ち着かない。
手を組んだり、解いたりしている。
あの張清が、だ。
石礫を投げる時はあんなに迷わないのに、今は明らかに迷っている。
「来たか」
声も、少し低かった。
アタシは眉を上げる。
「何よ、改まって」
「いや、その……」
張清が言い淀む。
珍しい。
孫二娘がいれば、絶対に茶化していたと思う。
でも、ここに孫二娘はいない。
代わりに、玉楼が静かに張清を見ている。
紅玉は、緊張した顔で立っていた。
「中へ」
張清が幕を開ける。
アタシ達は中へ入った。
そこに、瓊英がいた。
座っている。
背筋は伸びているけれど、いつもの張り詰めた鋭さが無い。
顔色も、少しだけ違う。
いつもより柔らかい。
そう思った瞬間、玉楼がわずかに目を細めた。
「……おめでとうございます」
アタシは玉楼を見る。
「え?」
瓊英の頬が、少し赤くなった。
張清が頭を掻く。
「まだ、安定しているとは言えないらしい」
「だから、あまり大きく言うことでもないんだが……」
そこまで聞いて、ようやく分かった。
アタシは瓊英を見る。
瓊英は、少しだけ照れたように目を伏せている。
「……そういうこと?」
張清が小さく頷いた。
「そういうことだ」
アタシは思わず瓊英を見る。
瓊英も小さく頭を下げた。
「ご心配をお掛けします」
「心配はするでしょ」
アタシは即座に言った。
「でも、謝ることじゃないわよ」
瓊英が、少しだけ目を丸くする。
張清も、わずかに表情を緩めた。
でも、すぐ真面目な顔に戻る。
「問題は、これからだ」
「これから?」
「俺は梁山泊に残る」
張清の声が重くなる。
「梁山泊としての動きも終わっていない。次に何が命じられるかも分からない」
その言葉で、幕舎の空気が少し重くなった。
次――
誰も言わないけど、皆分かっている。
王慶が終わったからといって、全部が終わる訳じゃない。
梁山泊は、またどこかへ向かわされる。
多分、休めない。
張清は続けた。
「瓊英を、このまま軍の中で連れ回す訳にはいかない」
瓊英が口を開こうとした。
でも、張清が先に首を振る。
「お前が強いのは分かっている。だが、強いとか弱いとかの話じゃない」
瓊英は少し黙った。
それから、静かに頷いた。
「分かっております」
張清は息を吐いた。
「だから、護衛をつけたい」
張清は、そこで少し言葉を選ぶように息を吐いた。
「腕の立つ者だけなら、こちらでどうにかする。だが、瓊英の身の回りまで、男ばかりに任せる訳にはいかない」
瓊英が、少しだけ目を伏せた。
張清は続ける。
「女の護衛が要る。戦えるだけじゃなく、同じ女として側にいられる者が」
その言葉で、アタシは紅玉を見た。
紅玉が、一瞬だけ固まる。
多分、アタシが何を考えたか分かったのだろう。
「紅玉」
「は、はい」
アタシは、真っ直ぐ言った。
「瓊英の護衛、アンタに任せる」
紅玉の目が揺れた。
驚きと戸惑い。
それから、責任の重さ。
いくつも混ざった顔だった。
「私で、よろしいのでしょうか」
「アンタだから任せるの」
紅玉は、すぐには返事をしなかった。
でも、逃げる顔ではなかった。
瓊英を見て、張清を見る。
それから、アタシを見る。
「私は……まだ、未熟です」
「知ってる」
「戦場でも、怖いと思うことがあります」
「それも知ってる」
「それでも、ですか」
「それでも」
紅玉は唇を結んだ。
しばらくして、小さく息を吸う。
そして、瓊英へ向き直った。
「……お守りいたします」
声は震えていなかった。
前より、ずっと強かった。
瓊英は、その声を聞いて、ゆっくり頭を下げた。
「ありがとうございます」
張清も、大きく息を吐いた。
「助かる」
その声は、本当に助かったという声だった。
でも、玉楼が静かに口を開く。
「紅玉一人に任せきりにするのは、避けた方がよろしいかと」
張清が頷く。
「分かっている」
それから、少し考えるように視線を落とした。
「一人、頼れそうな官軍の将を知っている」
アタシは張清を見る。
「誰?」
「韓世忠だ」
聞いたことのない名だった。
張清は続ける。
「彼の屋敷の一角を借りられないか、話を通してみる」
「信用できるの?」
「少なくとも、変な男ではない」
張清らしい言い方だった。
玉楼が静かに頷く。
「素性の知れぬ屋敷におられるよりは良いかと」
アタシは玉楼を見る。
「知ってるの?」
「何度か、噂は聞きました」
「どうだった?」
「官軍の中でも優秀な方だと聞いております」
玉楼がそう言うなら、悪くないのだろう。
アタシは紅玉を見る。
「どう?」
紅玉は少しだけ考えた。
そして、頷いた。
「私一人でお守りするより、その方の屋敷にいた方が確実だと思います」
声は落ち着いていた。
もう、ただ任されて怯えているだけじゃない。
自分が何を守るのか。
一人で抱え込むべきではないこと。
それを考えている顔だった。
アタシは頷く。
「じゃあ、その韓世忠に頼みましょう」
張清も頷いた。
「すぐ手配する」
瓊英は静かに腹の辺りへ手を添えた。
まだ、見た目では何も分からない。
でも、そこにはもう新しい命がある。
戦が終わった後に、次の命の話をしている。
それが、妙に不思議だった。
段三娘の目が、まだ残っている。
袁朗の重さも、寇烕の煙も、消えていない。
でも、その同じ場所から、次のものも生まれている。
戦場は奪う。
でも、生き残った者は、何かを守らなきゃいけない。
紅玉が瓊英を見る。
その横顔は、前より少しだけ大人びていた。
アタシは思う。
この子も、ここで少し道が変わるのだろう。
前へ出るだけが、戦うことじゃない。
誰かを守って残ることも、きっと戦いだ。
「紅玉」
「はい」
「頼んだわよ」
紅玉は、真っ直ぐアタシを見た。
「はい」
短い返事だった。
でも、それで十分だった。
王慶討伐戦は、終わりました。
南豊府は落ち、王慶は捕らえられ、王慶軍は崩れました。
戦としては、確かに一つ終わったのでございます。
ですが、戦が終わったからといって、すぐに何もかも軽くなる訳ではございません。
煙と血の匂い。
倒れた者の顔。
最後に聞いた声。
そういうものは、勝った側の中にも残ります。
扈三娘様も、そうでございました。
「出たねェ」
孫二娘殿が、横で楽しそうに笑われました。
「玉楼の、三娘観察日記だよォ」
「観察日記ではございません」
「でも、見てたんだろォ?」
「見ておりました」
「ほらねェ」
顧大嫂殿が腕を組み、深く頷かれました。
「見ておいて正解だよ。三娘は、戦が終わった後ほど顔に出るからねぇ」
「戦の最中ではなく、後でございますか」
「そうだよ。戦の最中は前を見るしかない。でも終わった後は、いろいろ戻ってくる」
その言葉は、少し重く響きました。
確かに、そうなのだと思います。
戦の中で見たものは、終わった後になってから戻ってまいります。
けれど、今回残ったものは、それだけではございませんでした。
瓊英殿のことです。
王慶討伐戦の後、張清殿が扈三娘様を改まって呼ばれました。
私と紅玉も共に呼ばれました。
何事かと思えば、瓊英殿が身ごもられたとのこと。
大変おめでたいことです。
おめでたいことなのですが――
「いやァ、張清も瓊英も、やることはやってたんだねェ」
孫二娘殿が、にやにやと笑われました。
紅玉の顔が、一瞬で赤くなりました。
「そ、孫二娘様!」
「何だい。夫婦なんだから普通だろォ」
「そ、それはそうですが、言い方が……!」
顧大嫂殿も、真面目な顔で頷かれます。
「まあ、張清も石礫だけ投げてた訳じゃなかったってことだねぇ」
「顧大嫂様まで!」
紅玉は、両手で顔を覆ってしまいました。
私は少しだけ咳払いをしました。
「皆様、あまり紅玉を困らせるものではございません」
孫二娘殿は、悪びれもせず笑われます。
「おや、玉楼は平気な顔だねェ」
「夫婦であれば、不思議なことではございません」
「言い方が硬いねェ。そういう話をそこまで真面目に言うの、玉楼くらいだよォ」
「茶化す話でもないかと」
「でも、張清に聞こえたら言ってやりたいねェ。おめでとう、命中したねェって」
「孫二娘殿」
「褒めてるんだよォ」
「褒め方が最低でございます」
紅玉が、顔を覆ったまま小さく頷きました。
「はい……それは、少し……」
顧大嫂殿が笑われました。
「でもね、紅玉。世の中、綺麗な言葉だけじゃ子供は出来ないんだよ」
「顧大嫂様!」
「本当のことだろ」
孫二娘殿が腹を抱えて笑われます。
「紅玉は反応がいいねェ。耳まで赤いよォ」
紅玉は、さらに小さくなりました。
ですが、その顔には、恥ずかしさだけではなく、少しだけ嬉しさもございました。
王慶討伐戦では、多くの者が倒れました。
血の匂いも、煙の色も、まだ私達の中に残っております。
けれど、その一方で、新しい命もございました。
戦場は色々なものを奪います。
けれど、生き残った者の中では、次のものも生まれていく。
それは、とても不思議で、少しだけ救いのあることのように思えました。
「しかし瓊英は早いねェ」
孫二娘殿が、また楽しそうに言われました。
「結婚して、子まで出来てるんだからさァ」
紅玉が、また少し赤くなります。
「それは……おめでたいことです」
「おめでたいよォ。おめでたいけどねェ」
孫二娘殿は、今度は扈三娘様の方を見るような顔をされました。
「それに比べて、三娘と玉楼はどうだい。二人して、まだ独り身じゃないかァ」
「そこで私を巻き込まないでいただけますか」
思わず、即答してしまいました。
孫二娘殿が腹を抱えて笑われます。
「ほら、刺さったねェ」
「刺さっておりません」
「刺さってる顔だよォ」
顧大嫂殿が、腕を組んで鼻を鳴らされました。
「アンタも人のこと言えないだろう、孫二娘」
孫二娘殿の笑いが、そこで止まりました。
「……アタイ?」
「そうだよ。三娘と玉楼を茶化してるけど、アンタも独り身じゃないか」
紅玉が、目を丸くしました。
「孫二娘様も……?」
「紅玉、そこはそんな真面目な顔で確認するところじゃないよォ」
「す、すみません」
顧大嫂殿は、容赦なく続けられます。
「人の縁談を笑う前に、自分の心配をしな。茶化して逃げてるだけじゃ、誰も捕まらないよ」
孫二娘殿は酒瓶を揺らしながら、少しだけ目を逸らされました。
「いやァ、顧大嫂は今日も現実が鋭いねェ」
「現実だからねぇ」
「しかし、扈三娘様はともかく、なぜ私まで」
「いつも三娘の隣にいるからだよォ」
孫二娘殿は、すぐに調子を戻されました。
「主が独り身なら、侍女も独り身。仲が良くていいじゃないかァ」
「その理屈はおかしいかと」
「おかしくないねェ。三娘も玉楼も、人の命は守るのに、自分の縁は後回しだよォ」
顧大嫂殿が笑われます。
「まあ、玉楼は主のことばかり見てるからねぇ」
「顧大嫂殿まで」
紅玉が、小さく笑いました。
「でも……皆様、それぞれでよろしいのではないでしょうか」
私達は紅玉を見ました。
紅玉は、少し照れたように続けます。
「瓊英様には瓊英様の道があって、扈三娘様には扈三娘様の道があって、玉楼様にも、孫二娘様にも、それぞれの道があると思います」
孫二娘殿が、にやりと笑われました。
「紅玉、綺麗にまとめたねェ」
顧大嫂殿も笑います。
「まあ、そういうことにしといてやるよ」
「なぜ上からなのでございますか」
「独り身組への情けだねぇ」
「顧大嫂殿」
孫二娘殿が、また私を見て笑われました。
「それにしても、玉楼は知性担当みたいな顔してるけどねェ」
「みたい、ではなく、私は考えております」
「考えてるのは分かるよォ。ただ、最後に出る答えがだいたい物騒なんだよねェ」
「物騒でございますか」
顧大嫂殿が、深く頷かれました。
「物騒だねぇ。三娘が前へ出る。玉楼が止める。そこまでは知性担当だよ」
「はい」
「でも、その次に玉楼も槍を持って一緒に前へ出るだろ」
「必要であれば」
孫二娘殿が、腹を抱えて笑われました。
「そこだよォ。知性担当の返事じゃないんだよォ」
「必要な時に前へ出ることは、判断として間違っていないかと」
「ほら、真面目に物騒なこと言ってるねェ」
紅玉が、小さく笑いました。
「玉楼様は、考えてから前へ出られます」
「紅玉、それは褒めてるのかい?」
「褒めております」
顧大嫂殿が笑われます。
「まあ、三娘が考える前に飛ぶなら、玉楼は考えてから飛ぶんだろうねぇ」
「飛ぶ前提なのですね」
「飛ぶだろ」
孫二娘殿も頷かれました。
「飛ぶねェ」
紅玉も、少し困った顔で頷きました。
「……飛ばれます」
私は、少しだけ息を吐きました。
「皆様、私を何だと思っておられるのですか」
孫二娘殿が、楽しそうに言われます。
「知性担当の脳筋だねェ」
「矛盾しております」
「してないよォ。玉楼はちゃんと考える脳筋だよォ」
「余計に悪くなっております」
顧大嫂殿が、真面目な顔で頷かれました。
「でも、三娘にはちょうどいいよ。考えない脳筋と、考える脳筋。二人いれば、まあ、片方くらいは戻り道を見るだろ」
「顧大嫂殿」
紅玉が、そこで真面目な顔になりました。
「私は、戻り道を見ます」
その言葉に、私達は少しだけ黙りました。
孫二娘殿が、にやりと笑われます。
「ほらねェ。紅玉が一番まともな知性担当になってきたよォ」
「それは喜ばしいことです」
私がそう答えると、顧大嫂殿が笑われました。
「玉楼、そこで悔しがらないところがまた玉楼だねぇ」
「紅玉が成長されることは、良いことでございます」
「真面目だねェ」
孫二娘殿が、酒瓶を揺らしました。
「でも、その真面目さで刺すんだから、やっぱり玉楼だよォ」
私としては、少々複雑でございます。
ですが、紅玉が見ようとしているのなら、それは良いことです。
その紅玉は、これから瓊英殿の側へ行くことになります。
「守られる側だった子が、守る側に回るんだからねぇ」
顧大嫂殿が言われました。
「変わるもんだよ」
紅玉は、少し緊張した顔をしました。
「私に、務まるでしょうか」
「務めるんだよォ」
孫二娘殿が笑われます。
「もう引き受けたんだからねェ」
「はい……」
「それに、瓊英は強い女だよ。強い女ってのは、無理をする」
顧大嫂殿が続けました。
「だから、紅玉が見るんだ。戦えるかどうかだけじゃない。休ませる。食べさせる。無理してないか見る。そういうのも護衛だよ」
紅玉は、真剣に頷きました。
「分かりました」
その顔は、先ほどよりも少し大人びて見えました。
王慶討伐戦は終わりました。
けれど、終わった戦の中にあったものは、これからも私達の中に残ります。
袁朗の重さ。
寇烕の煙。
李懐が討たれた報。
王慶が捕らえられた知らせ。
そして、瓊英殿の中に宿った新しい命。
それらは、勝利という一言だけでは片付きません。
生き残った者には、次がございます。
倒れた者には、もう次はございません。
だからこそ、生き残った者は、軽々しく忘れてはいけないのだと思います。
けれど、背負いすぎてもいけません。
扈三娘様は、前へ進む方です。
紅玉は、これから別の場所で瓊英殿を見てくれるでしょう。
顧大嫂殿は、場を締めてくださるでしょう。
孫二娘殿は、茶化しながら、重くなりすぎた空気を逃がしてくださるでしょう。
戦は一つ終わりました。
王慶討伐戦は、確かに終わりました。
ですが、私達の道が終わった訳ではございません。
消えないものを抱えたまま。
新しく守るものを見つけながら。
それでも、生き残った者は次へ進みます。
そして紅玉は、守られる側から、守る側へ歩き出しました。
それもまた、王慶討伐戦の後に残った、新しい道だったのだと思います。




