夢で、破るの?
昨日、二十万の陣に入って、きっちり負けて帰ってきた。
だから今日は、軍師二人が寝ずに破り方を考えてくれたんだと思っていた。
「三娘、期待って怖いねェ」
「まだ何も言ってない!」
孫二娘が笑う横で、顧大嫂が首を傾げた。
「じゃあ、破り方は分かったのかい?」
「分かったらしいわ」
「朱武が?」
「違う」
「呉用か?」
「違う」
二人が揃ってアタシを見る。
「宋江が夢で教えてもらったんだって」
少し間が空いた。
顧大嫂が先に口を開く。
「……誰に?」
「九天玄女様」
「神様じゃないか」
孫二娘が顎へ指を当てた。
「夢による問題解決自体は心理学でも――」
「お願いだから今は黙って!」
昨日は陣に負けた。
今日は夢を信じて、もう一度入る。
……戦争って、こんなんだっけ?
「破り方が分かった」
宋江は、そう言った。
アタシはしばらく黙っていた。
昨日、朱武にも呉用にも分からなかったうえ、実際に二十万の陣へ入ったアタシ達は出口まで見失い、負傷者まで出して逃げ帰った。
それを一晩で――
「……夢で?」
「夢だ」
「そこ即答しないで!」
軍議の場で、何人かが視線を逸らした。
笑うところじゃないの?
いや、もしかしてアタシ以外は普通に受け入れてるの?
宋江はいたって真面目だった。
「九天玄女様より、混天象陣を破る法を授かった」
「神様まで出てきた!」
隣に座っていた孫二娘が、顎へ指を当てる。
「夢の中で問題の解決策を得ること自体は、心理学でも珍しい話じゃないよォ。睡眠中に記憶が整理されて、起きた時に答えが浮かぶこともある」
「今、その夢に学術的な裏付けを与えないで!」
「アタイは夢の仕組みを話してるだけだよォ。九天玄女については専門外だねェ」
「専門内だったら怖いわ!」
宋江は気にした様子もなく、昨日の陣形を描いた地面へ視線を落とした。
呉用が扇で中央を示す。
「五行相剋を用います。水には土、木には金、金には火、火には水、土には木を当てる。さらに太陽、太陰の二陣を別の軍で破り、二十四の雷車を中軍へ入れます」
「待って」
思わず手を上げた。
「夢の情報量、多くない?」
孫二娘が吹き出した。
「三娘の夢なんて、食べ物か李俊くらいしか出なさそうだもんねェ?」
「何で李俊が出るのよ!」
反射的に李俊を見る。
向こうも、こっちを見ていた。
目が合った。
……何でアンタまで赤くなるのよ。
たぶん、アタシも同じだった。
李俊とほとんど同時に顔を逸らす。
それを見た二娘は、ものすごく楽しそうに口元を緩めた。
「出ないのかい?」
「……知らない!」
「……ごほん」
朱武が咳払いした。
「続きを申し上げてもよろしいでしょうか?」
「……お願いします」
何なのよ、この空気……
しかも李俊まで黙ってるし。
朱武は何事もなかったように陣図へ向き直った。
「昨日、陣内で旗が動いた理由も、これならば説明がつきます。個々の門を追うのではなく、陣全体を五行と星宿の配置として捉えるのでございます」
「昨日それ分かってほしかった……」
「申し訳ございません」
本気で謝られると困る。
そこへ宋江がアタシを見た。
嫌な予感しかしない。
「扈三娘」
「はい」
「そなたは太陰陣を破れ」
「何で!?」
反射で叫んだ。
朱武がこちらを見る。
「太陰を破るには計都に当たる一軍を置きます。一丈青殿には、その一軍の先鋒をお願いしたいのでございます」
「昨日そこに答里孛いたじゃない!」
正確には、昨日アタシ達が崩したのは太陰の一角で、そこで答里孛を捕らえても陣全体はびくともしなかった。
今度はその一角ではなく、太陰そのものへ入れという。
「昨日、体調悪いって全員知ったわよね!?」
孫二娘がすぐアタシの肩へ腕を回してきた。
「知ってるよォ」
「じゃあ止めて!」
「三娘が『行きません』って言えば?」
「それが言えたら苦労してない!」
「そこは自己決定の問題だねェ」
「心理学で突き放さないで!」
玉楼が静かに口を開いた。
「三娘様がお行きになるのでしたら、わたくしも参ります」
「玉楼」
「昨日、戻る道を任されましたので」
「今日はちゃんと一緒に戻るのよ?」
玉楼は少しだけ間を置いた。
「善処いたします」
「そこは即答して!」
孫二娘がアタシの肩に顔を寄せたまま笑っている。
最近、この人は完全に遠慮がなくなった。
その日のうちに、軍は大きく組み替えられた。
二十四の雷車が用意され、各隊の旗や衣も五行に合わせて改められていく。
昨日まで同じ色で戦っていた兵達が、今日は黄色だの白だの赤だのに分けられ、遠目には巨大な祭りの準備にも見えた。
「戦争って、こんなに色分け必要なの?」
「視覚情報は集団行動には大事だよォ。混乱した時ほど、見て判断出来るものが役に立つからねェ」
「敵も色分けしてるのよ?」
「じゃあ間違えないようにしな」
「急に雑!」
日が傾く頃、アタシは馬の脇で腰を伸ばした。
腰はまだ重く、腹も完全には楽になっていない。
昨日より多少ましとはいえ、万全には程遠かった。
玉楼が何も言わずに水を差し出す。
「ありがと」
受け取って飲んでいると、孫二娘がまた顔を覗き込んできた。
「どう?」
「戦える」
「聞いてるのは体調だよォ」
「……まだ痛い」
「なら、それを忘れないこと。動けることと、万全なことは別だからねェ」
昨日と同じで、痛みがあるなら、その前提で動けばいい。
そこへ馬の蹄が近付いた。
李俊だった。
軍議で目が合ったのを思い出した瞬間、こっちから先に視線を逸らしたくなる。
でも、それも悔しい。
「また入るのか?」
「今度は太陰だって」
「そうか」
それだけ?
朝はあんな顔してたくせに。
アタシが黙っていると、李俊がこちらを見る。
「戻ってこい」
また、それ……
胸の奥が勝手に反応する。
「アンタ、それ便利に使い始めてない?」
「駄目か?」
「駄目とは言ってないけど……」
「ならいい」
「よくない!」
李俊は少しだけ笑って、自分の隊へ戻っていった。
直後、肩越しに声がする。
「朝より赤いねェ」
「二娘!」
「アタイ、何も言ってないよォ?」
「言ってる!」
「恋愛中の注意の偏りって面白いねェ」
「観察対象にしないで!」
夜――
空が完全に暗くなる前から雲が広がり、風も強くなっていた。
昨日見た二十万の陣は、暗闇の中ではさらに巨大に感じる。
遠くの松明が無数の星のように揺れ、どこまでが一つの隊なのかさえ分からない。
けれど、今夜はこちらも待っているだけではない。
号砲が鳴った。
五行に分けられた軍が、一斉に混天象陣へ噛みつく。
呼延灼、関勝、林冲、秦明、董平。
別の方向では魯智深が太陽陣へ向かう。
そしてアタシ達は――太陰。
「行くわよ!」
「はい!」
玉楼が並ぶ。
今夜は最初から前と後ろを決めなかった。
アタシが前へ出れば玉楼が横を見る。
玉楼が突けば、アタシが空いた場所へ入る。
昨日、逃げながら覚えた。
二人で動くなら、役割を固定する必要なんてない。
太陰陣の旗が揺れ、敵兵が左右へ開いた。
昨日なら迷った。
「三娘様!」
「分かってる! あれは誘い!」
そのまま馬首を変える。
ところが今度は、後ろから声が飛んだ。
「三娘様、左です!」
紅玉だった。
見ると、左奥の旗だけ動きが遅れている。
敵が一斉に向きを変えたのに、そこだけ半拍遅い。
「……見えたの?」
「はい!」
声はまだ少し硬い。
でも、昨日までみたいにアタシの答えを待っていない。
「じゃあ、そこ!」
玉楼が先に馬を走らせた。
「参ります!」
槍が敵の列へ入り、崩れたところへアタシが続く。
玉楼へ集中した槍を日月双刀で弾き、開いた場所へ味方を通す。
紅玉もついて来るが、前へ出すぎることはなく、それでも以前のように後ろで震えているだけではなかった。
「旗が変わります!」
今度は右だった。
それも、アタシより先に紅玉が見つけた。
「玉楼!」
「承知!」
役割がまた入れ替わる。
アタシが敵を受け、玉楼が右へ走る。
昨日は陣に動かされていたけれど、今日は違う。
すべての仕組みが分かったわけではなくても、自分達が何を見るべきなのかは分かっている。
太陰を破る――そのために、余計な餌には食いつかない。
その時、地面が揺れた。
腹とは違う。
「何!?」
背後から轟音が押し寄せ、夜の中に火が上がった。
二十四の雷車だ。
しかも、それに呼応するように空まで鳴り始める。
雷が落ちたような音が続き、遼兵の隊列が大きく乱れる。
「公孫勝かい!」
孫二娘が後方で叫んだ。
「二娘、心理学で説明出来る!?」
「これは無理だねェ!」
「諦めるの早い!」
「専門外は専門外だよォ!」
敵の馬が暴れ、旗が傾く。
昨日まで生き物みたいに形を変えていた混天象陣が、今度は自分の動きについていけなくなっていた。
五つの方向から同時に押され、太陽と太陰も攻められ、中軍へ雷車まで入っている。
一つを閉じれば、別の場所が破れる。
「三娘様!」
玉楼の声。
前が開いたが、今度は罠ではない。
敵兵の視線は中軍の火へ向き、こちらへ命令を回す余裕さえ失っている。
「行くわ!」
腹に痛みが走った。
だから、いつものように無理に踏み込まない。
玉楼が先へ出ると、アタシもその横へ入った。
敵の槍が玉楼へ伸びた瞬間、穂先を双刀で挟んで逸らすと、玉楼がそのまま槍を突き込み、敵の列を崩した。
「今!」
味方が雪崩れ込んだ。
太陰の旗が倒れる。
さらに奥でも別の旗が傾き、敵兵が位置を変えようとして互いにぶつかった。
昨日は、あれほど出口さえ分からなかった。
今は敵の方が、自分達の場所を見失い始めている。
「三娘様! 中央の旗が動いています!」
紅玉が叫ぶ。
遠くを見ると、巨大な黄旗が揺れ、その周囲では遼兵が次々と向きを変えていた。
逃げているのではない。
守ろうとしている。
「あそこ……」
玉楼も気付いた。
混天象陣の中心。
昨日はどれだけ進んでも届かなかった場所が、今夜は火と煙の向こうに見えている。
そこに、一騎の将がいた。
兀顔統軍。
二十万の陣を動かしていた男が、自ら馬首をこちらへ向けた。
そして――
兀顔統軍が、こちらへ動いた。
玉楼でございます。
昨日は「戻る道」を任されましたが、本日は三娘様と、前も後ろも決めずに戦いました。
「要するに、三娘が突っ込んだら玉楼が合わせて、玉楼が突っ込んだら三娘が合わせるんだねェ」
「左様でございます」
顧大嫂様が笑います。
「二人とも突っ込んだら誰が止めるんだい?」
「……孫二娘様でしょうか」
「アタイ!?」
何か問題でもございますでしょうか?
それに、紅玉様もご自分から旗の変化を見つけられました。
三娘様も、とても嬉しそうでございました。
「玉楼も嬉しそうだけどねェ」
「当然でございます」
ですが――
喜んでばかりもいられません。
太陰陣を崩した先から、兀顔統軍がこちらへ向かっております。
顧大嫂様が朴刀を握り直しました。
「今度は陣じゃなく、本人かい」
……そのようでございます。




