↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
61/210

今日は、条件が悪すぎる

二十万――

聞き間違いだと思いたかったけど、兀顔統軍が本当に二十万連れて来るらしい。

「三娘、顔が引きつってるよォ」

「三万から急に二十万よ!? 段階ってものがあるでしょ!」

顧大嫂が腕を組んだ。

「敵が気を遣って増えてくれるわけないだろ?」

「それは分かってる!」

孫二娘が笑いながら、アタシの顔を覗き込む。

「まあ、今夜はちゃんと寝な。明日の体調まで悪かったら最悪だからねェ」

「やめて……そういうこと言うと本当に何か起きそう」

「認知バイアスだよォ。言ったから起きるわけじゃない」

「だったら大丈夫ね」

翌朝――

起きた瞬間、下腹部が重かった。

……二娘。

後で覚えてなさい……

「二十万余り」

……桁、増えてない?

三万だって十分多かったのに、いきなり二十万である。

しかも、その二十万を率いている兀顔統軍は、昨日捕まえた兀顔延寿の父親だという。

息子を生け捕りにした翌日に、父親が二十万を引き連れて出てくる。

「家族愛の規模がおかしいでしょ!」

孫二娘が隣で笑った。

「息子を取り返しに来たとは限らないけどねェ」

「今はそういう冷静な分析いらない!」

「二十万だからねェ。冷静にはなった方がいいよ」

顧大嫂まで正論を投げてくる。

その夜は、さすがに誰も浮かれていなかった。

ところが翌朝、敵とはまったく別の方向から、さらに最悪が来た。

目を覚ました瞬間、下腹に覚えのある重さがある。

嫌な予感がして確かめれば、案の定だった。

「……最悪」

よりによって今日、二十万の兵を率いる兀顔統軍と戦うというのに、そのうえ生理まで来た。

今日という日は、アタシに何か恨みでもあるの?

身体を起こしただけで腰が重く、腹の奥が鈍く痛む。

動けないほどではないけれど、馬に乗れば確実に響くやつだ。

外へ出ようとしたところで、孫二娘に見つかった。

「三娘」

「何?」

「腹?」

一発でばれた。

「……来た」

「敵なら昨日から来てるよォ」

「そっちじゃない!」

孫二娘が一瞬きょとんとして、それから「ああ」と頷いた。

「そっちかい」

そこへ玉楼もやって来た。

孫二娘が小声で事情を伝えると、玉楼は騒ぎもせず、そのまま踵を返す。

「替えの布と下衣をお持ちいたします。三娘様は、こちらで少しお待ちくださいませ」

「いや、そこまでしてもらわなくても――」

「いたします」

いつもより強かった。

「……はい」

逆らえなかった……

戻ってきた玉楼に手当を手伝ってもらい、孫二娘には腹の痛みや出血の具合まで確認された。

「今のところ、動けないほどじゃないねェ。ただし、急に痛みが強くなったら言いなァ。水もちゃんと飲みなよ」

「分かってる」

「本当に?」

「アタシ、子供じゃないんだけど!」

「戦場で無茶する人間だから、年齢に関係なく確認してるんだよォ」

言い返せない……

玉楼も装具を確かめながら、こちらを見た。

「本日の三娘様は、普段通りではございません。それだけは、お忘れになりませんよう」

「病人じゃないわよ?」

「存じております」

そこで玉楼は、ほんの少しだけ笑った。

「ですから、いつも通りお側におります」

……そういう言い方、ずるい。

出陣してしばらくすると、孫二娘の言った意味が嫌でも分かった。

馬の歩みに合わせて腹へ響き、速度を上げればさらにきつい。

鎧まで普段より重く感じる。

「今日、条件悪すぎない?」

「生理痛に二十万の兵は、あまり推奨出来ない組み合わせだねェ」

「推奨される戦争なんてある!?」

顧大嫂が吹き出した。

その笑いも、丘を越えたところで消えた。

丘を越えると、本当に二十万という数が目の前の景色になっていた。

兵が多いというより、地面そのものが人と馬と旗で埋まっている。

どこを見れば端なのかさえ分からず、紅玉も馬上で息を飲んだまま声が出ない。

しかも敵軍は、ただ密集しているわけではなかった。

旗の色ごとに巨大な塊を作り、その外側にも別の隊が配置されている。

アタシには何が何だか分からない。

なので、今回は最初から諦めた。

「朱武……あれ何?」

朱武は敵陣をしばらく眺めてから答えた。

「太乙混天象陣です」

「やっぱり名前は分かるのね」

「名前は」

アタシの中で、何か引っかかった。

「……名前は?」

朱武は敵陣から目を離さない。

「変化が多すぎます。どこが虚で、どこが実か、今はまだ」

孫二娘がアタシを見る。

「三娘、良かったねェ。今日は朱武も全部は分からないって」

「何でアタシが安心するのよ!」

でも、ほんの少し安心した自分が腹立たしい。

その時、遠くに白い旗が見え、その下には一騎の白馬と、それを囲む女兵の姿があった。

見覚えがある。

「……いた」

玉楼もすぐに気づいた。

「あの白馬の女将軍でございますね」

紅玉がこちらを見る。

「お知り合いですか?」

「知り合いじゃないわよ。前にも会った敵」

あの時、白馬の上からこちらを測るように見ていた女将軍。

名前はまだ知らない。

でも、向こうもアタシを覚えているらしい。

距離があるのに、目が合った気がした。

そして、もっと分かりやすく反応した男が一人いた。

「あの女将軍だぁ~~!!」

聞き覚えがありすぎる。

「まさか!」

振り向けば、王英がすでに馬を走らせていた。

「ちょっと待って! アンタ前にもそれやったでしょ!?」

玉楼が槍を伸ばしたが、今回は届かない。

「王英様、お待ちくださいませ!」

「待てるかよォ!」

「待ちなさいよ!!」

二度目である。

本当に何も学習していない王英は、白馬の女将軍へ一直線に突っ込んだが、相手は驚きもしなかった。

王英の刃を受けると馬をずらし、次の一撃を外へ流す。

その瞬間には左右から女兵が回り込み、王英が振り返った時にはもう遅かった。

馬から引きずり落とされ、数人がかりで押さえ込まれる。

「……捕まった?」

孫二娘が目を細めた。

「捕まったねェ」

顧大嫂が呆れたように言う。

「前は玉楼が止めてくれたからな」

「学習しなさいよ!!」

遼兵の間から声が上がった。

「天寿公主、答里孛様!」

アタシは白馬の女将軍を見る。

「……答里孛っていうのね」

ようやく名前を知ったその女将軍が武器を掲げると、五千の女兵が一斉に動き始めた。

朱武の声が飛ぶ。

「太陰が動きます!」

「名前はもういい! どっち!?」

「正面右!」

それなら分かる。

アタシは腹と腰の重さを押しながら、双刀を抜いた。

「玉楼!」

「はい!」

呼べばすぐに声が返り、二人で前へ出る。

答里孛の女兵が左右へ広がり、こちらを包もうとする一方、孫二娘と顧大嫂は後方の兵をまとめ、外へ回ろうとする相手を受け止めた。

「三娘、無茶するんじゃないよォ!」

「分かってる!」

「本当に?」

「今それ確認する!?」

玉楼が槍で敵兵を押し返しながら、こちらへ声を飛ばす。

「王英様への道は、こちらで開きます。三娘様は――前だけをご覧くださいませ!」

玉楼に背後を任せ、アタシは前だけを見た。

白馬の上には答里孛がいる。

今度は、互いに目を逸らさなかった。

馬を走らせた瞬間、腹の奥が強く痛んで息が詰まる。

その一瞬を答里孛は見逃さなかった。

白馬が踏み込み、刃が来る。

双刀で受けたものの、腕まで衝撃が抜けた。

「っ……!」

強いうえに容赦もないが、それは敵として当然だった。

戦場で「今日は生理なので手加減してください」なんて通じるわけがない。

次の斬撃をかわし、馬を寄せる。

普段ならもう半歩入れるところで身体が遅れ、答里孛の刃先が肩をかすめた。

いつも通りに戦おうとする方が間違っている。

だったら、見る。

答里孛の肩と手首、それから白馬の脚の動きまで、一つずつ追った。

何度か打ち合ううちに、答里孛は踏み込む直前、必ず馬首をわずかに左へ向けると分かった。

速さで勝つ必要はなく、次に来る位置さえ分かればいい。

また腹が痛んだが、今度は退かなかった。

答里孛がそれを隙だと思って入ってくる。

待っていた。

白馬の頭が左へ向く。

アタシは右の刀で刃を受け、左の刀を相手の武器へ絡ませて一気に引いた。

答里孛の身体が前へ崩れる。

そこで馬を寄せる。

肩がぶつかりそうな距離まで入り、立て直すより先に右の刀を首元へ当てた。

白馬が止まると、周囲の女兵も動きを止めた。

アタシは息を整えながら答里孛を見る。

「……終わり」

答里孛はしばらく黙っていたが、やがて武器から手を離した。

すぐに味方の兵が駆け寄り、その身柄を押さえる。

勝った。

よりによって、腹は痛み、腰は重く、馬に乗っているだけでもつらい今日のアタシが、答里孛を破った。

その頃には玉楼達も女兵の列を崩し、縛られていた王英を取り戻していた。

王英は助けられるなり、アタシと玉楼を見る。

「やっぱりよォ……」

嫌な予感がした。

「三娘も玉楼も、オレのことが――」

「違う!」

「違います」

声が綺麗に重なった。

孫二娘が笑う。

「そこだけは息ぴったりだねェ?」

顧大嫂が王英を睨む。

「お前、今の状況でよくそこへ着地出来るな」

玉楼だけは笑っていなかった。

「王英様……味方を捕虜のまま残して退くことなど出来ません。ですから、お救いいたしました」

「ほら、助けに――」

「ですが、同じ愚行を二度なされ、三娘様や皆様を危険に晒したことまで許されたとは、お思いになりませんように」

王英が黙ったので、珍しく効いたらしいと思った。

ところが今度は、その目がアタシの横で止まった。

「……ん?」

アタシもつられて横を見ると、そこには李俊がいた。

近い。

……いつの間にこんなところまで来たのよ?

王英が眉を寄せる。

「何で李俊がそんな近くにいるんだ?」

「知らないわよ!」

李俊は平然としている。

「俺がここにいたら悪いのか?」

「いや、悪くはねえけどよ……」

王英の視線がアタシと李俊の間を何度も往復する。

「お前ら、もしかして――」

「余計なこと言うな!」

孫二娘が楽しそうに笑った。

「やっとそこに気づいたのかい?」

「二娘!」

それでも王英は懲りない。

「でもよォ、三娘も玉楼もオレを助けに来たんだろ? やっぱり二人とも――」

ゴッ。

玉楼の槍の柄が、王英の頭を綺麗に打った。

「王英様」

玉楼は微笑んでいた。

「三度目はございません」

王英が頭を抱えてしゃがみ込むと、孫二娘が肩を震わせた。

「前にも同じところ殴られてなかったかねェ?」

顧大嫂も頷く。

「治る前に中身を何とかした方がいいな」

「だからアタシ達のせいじゃないから!」

言い返した途端、腹がまた痛んだ。

思わず顔をしかめると、李俊がすぐに気づいた。

「顔色悪いぞ」

「今日はちょっと……色々あるのよ」

「戦えるか?」

「戦ったでしょ」

李俊はそれ以上聞かなかった。

「なら座れ」

「命令?」

「違う。倒れられると面倒だ」

「言い方!」

でも、近くにあった岩へ腰を下ろした。

孫二娘がこちらへ来て、呆れたように腰へ手を当てる。

「だから言っただろォ。勝ったら腹痛が消えるわけじゃないよ」

「知ってる……」

玉楼もすぐ隣へ来ると、周囲には聞こえない声で言った。

「戻りましたら、すぐに替えましょう」

「……ありがと」

それでも、得たのは局地的な勝利にすぎない。

答里孛を捕らえ、王英も取り戻し、太陰の一角を崩したが、兀顔統軍の混天象陣そのものは残っている。

今日動いた敵は、あの巨大な陣のほんの一部だった。

夕方、負傷者が次々と運ばれる中で軍議が開かれた。

朱武にも、まだ陣全体をどう破るかは見えていない。

宋江が地図を睨んだ。

「このまま外から受けているだけでは埒が明かぬ」

しばらく黙っていた盧俊義が口を開いた。

「ならば明日は、こちらから中へ入りましょう」

アタシは顔を上げた。

「……中?」

盧俊義が敵陣の中心を指した。

「陣の中だ」

王英様は、無事にお戻りになりました。

ただし、反省まで連れて帰ることは出来なかったようでございます。

「三娘も玉楼も、オレのことが――」

ですので、槍の柄で一度だけ……

「玉楼、いい音したねェ」

「加減はいたしました」

顧大嫂が王英様の頭を見ながら笑います。

「次も同じこと言うぞ、あいつ」

「三度目はございません」

そう申し上げたところで、孫二娘様が妙に楽しそうな顔をなさいました。

「それより玉楼、李俊の位置、見たかい?」

「はい、三娘様のすぐ隣でございました」

「自然すぎたな」

……わたくしも、そう思います。

ですが、その話は後ほど。

明日は――わたくしたちの方から、あの二十万の陣へ入るそうでございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。