戦場の逡巡編
戦は、止まらない。
それでも、同じ形では来ない。
前に出て、左から切り込む。
隊列が崩れるはずの位置に入る。
だが、崩れない。
押している手応えはある。
それでも、流れがこちらに来ない。
前回と同じように、水際を見る。
寄せる位置を測る。
だが、相手が乗ってこない。
隊列が割れる。
連なっていた騎兵が、そこで切れる。
隙が、生まれない。
押し込めば、その分だけ引く。
引いた分だけ、別の隊列が前に出る。
流れを逃がされている。
違う。
同じ形じゃない。
前に出ると、奥に一つだけ動きの違う影があった。
アタシに向かってきた。
いきなり左右から、鉄鞭が下りてくる。
受ける。
鈍い衝撃が、抜けない。
弾く。
流れない。
止まる。
間に入り、合わせる。
合っているはずの位置で、噛み合わない。
拍が、取れない。
踏み込む。
詰める。
それでも、崩れない。
押せば押すほど、芯が残る。
刃が滑らない。
衝撃だけが残り、流れが切れない。
……呼延灼か。
もう一打、来る。
受ける前に流して、かわす。
距離を取るため、引くふりをした。
追ってくる。
だが、深くは追ってこない。
そこで止まる。
隊列の中へ戻っていた。
崩させない位置に、最初からいる。
前を見る。
連環馬は、まだ整然としている。
水際には寄せられない。
同じ手は、通らない。
アタシは馬を返す。
ここじゃない。
落とし切れない。
しかし、戦は止まっていない。
馬首を返し、押し込まれている流れの外へ出る。
完全には離れない。
二歩、下がる。押し返す力を抜く。
相手の前列が出てきて、追ってくる。
そのまま、視線を横へ流す。
草が深い。
低く、広く、視界を切る。
藪がある。
間が狭い。
広がれない。
連なったまま、入るしかない。
速度は落とさない。
そのまま奥へ。
音が変わる。
蹄が沈む。
葉が擦れる。
隊列が、詰まる。
揃っていない。
間が、合っていない。
後ろが詰まる。
連なりは、そのまま。
だが、動きが死んだ。
ここだ。
アタシは手綱を引き、振り返る。
「今よ」
藪の中から味方が鉤鎌槍で、馬の脚に引っ掛ける。
一頭が崩れると、隣が引かれる。
鎖が張り、列が傾く。
隊列が崩れていった。
青州の城門が落ちる。
城内の音が変わる。
押し合っていた流れが、ほどけ、雪崩れ込む。
叫び声がこだまする。
アタシは馬を止める。
城門は開いている。
行ける。
だが、行くのを躊躇う。
ここから先は、違う。
「アタシは……」
小さく呟いた。
手綱を引く。
隣に、気配がある。
玉楼がいた。
「行っても良いのよ……」
「いえ、私の役目は扈三娘様をお守りする事です。」
玉楼は、そのまま黙ってしまった。
隣にいてくれるだけで、心が落ち着く……
梁山泊に帰還する。
人の動きがあちらこちらに見える。
だが、まだ整っていない。
各隊が戻ってくる。一つ、また一つ。
声は少ない。
顔を見る。
欠けていないかを見る。
揃っているのを確認する。
それで、やっと落ち着ける。
「戻ってこれたわね……」
静かに呟く。
やがて、声が上がり、宴が始まる。
盃が回る。音が重なる。
アタシは席に着く。
玉楼が隣にいる。
盃を受け、口に運ぶ。
味が何もしない。
周りは笑っている。
「入りませんでしたね」
玉楼が言う。
アタシはすぐに返さない。
一拍、置く。
「必要がなかっただけよ」
少し間が空く。
「それで、良かったのですか」
アタシは盃を見る。
「あれじゃ、偉そうな事を言ってても、その辺の山賊と変わらないじゃない……」
それだけ答えた。
玉楼は頷かない。
それ以上も聞かない。
アタシは静かに玉楼を見つめていた。
席を立ち、盃を置いた。
玉楼も立つ。
そのまま、外へ出ると廊下は静かだった。
宴の音を、後ろに残しながら歩く。
足音だけが続く。
前から、人が来る。
一人。
止まらない。
そのまま、すれ違う。
重い。
足運びが、ぶれていない。
目は合わせない。
だが、分かる。
あの時の動きだ。
振り返らず、そのまま歩く。
玉楼は黙ったまま。
それでいい。
廊下を抜ける。
音が遠くなる。
外に出る。
夜は静かだ。
さっきまでの騒ぎが、嘘みたいに消える。
風が通る。
アタシは止まる。
玉楼も隣で止まる。
少しだけ、間が空く。
「今日は、終わりですね」
玉楼が言う。
アタシは空を見る。
「そうね」
短く返す。
それ以上は続かない。
夜は動かない。
だが、止まってはいない。
アタシは歩き出す。
玉楼がついてくる。
そのまま、奥へ進む。
部屋に向かって歩く。
足音が揃う。
隣に、気配がある。
いつもと変わらない。
――玉楼は覚えている。
小さい頃の扈三娘を。
人前では、弱音を吐かなかった。
背を伸ばし、誰よりも先に立っていた。
それでも、二人きりになると、袖を引いた。
今も、変わらない。
少しだけ、間が空く。
「……玉楼って」
前を向いたまま、言う。
「姉みたいなものよね」
玉楼はすぐに返さない。
「恐れ多いお言葉です」
静かに返る。
アタシは小さく息を吐く。
「そういう意味じゃないわよ」
それだけ言う。
また、足音が揃う。
次の日。
林冲が部屋を訪ねてきた。
玉楼が扉を開ける。
そのまま通す。
林冲は中に入る。
少しの間の後、アタシを見る。
「見ていた」
アタシは小さく頷く。
「そう」
林冲は何も言わなかった。
もう一度だけ、こちらを見る。
「無理に入る必要はない」
アタシは間を置く。
「わかったわ」
それで終わった。
林冲はそのまま出ていく。
扉が閉まる。
扉の外に気配がある。
玉楼が一歩前に出る。
扉を開けると、使いが立っていた。
短く言葉が交わされる。
声は拾わなかった。
わずかな間。
外の空気が入り込む。
玉楼が扉を閉め、こちらに戻る。
「晁蓋様がお呼びです」
少しだけ、間が空く。
アタシは玉楼を見る。
「行きましょ」
玉楼は小さく頷く。
アタシが立つと、玉楼も動く。
そのまま部屋を出た。
聚義庁に入る。
頭領たちが顔を並べている。
誰も無駄口を叩かない。
アタシはそのまま前に出る。
玉楼は一歩後ろで止まる。
晁蓋が座している。
視線だけが動く。
場が整う。
しばらくの間の後、一人の男が前に進み出る。
旅装のまま、土と埃をまとっている。
膝をつき、息を整える。
「報せに参りました」
晁蓋は頷き、先を促す。
「官軍が動いております」
誰もすぐには口を開かない。
「総大将は、童貫」
その名が出ると、場の空気が変わる。
アタシは動かない。
アタシは玉楼の顔を見る。
その視線は、動かない。
李逵の方を、外さない。
誰かが、ほんの少し場所を空ける。
声はない。
アタシはそのまま立っている……
聚義庁を出る。
廊下に出ると、流れがある。
人が行き交う。
短い指示だけが飛ぶ。
アタシは歩く。
玉楼が隣にいる。
足音が揃う。
しばらくして、前を向いたまま言う。
「李逵を見てたわね」
玉楼は間を置かない。
「はい」
アタシはそれ以上聞かない。
また、足音が揃う。
外へ出る。
風が通る。
兵が動き、馬が引かれる。
誰も声を上げず、準備に遅れない。
アタシは歩く。
玉楼が隣にいる。
足音が揃い、馬の前で止まる。
玉楼が手綱を取り、差し出す。
アタシは手綱を引き、跨る。
周りも同じように動く。
列が伸びる。
乱れない。
無駄がない。
まだ合図はない。
小さく呟く。
「またなのね……」
隊列が進む。
土が乾き、蹄が音を立てる。
前も後ろも途切れず、同じ速さで進む。
しばらくして、横に並ぶ影がある。
歩いている。
李俊。
アタシは視線だけ向ける。
李俊は前を見たまま言う。
「水際には寄せてこねえだろう」
アタシは返さず、しばらく並ぶ。
足は止まらない。
李俊がもう一度だけ口を開く。
「出来るだけ、引きつけてくれ」
アタシはわずかに頷く。
「分かってる」
李俊が一瞬だけこちらを見た後、
隊列から離れていった。
アタシは振り返らず、そのまま進む……
あのまま行けば、終わってた。
でも、見てるだけだったあの時の光景が、頭から離れなかった。
止めなかった。
見ていただけ。
それが残ってる。




