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今度は、止まれた

昨日は、軍師が「罠だ」と言ったのに進んだ。

今日は、その軍師が言う。

「幽州へ参りましょう」

「……今度は行っていいのよね?」

孫二娘が笑った。

「確認行動が増えたねェ」

「昨日の今日なのよ!」

顧大嫂まで地図を覗き込む。

「で、罠は?」

呉用は平然としていた。

「あるでしょうな」

「あるの!?」

孫二娘が肩を揺らす。

「今度は罠がある前提で進むんだねェ」

「それ安心材料になる!?」

しかも軍師達は、左右に兵まで隠し始めた。

敵が仕掛ける罠を、逆に待つらしい。

……もう何が罠で、誰が罠を張ってるのか分からない。

そして幽州が見えた。

城外には――賀重宝の旗が立っていた。

「……今度は、行っていいのよね?」

呉用がアタシを見た。

何でそんな顔をするのよ……

昨日は「罠だ」と言っておきながら進んで、本当に罠へ落ちた。

その翌日に「幽州へ行きましょう」と言われたら、確認くらいしたくなるでしょ?

「参ります。ただし、今回は敵も待ち構えているものとして動きます」

「罠、あるの!?」

思わず聞き返すと、隣で孫二娘が笑った。

「三娘、罠がないことを確認したかったのかい?」

「昨日あんな目に遭ったばっかりなのよ!」

顧大嫂まで呆れた顔をする。

「敵の城へ攻め込むんだから、何も仕掛けてない方がおかしいだろ」

「分かってるけど、もうちょっと安心させて!」

呉用は気にした様子もなく地図へ指を置いた。

幽州へ向かう道は広いが、左右には兵を隠せる場所がある。

敵がこちらを誘い込むなら、正面で退いて追わせ、その間に両側から挟むのが早い。

そこで関勝の隊を左へ、呼延灼の隊を右へ回し、姿を隠して待たせるという。

「つまり、罠を避けるんじゃなくて、罠に来てもらうの?」

「その方が、敵の兵を城から引き離せます」

「怖いことを普通に言うわね!」

孫二娘が馬上から身を寄せてくる。

「リスクをなくすんじゃなくて、起きる前提で対処を準備する。昨日より健全だねェ」

「アンタまで何で嬉しそうなのよ?」

「三娘がちゃんと学習してるから」

このお姐さん、最近やたらと距離を詰めてくる。

顔が近いのでアタシが身を引くと、孫二娘はそれが面白いらしく、ますます楽しそうに笑った。

「何だい、その顔。李俊なら近くてもいいのにねェ?」

「今、李俊関係ないでしょ!」

「名前出しただけで反応したよ」

「アンタが出したからでしょ!」

前を行く顧大嫂が振り返りもしないまま言った。

「元気だねぇ。昨日あれだけ石運んだのに」

「誰のせいで疲れてると思ってるのよ!」

「遼軍だろ」

また正論だった。

紅玉はアタシ達の後ろで、呉用から聞いた左右の地形を確かめていた。

青石峪では自分が全部見なければいけないと思っていた紅玉も、今回は違う。

左右に伏せる兵の配置も、敵が仕掛けてくる可能性も、すでに軍師達が読んでいた。

しばらくして、紅玉が尋ねた。

「三娘様。今日は、わたしが罠を見つけなくてもよいのでしょうか?」

アタシは少し考えてから頷いた。

「いいの。全部自分で見つけようとしなくて」

「でも、見落としたら……」

「軍師が見てるところまで、アタシ達が同じように見る必要はないでしょ。その代わり、自分の近くはちゃんと見る。誰かが見てるところを任せるのも、戦場じゃ必要なんじゃない?」

言ってから、妙に自分へ返ってくる言葉だと思った。

アタシだって、昔は前へ出れば何とかなると思っていた。

今も前へ出るのは好きだけど……

玉楼が静かに笑った。

「三娘様も、ずいぶん変わられましたね」

「何よ、その言い方?」

「褒めております」

「だったら普通に褒めて!」

幽州が見える頃には、城外に遼軍が布陣していた。

賀重宝の旗もある。

昨日、妖法を破られて逃げたばかりなのに、もう出てきた。

「元気ね、あの人」

孫二娘が肩をすくめる。

「三娘達も昨日、救出戦やって今日ここにいるじゃないか」

「敵と張り合いたくない!」

やがて両軍が距離を詰め、こちらから林冲が前へ出た。

相手は賀重宝。

昨日までなら、あの男の姿を見るだけで黒雲まで思い出したけれど、今日は公孫勝もいる。

少なくとも空を真っ暗にされて五千人消える展開だけは勘弁してほしい。

賀重宝が槍を振るって林冲と打ち合ったものの、勝負は長く続かなかった。

五合にも届かないうちに馬首を返して幽州の方角へ逃げ始めると、それにつられて前列の兵が動き、アタシも反射的に手綱へ力を込めた。

その瞬間、玉楼の槍がすっとアタシの馬の前へ出る。

「三娘様」

「分かってる! 今日は行かない!」

「まだ何も申し上げておりませんが?」

「顔が言ってるのよ!」

ほぼ同時に、後方から呉用の声が飛んだ。

「追ってはなりません!」

軍が止まる。

本当に止まった。

アタシは思わず周囲を見た。

「止まった!」

孫二娘が吹き出す。

「とうとう『軍が命令で止まる』だけで感動するようになったねェ」

「昨日が酷すぎたのよ!」

顧大嫂も苦笑した。

「それにしても、何であいつ逃げたんだ?」

何のために賀重宝が逃げたのか、その答えはすぐに出た。

左から鬨の声が上がったかと思えば、今度は右からも響き、二方向から現れた遼兵が中央のアタシ達を挟もうと迫ってくる。

「本当にいた!」

「罠を見つけて喜ぶんじゃないよォ!」

「だって今回はこっちも知ってる!」

左から出てきた太真駙馬の軍へ、隠れていた関勝隊がぶつかった。

右では李金吾の軍が姿を現した瞬間、呼延灼隊が待ち構えていたように進路を塞ぐ。

挟むはずだった遼軍が、逆に横から押さえ込まれた。

中央でも兵がざわつく。

状況が分かっていたって、左右から敵が出てくれば怖いのは変わらない。

「玉楼!」

「はい!」

アタシは前へ出たが、追うためじゃない。

こちらへ押し込もうとする敵を双刀で止めている間に玉楼が後ろの列を整え、玉楼が前へ出れば、今度はアタシが横から割り込もうとする敵を受け持つ。

昨日までなら、開いた場所を見つけた瞬間に二人で飛び込んでいたけれど、今日は違った。

開いても、行かない。

敵がこちらを引こうとすれば止まり、押してくれば押し返す。

「三娘、左が少し薄いよォ!」

孫二娘の声が飛ぶ。

「見えてる!」

「じゃあアタイ達が埋めるよォ!」

孫二娘と顧大嫂が兵を連れて横へ入り、崩れかけた列を支えた。

顧大嫂が敵兵を押し返しながら叫ぶ。

「今日はあんたら二人、ずいぶん大人しいじゃないか!」

「これで大人しい扱いなの!?」

「追っかけてないからねェ!」

基準がおかしい……

でも、そのおかげで中央は崩れなかった。

左右の伏兵が押し返されると、賀重宝はようやく自分の策が逆に使われたと気づいたらしい。

再び姿を現したものの、もう遅い。

城へ戻ろうと進路を変えれば、そこには花栄と秦明の隊が回り込み、別方向へ逃げれば董平と朱仝が塞ぐ。

「うわ……」

アタシでも少し同情した。

孫二娘が首を傾げる。

「三娘、敵に感情移入してる?」

「逃げ道全部に梁山泊がいるの、普通に嫌でしょ!」

ようやく空いたように見えた道へ賀重宝が馬を走らせた。

その先にいた黄信は派手に怒鳴ることもなく、ただ馬を進めて刀を構えた。

「ここから先へは通しません」

賀重宝が強引に突破しようとした瞬間、黄信の刀が走った。

斬られたのは人ではない。

馬の頭だった。

賀重宝の身体が地面へ投げ出される。

そこへ楊雄と石秀が飛びついた。

「ちょっと待って、最後それ!?」

「落馬したら人間だからねェ」

孫二娘が妙に冷静だ。

顧大嫂まで頷いた。

「人間なら押さえりゃいい」

「戦術が急に喧嘩なのよ!」

宋万達まで加わり、賀重宝はついに動かなくなった。

二度も黒雲でこちらを苦しめた相手の最後としては、何だか物理的すぎる気もする。

でも、妖法を使おうが何だろうが、落馬したら最後は人間らしい。

賀重宝を失い、左右の援軍まで押し返されたことで、幽州側の勢いは一気に崩れた。

城へ逃げ戻ろうとする兵と、それを追うこちらの兵が門へ殺到する。

今度は誘われているんじゃない。

呉用も進軍を命じた。

「今度は行くよ!」

「はい!」

アタシと玉楼が並んで駆けた。

さっきまで止まるために合わせていた二人が、今度は同じ瞬間に前へ出る。

こういうのが一番気持ちいい。

門前の敵を押し崩し、その後ろへ林冲達も続く。

城内へ入ってからは長くなかった。

守備軍は城外で大きく削られ、残った兵だけではこちらを押し戻せない。

やがて武器を捨てる者が増え、宋江の命令で追撃も止められた。

民には手を出さず、家へ押し入ることも略奪することも許さない――

薊州でも繰り返された命令が、幽州の城内にも次々と飛んでいく。

紅玉は城壁より外を見ていた。

「三娘様。今日は、城を攻める前に外で決まったんですね」

「そうみたいね。城だけ見てたら、左右から挟まれてた」

「見る場所は、一つではないんですね」

「アタシもまだ覚えてる途中よ」

紅玉が少し笑った。

幽州を押さえたあと、宋江はすぐ薊州へ使者を送り、水軍の者達にもこちらへ移るよう命じた。

その知らせを聞いた瞬間、アタシの頭に一人だけ浮かんだ。

……別に待ってたわけじゃない。

本当に……

孫二娘が横から覗き込んでくる。

「三娘、今ちょっと嬉しそうだねェ」

「何が?」

「まだ名前も出してないよォ?」

「アンタの顔で分かるのよ!」

数日もしないうちに、水軍の一団が幽州へ入ってきた。

人の間から李俊を見つけた時、胸の奥が勝手に軽くなる。

向こうもすぐアタシを見つけた。

真っ直ぐこっちへ来る。

「無事か?」

薊州で約束した通りになった。

アタシは少しだけ笑う。

「……無事」

李俊の目がアタシの顔から肩、腕へ動く。

怪我がないか見ているらしい。

「アンタは?」

「見れば分かるだろ」

「聞いてるの!」

李俊の口元がほんの少し動いた。

「無事だ」

それだけなのに、変に安心した。

孫二娘がいつの間にかすぐ後ろにいた。

「はい、双方の無事確認終了だねェ」

「何でいるの!?」

「ずっといたよォ」

「二人だけの空間みたいな顔してたぞ」

顧大嫂までいる。

「してない!」

李俊だけが平然としているのが腹立つ。

「何か言いなさいよ!」

「無事ならいい」

「そういうところよ!」

言ってから、自分でも何が「そういうところ」なのか分からなくなった。

孫二娘がますます楽しそうに笑う。

その時、城門の方から馬蹄が響いた。

駆け込んできた斥候の顔を見た瞬間、笑いが消える。

「急報!」

宋江達が振り返った。

「遼軍、大軍を率いてこちらへ進んでおります!」

アタシも李俊から視線を外した。

「……率いる将は?」

斥候が息を整え、答えた。

「先鋒は――兀顔延寿」

本日は、幽州を落としました。

「その前に、ちゃんと止まれたねェ」

「そこを褒める戦って何なんだろうな」

先日のことを思えば、十分な進歩でございます。

賀重宝が退いても追わず、左右の伏兵を逆に迎え撃つことができました。

「三娘と玉楼も、今日は飛び込まなかったしねェ」

「珍しいもの見た気分だよ」

……そこまで珍しくはございません。

幽州を得たあと、水軍の皆様も到着しました。

李俊様は三娘様を見るなり、

「無事か?」

と。

孫二娘が笑います。

「ちゃんと約束回収したねェ」

「三娘、顔に出てたぞ」

「わたくしは何も申しません」

そして、その直後でございます。

遼の大軍が接近。

先鋒の名は――兀顔延寿。

どうやら、止まれたくらいでは終わらせていただけないようでございます。

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