塞がれたなら、どければいい
白勝が毛せんに包まれて山から転がってきた。
「まず、その救援要請の方法がおかしくない!?」
孫二娘が頷く。
「心理学でも説明出来ないねェ」
顧大嫂が白勝を見る。
「説明する前に助けに行くぞ」
そうだった。
盧俊義達五千人は青石峪で兵糧なし。急いで向かったら、林冲様が敵将を二合で倒し、李逵達が押し込み、公孫勝様は昨日あれだけ苦しめられた妖法をあっさり消した。
「今日、順調すぎない?」
孫二娘が笑う。
「成功体験には気をつけないとねェ」
「今それ言う!?」
ところが敵を追い払っても、中へ入れない。
入口が青石で埋まっていた。
顧大嫂が袖をまくる。
「どけりゃいいだろ」
「戦争から急に工事になった!」
そして五千人を救い出した翌朝――
軍師連中が言った……
「幽州へ参りましょう」
……また進むの!?
白勝が「早く助けを」と言った。
だから、その夜は誰も眠らなかった。
山から毛せんに包まれて転がってきた本人は、さすがに自分で立てる状態ではなく、孫二娘に診てもらいながら横になっていた。
「そりゃそうよね……」
生きて辿り着いただけでも十分すごい。
孫二娘は白勝の頭や腕を確かめながら、呆れたように息を吐いた。
「人間って、普通は毛せんに包んで山から転がして届けるものじゃないからねェ」
「言われなくても分かる!」
水袋を持ってきた顧大嫂が、白勝の横へしゃがみ込む。
「でも届いたんだから大したもんじゃないか。普通なら途中で止まるか、もっと酷いことになってるよ」
「荷物みたいに評価しないで!」
笑っていられたのは、そこまでだった。
盧俊義達が閉じ込められた青石峪は、四方を険しい山に囲まれ、出入口は一つしかない。
その入口を塞がれたうえ、五千余りの兵には十分な兵糧もないという。
時間をかければ、それだけ中にいる者が弱っていく。
宋江は夜が明けるのを待たずに救援軍を集め、青石峪を知る解珍と解宝を先導につけた。
峪口の目印は、傘のように枝を広げた二本の大きな柏だという。
「夜の山で木を二本探すって、結構無茶じゃない?」
馬を進めながら言うと、隣の玉楼がこちらを見た。
「二本しか木がないわけではございません。その二本だけ、遠くからでも分かるほど大きいのでございます」
「それは分かってるけど、もっと目立つものなかったの?」
「青石峪でございますから、青い石などはいかがでしょう」
「山の中で石を目印にしたら余計分からないでしょ!」
後ろから孫二娘の笑い声が聞こえた。
「三娘、李俊に帰ったら無事かどうか聞かれるんだろォ? 木を探して遭難しました、じゃ格好つかないよ」
「今それ言う!?」
「帰る理由は多い方がいいじゃないか」
「アンタ、絶対楽しんでるでしょ!」
返事の代わりに笑い声が返ってきたので、間違いない。
紅玉はアタシ達の少し後ろで、山の輪郭へ何度も視線を走らせていた。
前の戦いでは、敵の敗走がおかしいと見抜いても、それだけでは軍全体を止められなかった。
けれど今日は違う。
助ける相手も場所も分かっていて、まず必要なのは、間違えずそこへ辿り着くことだった。
空が白み始めた頃、紅玉が前方へ目を凝らした。
「三娘様、あれではありませんか?」
指した先を見ると、山の稜線を背負うように二本の大木が立っている。
他の木よりひときわ枝が広がり、遠くからでも形が違って見えた。
アタシが解珍を呼ぶと、前を進んでいた彼も確認して頷いた。
「あれだ。青石峪の入口は、あの下にある」
兵達の空気が変わる。
紅玉も馬を進めかけたが、すぐ自分で止まり、もう一度周囲を見た。
「あそこが目印なのは分かりました。でも、近づいていいかどうかまでは分かりません」
思わず紅玉を見た。
「うん、それでいい」
目印を見つけたからといって、それが安全を意味するわけじゃない。
昨日、痛いほど覚えたことを、紅玉はもう自分で使い始めている。
そして、その警戒は正しかった。
二本の柏の下には遼兵が陣取り、峪口を塞ぐように兵を並べていた。
その前へ賀拆と賀雲が進み出て、さらに奥には賀重宝の旗まで見える。
「やっぱり待ってるじゃない!」
「閉じ込めた相手を助けに来るのは分かってるんだから、出口を見張るのは普通だねェ」
「正論を言われると余計腹立つ!」
賀拆が槍を構えて前へ出ると、こちらから林冲が静かに馬を進めた。
余計な言葉はない。
賀拆が間合いへ入り、最初の槍を突き出したが、林冲は蛇矛でそれを流し、続けて繰り出された二撃目へ合わせるように一気に踏み込んだ。
次の瞬間、賀拆が馬上から崩れ落ちた。
二合だった。
「……早っ」
思わず出た声に、孫二娘が吹き出す。
「三娘、感想が完全に現代人へ戻ってるよォ」
「だって二合よ!?」
林冲本人はそんな会話など聞こえていないように、そのまま峪口へ馬を進めていった。
すると今度は賀雲が歩兵を押し出し、その前へ李逵が飛び込んでいく。
嫌な予感しかしない。
「待って、向こう馬に乗って――」
言い終えるより早く、李逵の斧が馬脚へ入り、賀雲もろとも地面へ転がした。
「やっぱりそうなるのね!」
そこへ樊瑞、鮑旭、項充、李袞まで押し寄せたことで、峪口を守っていた遼兵の列が一気に乱れる。
「アタシ達も行く! 玉楼!」
「はい!」
林冲達が開けた場所を、もう一度塞がせない。
それがアタシ達の役目だった。
左から割り込もうとした遼兵をアタシが双刀で押し返すと、その横へ玉楼の槍が入り、次の兵が回り込めば今度は玉楼が前へ出て、アタシがその脇を固める。
「三娘、右から来るよォ!」
孫二娘の声に続いて顧大嫂の隊が動き、こちらへ押し寄せようとした敵兵を受け止めた。
「そっちはあたし達が持つ! 前へ行きな!」
「頼んだ!」
紅玉は後方に置いた。
今日は敵を倒すことより、青石峪から五千人を生きて出すことの方が大事だ。
助けに来た側から新しい負傷者を増やすわけにはいかない。
峪口が見え始めた、その時だった。
風が唸り、砂が舞い上がる。
昨日と同じ感覚に背筋が冷えた。
「……まさか」
山の上から黒い雲が広がり、空の光を覆い始める。
「またそれ!?」
どうやら賀重宝が、昨日と同じ術を使ったらしい。
孫二娘が空を見ながら叫ぶ。
「成功体験を繰り返すのは、敵も同じだねェ!」
「心理学で仕返しするな!」
「でも昨日は効いたからねェ!」
「縁起悪いこと言わない!」
けれど、今日は昨日とは違った。
公孫勝が最初からこの場にいる。
黒雲が完全に広がるより早く、公孫勝が剣を掲げて術を唱えると、こちらへ吹きつけていた風向きが変わった。
重く垂れ込めていた雲が割れ、青空が戻る。
あまりに早かったので、アタシはしばらく空を見上げたままになった。
「……終わり?」
「終わったみたいだねェ」
「昨日のアタシ達の苦労は何だったのよ!」
「昨日やられたから今日は備えられたんだろ?」
顧大嫂の言うことは正しい。
正しいけど、やっぱり納得しづらい。
妖法を破られた賀重宝は、そのまま軍をまとめて退き始めた。
誰も追わない。
今度の目的は勝ちを増やすことではなく、青石峪にいる仲間を連れ戻すことだ。
峪口を確保し、これで中へ入れると思ったところで、アタシは馬を止めた。
「……何これ」
入口など、どこにも見えない。
あるのは大量の青石だった。
人の背丈ほどあるものまで積み重ねられ、峪口そのものが完全に塞がれている。
玉楼が石壁を見上げた。
「これを除かなければ、中へは入れません」
「敵を倒したのに!?」
顧大嫂はすでに袖をまくっていた。
「だったら石をどけるしかないだろ」
「急に工事になった!」
「三娘、喋ってないで働きなよォ」
孫二娘まで袖をまくる。
「分かってるわよ!」
それからしばらく、武器を握っていた兵達が石へ縄を掛け、何人も集まって道の外へ引きずり出した。
手で動かせる石から片づけ、動かないものは梃子を使い、それでも無理なら人数を増やす。
戦場だったはずなのに、いつの間にか全軍で道を掘り返していた。
「梁山泊、職種多すぎない!?」
「今日は建設業だねェ」
「救助業よ!」
どれほど続けたのか。
やがて積み重なった石の向こうから、人の声が聞こえた。
生きている。
その事実だけで、全員の動きが変わった。
残った石を次々と動かし、ようやく人が通れる幅が出来ると、中から最初の兵が姿を現した。
まともに歩けないほど疲れている。
紅玉がすぐ前へ出た。
けれど、敵へ向かう時とは動きが違った。
「こちらです。ここでは止まらないでください、後ろからも来ます!」
ふらついた兵の肩を支えながら通り道の外へ誘導し、次に出てきた兵には水を渡す。
出口を塞がないよう人を流し続ける紅玉の横では、孫二娘が傷を診て、顧大嫂が休ませる場所へ兵を送っていた。
玉楼は峪口の脇から全体を見ながら、滞りそうな場所へ人を回している。
アタシは、その光景を見た。
紅玉が覚えてきた「見る」は、初めて誰かを倒すためではなく、誰かを生きて戻すために使われていた。
それでいい。
むしろ、その方がずっといい。
最後の方になって、盧俊義が峪の中から出てきた。
この前は、行方不明になった末に敵将の首を持って普通に戻ってきた人だ。
今日は鎧も顔も汚れ、さすがに疲れを隠せていない。
「……今回は首、持って帰ってこなかったのね」
盧俊義はアタシを見て、少し間を置いた。
「その余裕はなかった」
「でしょうね」
それだけで十分だった。
五千人全員が無傷だったわけではない。
それでも、戻ってきた。
その夜、助け出された兵達は食べられるだけ食べると次々に眠り、野営地には見張りの声だけが残った。
アタシも腰を下ろした途端、それまで忘れていた身体の重さが一気に戻ってくる。
「三娘」
孫二娘が隣へ来た。
「何?」
「李俊に聞かれたら、今日はちゃんと『無事』って答えられるねェ」
「……そうね」
からかい返す元気も残っていなかったけれど、それを思い出したら少しだけ顔が緩んだ。
「アンタも無事でしょ。顧大嫂も、玉楼も」
「あたしだけ、ついでみたいに言うんじゃないよ」
「そういう意味じゃない!」
紅玉は少し離れたところで、もう眠っている。
今日はよく動いた。
明日くらいは休ませてやりたい。
そう思っていた。
翌朝、軍議が始まった。
嫌な予感しかしない。
地図の前へ立った呉用を見る。
昨日は、軍師が「止まれ」と言ったのに進んだ。
今日は、その軍師が言った。
「幽州へ参りましょう」
アタシはしばらく黙った。
「……今度は、行っていいのよね?」
本日は、青石峪へ閉じ込められた盧俊義様方を救出いたしました。
「その前に白勝が山から転がってきたけどねェ」
「伝令の方法としては二度と見たくないな」
まったくでございます。
敵将を退け、公孫勝様が妖法まで破ってくださいましたので、これで終わりかと思いましたら――峪口が青石で塞がれておりました。
「そこで全員、石どけだよォ」
「戦より汗かいたんじゃないか?」
三娘様は「急に工事になった!」と仰っておりましたが、無事に五千の兵を外へ出せたのですから、何よりでございます。
紅玉様も、今度は敵ではなく、戻ってくる兵を見て動いておりました。
そして翌朝。
ようやく休めるかと思ったところで、軍師方から一言。
「幽州へ参りましょう」
孫二娘が笑います。
「休息って、心理学上の概念だったのかねェ?」
……どうやら、次の戦はもう始まっているようでございます。




