開いた門ほど、怖い
今度は遼から招安された。
「……また?」
孫二娘が笑う。
「宋に雇われた直後に、敵から引き抜きだねェ」
「転職サイトじゃないのよ!」
顧大嫂まで腕を組んだ。
「条件は向こうの方が良かったりしてねぇ」
「比較しないで!」
もちろん、本当に遼へ行くわけじゃない。
受けるふりをして、覇州へ入る。
「つまり今度は、敵に門を開けさせる?」
「そういうことだねェ」
「檀州は水門、薊州は放火、今度は詐欺!?」
しかも門は、本当に開いた。
紅玉が不安そうに聞く。
「敵の門なのに、入るんですか?」
入る。
だからこそ怖い。
閉じた門より、自分から開いた門の方が疑われない。
そして覇州を取った直後――
軍師二人が「罠では」と言ったのに、進軍の太鼓が鳴った。
「遼は――梁山泊を招安したい、と申しております。」
一瞬、誰も口を開かなかった。
意味は分かる。
分かるけど、納得するまで少し時間がかかった。
「……また招安?」
最初に声を出したのはアタシだった。
孫二娘が隣で肩を揺らす。
「人気者だねェ、梁山泊」
「転職サイトじゃないのよ!」
顧大嫂が腕を組む。
「こないだ宋に雇われたばっかりじゃないか。今度は敵から引き抜きかい?」
「その言い方だと余計ひどい!」
薊州へ来た遼の使者は欧陽侍郎という男だった。
馬に絹、金銀まで持ってきたらしい。
宋江には大将軍の位を与え、梁山泊の頭領達にもそれぞれ官位を用意するという。
条件だけ聞けば豪勢だった。
今のアタシ達は、宋から赦免されたと言っても、立場が急に立派になったわけじゃない。
賊だった過去が消えたわけでもない。
戦えと言われれば戦い、勝っても次の命令を待つ。
そこへ敵国から、
――もっと良い待遇で雇います。
と言われたようなものだ。
「……嫌なところ突いてくるわね」
呟くと、孫二娘が珍しく笑わなかった。
「人を動かす時は、欲しいものより、不満を突く方が効くこともあるからねェ」
「心理学?」
「今回は向こうも分かってやってるだろうねェ」
顧大嫂が鼻を鳴らす。
「だからって遼へ行くのかい?」
「行くわけないでしょ」
答えたものの、アタシが決めることじゃない。
宋江が何を選ぶのか?
そこが一番怖かった。
少し離れたところで李俊が腕を組んでいる。
目が合った。
今度は逃げない。
「アンタはどう思う?」
李俊は少し考えた。
「舟が二つ並んだからって、途中で乗り換えりゃいいとは限らねえ」
「沈むかもしれない?」
「どっちもな」
「最悪じゃない!」
「だから岸を見る」
李俊らしい答えだった。
孫二娘がいつの間にか隣へ来ている。
「三娘、ちゃんと李俊に相談するようになったねェ」
「相談くらいするわよ!」
「前は見てるだけだったのにねェ?」
「アンタ、いつからいたの!?」
「最初から」
怖い……
夕方、主だった者が軍議へ呼ばれた。
林冲の麾下にいるアタシ達にも話が回ってくる。
宋江は遼へ降らない。
そこまでは良かった。
問題は、その次だった。
「受けるふりをする?」
聞き返すと、呉用が頷いた。
「遼はこちらが朝廷に不満を抱いていると思っております。それを利用します」
「で?」
「宋江殿が一部の者を率いて遼へ降るように見せます」
「で?」
「覇州へ入ります」
「……で?」
孫二娘が横から囁いた。
「三娘、もう分かってる顔してるよォ」
「分かりたくないの!」
呉用は平然としている。
覇州は遼にとって重要な城で、その手前には益津関と文安県がある。
欧陽侍郎に「宋の追手を避けたい」と思わせれば、こちらから門を破らなくても、向こうが安全な場所へ案内してくれる。
つまり――
「敵に自分で門を開けさせるの?」
「その通りです」
「檀州は水門、薊州は放火、今度は詐欺!?」
孫二娘が吹き出した。
「城攻めの種類が増えてきたねェ?」
顧大嫂まで感心した顔をする。
「丸太で門叩くより楽そうじゃないか」
「そういう問題!?」
話はもう決まっていた。
宋江の一隊は降伏を装って覇州へ入る。
別働の盧俊義達は「宋江が裏切った」と追撃する役。
呉用はさらに別の動きをするという。
「演技、多くない?」
「三娘様」
玉楼が静かにこちらを見る。
「戦場では、見えているものが真実とは限りません」
「分かるけど、今回は味方まで嘘だらけじゃない!」
「そうでございますね」
「認めるんだ!」
夜。
出発前に李俊がこちらへ来た。
どうやら李俊達水軍は薊州側に残るらしい。
「アンタ、来ないの?」
言ってから、少し早かったと思った。
李俊がアタシを見る。
「来てほしいのか?」
「そういう意味じゃない!」
「じゃあ何だ?」
「確認!」
「見れば分かるだろ」
「まだ出発前でしょ!」
少しだけ李俊が笑った。
最近、この人、アタシ相手だと笑うようになってない?
「騙す側なら、顔に出すなよ?」
「出さないわよ」
「今もう出てる」
「何が!?」
「俺が残るのが嫌だって顔」
「してない!」
後ろから、孫二娘の声。
「してるねェ」
「黙って!」
李俊はそれ以上何も言わなかった。
ただ、アタシの顔を見て、
「帰ったら聞く」
と言った。
「何を?」
「無事かどうか」
胸の奥が変に熱くなる。
「……アンタも答えなさいよ」
「分かった」
孫二娘が口を開きかけた。
「言うな!」
「まだ何も言ってないよォ!」
その夜、軍は音を抑えて薊州を出た。
欧陽侍郎が先導している。
アタシ達は遼へ寝返った兵の顔をして、その後ろを進む。
「どんな顔すればいいのよ」
「裏切った顔じゃないか?」
顧大嫂が言う。
「どんな顔よ、それ!」
孫二娘が答える。
「罪悪感と合理化が混ざった顔?」
「心理学で作るな!」
玉楼だけはいつも通りだった。
「玉楼、緊張してないの?」
「しております」
「見えない!」
「見せる必要がございませんので」
こういう時、本当に強い。
夜更け。
益津関が見えた。
閉ざされた関門の前で、欧陽侍郎が声を上げる。
しばらくして、門が開いた。
敵の城門が。
こちらは何もしていない。
矢も撃っていない。
丸太も運んでいない。
火も出ていない。
なのに開く。
紅玉が息を飲んだ。
「……開きました」
「うん」
「入るんですか?」
「入るわ」
「敵の門なのに?」
アタシは開いた暗い入口を見た。
「だから怖いのよ」
紅玉が黙る。
「閉まってる門なら、どうするか考えればいい。でも開いてる門は、入っていい理由まで考えないと駄目」
紅玉はすぐには返事をしなかった。
やがて一度息を整える。
「はい」
隊列は関を越えた。
そのまま覇州へ向かう。
夜が明ける頃、城が見えた。
欧陽侍郎の話を信じた覇州側は、アタシ達を敵として見ていなかった。
宋江は城内へ迎えられ、一部の兵も続く。
アタシ達も林冲について中へ入った。
変な感覚だった。
昨日までなら矢を浴びながら近づいていた城壁が、今日は何もしない。
門番がこちらへ背を向ける。
兵が警戒を解いている。
孫二娘が小声で言った。
「三娘」
「何?」
「今、攻められるより怖いって顔してるよォ」
「してる」
「認めるんだねェ」
「だって怖いもの!」
その頃、外では別の芝居が始まっていた。
呉用が遅れてこちらへ来る。
さらにその後ろから、盧俊義の軍が迫っているという知らせ。
覇州の守将達が慌て始める。
宋江は城壁へ上がった。
アタシ達も下で待機する。
やがて城外から盧俊義の怒鳴り声が聞こえた。
「宋江! 朝廷に背いて遼へ降るとは何事だ!」
迫真だった。
思わず玉楼を見る。
「……演技よね?」
「そのはずでございます」
顧大嫂が眉を寄せる。
「本気も混じってないかい?」
「やめて!」
城壁の宋江も言い返す。
遼へ降った。
宋に戻る気はない。
お前もこちらへ来い。
聞いている遼兵達が、完全に信じ始めている。
孫二娘が感心する。
「集団でこれだけ大掛かりな嘘を共有出来るの、別の意味ですごいねェ」
「分析しないで!」
やがて宋江が命じた。
林冲達が城外へ出る。
盧俊義と戦い、わざと退く。
追う盧俊義軍。
門が開く。
そこへ一気に兵が流れ込んだ。
「今だ!」
林冲の声が変わった。
アタシは双刀を抜く。
「玉楼!」
「はい!」
さっきまで味方だと思っていた遼兵が振り返る。
でも、もう遅い。
アタシが門内の兵を押し退け、玉楼が横から槍を入れる。
殺す必要がない相手は崩すだけ。
門を閉じようと走った兵を、孫二娘と顧大嫂の隊が止めた。
「閉めさせるな!」
「分かってるよォ!」
紅玉は後ろで流れを見ている。
一人がこちらへ突っ込もうとする。
紅玉が朴刀を構えた。
前へ出ない。
道だけを塞ぐ。
それで相手が止まった。
「そのまま!」
アタシが入る。
ほどなく覇州の中は、どこが遼兵でどこが梁山泊なのか分からないほど混ざった。
でも、勝負はもうついていた。
外から盧俊義軍が入り、内側では宋江側が一斉に動いた。
守将達は捕らえられた。
宋江は彼らを殺さず、遼へ帰すことを決めた。
民にも手を出さない。
安撫の触れが出る。
覇州は落ちた。
門は壊れていなかった。
焼けてもいない。
最初から最後まで、開いていた。
「……こういう落とし方もあるのね」
呟くと、孫二娘が隣へ来た。
「人間、自分で開けた門は疑いにくいからねェ」
「怖いこと言うわね」
「心理学は怖いよォ?」
「そこ自慢しないで!」
顧大嫂が笑った。
「で、次は?」
「その質問やめて。絶対何か来るから」
本当に来た。
覇州を取って間もなく、早馬が駆け込んできた。
薊州へ遼兵が向かったという。
別の一隊も覇州近くへ現れた。
軍議では呉用と朱武が揃って顔を曇らせた。
「誘い込みでは?」
その言葉が聞こえた。
アタシは少し安心した。
二人が罠だと言うなら、今度こそ止まる。
そう思った。
ところが――
「幽州を取る好機だ」
盧俊義が言った。
宋江も頷いた。
「ここで進まねば、次はない」
アタシは孫二娘を見る。
孫二娘も、今度は笑っていなかった。
「……軍師二人が罠だって言ってるんだけど……」
「勝ちが続くと、自分達の判断を正しいと思いやすくなるんだよォ」
「今、それ聞きたくなかった」
進軍の太鼓が鳴った。
次は幽州。
覇州の門は、まだ開いたままだった。
なのにアタシには、今度こそ何かが閉じ始めたように見えた。
勝ち続けた軍ほど、止まれない。
本日は、遼からの招安を受けるふりをして、覇州へ入りました。
「宋に雇われた直後に、遼へ転職する芝居だねェ」
「言い方が軽すぎるだろ」
まったくでございます。
しかも今回は、門を壊しておりません。
「向こうが自分で開けてくれたからねェ」
「楽でいいじゃないか」
「顧大嫂様、その発想は少々危険でございます」
三娘様も、開いた門ほど怖いと仰っておりました。
そして覇州は落ちましたが――
「次は幽州だってさ」
「軍師二人は罠だって言ってたよねぇ?」
はい。
それでも、進軍することになりました。
勝ち続けている時ほど、止まるのは難しいようでございます。




