城は、中から落ちる
石秀と時遷は、もう薊州の中にいる。
「……何してるのか見えないんだけど?」
孫二娘が笑った。
「潜入してるんだから、見えたら失敗だろォ」
「分かってるけど怖いのよ!」
顧大嫂まで頷く。
「時遷なら、そのうち煙でも上げるんじゃないか?」
「そんな分かりやすい――」
上がった。
「本当に上げた!」
「三娘、予測が外れた時より驚いてるねェ」
しかも一か所じゃない。
城の中で火が増えるたび、守っていた兵が動き、門の上に隙間が出来ていく。
紅玉がそれを見つけた。
今度は、アタシが教える前に。
ただし、薊州が落ちれば終わり――とはならなかった。
城を中から崩した次に来たのは、もっと意味の分からない話だった。
敵の遼が、アタシ達を欲しいと言い出した。
「石秀と時遷は、もう薊州の中にいる。」
その言葉を聞いてから、アタシは薊州の城壁を見る目が少し変わった。
高いし、厚いし、守りも固い。
でも、その向こうに味方が二人いる。
しかも、何をしているのかはこっちから見えない。
「……何それ、怖いんだけど?」
思わず呟くと、隣にいた孫二娘が笑った。
「潜入ってそういうもんじゃないかねェ?」
「分かってるわよ。でも普通、もう少しこう……連絡とかないの?」
「城の中から『今ここです』って手紙でも飛ばすのかい?」
「そういう意味じゃない!」
顧大嫂が後ろで鼻を鳴らした。
「時遷なら、手紙より本人が壁から出てきそうだけどねぇ」
否定できない。
軍議で聞かされた話では、石秀と時遷は敗れた遼兵に紛れて薊州へ入り込んだらしい。
時遷は宝厳寺の塔へ隠れ、石秀は城内を動く。
こちらが攻め始めた時、火を合図に内側から騒ぎを起こす。
そこまで聞いて、アタシは呉用を見た。
「それ、本当に二人だけでやるの?」
「二人だから出来るのです」
「そういう格好いい言い方で押し切らないで」
孫二娘が肩を揺らす。
「三娘、石秀と時遷の心配してる場合かい? ほら」
指された先を見る。
少し離れたところで、李俊がこちらを見ていた。
目が合った。
李俊が顎を上げる。
「何だ?」
「別に」
「なら、見るな」
「そっちが見たんでしょ!」
「先に見てたのはお前だ」
「見てない!」
「三娘、今ので三回は見てたよォ」
「数えるな!」
顧大嫂まで笑う。
「戦の前に余裕あるじゃないか?」
「ないわよ!」
玉楼が何も言わず前を向いている。
でも、口元が少しだけ緩んでいた。
「玉楼」
「はい」
「今、笑った?」
「いいえ」
「絶対笑った」
「そのようなことはございません」
絶対笑った。
その時、林冲の号令が飛んだ。
「構えろ」
空気が変わる。
笑いが消えた。
薊州の城壁の上では遼兵が弓を並べ、盾を立てている。
その間に、どう見ても兵らしくない人間が混じっていた。
服が違う。
弓の持ち方もぎこちない。
城内の民まで上へ出されている。
紅玉も気づいたらしい。
「あの人達……兵じゃありません」
「そうね」
「でも、弓を持っています」
「持たされてるのよ」
紅玉の顔が曇る。
敵と味方だけを見れば、戦場は分かりやすい。
でも、実際にはその間にいる人間の方が多い。
戦いたくないのに、そこに立たされている。
逃げたくても、逃げられない。
アタシだって、他人事じゃない。
「見るのはいい。でも、今は決めつけないで」
紅玉がこちらを見る。
「何を、ですか?」
「敵かどうか」
少し考えてから、紅玉は頷いた。
城攻めが始まった。
太鼓が鳴り、兵が進む。
城壁から矢が降る。
盾が上がり、梯子が運ばれ、怒声が重なる。
アタシ達の騎馬はすぐに壁へ取り付く役じゃない。
門の周りに出てくる敵兵を押さえ、攻城隊が近づく道を作る。
「玉楼!」
「はい!」
右から出た騎兵へ向かう。
アタシが一人の槍を弾くと、その脇へ玉楼が入った。
槍の石突きが敵の腕を打ち、体勢を崩したところへアタシが馬を寄せる。
もう一人が横から来る。
玉楼が前へ出る。
今度はアタシがその横を塞ぐ。
考えている暇はない。
でも、考えなくても互いの位置が分かる。
後ろから孫二娘の声が飛んだ。
「三娘、右!」
振り向く前に紅玉が叫んだ。
「来ます!」
敵兵が一人、盾の隙間から飛び出してくる。
紅玉は動いた。
けれど、前へ出過ぎない。
朴刀を構え、相手の進路だけを塞ぐ。
「そのまま!」
アタシが横から入る。
敵兵を崩して戻ると、紅玉は追っていなかった。
「今のでいい」
「はい!」
声はまだ硬い。
でも、足は動いている。
それで十分だ。
攻城は続いた。
薊州の守りは崩れない。
城壁の上から矢が落ち、石が落ち、梯子が押し返される。
一度退き、また押す。
その繰り返し。
「中の二人、本当にいるんでしょうね?」
アタシが言うと、孫二娘が笑った。
「今さら疑うのかい?」
「だって何も起きないじゃない!」
「潜入した途端に大爆発したら、それはそれで雑だろォ」
「それもそうだけど!」
顧大嫂が盾を兵へ渡しながら叫ぶ。
「喋ってる暇があるなら前見な!」
「見てるわよ!」
その時だった。
紅玉が城壁ではなく、その向こうを見た。
「三娘様」
「何?」
「あれ……煙じゃありませんか?」
アタシも目を凝らす。
城壁の奥。
最初は薄かった。
白とも灰色ともつかない筋が、空へ上がっている。
「火事?」
玉楼も見る。
「違います」
「何で分かるの?」
「煙の上がり方が急でございます」
言われた直後、その煙が一気に太くなった。
塔のような高い場所から炎が噴き上がる。
城壁の上がざわついた。
「宝厳寺……」
誰かが言った。
アタシは呉用の話を思い出した。
「時遷!」
孫二娘が笑う。
「始めたねェ!」
城内から鐘の音が乱れ、叫び声が広がっていく。
遼兵が振り返る。
民も振り返る。
塔の炎は高く、城外からでもはっきり見えた。
そして、少し離れた場所から別の煙が上がる。
「二つ目!」
紅玉が叫ぶ。
今度は州衙の方角。
石秀だ。
「本当に二人で城を燃やしてる……」
「言い方!」
孫二娘が笑いながら突っ込む。
「実際そうでしょ!」
さらに別の場所で火が上がった。
城内が一気に騒がしくなる。
城壁に上げられていた民が持ち場を離れ始めた。
家族のもとへ戻ろうとしている。
兵が止めようとする。
そこで列が乱れる。
「門!」
紅玉が叫んだ。
南門の上。
さっきまで詰まっていた守備兵が、城内の火へ気を取られ、横へ動いている。
人が減った。
隙間が出来た。
「見えてるなら十分!」
アタシは手綱を握り直した。
「行くよ!」
「はい!」
林冲の号令が重なる。
「南門へ押せ!」
攻城隊が一気に前へ出た。
城内の混乱に引かれ、遼兵の矢が減る。
門前を守っていた兵も揺れている。
アタシと玉楼は同時に走った。
「左、行く!」
「では右を」
言い終わるより早く、玉楼が動く。
アタシが敵の正面を崩し、玉楼が逃げ道を塞ぐ。
押し返された兵が横へ流れたところへ、孫二娘と顧大嫂の隊が入った。
「そこ空けな!」
「三娘、前だけ見てな!」
「頼んだ!」
門の向こうからも声がする。
混乱した怒声に混じって、聞き覚えのある声が飛んだ。
「今だ! 外から押せ!」
石秀だ。
「元気じゃない!」
「心配してたのかい?」
「してたわよ!」
「時遷は?」
「そっちも!」
「李俊は?」
「今関係ない!」
孫二娘の笑い声が聞こえた。
本当に、この人は戦場でも絡んでくる。
南門が揺れた。
内側でも何かが起きている。
閂が外されたのか、守兵が逃げたのか。
少しだけ開く。
「押せ!」
兵が集中する。
門がさらに開いた。
アタシ達はその隙間へ入った。
薊州の中は、外から見るよりひどかった。
煙が流れ、泣き声が響いている。
兵だけじゃない。
老人が走り、子供を抱いた女が家へ戻ろうとしている。
火を消そうと桶を運ぶ者もいた。
「追うな!」
林冲の声が響く。
「民に手を出すな! 火を消せ!」
命令が次々に伝わっていく。
逃げる遼兵を追う隊と、消火へ回る隊が分かれる。
宋江からも安撫の命令が出たらしい。
紅玉は城内を見ていた。
顔色が変わっている。
でも、目を閉じない。
「紅玉」
「はい」
「どうする?」
前なら、アタシが決めていた。
見るな。
入るな。
戻れ。
でも今は聞いた。
紅玉はしばらく黙った。
煙の向こうを見る。
泣いている子供。
倒れた兵。
水を運ぶ民。
それから、アタシを見る。
「……見ます」
「分かった」
アタシは頷いた。
「じゃあ、アタシのそばにいて」
「はい」
今度の返事は、すぐだった。
しばらくして火勢が弱まり、南門の周りも落ち着いた。
遼の主だった者達は北門から逃げたらしい。
薊州は落ちた。
でも、歓声より先に水桶の音が聞こえた。
その方が、少しだけ救いだった。
「三娘」
声に振り向く。
石秀が歩いてくる。
煤だらけだった。
その後ろから時遷も出てくる。
こっちはもっと黒い。
「アンタ達……」
「無事だ」
石秀が言う。
「見れば分かる!」
時遷が笑った。
「よく燃えただろ?」
「自慢するところそこ!?」
孫二娘が腹を抱える。
「三娘、城を落とした功労者にその言い方はないんじゃないかい?」
「だって本人が火事の出来を褒めてるのよ!」
顧大嫂まで笑う。
「まあ、仕事はしたんだからいいだろ」
「規模がおかしいのよ!」
その時、少し離れたところで李俊と目が合った。
今度は向こうから歩いてくる。
「無事か?」
「見れば分かるでしょ」
「見ても聞く」
檀州でも聞いた。
同じ言葉なのに、妙に胸に残る。
「……無事よ」
「そうか」
それだけ言って、李俊は去ろうとする。
「ちょっと」
振り向いた。
「アンタは?」
「見れば分かるだろ」
「聞いてるの!」
李俊の口元が少しだけ動いた。
「無事だ」
後ろで、孫二娘が何か言いたそうな顔をしている。
「言わなくていいからね」
「まだ何も言ってないよォ?」
「顔がうるさい!」
玉楼まで横を向いている。
絶対笑ってる。
薊州を取ったその日は、久しぶりに軍を休ませることになった。
張清の傷も命に別状はない。
城内の火も抑えられ、逃げずに残った民には手を出さないよう触れが回った。
ようやく休める。
本当に、今度こそ。
そう思った頃だった。
城門の方が騒がしくなった。
伝令が走ってくる。
「遼より使者が参りました!」
アタシは孫二娘を見る。
孫二娘もアタシを見る。
嫌な予感がした。
宋江のもとへ使者が通され、しばらくして話がこちらにも伝わってくる。
顧大嫂が眉を寄せる。
「この状況で、何しに来たんだい?」
伝令は一度息を整えた。
そして言った。
「遼は――梁山泊を招安したい、と申しております。」
本日は、城の外から攻めている間に、石秀様と時遷様が中から薊州を崩してくださいました。
「言い方だけ聞くと、だいぶ物騒だねェ」
「実際、火まで上げてたじゃないか」
事実でございます。
しかも、その隙を最初に見つけたのは紅玉様でした。
「三娘が教える前に見つけたねェ」
「少しずつ手が離れてきたってことだろ」
三娘様も、きっとお喜びでしょう。
「李俊の無事も自分から確認してたしねェ?」
「そちらの成長まで数えなくて結構でございます」
……本日は、見るものが多すぎました。
薊州が落ち、火も収まり、ようやく休めると思ったところへ、遼から使者。
しかも――
「梁山泊を招安したい」
今度は、敵からでございます。




