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城壁じゃなく、水路を見ろ

檀州の城壁、硬い。

正面から押しても駄目、水門もある。

「三娘、三日も同じ城見て飽きた顔してるねェ?」

「飽きるわよ! 毎日ほぼ同じ景色なんだから!」

顧大嫂が笑った。

「だったら違う所を見りゃいいじゃないか?」

「簡単に言わないで!」

ところが、本当に違う所を見ていた男がいた。

李俊だ。

「おやァ?」

「その顔は何だ、孫二娘!」

「いやねェ。城じゃなくて男を見るようになったのかと思って」

「水路よ! アタシが見てるのは水路!」

「李俊ごと?」

「顧大嫂まで乗るな!!」

城壁が落ちないなら、城壁を見なければいい。

今回、檀州を落とす鍵は――

水の上にあった。

檀州は落ちた。

――と、今なら言える。

でも、その言葉に辿り着くまで、アタシ達は数日間、同じ城壁を見上げ続けていた。

遼へ入って最初に思い知らされたのは、相手がこちらの都合よく崩れてくれる軍じゃないってことだった。

檀州へ向かう前、密雲県の近くで最初に出てきた阿里奇という将軍からして強かった。

金槍手の徐寧が相手をしたけれど、三十合を越えたあたりから徐寧の馬が少しずつこちらへ向きを変え始める。

遼軍から歓声が上がり、阿里奇は勢いに乗って追ってきた。

「……強いわね」

思わず口にすると、隣の玉楼も戦場から目を離さなかった。

「はい、力任せではございません」

追う時ほど槍先がぶれない。

あれは厄介だと思った瞬間、別のものが飛んだ。

石だった。

「え?」

阿里奇の左目へ張清の石つぶてがまともに入り、さっきまで徐寧を追っていた身体が馬上からひっくり返る。

「……それあり?」

孫二娘が後ろで笑った。

「戦場でルール確認してどうするんだい」

「いや、そうなんだけど!」

倒れた阿里奇へ林冲達が一気に寄り、遼軍は引いた。

阿里奇はその傷で死に、密雲県は押さえたけれど、それで檀州まで簡単に落ちるほど甘くはなかった。

城の周りには潞水が巡っている。

水の流れは速く、城壁だけ見て攻めても水門が残る。

正面から押せば矢が降り、近づけば守備兵が出てきて、引けば門を閉ざされる。

三日目には、アタシも城壁を見るのが嫌になっていた。

「これ、ずっと同じ絵じゃない?」

「昨日より矢が増えております」

「間違い探しみたいに言わないで」

「昨日は、あちらの旗が一本少のうございました」

「本当に間違い探ししてたの!?」

玉楼は真面目だった。

こういう時、真面目な人ほど怖い。

紅玉は後ろで城壁を見ていた。

前の戦いで一人を助けてから、余計に前へ出たがるかと思ったけれど、そこは意外と我慢している。

「何が見える?」

聞くと、少し考えてから答えた。

「……水門の方だけ、舟の出入りがあります」

「うん」

「でも、こちらの舟は近づいていません」

ちゃんと見てる。

アタシは頷いた。

「今はそれでいい。分からないものまで答えを作らなくていいから」

紅玉が頷いた時、後ろから馬蹄が近づいてきた。

振り返ると、李俊だった。

その姿を見た瞬間、また唇を思い出した。

……だから何で毎回そこに戻るのよ、アタシの頭!

「何だ?」

「何でもない!」

「まだ何も言ってねえぞ?」

「分かってる!」

李俊が少し笑う。

それを見ていた孫二娘が、ものすごく楽しそうな顔をした。

「三娘、顔が――」

「言ったら斬るわよ!」

「以前より脅しが物騒になったねェ」

顧大嫂まで荷車の横から顔を出す。

「で、今度は指何本だい?」

「戦場で数えるな!!」

紅玉が首を傾げ、玉楼は何も言わずに視線だけ逸らした。

お願いだから玉楼まで笑うのやめて……

李俊はそんな騒ぎを放って、潞水へ目を向けた。

そこで顔が変わった。

さっきまでアタシを見ていた時とは違う。

水面の速さ、岸の形、水門までの距離を順に追い、何度か流れへ目を戻す。

「速いな」

「やっぱり?」

「外から無理に入れば流される。水門を閉じられたら終わりだ」

短い言葉なのに、見ている場所が違うのが分かる。

アタシ達が城壁を見ていた間、この人は水路を見ていた。

やがて宋江の陣へ李俊達水軍の頭領が集められた。

策は単純だった。

だからこそ怖い。

舟を糧船に見せかけ、少人数だけを表へ出す。

李俊、張横、張順、阮家三兄弟をはじめ水軍の兵は中へ伏せ、こちらが陸から攻めたところで城側が糧を奪おうと水門を開けば、一気に奪う。

「向こうが開けなかったら?」

アタシが聞くと、李俊は潞水を見たまま答えた。

「開けさせる」

「簡単に言うわね?」

「簡単じゃねえから、やるんだろ」

そういうところよ……

思った瞬間、孫二娘が横から顔を覗き込んだ。

「今、何か余計なこと考えただろォ?」

「アンタ心理学を読心術みたいに使うのやめて!」

「表情に出てるだけだよォ」

最悪……

夜になり、城の正面では李逵や樊瑞達が派手に騒ぎ、遼兵を引きつける。

少ない兵を何倍にも見せるような怒号が響き、城壁から矢が降り始めた。

アタシと玉楼は別の陸路で待機していた。

紅玉はさらに後ろ。

「絶対にアタシ達より前へ出ないで」

「はい」

「今日は助けに出るのもなし。見るだけ」

紅玉は少しだけ迷ってから頷いた。

それでいい。

前に出る勇気より、出ない勇気を覚える方が難しい時もある。

暗い潞水には、糧を積んでいるように見える舟が浮かんでいた。

城から見れば、目の前に餌が並んでいる。

それでも水門は開かない。

時間だけが過ぎる。

「来ないわね」

アタシが呟くと、玉楼が首を振った。

「まだでございます」

正面では戦いが激しくなっていた。

遼兵が門から押し出し、李逵達とぶつかる。

城側としては、陸に兵を取られたうえで、目の前に糧舟まである。

それでも待つ。

李俊達は動かない。

暗い水の上で、何もしていないように見える。

アタシなら、あんなところでじっと待つ方が嫌だ。

「李俊様をご覧になっておりますね」

「玉楼!?」

「水門ではなく」

「水門も見てる!」

「『も』でございますか」

その時だった。

紅玉が声を上げた。

「上がります!」

見ると、水門の閘板が動いていた。

重い板が少しずつ持ち上がり、その向こうから遼の舟が出てくる。

開いた。

「来た!」

ほとんど同時に轟音が夜を破った。

凌振の砲だ。

水の上で糧舟に見えていた舟から一斉に人影が起き上がり、李俊、張横、張順が姿を現す。

反対側からも、阮家三兄弟を乗せた舟が水門へ迫っていた。

さっきまで荷を運ぶだけに見えた舟が、一瞬で牙を剥いた。

「うわ……」

思わず声が出た。

遼の舟が向きを変えようとする。

でも遅い。

李俊達は流れに逆らわず舟を寄せ、敵舟へ乗り移った。

水門へ戻ろうとする遼兵より早く、別の水兵が閘板の近くへ取りつく。

「アンタ、強いわね……」

誰に聞かせるつもりもなく呟いたのに、孫二娘がなぜか近くにいた。

「本人に言ってやりなよォ」

「何でいるのよ!?」

「面白そうだったから」

「戦場を恋愛観察の場所にするな!」

「アタイは戦況も見てるよォ。三娘は男も見てるけど」

「見てない!」

言っている間に、水門の上で火が上がった。

合図だ。

取った。

「三娘様」

玉楼が槍を構える。

「分かってる!」

アタシも双刀を抜いた。

ここからは陸の仕事だ。

正面の砲がもう一度鳴る。

四方から梁山泊の軍が動き出し、アタシ達も馬を走らせた。

遼兵がこちらへ槍を並べる。

先頭へ入った。

一本目を右の刀で弾き、左から来た刃をもう一本で払う。

そのまま馬を押し込むと、横から伸びた槍が次の敵を止めた。

玉楼だ。

「左をお願いいたします」

「任せて!」

アタシが左へ入れば、玉楼が右を塞ぐ。

玉楼が前へ出れば、アタシがその横へ入る。

いちいち振り返らなくても、いる場所が分かる。

敵の列が一度縮んだ。

「今!」

声を合わせる必要もなかった。

アタシが前を割り、玉楼の槍が開いた隙間を広げる。

後ろの兵がそこへなだれ込み、城門側の守備が一気に崩れた。

さらに水門側から声が上がる。

李俊達が入った。

城の中からも混乱が広がり、守る側がどこへ向けばいいのか分からなくなっていく。

檀州は、それで終わった。

守将達は北へ逃げ、城門も水門も梁山泊側へ落ちた。

勝った。

そう言っていい場面のはずだった。

でも、アタシは城門の前で足を止めた。

中では負傷兵が運ばれ、壊れた門の木材が片づけられ、火の上がった場所へ水が運ばれている。

呻き声と号令が混じり、さっきまで戦っていた敵味方が、同じ狭い道の中へ倒れていた。

紅玉が、少しだけ顔を上げた。

「……入らないんですか?」

「アンタは入らなくていい」

「でも――」

「今は、見なくていいものまで無理に見る必要ないわ」

玉楼も静かに頷く。

「見ることと、すべてを目に焼きつけることは違います」

紅玉は城門の奥を見たあと、こちらへ視線を戻した。

「……はい」

少し離れたところでは、孫二娘が負傷者を振り分けていた。

「そっちは水! 酒じゃないよォ! 今飲ませたら余計面倒になるからね!」

顧大嫂も荷車の横から怒鳴る。

「布を先に寄越しな! 戦利品数えてる奴がいたら、その手ごと働かせるよ!」

勝った後まで、いつも通りだった。

いや、こういう時だからこそ、二人とも見る場所を間違えない。

紅玉はその声を聞きながら、ゆっくり息を整えている。

前の戦いより少しだけ上手くなった。

その時、背後から足音がした。

振り向くと、李俊がいた。

濡れた髪を無造作に払っている。

「無事か」

「見れば分かるでしょ」

「見ても聞く」

またそれ。

胸の奥が妙に熱くなる。

「アンタこそ……水門、すごかったじゃない」

「そうか?」

「そうか、じゃないわよ。アタシ、ちゃんと見てたんだから」

言ったあとで気づいた。

李俊が少し笑う。

後ろでは孫二娘が絶対に聞いている。

振り返らない。

今振り返ったら負ける。

「なら、次も見てろ」

「……勝手に沈まないならね?」

「沈まねえよ」

そこへ伝令が駆けてきた。

本当に空気を読まない。

「次の軍議が始まります! 薊州方面への進軍について、各将ただちに集合を!」

アタシは李俊を見た。

李俊もこっちを見る。

孫二娘がとうとう吹き出した。

「指ゼロになっても、二人きりになる時間はゼロだねェ!」

「うるさい!!」

檀州を落としたばかりなのに、もう次の城の名前が出ている。

官軍になった梁山泊は、勝っても止まれないらしい。

アタシは双刀を収め、玉楼を見る。

「行くわよ」

「はい」

紅玉も城門を一度だけ振り返ってから、アタシ達の後ろへついた。

「紅玉」

呼ぶと、今度はすぐにこちらを見る。

「次も全部見ようとしなくていい。でも、自分で見つけたものは忘れないで」

紅玉は少し考えてから、はっきり頷いた。

「はい」

檀州は、李俊様方の水軍によって水門を破られました。

三娘様も、ずいぶん熱心にご覧になっておられましたね。

「水門を、だろォ?」

「李俊ごと見てたじゃないか」

「お二人とも、三娘様が怒りますよ」

孫二娘様が笑います。

「玉楼だって『水門ではなく』って突っ込んでたよねェ?」

「事実を確認しただけでございます」

「一番逃げ道塞いでるじゃないか!」

紅玉様も、水門が動く瞬間を自分で見つけました。

見る場所を変えれば、戦場も変わる。

そして檀州を落とした直後、次に示されたのは薊州。

「指ゼロで休みもゼロだねェ」

……官軍とは、ずいぶん忙しいものでございます。

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