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言葉でしか開かぬ門

東京開封府へ向かう。

……山賊が、朝廷の人を護衛して。

「今さらそこ気にするのかい?」

孫二娘が笑うけど、気にするわよ!

「しかも宋江から銀や絹まで持たされてる」

「襲ってくださいって看板背負ってるようなもんだねェ」

「縁起でもないこと言うな!」

孫二娘が肩をすくめた。

「大丈夫だよォ。三娘が名乗れば、向こうが逃げるかもしれないし」

「アタシ、いつから魔除けになったの!?」

「梁山泊の一丈青。ブランド価値ってやつだねェ」

「山賊にマーケティング持ち込むな!」

……ところが。

この冗談、東京へ着く前に笑えなくなってしまった。

剣は構えたまま、馬首を返す。

東京開封府へ向かう街道へ出てから、まだ半日も経っていなかった。

宿元景の一行を真ん中に置き、アタシと玉楼が前後を入れ替えながら周囲を見て、孫二娘には全体の流れを見てもらっていた。

梁山泊を出た時には「女三人旅」なんて笑っていたけれど、さすがに本当に三人だけで旅をしているわけじゃない。

宿元景の供もいるし、荷もある。

そして、その荷が問題だった。

宋江が持たせた銀や絹まで運んでいるのだから、街道をうろつく連中から見れば、どうぞ襲ってくださいと言っているようなものだった。

最初に気づいたのは玉楼だ。

「三娘様、後方です」

振り返った時には、一騎が道から外れていた。

宿元景の供の一人を馬の後ろへ無理やり乗せ、そのまま林へ入ろうとしている。

「何で人まで持ってくのよ!」

「荷の場所を吐かせる気かねェ?」

孫二娘が目を細めた。

相手は一人じゃない。

林の奥に人影がいくつも動いているし、道の前方にもこっちを見ている連中がいる。

どうやら、最初から挟むつもりだったらしい。

「隊列はそのまま行かせて。止めたら囲まれる」

孫二娘が前へ出る。

「任せな。こっちは動かしておくよォ」

「玉楼!」

「はい!」

アタシと玉楼だけが道を外れた。

草を踏み倒した跡が続いている。

一頭分だけ深い。

馬を急がせたせいで、隠す余裕もなかったらしい。

「下手こいてるわね」

追えばすぐ見つかった。

前を走る馬には男が一人、その後ろに宿元景の供がしがみつくように乗せられている。

「そこ!」

玉楼が右へ回る。

アタシは左から距離を詰めた。

相手が振り返った瞬間に馬を寄せ、その喉元へ剣を突きつける。

「止まりなさい」

男の手綱が止まった。

玉楼がすぐ横へ入り、連れ去られた男を引き取る。

「お怪我は?」

「だ、大丈夫です……」

生きてる。

それならいい。

……で、問題はここからだった。

林の奥から枝を踏む音がする。

振り返れば、今来た道にも人影が増えていた。

前にも後ろにもいる。

追い込んだつもりが、囲まれているのはアタシ達の方だった。

「三娘様」

「分かってる」

数だけなら向こうが多い。

だから、斬り合う前に使えるものを使う。

アタシは息を吸った。

「我が名は梁山泊の一丈青・扈三娘!」

声を張ると、空気が止まった。

前にいた男がこちらを見る。

後ろの連中まで動かなくなる。

……え?

思ってたより効いた。

やがて、誰かの武器が地面へ落ちた。

乾いた音が一つ。

それを合図にしたみたいに、もう一人、さらに一人と刃を下ろしていく。

「お、お待ちを。一丈青殿とは知らず……」

「知らなかったら人攫っていいわけ?」

「そ、それは……」

男が詰まった。

玉楼が静かに前へ出る。

「武器を捨ててくださいませ。従われぬのであれば、こちらも相応に対処いたします」

ございます調なのに、アタシより怖い……

全員が武器を置いた。

アタシは喉元から剣を離した。

「この辺、アンタ達みたいなの他にもいる?」

男は一瞬迷ったものの、頷く。

「幾つか……」

「じゃあ、そっちにも話を回して」

玉楼が旅荷から紙と筆を出してくれた。

馬上で短く書く。

梁山泊 一丈青・扈三娘。

此の一行、通してよい。

手出し無用。

自分で書いてから、何とも言えない気分になった。

山賊が、山賊に通行証を書いてる。

何、この制度。

「これ持って行きなよ。次に同じことしたら、今度は止めるだけじゃ済まないから」

男は両手で紙を受け取った。

「承知しました」

「もういい。行って」

連中は何度もこちらを振り返りながら林へ消えていった。

玉楼が救い出した男を馬へ乗せ直す。

「戻りましょう」

「うん」

道へ戻ると、宿元景の一行は止まっていなかった。

孫二娘が前で速度を落としすぎないよう調整している。

「遅かったじゃないかァ」

「梁山泊への紹介状を書いてた」

孫二娘が目を丸くしてから笑った。

「山賊が紹介状?」

「アタシも書いてて変だと思ったわよ!」

ところが、その変な紙が思った以上に役へ立った。

東京へ近づくまで、何度か街道で怪しい連中に出くわしたけれど、梁山泊の名を出すと態度が変わる。

先の一団から話が回ったのか、紙を見せただけで道を空ける者まで現れた。

武器が下がる。

人が避ける。

梁山泊の名で、道が開く。

「……変な感じ」

孫二娘が横から見る。

「嫌かい?」

「嫌っていうか……気持ち悪い」

「権威が成立する過程なんて、案外そんなもんだよォ。相手が『逆らったら損だ』って共有し始めれば、名前だけでも効く」

「山賊にもブランド戦略あるの?」

「あるんじゃない?」

「嫌なブランドね!」

玉楼は黙って前を見ていたけれど、少しして口を開いた。

「ですが、斬らずに済むのであれば、その方がよろしいかと」

それは、そうだ。

アタシは剣を腰へ戻した。

やがて地平の向こうに大きな城壁が見えてきた。

東京開封府――

門を抜けた途端、それまでの街道が嘘みたいに人が増えた。

荷車が行き交い、商人が声を張り、店から食べ物の匂いが流れてくる。

馬上のアタシ達へ視線を向ける者もいるけれど、立ち止まるほどではない。

「人、多っ」

「都だからねェ」

孫二娘は平然としている。

玉楼は華やかな通りへ目を奪われるより、屋根や横道を確認していた。

「まだ護衛中でございます」

「分かってるって」

宿元景について進んでいくと、やがて宮城の門が見えてきた。

ここから皇帝のところへ行くんだと思っていた。

ところが宿元景は、その手前で足を止める。

「このまま宮中へは参らぬ」

「え?」

「まず、お会いしていただきたい御方がいる」

孫二娘が眉を上げた。

「皇帝じゃないのかい?」

「陛下へ言葉を届けるにも、届ける手順がございます。その手順を知る御方です」

「回りくどいわね」

宿元景は苦笑した。

「東京は、そういう場所です」

その言葉の通り、案内された先は宮城ではなかった。

大通りから一本、さらに一本と道を折れるにつれて、騒がしさが遠のいていく。

やがて着いた屋敷からは、柔らかな弦の音と女達の笑い声が聞こえてきた。

香の匂いもする。

戦場とも、梁山泊とも、宮城の硬さとも違う。

綺麗だ。

でも、何となく落ち着かない。

孫二娘が鼻を動かした。

「鍋の匂いがしないねェ」

「そこ?」

「宿屋でも飯屋でもないって意味だよォ」

「最初からそう言って!」

玉楼は笑わず、屋敷の奥を見ている。

「油断なさらぬように」

「分かってる」

ここは戦場じゃない。

なのに、玉楼と並んでいると身体が勝手に構える。

宿元景が名を告げると門が開き、静かな庭を通って奥へ案内された。

水が流れ、花が咲き、布の擦れる音さえ柔らかい。

その柔らかさの中で、宿元景が立ち止まった。

「李師師殿」

部屋の奥から、一人の女が現れた。

美しい。

それは一目で分かった。

柔らかな顔立ちに、柔らかな仕草。

けれどこちらを見る目だけは、妙に鋭い。

「あなたが、一丈青?」

「扈三娘よ」

女は微笑む。

「では、扈三娘様」

声にも隙がない。

宿元景が一歩前へ出た。

「李師師殿。この方々が、梁山泊より護衛として参った者達です」

李師師はアタシを見て、玉楼を見て、最後に孫二娘へ視線を移した。

孫二娘が肩をすくめる。

「そんなに見られると落ち着かないねェ」

「失礼いたしました」

本当に失礼と思っているのかは分からない。

「梁山泊の言葉を、陛下へ届けたいのでございますね」

宿元景が頷いた。

「そのため、李師師殿のお力をお借りしたい」

李師師は少し黙ってから、アタシへ向き直った。

「扈三娘様。刃で開く門と、言葉でしか開かぬ門がございます。都には、後者の門が多うございます」

「回りくどいわね」

横で孫二娘が吹き出しかけた。

李師師は怒らない。

「はい、東京は回りくどい場所でございます」

それを認められると返しにくい。

アタシは懐から呉用の手紙を取り出した。

「これよ」

李師師は両手で受け取る。

「梁山泊よりの文でございますね」

「呉用が持たせたわ」

孫二娘が鼻を鳴らす。

「回りくどそうな文だねェ」

「読む前から言わないで!」

李師師は少しだけ笑い、封を開いた。

部屋が静かになる。

一度読み終えたあと、途中へ戻り、同じ箇所をもう一度目で追う。

やがて文を畳んだ。

「よく整えられた文でございます」

「なら、届くの?」

「届く形には近うございます」

「近い?」

「整い過ぎております」

意味が分からない。

「駄目なの?」

「いいえ、ただ整い過ぎた言葉は、人の心を通り過ぎることがございます」

李師師の目がこちらへ向く。

「誰が、それを背負って来たのか?その声がなければ、陛下の御心までは届かぬでしょう」

孫二娘が口元を上げた。

「つまり、呉用の文だけじゃ足りないってことかい?」

「足りぬというより、生きた声が必要なのでございます」

そして李師師は、アタシに尋ねた。

「扈三娘様。あなたは、なぜここまで来られたのですか?」

「護衛よ」

「それだけでしょうか?」

言葉に詰まった。

宿元景を送り、宋江と呉用の言葉を届ける。

仕事としてはそれだけだ。

でも、ここへ来るまでに見た。

人が攫われるところも、梁山泊の名前だけで武器が落ちるところも。

「……分からないわよ」

自分でも驚くほど素直に出た。

「でも、見ないで決められるのは嫌なのよ」

李師師の目が少しだけ変わった。

「それで十分でございます」

「十分なの?」

「はい、その言葉は手紙にはございません」

次に李師師は玉楼を見る。

「あなたは、後ろに立つ方なのですね」

「はい」

「ですが、ただ下がっておられるわけではない。前に立つ方を、後ろから支えておられる」

玉楼の目が少し動いた。

「……そう見えますか?」

「見えます。それを見るのが、私の仕事でございますので」

孫二娘が笑う。

「よく見てるねェ」

「それが仕事でございます」

その言葉が胸に残った。

この女は刀も槍も持っていない。

それでも、何を言えば人が動くのか、誰が何を隠しているのかを見ている。

戦場とは違う。

でも、これも戦なのかもしれない。

李師師は手紙を整えた。

「文はお預かりいたします。陛下へは、私からも機を見てお伝えいたしましょう」

宿元景が深く頭を下げる。

話はそこまでだった。

屋敷を出ると、東京の音が一気に戻ってきた。

孫二娘が肩を鳴らす。

「綺麗過ぎる場所は疲れるねェ」

「アンタでも?」

「アタイだからだよォ」

「どういう意味?」

「好きに解釈しな」

玉楼は後ろを振り返った。

「油断ならぬ御方でございました」

「でも敵じゃない」

「今のところは、でございます」

さすが玉楼。

そこは甘くない。

「で、どうする?」

孫二娘に聞かれ、アタシは通りの先から漂ってくる匂いを嗅いだ。

「食べる」

即答すると、孫二娘が笑った。

「いいねェ」

屋台で焼いていた串を一本受け取り、口へ入れる。

熱い。

でも、おいしい。

「大丈夫」

玉楼が頷き、孫二娘も一本取った。

「じゃあ色気の話でもするかい?」

「何で食べ始めた瞬間にそれなの?」

孫二娘が串を片手に笑う。

「東京まで来たんだ。女三人で少しくらい話してもいいだろォ?」

「何をよ?」

「李俊」

危うく串を落としかけた。

「何で一発目がそこ!?」

「一番分かりやすいからねェ」

「何もないわよ!」

「あと指一本」

「東京まで持ってくるな!!」

玉楼がわずかに視線を逸らした。

絶対笑ってる。

孫二娘は容赦なく続ける。

「出る前も『戻ってこいよ』なんて言われてたじゃないか」

「アンタ全部聞いてたでしょ!」

「聞こえる場所でやる方が悪いよォ」

これ、前にも聞いた!

孫二娘は満足したらしく、今度は玉楼を見る。

「で、玉楼は?」

「わたくし、でございますか?」

「三娘ばっかりじゃ不公平だろォ?」

何の公平性なの、それ……

玉楼は少し考えてから答えた。

「……昔、縁談はございました」

「え?」

今度はアタシが食いついた。

孫二娘も身を乗り出す。

「で?」

「家同士のお話でございました。決まっていたわけでは……」

そこで玉楼が止まった。

孫二娘が笑う。

「逃げたねェ?」

「……お断りすることもございました」

アタシは横を見る。

玉楼はこっちを見ない。

静かな声だったけれど、軽くはなかった。

アタシの知らない玉楼がいる。

選ばなかった道もあった。

それを初めて少しだけ見た気がした。

孫二娘が串を食べ終え、肩をすくめる。

「アンタらもいい歳なんだから、早くひっつきなよォ」

「余計なお世話よ!」

玉楼は小さく息を吐いただけで否定しなかった。

孫二娘がにやつく。

「図星かい?」

「アンタはどうなのよ!」

「アタイ?」

孫二娘は妖艶に笑った。

「今は自由な方が楽しいねェ」

「逃げた!」

「選択してると言っておくれよォ」

「心理学者、言い換えが強い!」

玉楼がほんの少し笑った。

三人で人の流れの中を歩く。

さっきより、少しだけ二人との距離が近い気がした――

李師師様は、不思議な御方でございました。

「玉楼は後ろから支える女だって、見抜かれてたねェ?」

孫二娘様が楽しそうに笑います。

「それより何で、その後すぐ縁談の話になったのよ!」

三娘様がまだ納得しておられません。

「女三人で東京まで来たんだ。恋の話くらいするだろォ?」

「だから最初に李俊を出すな!」

「あと指一本だからねェ」

「まだ言う!?」

わたくしにも、昔は縁談がございました。

「で、玉楼。今は?」

「秘密でございます」

孫二娘様が目を細めます。

「おや?」

三娘様までこちらを見る。

「何、その間!?」

さて……

東京には、言葉でしか開かぬ門があるそうですが――

恋の門は、どうやって開けるのでございましょうか?

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