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宋都花影

東京開封府へ来た。

宿元景を送るだけ。

そう思っていたけど、そんな簡単な話ではなかった。

刀で開く門もあれば、言葉でしか開かない門もある。

李師師は、そういう場所にいる人だった。

「綺麗な人だったねェ」

孫二娘が言った。

「綺麗だったわね」

「でも、ただ綺麗なだけじゃないねェ」

「分かる」

柔らかい。

でも、隙がない。

あれはあれで、戦場とは別の怖さがある。

「で、その後は串かい」

「お腹が空いたのよ」

「三娘らしいねェ」

仕方ないじゃない。

東京開封府は、人も多いし、匂いも多い。

戦場とは違う意味で、落ち着かない。

それでも、少しだけ分かった気がする。

ここでは、刀だけじゃ足りない。

でも、串は美味しかった!

剣は構えたまま、馬首を返す。

宿元景の一行は止めない。

「隊列はそのまま行かせて」

孫二娘が前に出る。

「任せな」

アタシは道の脇を見る。

一頭分の草が深く倒れている。

焦っているのが分かる。

「下手こいてるねぇ」

孫二娘が見るなり、笑った。

アタシは頷く。

「合流する前に取るよ」

玉楼が返す。

「承知しました」

二人だけ、道を外れる。

前に一騎の影があった。

速くない。

馬の背に、もう一人乗せている。

相手が振り返る。

「そこよ」

踏み込み、間合いに入る。

そのまま喉元に剣を当て、動きを止めた。

本隊の気配を近く感じる。

前にも、後ろにもいる。

挟まれているのは、アタシ達の方だ。

逃げ場はない。

だから、先に声を張るしかない。

アタシは息を入れて、声を張る。

「我が名は梁山泊の一丈青・扈三娘!」

前も後ろも止まった。

誰も動かなくなる。

やがて、一人が武器を落とす乾いた音がした。

続けて、周りでも刃が落ちる音がする。

玉楼が前に出て、連れ去られた者を受けると、まだ息があった。

「生きてます」

アタシは切先を外さない。

「武器を捨てて」

玉楼が声を張った。

「従わなければ斬る!」

アタシは男達を見る。

「紙と筆、出して」

一人が懐から紙を差し出す。

震えている手から受け取り、馬上で書く。

梁山泊 一丈青・扈三娘。 通していい。

手出ししないで

「それ持って行きなよ」

男は目を伏せ、両手で受け取った。

アタシは剣を引く。

「もういいよ、行って」

男達は音も立てずに去っていく。

玉楼が隣に馬を並べると、連れ去られた者を乗せ直した。

「戻ります」

アタシは一瞬だけ、去っていく背中を見て、手綱を引く。

「行くわ」

道へ戻ると、一行の影が見えた。

孫二娘が前で押さえている。

「遅かったじゃないかァ」

「梁山泊への紹介状、書いてた」

孫二娘が笑う。

「やるねェ」

道中、そんなことが何度かあった。

その度に、紹介状を書く。

梁山泊の名が通る。

変な話だった。

アタシ達は山賊なのに、その名で道が開く。

武器が落ち、人が従う。

気持ち悪い様な……

少しだけ、分かる様な……

やがて、城が見えた。

東京開封府だ。

城門を抜けると、今までの景色が嘘みたいだった。

人が多い。

声が重なる。

荷物が運ばれ、良い食べ物の匂いもする。

馬を進めると、視線が来る。

孫二娘が前で押さえた。

「通らせてもらうよ」

人が割れ、奥へ進む。

宮廷が近い。

門が中にもう一つあり、兵が立っている。

アタシは、ここから先へ入るのだと思っていた。

でも、宿元景はそこで歩みを止めた。

「このまま宮中へは参らぬ」

「え?」

思わず声が出た。

「まず、お会いしていただきたい方がいる」

孫二娘が眉を上げる。

「皇帝じゃないのかい?」

「陛下へ言葉を届けるには、届ける手順がある」

宿元景の声は静かだった。

「その手順を知る御方だ」

アタシは目を細める。

「回りくどいわね」

「東京は、そういう場所です」

玉楼が半歩後ろで、静かに周りを見る。

孫二娘も口を閉じた。

宮廷の門は近い。

でも、まだそこには入らない。

宿元景の後ろに付き、通りを折れる。

人の声が少し遠くなり、屋敷の並びが変わった。

派手ではない感じがした。

でも、明らかに空気が違う。

門の奥から、柔らかい音が聞こえる。

弦の音、女の笑い声、香の匂い。

戦場の匂いじゃない。

宮廷の硬さとも違う。

綺麗だ――

でも、落ち着かない。

孫二娘が小さく言った。

「鍋の匂いがしないねェ」

「そこ?」

玉楼は笑わない。

半歩後ろのまま、屋敷の奥を見ていた。

「油断なさらぬように」

「分かってる」

ここは戦場じゃない。

でも、何かがある。

宿元景が名を告げると、門が開き、中へ通された。

庭は静かだった。

水の音がする。

花があり、布の擦れる音がする。

どれも柔らかい。

でも、柔らか過ぎる。

奥の部屋へ通されると、宿元景が止まった。

「李師師殿」

その名を聞いた時、部屋の奥から一人の女が現れた。

李師師――

そう呼ばれた女は、ゆっくりとこちらを見る。

美しいのは分かる。

でも、ただ綺麗なだけじゃない。

柔らかな顔、柔らかな声、柔らかな仕草……

なのに、目だけは鋭かった。

「あなたが、一丈青」

アタシは少し眉を寄せる。

「扈三娘よ」

女は微笑んだ。

「では、扈三娘様」

柔らかな声だった。

でも、そこに隙はなかった。

宿元景が一歩前に出る。

「李師師殿。この方々が、梁山泊より護衛として参った者達です」

李師師は、宿元景を見る。

それから、アタシを見る。

玉楼を見る。

孫二娘を見る。

順に――

静かに――

孫二娘が肩をすくめた。

「そんなに見られると、落ち着かないねェ」

李師師は笑った。

「失礼いたしました」

本当に失礼と思っているのかどうかは、分からない。

「梁山泊の言葉を、陛下へ届けたいのですね」

宿元景が頷く。

「そのために、李師師殿のお力を借りたい」

李師師は少し黙った。

それから、アタシの方へ向き直る。

「扈三娘様。刀で開く門と、言葉でしか開かぬ門がございます」

アタシは黙った。

「都には、後者の門が多うございます」

「回りくどいわね」

孫二娘が吹き出しそうになる。

玉楼が半歩後ろで、わずかに目を伏せた。

李師師は怒らなかった。

「はい。東京は、回りくどい場所でございます」

それを言われると、返しにくい。

アタシは懐に手を入れた。

呉用から渡された手紙を取り出す。

封は破れていない。

「これよ」

李師師は両手で受け取った。

「梁山泊よりの文でございますね」

「呉用が持たせたわ」

名前を出すと、孫二娘が鼻を鳴らした。

「相変わらず、回りくどそうな文だねェ」

「読む前から言わないで」

「読まなくても分かるよォ」

李師師は少しだけ微笑んだ。

それから、封を開く。

部屋の中が静かになる。

弦の音も、遠くなる。

李師師は手紙を読み進めた。

一度で終わらない。

途中で戻り、もう一度同じ行を追う。

顔は変わらない。

でも、目だけが動いている。

やがて、文を畳んだ。

「よく整えられた文でございます」

「なら、届くの?」

李師師はすぐには答えなかった。

「届く形には、近うございます」

「近い?」

「はい。ですが、整い過ぎております」

「……それ、駄目なの?」

「駄目ではございません」

声は柔らかい。

でも、はっきりしていた。

「ただ、整い過ぎた言葉は、時に人の心を通り過ぎます」

「陛下に届かせるには、整った理だけでは足りません」

「誰が、それを背負って来たのか」

「そこが見えねばなりません」

アタシは黙った。

呉用の手紙は、きっと正しい。

言葉も整っている。

筋も通っている。

でも、李師師はそこだけを見ていない。

孫二娘が横で笑った。

「つまり、呉用の文だけじゃ足りないって事かい?」

李師師は怒らなかった。

「足りない、というより、生きた声が要ります」

視線が、アタシへ向く。

「扈三娘様……あなたは、なぜここまで来られたのですか」

「護衛よ」

「それだけでしょうか」

言葉が詰まる。

宿元景を守り、梁山泊の意を届け、宋江や呉用の言葉を通す。

それだけなら、確かに手紙で足りる。

でも、ここまで来る間に見た人が攫われるところを……

梁山泊の名で武器が落ちるところを……

都に近付くほど、言葉の重さが変わっていくところを……

アタシは少しだけ息を吐いた。

「……分からないわよ」

「でも、見ないで決められるのは嫌なのよ」

李師師の目が、少しだけ変わった。

「それで十分でございます」

「十分なの?」

「はい。その一言は、手紙には書けません」

その時、李師師は玉楼を見た。

「あなたは、後ろに立つ方なのですね」

玉楼が静かに答える。

「はい」

「けれど、ただ下がっている訳ではない」

玉楼の目が少しだけ動いた。

「……そう見えますか」

「見えます。前に立つ方を、後ろから支えておられる」

玉楼は何も言わなかった。

でも、否定もしなかった。

孫二娘が口の端を上げる。

「よく見てるねェ」

「それが私の仕事でございます」

李師師は、そう言った。

仕事――

その言葉が、少しだけ胸に残った。

この女は、刀を持っていない。

槍も持っていない。

それなのに、場の真ん中にいる。

何を言えば通るか。

何を言えば閉じるか。

誰が聞き、誰が嫌うか。

それを見ている。

戦場とは違う。

でも、これも戦なのかもしれない。

李師師は手紙を静かに整えた。

「文はお預かりいたします」

「陛下へは、私からも機を見てお伝え致します」

宿元景が深く頭を下げる。

「かたじけない」

アタシ達も、それに合わせて頭を下げた。

李師師は最後まで、静かにこちらを見ていた。

屋敷を出ると、空気が変わった。

音が戻り、人が動く。

匂いが混ざる。

「……やっと外だね」

孫二娘が肩を鳴らす。

「綺麗だったじゃない」

「綺麗過ぎるんだよォ。落ち着かない」

アタシは振り返る。

屋敷の奥から、まだ弦の音が聞こえていた。

「何かが、違う」

玉楼が横目で見る。

「何がですか」

少し考える。

「分からない」

「でも、戦場より柔らかいのに、戦場より隠してる」

孫二娘が鼻で笑う。

「都ってのは、そういう所なんだろうねェ」

肩の力が少しだけ抜ける。

「で、どうする?」

「食べる」

即答した。

孫二娘が笑う。

「いいねぇ」

玉楼は一瞬だけ迷って、頷く。

三人で歩き出し、人の流れに混ざる。

屋台の前で止まると、油の匂いが強かった。

甘い酒の匂いも混ざってくる。

孫二娘が覗き込む。

「どれにする?」

それぞれ色の違う串が並ぶ。

アタシは一つ取る。

「これ」

店の親父が頷き、火にかける。

じゅう、と焼ける音がした。

受け取り、 一口食べる。

熱い、でも、おいしい。

「大丈夫」

玉楼が頷いた。

孫二娘が笑う。

「なら、全部いけるねェ」

「全部は無理よ」

三人で人の流れの中を並びながら、少しだけ立ち止まる。

孫二娘がもう一本取った。

「で?」

口の端を上げる。

「色気の話でもするかい」

アタシは眉を寄せる。

「急ね」

玉楼が一瞬だけ止まった。

「……その話題は」

「嫌かい?」

少しだけ間がある。

「別に」

孫二娘が笑う。

「じゃあ、林冲や李俊とは、どうなんだい」

アタシは一瞬だけ止まる。

「何もないわよ」

「本当かねェ?」

「本当よ」

「李俊が舟で来た時の顔、忘れてないよォ」

「それは戦の話でしょ!」

「そういう事にしておこうかねェ」

「何よ!」

玉楼がわずかに視線を落とす。

だが、何も言わない。

孫二娘が肩をすくめた。

「ま、いいさ。で、玉楼は?」

玉楼が顔を上げる。

少しだけ間がある。

「……昔、縁談はありました」

孫二娘が身を乗り出す。

「で?」

「家同士の話です」

「決まっていたわけでは」

言いかけて、止める。

孫二娘が笑う。

「逃げたねェ」

玉楼は小さく息を吐いた。

「……断ることもあります」

アタシが隣を見る。

玉楼はこっちを見ない。

少しだけ間が残る。

孫二娘が肩をすくめた。

「もったいない話だ」

玉楼は首を振る。

「そうでもありません」

その声は静かだった。

でも、軽くはなかった。

アタシの知らない玉楼がいた。

選ばなかった道があった。

それを、初めて少しだけ見た気がした。

孫二娘が笑う。

「アンタらもいい歳なんだから、早く見つけなよォ」

アタシは顔をしかめる。

「余計なお世話よ」

玉楼は小さく息を吐く。

否定もしない。

孫二娘が笑った。

「図星かい」

三人で人の流れの中を歩く。

さっきより、少しだけ二人との距離が近い気がした――

東京開封府は、落ち着かない場所でございました。

人が多い。

声が多い。

匂いも多い。

そして、刀だけでは開かない門が多い。

李師師殿は、その門の前に立つ方なのだと思います。

「綺麗だったねェ」

孫二娘殿が言いました。

「はい」

「怖かったろォ?」

「……少し」

柔らかい方でした。

ですが、ただ柔らかいだけではございません。

見ているものが違う。

聞いているものも違う。

あの方は、刀を持たずに場を動かす方でした。

「玉楼、真面目だねェ」

「事実でございます」

その時、横から扈三娘様が顔を出されました。

「でも、串は美味しかった!」

孫二娘殿が笑います。

「そこに戻るのかい」

「大事でしょ」

「大事でございます」

そう答えると、扈三娘様が少し嬉しそうな顔をされました。

東京開封府――

刀だけでは足りない場所。

けれど、食べ物は美味しい場所。

私は、そう覚えておくことにいたします。

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