あと指一本
夜襲に行ってきます。
……いや、改めて言うと物騒ね。
しかも集まったのが、アタシ、玉楼、孫二娘、顧大嫂、李俊、童威、童猛。
「七人の決死隊だねェ?」
「だから何でアンタ嬉しそうなのよ!」
孫二娘が笑う横で、顧大嫂はもう得物を担いでいる。
「で、誰を殴ればいい?」
「話が早すぎる!」
「三娘は李俊と一緒なら平気だろ?」
「何でそこで李俊が出るの!?」
孫二娘が顎に手を添えた。
「危険な状況では吊り橋効果が――」
「今回は二人とも吊り橋なくても十分だろ」
「顧大嫂まで乗るな!」
高俅が兵を揃える前に潰す。
今夜の目的は、それだけ。
……それだけのはずなんだけど?
「三娘、顔赤くない?」
「夜襲に集中させて!!」
夜襲に出ると決めた時、集まったのは七人だった。
アタシと玉楼、孫二娘、顧大嫂。
それに李俊、童威、童猛が加わり、地図を囲んで顔を揃えている。
改めて眺めてみると、決死隊という言葉から想像するほど悲壮な空気がない。
「……決死隊って、もう少し悲壮な顔で集まるものじゃない?」
孫二娘が肩をすくめた。
「全員、生きて帰る気だからねェ?」
「それは良いことだけど!」
顧大嫂は早くも得物を担ぎ、敵の位置だけ確認している。
「あたしは殴る相手が分かればいいよ」
「作戦会議で最初にそれ言う!?」
そんなやり取りにも構わず、童威と童猛は地図へ顔を寄せていた。
童威が川筋を指でなぞり、その先を童猛が引き継ぐ。
「ここまでは舟で入れます。流れも緩い」
「荷駄は北西です。水路を使えば裏へ回れます」
二人の説明を聞いた李俊が頷いた。
「俺達三人は水路から入る。荷と伝令を潰して、敵の退路も見る」
「アタシ達は?」
「陸から崩せ」
「雑!」
「お前なら、それで分かるだろ?」
何、その信頼の仕方。
でも、実際分かってしまう自分も何か悔しい……
玉楼が敵陣の側面を指した。
「正面へ当たる必要はございません。この林を抜ければ、気づかれず側面へ寄れるかと」
孫二娘も地図を覗き込みながら笑う。
「前から敵が来るより、後ろで突然火が上がる方が怖いんだよォ? 何が起きてるか分からない時間を作れば、不安は勝手に広がるからねェ」
「今夜は心理学がちゃんと戦力になってる」
「いつも戦力だよォ?」
「ダル絡み以外で?」
「教授への敬意が足りないねェ?」
そこで李俊が顔を上げると、空気が少し締まった。
「目的を間違えるな。討ち尽くす必要はない。集まりかけた兵を散らして、命令を止め、荷を潰す。それで十分だ」
「高俅がいたら?」
一瞬だけ誰も口を開かなかった。
「捕れるなら捕る」
「殺すなって?」
「高俅一人の首に全部寄せたら、また話が変わる」
分かっている。
だから林冲には、まだ知らせていない。
高俅を逃がしたばかりの今、もう一度あの男を林冲の目の前へ出したくなかった。
顧大嫂が李俊を見る。
「逃げたら?」
「追える所まで。ただし――」
そこで李俊がアタシを見た。
「追い過ぎるな」
「何でアタシ見て言うのよ!」
童威と童猛まで何となく視線を逸らした。
「アンタ達も!?」
孫二娘が吹き出す。
「集団内で評価が共有されてるねェ?」
「分析しない!」
こうして七人を核にした夜襲隊が梁山泊を出た。
湖を離れる頃には、さっきまでの軽口も自然に消えていた。
李俊、童威、童猛は舟で水路へ入り、アタシ達四人は林へ回って途中で馬を降りる。
新月の夜は暗く、灯りを使えばこちらから居場所を教えるようなものだった。
玉楼が進路を確かめ、孫二娘が見張りの動きを読み、顧大嫂はいつでも動けるよう得物を握っている。
アタシは三人の位置と退路を確かめてから、どこへ入るかを決めた。
昔なら、斬り込む場所しか見ていなかった。
今は、戻る道まで先に見る。
……ちょっとは成長してない?
言えば玉楼に「当然でございます」と返されそうなので、これは黙っておくことにした。
木々の向こうに敵陣の火が見える。
幕舎も荷もまだばらばらで、集められた兵には落ち着きがない。
見張りも外へ目を配るより、何度も自分達の後ろを気にしていた。
孫二娘が囁く。
「怖がってるねェ」
「分かるの?」
「急ごしらえの集団は、敵より先に隣を信用できるか確かめるんだよォ。誰が逃げるか、誰が命令を聞くか、まだお互い分かってない」
次に「アタイを誰だと思ってんの?」とでも言いそうな顔をしたので、先回りしてあげた。
「妖艶なお姐さん教授」
「よくできました」
今、褒められるところ?
玉楼が片手を上げた。
陣の奥で、小さな火が一度だけ揺れる。
水路側へ回った李俊達からの合図だった。
「行くよ」
玉楼が見張りを音もなく落とし、アタシが次の一人へ入る。
そこまでは完璧に静かだった。
顧大嫂が柵を蹴り倒すまでは……
「ここまで静かに来た意味!」
「入ったらいいだろ!」
孫二娘が楽しそうに笑う。
「はい、混乱開始ィ」
直後、敵陣の後方で火が上がった。
李俊達が荷駄へ回ったらしい。
「火だ! 後ろだ!」
「敵襲!」
あちこちから声が飛び、別々の命令が重なって何を聞けばいいのか分からなくなる。
その瞬間を逃さず、アタシ達は側面へ食い込んだ。
「押す!」
敵兵を斬り、崩れた列の間へ入る。
「右、薄うございます!」
玉楼の声に合わせて向きを変えると、こちらの兵もすぐ後ろから流れ込んだ。
孫二娘は逃げ始めた敵兵を見て、口元を上げる。
「ほ〜ら、流れたよォ」
顧大嫂はその外へ回ったが、出口を完全には塞がない。
逃げ道を一つ残しておけば、兵はそこへ集まり、他の場所がさらに薄くなる。
「三娘!」
水路側から李俊の声が飛んだ。
「荷は!?」
「燃やした! 伝令も二人捕った!」
その後ろでは、童威と童猛が捕虜を舟へ押し込んでいる。
「早っ!」
「水際なら俺達の方が速い」
……格好いいじゃん。
そう思った瞬間、孫二娘がこちらを見た。
「何も言わないで!」
「まだ何も言ってないよォ?」
「最近それ多いね!」
顧大嫂まで笑う。
「自分から白状してるからだろ」
「戦って!」
敵の一部が踏みとどまったところで、アタシは前へ出ようとした味方へ声を飛ばした。
「止まれ! ここから先は追わない!」
玉楼も後ろから続ける。
「深追いはなさいませんよう!」
「分かってる!」
今夜の目的は、敵を討ち尽くすことじゃない。
軍になる前に壊す。
命令を通らなくし、荷を焼き、集まりかけた兵を散らす。
それができれば十分だった。
「退くわ」
一度、梁山泊へ戻る。
門では林冲が待っていたが、何も問いたださなかった。
捕らえた者達を見て、必要なことだけ察したらしい。
捕虜は雑兵ばかりではなく、伝令や小頭目、荷の置き場所や命令の流れを知っていそうな者を選んである。
玉楼が手早く分ける横で、孫二娘が一人ずつ顔を覗き込んだ。
「誰から聞く?」
「一番喋りたそうな人」
「心理学的には正しいねェ」
「今の適当なんだけど!?」
それなのに、しばらくすると本当に一人が口を割った。
高俅は夜襲の報せを受けると、さらに北へ下がっていた。
残った兵を別の場所へ集め、明け方までに立て直すつもりらしい。
「……また逃げたの?」
約束を踏み倒して兵を集め、襲われれば自分だけ先へ下がる。
胸の奥に、冷たいものが沈んだ。
「もう一度出る」
玉楼は驚きもせずに答えた。
「用意は済んでおります」
「二戦目までやるのォ?」
孫二娘が眉を上げる横で、顧大嫂はもう肩を回している。
「まだ夜だしねぇ」
そこへ李俊、童威、童猛も戻ってきた。
「水路は?」
「途中まで使える」
「じゃあ、もう一回付き合って」
「そのつもりで戻った」
あまりに返事が早くて、孫二娘がにやつく。
「夫婦でもないのに意思疎通が速いねェ?」
「今それいる!?」
七人がまた揃い、夜襲隊は再び闇へ出た。
二つ目の敵陣はさすがに警戒していたが、それでも遅い。
急いでかき集めた兵は並びが悪く、守ろうとしている場所が多すぎて、どこにも十分な力が集まっていなかった。
玉楼が敵陣を見渡す。
「まだ整っておりません」
「なら、今」
水路側の李俊へ手を上げると、向こうもすぐ返した。
孫二娘が横から覗き込む。
「何、今の?」
「合図!」
「へえ?」
「仕事の!」
「何も言ってないよォ?」
……またやった。
「もういい! 行くわよ!」
一気に距離を詰める。
玉楼が後ろを締め、孫二娘が敵兵の動きを拾った。
「右、槍先が泳いでるよォ! あそこ、怖がってる!」
「そこ!」
顧大嫂が突っ込む。
「押しすぎ!」
「アンタもう大将じゃないだろ!」
「そうだった!」
それでも止める。
もう役職じゃなくて癖だ。
童威と童猛が水路側から荷を押さえ、李俊が退路を一つ塞ぐ。
ただし全部は閉じず、逃げられる方向だけを残した。
孫二娘がその流れを見て笑う。
「出口が一つしか見えないと、みんなそこへ集まるよォ」
顧大嫂が感心したように言った。
「心理学って便利だねぇ」
「人間が分かりやすいんだよォ」
「教授が言うと怖い!」
逃げる兵が一方向へ流れ始めた時、火の奥に護衛だけが妙に厚い場所が見えた。
「そこです」
玉楼が先に気づく。
「分かってる!」
二人で一気に踏み込み、護衛を払いのける。
いた。
――高俅じゃない。
上等な鎧を着た将が、馬上で青ざめていた。
「動くな。高俅はどこ?」
「し、知らぬ」
刃を喉元へ寄せる。
「もう一回」
男は耐えられず、顔を歪めた。
「北へ……先に退かれた!」
その言葉を聞いた周囲の兵が、目に見えて揺れる。
また自分だけ逃げた。
「アンタの大将、薄情ね?」
男は答えられなかった。
「縛って。使える」
玉楼がすぐに動き、残った敵兵も崩れていく。
これ以上追う必要はなかった。
二つ目も壊した。
高俅には届かなかったが、この夜のうちに討伐軍を立て直すこともできないはずだ。
梁山泊へ戻った頃には、東の空が白み始めていた。
忠義堂には林冲が待っている。
「高俅は?」
「逃げられた」
「兵を置いてか?」
「そう」
林冲は少しだけ目を細めた。
「らしいな」
それだけだった。
怒鳴られるより、その声の方がずっと重かった。
湖の畔へ出ると、玉楼、孫二娘、顧大嫂が近くにいて、少し離れたところでは李俊と童威、童猛が舟を片づけている。
黒かった水面に、朝の色が混じり始めていた。
「……分かってる。宋江の理屈は通る。でも、納得できない」
玉楼が静かに答えた。
「はい」
「アタシ達、何なの?」
「山賊です」
即答……
孫二娘が肩をすくめる。
「何様のおつもりかねェ?」
顧大嫂も湖を見ながら息を吐いた。
「あたしら、お上に文句があるから山賊やってるんだけどねぇ」
「替天行道までは分かる。でも――忠義双全って、意味分かんない」
今度は誰も笑わなかった。
朝になり、林冲に呼ばれて部屋へ入る。
林冲は座ったまま、しばらく黙っていた。
「俺は、あれに全てを奪われた。官も、名も、妻も」
視線はアタシに向いていない。
「自分に罪はない。だが、罪にされた。理由は一つだ。高俅の倅が、俺の妻を欲しがった」
それだけで、人一人の人生が壊れた。
「恨みだと思うか?」
答える前に、林冲自身が首を振った。
「違う。戻らないものを、戻らないままにしておけないだけだ」
理屈じゃない。
本人も分かっている。
それでも飲み込めない。
「でも、違う」
昨夜、アタシが言ったのと同じ言葉だった。
林冲がこちらを見る。
「……お前も、その顔だ。宋江の理屈で納める気はない」
黙るしかない。
「ここにいるしかない。梁山泊だ。外へ出れば終わる」
それも現実だった。
「それでも、終わらせる気はない顔だ」
「まだ、終わらせる気はない」
林冲がわずかに頷く。
「なら、見失うな」
「何を?」
「何のために斬るのかだ」
胸の奥へ、その言葉が残った。
林冲はそれ以上何も言わず、アタシも返せる言葉を持っていなかった。
部屋を出ると、朝日が湖へ差している。
舟のそばには李俊がいた。
「終わったか?」
「話はね」
「そうか」
それだけで、それ以上は聞いてこない。
また待ってる。
その距離が、今は少しだけありがたかった。
「……アンタってさ」
「何だ?」
言いかけて、やめる。
何を言おうとしたのか、自分でもよく分からない。
李俊がこちらを見る。
アタシも見返した。
いつもなら、ここでどっちかが何か言うのに、今日は何も言わなかった。
気づけば少しずつ距離が縮まり、李俊が動いたのか、アタシが動いたのかも分からない。
顔が近い。
……ちょっと待って……これ――
「三娘ォ――!!」
飛び退いた。
「うわあああああっ!?」
孫二娘が向こうから歩いてくる。
「何してんのォ?」
「何もしてない!!」
「へえ? あと指一本くらいだったけどねェ?」
「見てたの!?」
「見える場所でやる方が悪いよォ」
李俊が顔を逸らしている。
耳が赤い。
……アンタもか。
顧大嫂まで後ろから来た。
「何だい、終わったのか?」
「何が!?」
「いや、孫二娘が『今度こそ行く』って言うからさ」
「実況中継しないで!!」
玉楼まで少し遅れて現れた。
何も言わない。
ただ、ものすごく穏やかに笑っている。
「玉楼、その顔やめて!」
「何も申し上げておりません」
「全員それやめて!!」
孫二娘が肩をすくめた。
「接近行動までは双方確認できたんだけどねェ」
「心理学の観察記録にするな!」
李俊が小さく息を吐く。
「……続きは今度だな」
「何の続きよ!?」
「分かってるだろ」
「分かんない!」
孫二娘が楽しそうに笑った。
「自白癖だけじゃなくて、進展まで順調だねェ!」
「アンタが止めたんでしょうが!!」
夜はようやく明けた。
高俅は逃げ、討伐軍は撃退できた。
来る前に潰すという目的も、少なくとも今夜は果たせたんだと思う。
それでも、何かが終わった気はしない。
湖の上へ朝の光が広がっていく中で、林冲の言葉だけが胸の奥に残り続けていた。
何のために斬るのか?
その問いだけが、朝の静けさの中で消えずにいた。
夜襲は成功いたしました。
高俅様には逃げられましたが、兵は散り、荷も焼けましたので、目的は果たせたかと存じます。
ただ、その後が問題でございました。
「あと指一本だったねェ?」
「何の話!?」
孫二娘様が楽しそうに笑う横で、顧大嫂様まで頷きます。
「惜しかったねぇ」
「何が惜しいのよ!」
わたくしは何も申し上げておりません。
三娘様と李俊様が、あと少しで口づけを――などとは……
「玉楼、その笑顔やめて!」
「何も申し上げておりませんが?」
「顔が喋ってるの!」
孫二娘様が肩をすくめました。
「次は邪魔しない方がいいかねェ?」
「次なんてない!」
李俊様は「続きは今度」と仰っておりましたが?
さて三娘様……
次も、本当にございませんのでしょうか?




