石にない名前
「ねえ、石に名前があるだけで偉くなるの?」
孫二娘が笑った。
「人間は権威に弱いからねェ。しかも“天が決めました”なんて言われたら強いよォ」
顧大嫂が腕を組む。
「あたしは百一位だったよ」
「アタイは百三位」
「何で二人とも平気なの!?」
「殴る時に順位なんか使わないからねぇ」
「正論なのが腹立つ!」
そして――
「五十八位、王英」
嫌な予感。
「五十九位、扈三娘」
「何でアイツの下なのよ!!」
孫二娘が吹き出す。
「天命だねェ」
「そんな天命いらない!」
でも、本当に引っかかったのはそこじゃなかった。
最後まで待っても――
玉楼の名前がない。
ずっとアタシの隣で戦ってきたのに。
だったら、石に決めてもらわなくていい。
アタシが、自分で立つ場所を決める。
しばらく経った、ある日の晩。
使いが来た。
「忠義堂へ」
アタシは立つ。
玉楼も当然のように動き、顧大嫂は卓へ肘をついたまま鼻を鳴らした。
「またかい」
孫二娘も腰を上げる。
「暇しないねェ。今度は何を決めるんだろうねェ?」
「城を二つ攻める以外でお願いしたいんだけど」
「基準がだいぶ壊れてきたねェ」
本当にね。
四人で忠義堂へ向かう。
近づくにつれて声が増えた。
宴らしく盃も回っているけれど、いつもより人が中央へ寄っている。
何かある。
中へ入ると、人垣の向こうに呉用がいた。
その前に置かれているのは――石。
いや、石板。
土まで付いている。
「……何、それ?」
孫二娘が首を伸ばした。
「古そうだねェ」
顧大嫂も覗き込む。
「ずいぶん都合よく出てきたもんだねぇ」
言っちゃった……
アタシも同じこと思ったけど。
呉用によれば、梁山泊で石碣が見つかったらしい。
そこには百八の星辰と、それに対応する頭領の名が刻まれているという。
天罡星が三十六。
地煞星が七十二。
しかも、順番まで決まっている。
「……出来過ぎじゃない?」
思わず漏れた。
玉楼は石碣を見つめたまま、否定しない。
孫二娘が小声で言う。
「権威づけとしては強いよォ。人間って、自分達で決めたと言われるより、昔から決まってましたって言われた方が納得しやすいからねェ」
「心理学で急に怪しくするのやめて」
「アタイは説明してるだけだよォ」
そして、読み上げが始まった。
宋江。
盧俊義。
呉用。
公孫勝。
関勝が五位。
林冲が六位。
そこだけで少し引っかかった。
後から梁山泊へ来た関勝が林冲より上。
でも林冲本人は、何も言わない。
腕を組み、ただ聞いている。
「林冲殿らしいですね」
玉楼が小さく言った。
「うん」
あの人、多分、数字が一つ上でも下でも槍の振り方変わらないわ。
名前は続く。
秦明。
呼延灼。
花栄。
柴進。
そして――
「二十六位。天寿星、混江龍、李俊」
反射的に顔を上げた。
李俊は少し離れたところにいる。
嬉しそうでも、不満そうでもない。
普通……
……何見てんの、アタシ。
「二十六位だってねェ?」
すぐ横から声がした。
「聞こえてる!」
「聞こえたかどうか、聞いてないよォ?」
「アンタ今日うるさい!」
孫二娘が笑う。
顧大嫂までこっちを見る。
やめて……
名はどんどん下へ降りていった。
そして。
「五十八位。地微星、矮脚虎――王英」
王英が胸を張った。
嫌な予感がする。
ものすごく嫌な予感がする。
呉用は止まらない。
「五十九位。地慧星、一丈青――扈三娘」
「……は?」
出た――
忠義堂の何人かが振り返る。
王英が、ものすごく嬉しそうにこっちを見た。
「三娘! 俺のすぐ下だぞ!」
「そこを喜ぶな!!」
「天が俺達を並べたんだな!」
玉楼が笑った。
とってもにこやかに……
でも拳が握られている。
「王英様」
「な、何だ?」
「おめでとうございます」
「お、おう」
王英が一歩下がった。
何で祝われて後退してんのよ。
読み上げはさらに続く。
顧大嫂は百一位。
孫二娘は百三位。
二人とも、意外なくらい気にしていない。
「百一か。まあ、覚えやすいねぇ」
「アタイは百三位だってよォ。三娘よりだいぶ下だねェ?」
「だから何?」
「上下関係、厳しくする?」
「今まで通り!」
「残念」
絶対残念じゃないでしょ。
そして最後の名前まで読み終わった。
アタシは待った。
でも――
玉楼の名は呼ばれなかった。
隣を見る。
玉楼はいつも通り立っている。
「……三娘様?」
「ないじゃん」
「何がでございますか?」
「玉楼の名前」
「ございませんね」
何でそんなに平然としてるの?
石に彫ってないから何だって言うの。
祝家荘からずっと一緒に戦って、林冲に挑んだ時も、高唐州でも、青州でも、北京大名府でも、曾頭市でも――
アタシの隣にいた。
それが、石一枚に名前がない?
「……ちょっと待って」
読み上げを終えようとしていた呉用を見る。
「この順位、軍の配置にも使うの?」
忠義堂が少し静かになった。
呉用が答える。
「星辰の序列は頭領としての序列です。軍中の配置も、これを基に整えることとなりましょう」
やっぱり――
アタシは盃を卓へ置いた。
音が鳴る。
「じゃあ異議あり」
今度は完全に静かになった。
王英が不思議そうにこっちを見る。
「俺の下がそんなに嫌か?」
「嫌に決まってるでしょ!」
「即答!?」
「そこだけの話じゃない!」
孫二娘が吹き出す。
顧大嫂は口元を押さえている。
笑うな。
アタシは呉用を見る。
「石に彫ってある順番を変えろとは言わない。それでいいわよ。でも、第四軍はいったん解いて」
三人がこちらを見た。
玉楼だけは、すぐに分かったみたいだった。
「アタシと玉楼は、林冲殿の下へ戻る。小彪将でいい。前へ出る斥候をやる」
林冲の目がこちらへ向く。
「孫二娘と顧大嫂も、林冲殿の下へ。二人は歩兵部隊で」
顧大嫂が顎を上げる。
「あたしは構わないよ。馬より地面の方が殴りやすい」
「その判断基準やめて」
孫二娘も肩をすくめた。
「アタイもいいよォ。同じ林冲麾下なら、三娘へ絡みに行くのも楽だし」
「配置決める理由がそれ!?」
「大事だよォ?」
「大事じゃない!」
玉楼が静かに一礼する。
「わたくしも異存ございません」
呉用は少し考え、林冲を見た。
林冲は短く答えた。
「構わん」
それで決まった。
あっさり。
第四軍はなくなる。
でも、別々になるわけじゃない。
同じ林冲の下で、アタシと玉楼は馬に乗り、孫二娘と顧大嫂は歩兵を動かす。
少しだけ距離が変わる。
それだけ。
「これからは別の持ち場だねぇ」
顧大嫂が言う。
「同じ上司だけどねェ」
孫二娘が笑った。
「勤務部署が違うだけだよォ」
「急に会社みたいに言うな!」
忠義堂を出ると、廊下に李俊がいた。
壁へ背を預けている。
「聞いてた?」
「途中からな」
「石板、どう思う?」
李俊が少しだけ息を吐いた。
「出来過ぎだな」
「やっぱり?」
「石に名前を彫っただけで、今までの戦が変わるわけじゃねえ」
その言い方が妙に腑に落ちる。
「アンタ、二十六位だったね」
言ってから気づいた。
何でわざわざ言った、アタシ。
李俊がこちらを見る。
「見てたのか?」
「聞こえただけ!」
「まだ何も言ってねえぞ」
またこれ!?
後ろで孫二娘が笑った。
……いるし!
「三娘、自白癖が悪化してるねェ?」
「何で付いて来てんの!」
「同じ林冲麾下になった祝い?」
「それ今やる!?」
顧大嫂まで出てきた。
「二十六位と五十九位なら、だいぶ離れてるねぇ」
「順位で恋愛判定しないで!」
李俊が眉を上げる。
「恋愛?」
「アンタは拾わなくていい!」
玉楼まで口元を隠した。
最悪……
翌朝――
林冲から呼び出しが来た。
部屋へ入ると、地図を見ていた林冲が顔を上げる。
「昨日、自分で斥候に回ると言ったな」
「……言いました」
もう嫌な予感がする。
「前を見て来い」
早い。
昨日の今日で働かせるの?
外には馬が二頭用意されていた。
アタシが跨る。
玉楼も並ぶ。
孫二娘と顧大嫂は歩兵側へ回ったので、今日は来ない。
「何か寂しい」
「昨日、ご自分でお決めになりましたが?」
「正論やめて」
門を抜ける。
風が当たる。
二人で走るのは久しぶりだった。
第四軍になってから、いつも後ろや左右に誰かがいた。
今は玉楼だけ。
でも、不思議と昔へ戻った感じもしない。
あの頃より、見る場所が増えた。
林の端。
街道。
遠くの土煙。
人影。
玉楼と視線だけで分担する。
「右、何かいる」
「商隊かと」
近づき過ぎず、数だけ取る。
脅威ではない。
戻って林冲へ報告すると、
「分かった」
それだけだった。
「……休み欲しい」
部屋を出たところで漏れた。
「まだ始まったばかりでございます」
「だよねぇ……」
その日の夕方。
休みは本当に来なかった。
東京から朝廷の討伐軍が出たとの報せが入る。
忠義堂の空気が一気に変わった。
また戦。
また出陣。
「梁山泊って、止まったら死ぬの?」
孫二娘が歩兵の装備を確かめながら笑う。
「集団としては、外敵がいる方が内部の結束は――」
「今は心理学いらない!」
顧大嫂は朴刀を担いだ。
「歩兵なら歩兵で暴れるだけさ」
「だから押し過ぎないで!」
「アンタもう大将じゃないだろ?」
「そうだった!」
孫二娘が腹を抱えて笑う。
「早速忘れてるよォ!」
林冲麾下。
アタシと玉楼は騎馬斥候。
孫二娘と顧大嫂は歩兵。
立つ場所は変わった。
でも、このうるささだけは何も変わらない。
馬へ跨る。
林冲の隊列が動き出す。
途中で使いが下がってきた。
「扈三娘様。林冲様が前へ、と」
「はいはい……」
玉楼の視線が寄る。
「……何でもない」
馬を前へ出し、隊列の横を抜ける。
林冲の背が近づく。
林冲は振り返らない。
「前を見て来い」
アタシは横に並ぶ。
「斥候ね」
「そうだ」
途中、玉楼が声を掛ける。
「明るくなられましたね」
「そ〜ぉ?」
少しだけ笑う。
「疲れてる時は、テンション上げなきゃやってらんないわよ……」
玉楼には、多分わからない。
アタシは息を吐く。
「んじゃ、行ってきま〜す!!!」
玉楼も駆ける。
玉楼でございます。
第四軍は、いったん解かれることとなりました。
三娘様とわたくしは騎馬の斥候へ。
孫二娘様と顧大嫂様は歩兵へ移ります。
「これで三娘に怒鳴られず前へ出られるねェ」
「好きに暴れられるってことかい?」
「違うから!」
三娘様が即座に止められました。
顧大嫂様が首を傾げます。
「でもアンタ、もう大将じゃないだろ?」
「……そうだった!」
孫二娘様が笑います。
「役職が消えても行動パターンはすぐ消えないんだよォ?」
「分析しないで!」
結局、持ち場が変わっても皆様は変わりません。
そして翌朝――
林冲殿から三娘様へ、最初のお言葉がございました。
「前を見て来い」
……三娘様。
ご自分で斥候を望まれた以上、今さらお休みはございませんよ。




