怪物の上には怪物がいる
史文恭、強すぎない?
アタシと玉楼で受けても押された相手よ?
「でも、その上が来たねェ」
孫二娘が楽しそうに盧俊義を見る。
「玉麒麟って名前、伊達じゃなかったねぇ」
顧大嫂まで感心している。
「アンタ、さっき混ざろうとしてたでしょ!」
「ちょっとだけだよ」
「ちょっとでも死ぬから!」
孫二娘が笑った。
「強い奴を見ると近づきたくなる。典型的な衝動行動だねェ」
「三娘も李俊には近づくだろ?」
「何でそこで李俊が出てくるの!?」
「ほら、別の衝動行動」
心理学を恋愛に使うな!
そんなことを言ってる間に、史文恭の槍が飛んだ。
……え?
ちょっと待って。
あの史文恭より強いの?
怪物の上に怪物がいるとか、聞いてないんだけど!?
梁山泊軍から、黒馬が前へ出る。
盧俊義だ。
前列の兵が、命じられたわけでもないのに左右へ割れた。
火矢の残り火が地面で燻り、煙の向こうから黒馬がゆっくり進んでくる。
顧大嫂が朴刀を握ったまま息を吐いた。
「……真打が来たねぇ」
さっきまで好き勝手に喋っていた孫二娘も、今度ばかりは笑わない。
「玉麒麟か……名前負けしてなきゃいいけどねェ?」
「今の史文恭見て、その感想が出るアンタも大概よ?」
アタシが言うと、孫二娘は肩をすくめた。
「強い奴同士が向かい合った時ほど、周りが勝手に期待値を上げるんだよォ。観客心理ってやつさ」
「ここ戦場だから! 観客いないから!」
「いるじゃないか」
顧大嫂が顎をしゃくった。
梁山泊兵も曾頭市兵も、確かに見ていた。
史文恭まで。
黒い槍は引かれていない。
ただし、その穂先がわずかに下がる。
さっきまでとは違う。
アタシたちを押し込んでいた時の構えじゃない。
玉楼も気づいたらしい。
「兵を崩す槍ではございませんね」
「……一人を殺す気?」
「おそらく」
やめてよ……
こっちは二人がかりでも押されたのよ。
その史文恭が、今度は最初から一人だけを見ている。
盧俊義は黒馬を止めた。
「史文恭だな?」
史文恭は答えない。
火の向こうから、盧俊義だけを見ている。
盧俊義が朴刀を構えた。
「晁蓋殿のことは聞いている」
その言葉が終わるより早く、史文恭が動いた。
黒い槍が煙を裂いた。
速い。
さっき目の前で受けたから分かる。
見えてからどうにかしようとしたら遅い。
ところが盧俊義は退かなかった。
黒馬をわずかにずらしながら朴刀を振り下ろす。
槍と刃がぶつかった。
重い音がした。
空気まで震えたような気がして、周囲の兵が一斉に息を呑む。
史文恭の槍は止まらない。
ぶつかった反動をそのまま利用して穂先を返し、盧俊義の喉元へ滑り込ませる。
でも、届かなかった。
盧俊義は大きく避けていない。
黒馬を半歩だけ動かしただけだ。
穂先が首の前を抜ける。
玉楼が思わず呟いた。
「お上手です……」
次の瞬間、盧俊義の朴刀が横から返った。
史文恭が槍で受ける。
今度は史文恭の馬が大きく下がった。
顧大嫂の顔が急に明るくなる。
「何だい、あれ。面白そうじゃないか!」
「混ざるな!」
「まだ何もしてないだろ!」
「顔がもう混ざろうとしてるの!」
孫二娘が頷いた。
「典型的な衝動行動だねェ」
「アンタは黙ってな!」
漫才している間にも、二人の打ち合いは続いていた。
史文恭は下がった瞬間にはもう踏み込んでいる。
突きが一つに見えない。
火の揺れまで利用しているみたいに、穂先が左右へ散る。
それでも盧俊義は慌てなかった。
必要な分だけ動き、受け、外し、返す。
派手に見えるのは史文恭の槍なのに、追い込まれているように見えるのは史文恭の方だった。
「三娘様」
玉楼の声で、アタシは二人から目を外した。
曾頭市兵が揺れている。
それまで史文恭の動きに合わせて押してきた槍兵が、前へ出るのか戻るのか、一瞬だけ迷っていた。
そうか。
史文恭を見てる。
敵まで。
「今です!」
玉楼が叫ぶ。
アタシも日月双刀を上げた。
「第四軍、押し込むわよ!」
「待ってました!」
顧大嫂が真っ先に飛び出した。
「押せぇッ!」
さっきまで史文恭に開けられていた中央へ、今度はこっちからぶつかる。
盾が鳴った。
顧大嫂が先頭で押し込み、敵の槍列を無理やり歪ませる。
「力だけで何とかするなって言っただろォ!」
そう言いながら孫二娘は左から入った。
顧大嫂が作った歪みへ身体を滑り込ませ、槍を一本逸らす。
その隙を後ろの兵が広げた。
「アンタも利用してるじゃないか!」
「使える力は使うんだよォ!」
「二人とも喋ってないで押して!」
「三娘が一番うるさいねぇ!」
何でよ!
でも、止まらない。
アタシが中央を押せば、玉楼はアタシの横ではなく少し後ろへずれた。
そこから戦場全体を見る。
「右が薄くなります!」
「顧大嫂!」
「分かってるよ!」
顧大嫂が兵を右へ振る。
「左は詰まり始めます!」
「アタイが行くよォ!」
孫二娘が今度は左へ走る。
二人が開けた中央へ、アタシが入った。
これでいい。
四人で同じ場所へ突っ込む必要なんてない。
一人が押せば誰かが開いた場所を見る。
誰かが崩せば、その崩れを別の誰かが広げる。
その中心で、玉楼が全部を繋いでいた。
――と思ったら。
「三娘、右!」
別の声が飛んだ。
反射で双刀を上げる。
飛んできた矢が刀に当たって落ちた。
「危なっ!」
振り向くと、少し離れた場所に李俊がいた。
いつの間にか別隊を率いて右側へ回っている。
「前ばかり見るな!」
「見てたわよ!」
「今、矢が来ただろ」
「それは……今のはたまたま!」
「たまたまで死ぬな」
腹立つ。
正しいから余計に腹立つ。
その直後、李俊のすぐ横へ槍が伸びた。
「李俊、アンタも前へ出すぎ!」
李俊が槍を払いながらこっちを見る。
「お前に言われたくない!」
「アタシは大将!」
「俺も隊を預かってる!」
孫二娘が敵兵を蹴り倒しながら笑った。
「両思いになると注意する内容まで似るんだねェ!」
「今それ言う!?」
「誰と誰が両思いだ!」
李俊まで声を上げた。
一瞬だけ、アタシと目が合う。
……何でアンタまでそんな勢いで否定するのよ。
いや、違う。
今そこ気にしてる場合じゃない!
「孫二娘、前見て!」
「はいはい……照れ隠しはあとでねェ」
「違う!」
本当に後で覚えてなさい。
その時、周囲から大きなどよめきが起きた。
盧俊義と史文恭だ。
史文恭の槍が低く沈んでいる。
黒馬の脚を狙った。
盧俊義の馬が跳ねる。
その動きへ合わせて、槍が一気に上がった。
狙いは喉。
完全に殺しに来た。
「危ない!」
アタシが叫んだ時には、盧俊義は動いていた。
退くんじゃない。
前へ出た。
史文恭の槍が最も伸びた、その内側へ黒馬ごと踏み込む。
朴刀が振り下ろされた。
轟音。
史文恭の槍が宙を飛んだ。
「えっ」
思わず声が出た。
さっきまでアタシと玉楼を散々押していた槍が、火の向こうへ転がっていく。
顧大嫂が目を剥いた。
「うわぁ……」
「アンタが引くな!」
「いや、あれは引くだろ!」
それはちょっと分かる。
曾頭市兵の方は、もっと露骨だった。
止まった。
史文恭の槍が飛ばされた。
たったそれだけで、今まで揃っていた槍列が明らかに揺れる。
玉楼は見逃さなかった。
「中央、押せます!」
「第四軍、もう一度!」
今度は号令が終わる前に顧大嫂が突っ込んだ。
「行くよ!」
「今度は早いねェ!」
「どっちでもいいから行って!」
盾がぶつかり、列が割れる。
孫二娘ができた隙間へ入り、後続を止める。
玉楼が右から寄ってきた敵を槍で退け、アタシは中央を押した。
曾頭市側の銅鑼が鳴った。
でも、さっきまでと音が違う。
揃っていない。
焦っている。
史文恭は槍を失っても退かなかった。
腰の剣を抜く。
「まだやるの!?」
顧大嫂が叫ぶ。
史文恭はそのまま盧俊義へ飛び込んだ。
馬上の槍から、一気に近い間合いへ変えるつもりだ。
盧俊義は黒馬から降りた。
史文恭の剣が走る。
速い。
槍ほどの間合いはなくても、その分だけ斬撃が近い。
盧俊義は朴刀で受ける。
刃が擦れ、火花が散る。
一撃。
二撃。
史文恭が横へ回り込もうとする。
盧俊義は追わない。
待った。
その瞬間、妙に嫌な感じがした。
林で史文恭がやっていたことと同じだ。
勝てる場所へ相手が入るのを待っている。
史文恭が踏み込んだ。
盧俊義も踏み込んだ。
今度は深い。
史文恭が剣を返すより、朴刀が先だった。
鈍い音がする。
史文恭の身体が揺れた。
二撃目は横から入った。
黒い外套が火の中で大きく翻り、その身体が地面へ叩きつけられる。
今度こそ、動かなかった。
戦場が一瞬だけ止まる。
玉楼が息を吸った。
「史文恭、討ち取られました!」
曾頭市側の空気が壊れた。
誰か一人が逃げたわけじゃない。
なのに、全員が同時に「もう駄目だ」と思ったのが分かる。
孫二娘の目が変わった。
「三娘、今だよォ!」
「分かってる!」
「押し込めぇッ!」
顧大嫂の方が先に叫ぶ。
「大将アタシ!」
「喋ってる暇あるなら来な!」
もう!
第四軍が前へ雪崩れ込む。
敵兵は下がる。
止めようとする兵と逃げる兵がぶつかり、自分たちで列を崩していく。
玉楼が外柵の奥を見た。
「門を閉じます!」
見ると、内側へ退いた兵たちが木門を押している。
ここで閉じられたら、また最初からだ。
「逃がさない!」
アタシが走る。
「玉楼!」
「はい!」
言葉はそれだけで足りた。
玉楼の槍が先に走り、門脇で指示を出していた兵を退かせる。
その空いた場所へ顧大嫂が飛び込んだ。
「閉めるんじゃないよ!」
木門へ肩からぶつかる。
「顧大嫂、押しすぎ!」
「今は押す場面だろ!」
それも正しい!
孫二娘まで反対側へ取りついた。
「ほら、三娘も来い!」
「何でアタイまで力仕事なんだよォ!」
「文句言いながら押してるじゃない!」
後ろから梁山泊兵が続く。
押し返されかけた門が止まる。
李俊の隊も横から入ってきた。
「三娘!」
「怪我ならない!」
「まだ聞いてない!」
「先に答えただけ!」
一瞬、李俊が呆れた顔をした。
その横で孫二娘が笑う。
「自覚だけは早くなったねェ」
「うるさい!」
今は門!
顧大嫂が歯を食いしばる。
「開けなァッ!!」
兵たちが一斉に押した。
重い木門が、軋みながら逆へ動く。
一尺。
さらに一尺。
曾頭市兵が支えきれず、内側へ弾かれた。
開いた。
火と煙の向こうに、曾頭市の中が見える。
でも、これで終わりじゃない。
史文恭を倒した。
外柵も破った。
それでも、ここはまだ入口だ。
アタシは日月双刀を握り直した。
「第四軍、止まらないで!」
玉楼が隣へ並ぶ。
孫二娘と顧大嫂が左右へ散る。
後ろから梁山泊兵が押し寄せた。
そして――
曾頭市の外柵が、ついに破られた。
玉楼でございます。
史文恭様は、三娘様とわたくしでも押し切れなかったお方でございました。
その槍を、盧俊義様は――飛ばしました。
「怪物の上に怪物だねェ」
孫二娘様が笑います。
顧大嫂様は少し考えてから、
「あたし、混ざらなくて良かったかもしれないねぇ」
「やっと学習したの!?」
三娘様が驚いておられます。
「失礼だね!」
ですが、その三娘様も李俊様から声を掛けられる前に、
「怪我はしてない!」
と答えておられました。
「条件づけが完成してるねェ」
「してない!」
さて、史文恭様は討たれ、外柵も破れました。
ようやく曾頭市の中へ入れます。
……ここまで来て、まだ外柵だったのでございます。




