双雄激突
曾頭市って、多分、嫌な場所だ。
林は陰気だし、柵は多いし、矢まで飛んでくる。
しかも史文恭が居る。
真正面から殴り合って終わる戦にならない事くらい、最初から分かっていた。
……なのに。
「史文恭って、あの黒い槍の男だろ?」
孫二娘が平然と言った。
「だったらアンタが止めて来な」
顧大嫂が即座に返す。
「嫌だよ。刺されたくない」
「珍しく素直じゃないか」
「ババアが行けばいいだろ」
「誰がババアだい!!」
また始まった――
しかも二人とも、矢が飛んでる最中でも普通にやる。
でも――
周囲の兵は、少しだけ肩の力が抜けていた。
怖くても、張り詰め過ぎると、人は逆に動けなくなる。
だから第四軍は、誰かが怒鳴って、誰かが笑って、無理やり前へ出る。
静かに怯えるより、騒がしく突っ込む方を選ぶ連中だ。
……多分、今回もそうなる。
梁山泊軍から、黒馬が前へ出る。
盧俊義だ。
周囲の兵が、自然に道を開ける。
顧大嫂が、小さく息を吐いた。
「……真打が来たねぇ」
孫二娘も流石に笑わない。
「玉麒麟か」
史文恭は槍を引かない。
むしろ―― 穂先が、わずかに低くなった。
構え直した。
今までとは違う。
“兵を倒す槍”じゃない。
目の前の一人を討つ為の構えだった。
盧俊義が静かに前へ出る。
火が揺れ、煙が流れる。
その真ん中で、低い声だけが通った。
「史文恭だな?」
呼ばれた男は、何も返さない。
だが、目だけは逸らさなかった。
盧俊義が朴刀を構える。
「晁蓋殿の件、聞いているぞ!」
その瞬間、史文恭が踏み込んだ。
速い――
黒い槍が火の中を裂く。
でも、盧俊義は引かない。
真正面から朴刀が振り下ろされた。
重い音が響く。
周りの空気そのものが震える。
「ッ……!」
周囲の兵が思わず固まる。
槍と朴刀が噛み合ったまま、火花が散る。
史文恭の槍を、流しながら弾く。
そのまま喉元へ返る。
でも――
盧俊義は、半歩だけ馬をずらした。
避けるんじゃない。
“届く位置”を外している。
玉楼が小さく呟く。
「上手い……」
次の瞬間、朴刀が返る。
重い一撃。
まともに受ければ、馬ごと砕きそうな勢いだった。
史文恭が初めて大きく下がる。
火の粉が舞う。
顧大嫂が笑った。
「化け物同士だねぇ!」
孫二娘も目を細める。
「今の避けるかよ……」
でも、史文恭は止まらない。
下がった瞬間には、もう次の踏み込みへ入っている。
速い。
槍が、火の揺れと一緒に何本も見えた。
盧俊義は動かない。
最小だけ動く。
避け、 流し、 受け、 返す。
互いに、一歩も譲らない。
そして――
その二人のぶつかり合いを見た瞬間、敵兵が、初めて後ろへたじろいだ。
玉楼が即座に声を飛ばす。
「今です!」
アタシは前へ出た。
「第四軍! 押し込むわよ!」
盧俊義が前へ出た瞬間、空気が変わった。
今まで押していた敵兵が、初めて迷う。
前へ出るべきか。
下がるべきか。
その一瞬の揺れを、第四軍は逃さない。
「押せぇッ!!」
顧大嫂が怒鳴りながら突っ込む。
盾ごとぶつかる。
敵兵の列が、わずかに歪んだ。
「そこだよ!」
孫二娘が横から滑り込む。
崩れた槍の隙間へ、刃が走る。
一人倒れる。
その後ろが詰まり、止まる。
玉楼が即座に声を飛ばした。
「右、崩せます!」
分かる。
史文恭へ視線が集まったせいで、敵兵の統制がわずかに遅れた。
ほんの少しの隙だった。
でも、こういう戦では、それで十分だった。
「第四軍、前へ!」
アタシも押し込む。
火の熱が顔へ来る。
煙で目が痛い。
それでも、止まれない。
その横で――
史文恭と盧俊義は、まだ真正面からぶつかっていた。
槍が走る。
でも、盧俊義は真っ向から受ける。
朴刀を振り切る。
史文恭も、負けじと受ける。
火花が散るたび、周囲の兵まで距離を取っていた。
顧大嫂が笑う。
「近寄りたくないねぇ!」
孫二娘も顔をしかめた。
「巻き込まれたら死ぬだろ!」
その時――
史文恭の槍が、急に沈んだ。
低い。
馬の脚だ。
「ッ!」
盧俊義の馬が跳ねる。
そこへ、黒い穂先が一気に跳ね上がった。
喉元。
速い。
完全に“殺し”へ来ている。
でも――
盧俊義は、そこで初めて踏み込んだ。
避けずに、前へ出る。
槍が、真正面から叩き落とされた。
重い音が響く。
史文恭の槍が、遠くへ弾き飛ばされた。
「な……!」
周囲の兵が、初めて声を漏らす。
今まで、ずっと優勢だった黒い槍が飛ばされた。
その瞬間――
曾頭市側の槍兵が、明らかに怯む。
玉楼が即座に叫ぶ。
「中央、押せます!」
「行くよォ!!」
顧大嫂隊が敵兵へ体当たりする。
盾が歪み、隊列が崩れる。
「止まるなッ!」
孫二娘が、その隙間へ飛び込んだ。
刃が走り、一人倒れる。
第四軍が、一気に前へ流れ込み始めた。
でも――
史文恭は止まらない。
槍を失った瞬間、即座に腰の剣を抜く。
火の中で、刃が鈍く光った。
顧大嫂が目を剥く。
「まだ来るのかい!?」
史文恭は答えない。
次の瞬間――
踏み込んだ。
素早く、一直線に斬り込んでくる。
間合いが近い。
完全に、殺し切る距離だった。
盧俊義は、そこで初めて馬を降りた。
「ッ……!」
着地と同時に、朴刀が返る。
重い。
史文恭の剣が火花を散らす。
でも、止まらない。
史文恭は、そのまま身体ごと滑り込んでくる。
太刀筋が、火と煙の隙間から何度も走る。
玉楼が小さく呟いた。
「凄い……」
盧俊義は下がらず、真正面から受け流す。
そして――
踏み込み、朴刀が真正面から振り下ろされた。
重い音が響く。
史文恭の剣が、大きく弾かれる。
「ッ!」
体勢が崩れる。
その瞬間だった。
盧俊義が、一気に間合いを潰す。
今まで、一歩も無駄に動かなかった男が、初めて深く踏み込んだ。
史文恭が剣を取りに行こうとしても、既に遅かった。
「終わりだ」
低い声だった。
次の瞬間――
朴刀が、真正面から叩き込まれる。
鈍い音がした。
史文恭の身体が大きく揺れる。
そのまま、二撃目。
横薙ぎ。
史文恭の身体が、火の向こうへ吹き飛んだ。
地面へ叩き付けられる。
静かだった。
ほんの一瞬だけ、戦場そのものが止まる。
そして――
玉楼が、はっきり叫んだ。
「史文恭、討ち取られました!!」
その瞬間、曾頭市側の空気が完全に崩れた。
史文恭が倒れた瞬間、敵兵が止まった。
本当に、一瞬だけだった。
でも――
その“一瞬”で十分だった。
「押し込めぇッ!!」
顧大嫂が怒鳴りながら突っ込む。
第四軍が、一気に前へ雪崩れ込んだ。
乱れた隊列へ、人も盾も押し込まれる。
「下がるな!」
「止めろォ!」
曾頭市側も怒鳴っている。
でも、もう揃わない。
史文恭が落ちた。
その事実だけで、空気が崩れていた。
孫二娘が笑いながら飛び込む。
「遅いんだよッ!」
刃が走り、敵兵が崩れる。
その後ろの列まで巻き込み、押し返されていく。
玉楼が周囲を見た。
「右側、空きます!」
分かる。
槍列そのものが歪み始めていた。
「第四軍、右から入るわよ!」
アタシも前へ出る。
火の熱が顔へ叩き付けられる。
煙で喉が痛い。
でも、止まれない。
その時――
曾頭市側の銅鑼が、乱れた。
さっきまでと違う。
揃っていない。
焦って鳴らしている音だ。
顧大嫂が笑う。
「崩れたねぇ!」
孫二娘も前を蹴散らしながら叫ぶ。
「今だ今ッ!!」
外柵の前で、敵兵が押し合いになる。
下がる兵。
止めようとする兵。
逃げようとする兵。
もう、“形”が消え始めていた。
その奥で――
盧俊義が、静かに朴刀を下ろす。
火の向こうで、史文恭は動かない。
周囲の曾頭市兵が、初めて完全に怯んだ。
「史文恭殿が……」
「嘘だろ……」
声が広がる。
それが、一番早かった。
玉楼が即座に叫ぶ。
「門へ向かっています!」
見ると、曾頭市側の兵が、外柵の内側へ逃げ始めていた。
閉じる気だ。
「逃がすな!!」
顧大嫂が突っ込む。
盾ごと押し飛ばす。
孫二娘が、その隙間へ飛び込む。
「閉めさせるかよッ!」
アタシも前へ走る。
外柵の門が見える。
重い木門だ。
閉じ始めている。
でも―― 間に合う。
「玉楼!!」
「はい!」
槍が飛ぶ。
門の脇にいた敵兵へ突き刺さり、 動きが止まる。
その瞬間――
第四軍が、一気に門へ雪崩れ込んだ。
半分閉じかけた外柵門が、内側から押し返される。
顧大嫂が笑いながら怒鳴った。
「開けなァッ!!」
梁山泊兵が、一斉に押し込む。
そして――
曾頭市の外柵が、ついに破られた。
曾頭市の外柵を破った後も、顧大嫂殿と孫二娘殿は、騒がしいままでした。
「だから言ったろ! 押し込めば割れるんだよ!」
孫二娘殿が笑えば、
「アンタは毎回、押し込む前提なんだよ!!」
顧大嫂殿が即座に怒鳴り返す。
「でも割れたじゃん」
「その前に、こっちも焼けかけただろうが!」
「燃えてる方が勢い出るだろ?」
「出るかッ!!」
そのまま二人で押し合いになり、周囲の兵達まで笑っていました。
ですが――
ああいう声があるから、第四軍は止まりません。
火が上がっても、 矢が飛んで来ても、 誰かが怒鳴っていると、人は少しだけ前へ出られる。
顧大嫂殿は、“押し潰す空気”を作る方です。
孫二娘殿は、“崩れた場所へ飛び込む事”を怖がらない。
だから第四軍は、崩れた瞬間を逃しません。
ですが今回、一番大きかったのは、やはり盧俊義殿でしょう。
史文恭が落ちた瞬間、曾頭市側の空気そのものが崩れました。
将が一人倒れただけで、戦場全体が揺れる。
あれが、“軍を背負う武”なのだと思います。
そして―― そんな中でも、扈三娘様はずっと周囲を見ておられました。
敵だけではありません。
火、煙、崩れる列、押される兵。
“どこから戦が壊れ始めるか”――
多分、扈三娘様は、ずっとそれを見ておられるのでしょう……




